今年の星稜高校は、大会屈指の好投手奥川を擁し、打撃陣も好調だ。しかも準々決勝では、彼を温存して圧勝し、北陸勢初の優勝の期待が膨らんできた。
過去、星稜の最高成績は、1995年の準優勝だが、私には、あまり記憶にない。今も鮮明に憶えているのは、1976年の第58回大会でベスト4に勝ち残った小松辰雄投手で、この頃から甲子園で星稜の名前が知られるようになった。
彼は、ズシリと響く重い速球で、相手を力でねじ伏せた野武士の風情が魅力で、準々決勝の対豊見城戦に1-0で勝った時、興奮が頂点に達し、応援夜行バスに乗り、甲子園に駆けつけた。
しかし、当時のチームは、3勝のうち2勝が1-0の完封が示すように、得点力がなく、小松頼みだった。連投の小松は、疲労のピークで、ヒットを打って一塁を回ったところで足がもつれるのを見て、敗けると思った。
予感が的中し、優勝した桜美林に1-4で敗れたが、強烈な感動を覚えた。今年は、優勝の可能性が高いのに、あの時の興奮を感じないのは、熱のせい、、、?
過去、星稜の最高成績は、1995年の準優勝だが、私には、あまり記憶にない。今も鮮明に憶えているのは、1976年の第58回大会でベスト4に勝ち残った小松辰雄投手で、この頃から甲子園で星稜の名前が知られるようになった。
彼は、ズシリと響く重い速球で、相手を力でねじ伏せた野武士の風情が魅力で、準々決勝の対豊見城戦に1-0で勝った時、興奮が頂点に達し、応援夜行バスに乗り、甲子園に駆けつけた。
しかし、当時のチームは、3勝のうち2勝が1-0の完封が示すように、得点力がなく、小松頼みだった。連投の小松は、疲労のピークで、ヒットを打って一塁を回ったところで足がもつれるのを見て、敗けると思った。
予感が的中し、優勝した桜美林に1-4で敗れたが、強烈な感動を覚えた。今年は、優勝の可能性が高いのに、あの時の興奮を感じないのは、熱のせい、、、?