プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★コロナが取り持つ(後編):家族の絆

2020-07-30 08:20:37 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、4人兄弟の末っ子で、小学一年生の時、父が病死、母も30年前に他界した。次男は、50歳で早逝し、姉も昨年逝ったので、肉親は長男だけになった。

 父に遊んでもらった記憶は、全くなく、終戦直後で、食いつなぐのに精いっぱいだった母は、私に多くのことを語らなかった。

 兄は、300ページにおよぶ膨大な資料を渡してくれた。明治33年に、初代佐野吉之助が、「佐野舞台」を開き、翌年、金沢能楽会が設立されてからの歴史と、父がどう関わって来たかを詳細に記録してあった。

 口に出さなくても、それが、終活の一環だと痛いほど伝わって来た。父の遺品の数々を座敷一杯に広げて、「好きな物を持って帰ってくれ」と言われたが、また改めて貰いに来ると言って、辞退した。

 兄が、もうそんな機会が無いかもしれないからと言っても、「預けておくから、それまで元気で、、」と笑って、お茶を濁した。