徳田秋聲や泉鏡花は、犀星ほど、カニに執着しなかったが、二者二様のエピソードが紹介されていた。
「食通ではない」と自認していた徳田秋聲も、蟹を題材にした作品を読むと、蟹が好きだったことが窺える。また、金沢の妹から贈られたカニへの礼状に、「新鮮なのと出所がいいらしいので、こちらでは味わうことが出来ぬうまさにて、久しぶりで郷里の蟹を食べたこと悦んでおります。」と書いている。
一方、潔癖症で、生もの嫌いだった泉鏡花は、刺身はもちろん、野菜も生では一切食べず、大根おろしや果物も煮て食べたエピソードまで残っている。
ところが、蟹だけは別のようで、「蟹を珊瑚に、雪を真珠」にたとえたり、近江町で蟹を見て、「薄暮方の焚火のように目に付いた」と表現した作品もある。
金沢が生んだ三文豪は、蟹を通して郷里を回顧していた気がし、今までよりも身近に感じた。
「食通ではない」と自認していた徳田秋聲も、蟹を題材にした作品を読むと、蟹が好きだったことが窺える。また、金沢の妹から贈られたカニへの礼状に、「新鮮なのと出所がいいらしいので、こちらでは味わうことが出来ぬうまさにて、久しぶりで郷里の蟹を食べたこと悦んでおります。」と書いている。
一方、潔癖症で、生もの嫌いだった泉鏡花は、刺身はもちろん、野菜も生では一切食べず、大根おろしや果物も煮て食べたエピソードまで残っている。
ところが、蟹だけは別のようで、「蟹を珊瑚に、雪を真珠」にたとえたり、近江町で蟹を見て、「薄暮方の焚火のように目に付いた」と表現した作品もある。
金沢が生んだ三文豪は、蟹を通して郷里を回顧していた気がし、今までよりも身近に感じた。