プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★小泉首相と心中した男

2006-09-17 09:59:45 | 日記・エッセイ・コラム

 竹中総務大臣が議員辞職すると発表したことに驚きと同時に、なるほどと妙に納得した。小泉首相5年半の在任期間中、終始一貫、要職を務め上げた人は彼一人だけに、その存在が如何に大きかったかを物語っている。

 理念や理想が欠如したまま構造改革を呪文のように唱え続けた小泉首相を支えたのは、竹中大臣だったことは衆知の事実。彼抜きで小泉改革は語れない大きな存在だった。学者出身だけに手法が異なる霞が関や永田町の抵抗にあい批判も浴びた。時には、出身大学の先輩・後輩でさえもその理論を批判した。

 しかし、不良債権処理問題を片付けた業績は率直に認める必要があろう。メガバンクが曲がりなりにも立ち直り、企業が活力を取り戻すトリガーになったことは事実だし、結果責任を問われる政治家として評価しておきたい。郵政民営化については、極めて中途半端で道半ばだけに、途中で投げ出した印象が拭えない。官僚の逆襲を恐れての辞任かと疑ったり、燃え尽き症候群かと訝ったり。

 それ以上に、不満なのは参議院の比例代表候補として72万票を集めた人が任期4年余を残して辞するために、名簿次位の女子プロレスラーが繰り上げ当選することだ。格が違いすぎるし、第一、彼に期待した有権者の善意が踏みにじられる。これでは、参議院不要論が再燃してもおかしくない。


★貸し金利正体みたり自民党!

2006-09-16 10:08:14 | 日記・エッセイ・コラム

 グレーゾーン金利を巡る自民党内のどたばた劇は、昨日、ようやく一定の結論に達したが、誰の立場で考えているのかとの疑問が残る。利息制限法と出資法の二つの法律のギャップの産物だが、自民党では金融庁案より踏み込んだ現実的な解決策として評価しているようだ。

 法律的な解釈論は専門家に任せるとして、消費者金融業界が急激な成長を遂げた背景には、銀行から低金利で借りて一般に高利で貸し出すカラクリが存在することは事実だ。銀行が一般の人に簡単に貸し出ししてくれない点に、根本原因があるのだが、借り手側にも責任の一端があると思える。

 その思いを強くしたのは、テレビの特番で、多重債務者が語った一言だった。「世の中景気が良くなったというが、私の給料はちっとも上がらない。生きる為に借金するしかない」と。確かに、消費者金融の利用者の約50%は、年収300万円未満の人らしい。しかし、その人がマイホームを購入し、車を乗り回している生活を見ると生活に困っているレベルには到底思えない。

 消費者金融が融資する際、元金を回収するために生命保険をかけることが問題視されているが、無担保で安直にお金を借りるマインドの方が私には解せない。年収300万円で生き抜く経済学ではないが、基本的な価値観を分相応に押さえないと年金生活者は生きていけなくなるのがこの国の掟だ。この際、政治と生活の関わり方を真剣に考えることの方が自己防衛上大切だと思う。


★待望久しい上方寄席誕生!

2006-09-15 10:48:22 | 日記・エッセイ・コラム

 本日15日、大阪で約80年ぶりとなる落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」がオープンする。上方落語協会長の桂三枝さんが、寄付金集めの先頭に立って実現に漕ぎつけた。その功績に敬意を表すると共に、落語ファンとして大阪へ出かける折に立ち寄る名所が一つ増えたことが嬉しい。

 かつて、初めて上京した際、新宿末廣亭や浅草演芸ホールへ毎週のように通い、日本の伝統的な文化と話芸に酔った記憶が蘇る。江戸は落語、上方は漫才と言われるが、平成12年から2年間の大阪勤務時代、寄席の常設館が無いのが不思議だった。落語離れが原因だが、吉本新喜劇を何度か観たが、ドタバタコントなどよりはるかに奥深い笑芸は実に心豊かにしてくれる。

 偶然、大阪落語の始祖・米沢彦八の名を後世に残すために、彼が活躍した生國魂神社の境内で、毎年”彦八まつり”が開催されているのを知り、出掛けたのは平成12年の9月。“年に一度の落語家によるファン感謝デー”だけに、落語家のおもしろ屋台が所狭しと並び、テレビでお馴染みの顔をじかに見られるのでファンならずとも楽しい。人気が高い大喜利は、桂三枝・桂文珍・月亭八方・小米朝・ざこば・きん枝・小枝の豪華メンバーで、オフレコだけにきわどい話題も飛び出し、会場は笑いの渦に包まれ最後まで笑いが絶えなかった。

 漫才の掛け合いも面白いが、殺伐とした世相だけに、間(ま)を大切にする落語の呼吸を人間関係にも取り込みたいものだ。「天満天神繁昌亭」の繁栄を祈りたい。


★”悠”の語感と世相

2006-09-14 09:31:23 | 日記・エッセイ・コラム

 秋篠宮家のお子様が「悠仁」と命名されたことを意義深く噛みしめている。お名前通りにすこやかにご成長されることを願う。

 今の世相は、”悠”の語感とは全く異なりせち辛く、殺伐とした事件が多い。交通事故や犯罪は一部の現象に過ぎない。政府は少子高齢化と騒ぎたて、社会保障費がかさみ財政を逼迫させていると説明したかと思うと、一方では、世界第二の経済大国に相応しい国際貢献が必要だと強調する。対案が出てくれば、ばらまきだとか財源不明だと批判する。四方を海に囲まれ、森林面積が国土の3分の2を占める国でありながら、自然災害の備えが不十分な政策。国連常任理事国入りを目指して、レバノンにまで陸自を派遣する検討までしている。

 川の流れは山から大海にそそぐ。この悠久の流れは、時代が変わろうとも絶えることがない。途中、早瀬になったり岩に砕かれ分流しても、また一つの流れにもどる。岸辺の流れは遅く、渦になり何度もぐるぐるとぐろを巻きながらもいずれは本流に合流する。

 人それぞれに辿る道筋は違っても、最後に行き着く先は大海。限られた人生だけに、悠久の世界に身を置き、自分なりに充実した時間を送りたいものだ。ふと、美空ひばりの歌を思い浮かべた。名曲「川の流れのように」は、秋元康さんの作詞だが、読み返してみて改めて、限られた時間をせかせかと生きる愚かさを顧みている。

 日本国の行く先はどこなのか?この国に生まれた人間共通の人生そのものを左右する。自民党総裁候補に「何が国益か?」を問うてみたくなる。


★飲酒運転は国を滅ぼす!

2006-09-13 09:03:47 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、公務員の不祥事件が続発しているが、中でも飲酒運転事故が目立つのは腹立たしい。福岡県だけではなく、姫路市や神戸市、寝屋川市と相次ぐ公務員の飲酒運転は単なる”モラル問題”で片付けてはならない。飲酒運転は自己責任の最たるものだけに、公務員に限らず、国をあげて撲滅運動を徹底すべきだ。

 交通事故によって尊い人命が失われると、取り返しがつかない。 加害者の賠償責任は保険でカバー出来るとしても、後悔と罪悪感は一生消えない。一方、被害者にとっては、本人だけでなく家族や周囲の人達にまで及ぼす影響度は量り知れない。仮に不幸にして身体に後遺症が残り、健常者としての生活を失った場合、その家族が辿る人生を想像するだけで気が遠くなる程、絶望的な日々が待ち受けている。

 ついては、飲酒運転を撲滅するために罰則強化策として「本人だけでなく、酒を供した店と一緒に飲んでいた人も同罪」とする法律を検討したらどうだろう。酒に酔えば、本人の判断能力は当然鈍くなるだけに、周囲の人が注意し飲酒運転を止めさせるのが効果的だ。シートベルト着用違反は、運転者だけでなく同乗者にも義務付けたことで着用率が急速に向上した。外国にはさらに厳しい例もあるほどで、法解釈ではなく、政策判断で決めるべき性格だと思う。

 交通事故は人為的な災害であり、愚かな個人の後始末に貴重な公費(=税金)を投入することで、国家財政を逼迫させる。更には、将来ある幼児や若年者が命を奪われれば、少子化要因にもなる。政府が国民の目線に立てば、誰もが憎む飲酒運転事故を撲滅する運動を最重点事項に掲げてもおかしくはないと思うのだが。