私達が、日常生活の中でごく自然に口にするボランティア活動。日本語では、”奉仕活動”だが、こう言うと何か古めかしく響く。「ボランティア活動が老後の生甲斐」というと、その人が善意の塊のように響く、不思議な語感をもっている。
「ボランティア」の3原則は、”自主性、無報酬、公共性”。日本は農耕民族だから、語源の志願兵や宗教色抜きの相互扶助の精神が歴史的に息づいている。町内会や自治会、消防組織などは、地域社会の互助が土壌だし、民生委員や公民館活動なども地域奉仕活動のベースを成している。国民皆保険や年金制度なども、世界に誇る日本の相互扶助文化といえるかも知れない。
ところが、最近では、自分の権利を主張するあまり、自己犠牲を強いる活動を拒否する人が増えつつある。反面、核家族化・超高齢化社会が進展するなかでは、ますますその必要性が高まっている。一方、行政機関では、財政の悪化からコストの一層の低減が求められ、有事の対応が迅速かつ的確に行える仕組みを維持することが困難になってきている。
NPO団体が続々誕生した背景には、その機能を代替する効用もあるが、これもそれを構成するボランティアの存在が不可欠だ。日本社会全体がこの自己矛盾を如何にして解決していくのか。私達ひとり一人が、より住み易い社会にするために、自分の時間を少しずつ出し合い、公共性をシェアする気持ちを持たない限り、為政者でも解決出来る課題では無いように思える。