プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★新潟ロードレース中止に思う(後編)

2020-03-06 08:30:43 | スポーツ
 東京マラソンは、一般参加者抜きで開催されたが、沿道を埋めた7万人を超えた人から感染者は出なかったし、人口密度が一番高く、地下鉄やJR、私鉄が網羅されて混雑する東京の感染者が北海道よりも少ない。

 政府は、非常緊急事態だと言うが、感染したかどうかの検査さえ受けられず、感染したと判明しても、治療法がない状況なら、見えぬ敵と戦うだけ無駄だと考える人がいたって不思議ではない。

 さて、ロードレースは、コンサートや大相撲等の閉ざされた空間ではなく、オープン・エアでの競技だ。東京マラソンより規模が小さい競技大会が、雪崩を打って中止に追い込まれる心理が一番こわい。

 オリンピックの主務大臣が、開催時期を延期しても差し支えないと発言するようでは、風評被害の原因を作り、混乱を増幅させるばかりだ。

★新潟ロードレース中止に思う(前編)

2020-03-05 08:57:28 | スポーツ
 コロナウイルス騒動が、次々にスポーツ競技に伝染し始めたので、不安視していたら、昨日、4月5日の「新潟ロードレース」の中止のハガキが届いた。

 この分では、早晩、3月22日予定の足羽川マラソンも中止になりそうな気配が濃厚になって来たので、トレーニングをする気力が萎え始めた。

 主催者側の判断なので、従うしかないが、通知書の文言に「政府の拡大防止策の要請を勘案し」とあるのが気に入らず、憤慨している。

 せめて、「大会スタッフや警備員の確保が困難」とか「諸般の事情を踏まえ」などと書いてあれば、主体的な判断だと納得するのだが、権力に盲従する直接的な表現は大嫌いだ。

 愚かだと思われようが、予定通りに新潟・米沢の旅に出ようと旅程を組み直している。

★ウイルスはSNS時代の申し子

2020-03-04 09:10:42 | 日記・エッセイ・コラム
 オイルショック時のデマ情報は、口コミで不安を煽ったが、SNS時代においては、地球規模で拡散するので、その影響度は計り知れない。そして、これが文明の利器の宿命でもある。

 私が通うジムでも、「筋トレ・フロアやプールには行かない方が良い」、「お風呂で変な咳をする人がいる」などと、無責任な声が飛び交っている。

 30年数年間、花粉症でマスクと薬を欠かせない私は、くしゃみをするだけで振り返る人の目を避け、開放感のある露天温泉で、手足を伸ばしている。

 安倍総理の次の一手は読みかねるが、パンドラの箱を開けたら、閉める知恵が無かったでは済まされない。独断専行を慎み、謙虚に専門家や現場の意見を受け止める姿勢に徹すれば、緊急事態は解消する。

★「病院船」建造の議論を!

2020-03-03 08:20:02 | 日記・エッセイ・コラム
 2月29日、安倍総理が、テレビを通じて国民に語り掛けた時、私はスィッチを切った。

 「国民の生命を守るのが私の使命」とか、「私が全責任を持つ」と繰り返しても、具体策が伴わなければ、共感を覚えない。

 為政者が、国家ビジョンよりも大衆迎合的な補助金や支援策を打てば、行きつく先は国民の懐になる。

 この際、災害のたびに議論の題材になる「病院船」建造の検討に向けて動きだすべきだ。

 アメリカを始め、イギリス・ドイツ・ロシア・中国・オーストラリア等々、多くの国が所有し、世界最大級の病院船「マーシー」(米)は、7万トン級で120の手術室、1,000床、ICU80床を備え、60人の医療スタッフが常駐し、非常時には1,200人に増員出来る。

 災害大国日本が、「病院船」を持たない理由が建造費用だとしたら、医療設備の種類などにもよるが、護衛艦「いずも」(2.6万トン)で約1,200億円だから、イージス・アショア一基(約3,000億円)分で賄える。

 一斉休校が総理の大英断だと支持する人がいれば、冷ややかに見る人もいたって良い。

★愚策が不安の連鎖

2020-03-02 08:30:27 | 日記・エッセイ・コラム
 金沢市長が、前言を引っ込め、3月5日から19日まで小中学校の一斉休校を実施すると発表した。

 結局、長い物には巻かれろで、政治の世界ではよくあることで驚かないが、方針がぶれると、余計な混乱を生じるので、不安が不安を生む悪循環に陥る。

 さて、マスクやティッシュ等の買占めは、大都市の現象と思ったら、市内の薬局やスーパーからトイレット・ペーパーが消えたと聞いて、ビックリ。"(-""-)"

 「○○のスーパーには、まだあった」、「じゃぁ、行ってみよう」と出かけたら、「もう無かった」では、滑稽を通り越して、寒々しい。

 総理が、「マスクをメーカーから一括買い上げて、北海道へ送る」と言えば、不安の連鎖を生み、買占めや高額販売が横行する種を蒔くようなもの。

 昭和48年(1973年)のオイルショック時のデマ騒動を思い出して、日本人が自己中心的になったのは、何時頃からかと、考え込んだ。