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オマケの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」

2025年02月10日 | 楽しいお話し

 2月に入りました。立春も過ぎましたが、毎年、本格的な寒さはまさにこの時期以降、ですよね 立春あたりからの猛烈な寒波襲来。たくさんのニュースが飛び込みました。中でも北海道の帯広等、比較的雪の少ない地域、道東の大雪の映像は想像を絶するものでした じつはまさにその時、夫は仕事で釧路にいて… 羽田に戻る便は全便欠航。結局、丸1日、釧路に足止めになりました
 毎回、「我が事」になって初めて実感する不便や不都合、不幸… それがどんなに大きな異変であっても、自分の暮らしに関係のない時には「まあ、大変だわ」「何てことなの」と思いながらも、よほどの大きな被害のあるものでなければ、悲しきかな、すぐに忘れてしまう 人とはそういうものだろう…とは思いながらも、あらためて今回、何か「マイナス」を知った時には、もう少し真剣に、もう少し思いを発展させて考えよう、と思いました もちろん、私が考えたからと言って、何かニュースの中の出来事がプラスに転じるわけはありません。でも、身近な人に起こったマイナス、自分に起こったマイナスにだけではなく、もっと様々な事に対して「心を向けよう」と思った出来事でした。(おまえは、何度もこんな反省をし、同じような決意をしているんじゃないかという天のカミサマの声がきこえてきそうです

 前回は、長い長い私の旅行記をお読みくださり、本当にありがとうございました そして、前回の旅行記には興味なし、とスキップをさせてしまった方々には、お詫びします
 …と書いておきながら、じつはあともう1回だけ、お許しをいただき、旅行記の続き、オマケを書かせてください
 「旅行記の続き」というか、もしかしたらいつか、この「続きから、別の展開」をご紹介することになるのではないか?という思いを持っているのです… 四の五の言わず、書き始めます
 私は前回、前々回「ポルトガル旅行」というように紹介しました。そう、その通りです。
 でも、ポルトガルのポルトに到着した翌日は、じつはポルトの町の観光をしたのではなく、ポルトから北に約200kmにある町、スペイン北部の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という町に日帰りで行ったのです。
 今回のポルトガル旅行。今ではすっかりポルトガルの大ファンになり、いろいろと歴史や文化に詳しくなりましたが、叔母から「ポルトガル旅行に…」と誘われた時、全くノーマークだったポルトガルであるにも関わらず、すぐに食指が動いたのには訳がありました。それは 旅程にこの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の地名があったから、だったのです。

 たぶん、今から10年ほど前のことだと思います。民放のBSの番組、俳優の平岳大さんが番組の企画で、スペインのある町の大聖堂を徒歩で目指す…というのを偶然、観たのです。(今回、あらためて調べてみたら、2015年1月4日にBS-TBSで放送された『スペイン横断800キロ 平岳大と情熱の巡礼路』という番組でした。初回の放送は、2014年9月7日。)
 当時、私は全くスペインのことは知りませんでしたし、カトリックの信者でもありませんので、ただ、800kmも歩いていくのねえ… 巡礼っていうやつ、だなあ… という感覚で観ていました でも、なぜかとってもとっても心が惹かれ…
 そして、それから何年もが経過し… 数年前、NHK-BSでも、3回シリーズで、この巡礼についての番組が放送されました。その時には、平岳大さんの時とは別の巡礼路からサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に向かうものでした。
 2023年の12月、私がスペイン旅行に行く時には、残念ながらこの町は旅程に入ってはいませんでした。「ああ、残念。極一般的なツアーでは、サンティアゴ・デ・コンポステーラのような北スペインに行くというようなものはないんだなあ」と思い、出かけたのでした。
 こんなにダラダラと書いても「いったいなんのこっちゃ」ですよね、失礼しました

 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に向かう巡礼。これは、「カミーノ・デ・サンティアーゴ」と呼ばれています。
「カミーノ・デ・サンチィアーゴ」は、人気の高いフランスからのルート、スペインからのルート、ポルトガルからのルート等、複数のルートがあり、ピレネー山脈を越えるルートは全長約800キロにも及びます。1日に、それぞれの体力に合わせて、約15キロから25キロを歩き、アルベルゲと呼ばれる巡礼宿に泊まり、決められた通過点で「巡礼手帳(クレデンシャル)」にスタンプを押してもらい、進む…
 現在は、徒歩の他に自転車での巡礼も許されています 昔は徒歩の他に、馬や馬車で、という巡礼の方法もあったそうです。
 この起源は古く… 長い長い間、不明であった「聖ヤコブの遺骸」が星の導きという奇跡により見つかり、その地に教会が建てられ、それ以来、皆がそこを目指すようになった、とのこと。諸説ありますが、聖ヤコブの遺骸が見つかったのは、814年と言われています。そしてその地を、カンポ(野原)とステーラ(星)を合わせた意味のコンポステーラと呼ぶようになった…「サンティアーゴ」は、「聖ヤコブ」のことを意味します
 また、この聖ヤコブのシンボルが「ホタテ貝」なのですね。なので、この巡礼路には、必ず道標や道のサインに「ホタテ貝」が描かれ、巡礼者達は何がしかの「ホタテのマーク」をつけて歩くそうです。
 めでたく巡礼をやり遂げた人々には、「巡礼証明書」が発行されます
本来は、全行程、平均約500kmを歩き切らないといけないのですが、現在では、100km以上を歩ききったことが巡礼手帳によって証明されれば(自転車の場合は、200km以上)、巡礼証明書が発行されるようになっているそうです

 12世紀には、年間50万人もの巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を訪れたとか。そんな「カミーノ・デ・コンポステーラ(聖地巡礼)」ですが、ヨーロッパ全土を襲ったペストや各地での戦乱によって、長い間、下火になります。
 ところが、1980年以降、時のローマ法王がこの巡礼をあらためて重要視したことにより、この巡礼が「カトリックの聖地への巡礼」という意味合いだけではなく、カトリック信者でない異教徒であっても、それぞれにとっての「特別なもの」として尊ばれるようになり、現在に至っている… ということなのだそうです。

 せっかくですので、やっぱり写真でもご紹介させてください

   これが大聖堂です。

   大聖堂の中、祭壇です。祭壇の正面には聖ヤコブの像があります。

  巨大な「ボタフメイロ(香炉)」です。上の写真をよく見ていただくと、祭壇の中央に天井からロープで吊り下げられているのがおわかりになると思います。重さが80kgもあります。カトリックにそれほど馴染みのない!?日本人の私達では、なかなかピンとこないのですが… クリスマス等の映像で、一度はカトリックのミサの様子をご覧になったことがあるのではありませんか?あの中で、そのミサを司る司祭が、乳香という香りのする石状のものを香炉の中に入れ「手に持って」「手でぶらぶらと許す」儀式があります。本来、香炉とは、そういう「手で持つ大きさ」なのですね。ところが!ここの香炉は、天井から吊り下げられ、重さが80kg(しつこいですね)もあり、大きな儀式の時には、7人がかりで、滑車を使い、聖堂の中の空間にグワ~ン、グワ~ン、と揺らせます。もともとは、長い長い時間をかけて、聖堂にたどり着いた巡礼者達の「匂いを消すため?!」に始められた…と言われているとか。(youtubeで「サンティアゴデコンポステーラ 香炉」と検索すると、その動画がいくつか出てきますよ。その様子は壮観です!)

  祭壇の聖ヤコブ像。何と、誰でもこの祭壇の後ろ側に登っていくことが出来て、像の後ろから、聖ヤコブ様に触ることが(抱きつくことも、可能)出来るのです。巡礼路を歩くという偉業も成し遂げないままではありましたが、私も「抱きつかせて」いただきました。罰当たり、でしょうね、きっと

   大聖堂の入口。階段の横が「ホタテ」のデザインになっているのがおわかりになりますか?

  
 町中の、巡礼路の道標や、道にはめ込まれたサインです。

  じつは、巡礼路には「ポルトガルの道」というものがあり、リスボンから出発し、ポルトガル国内を縦断し、国境を越えてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに至ります(約620km)。ポルトは、その途中の町。なので、ポルトの町中にも、この巡礼路の道標を見つけました。

  大聖堂の前で会った高校生くらいに見える生徒達。学校の課題として、修学旅行的に巡礼路を100km歩いた、とのこと。彼らは首に「ホタテ」を掛けていました。さずがに彼らは若いんですねえ、元気いっぱいでした。じつは、聖堂内でも、聖堂の前でも、10組くらいの「巡礼者」と思しき方々を目にしました。リュックにストック、リュックにはホタテのワッペン…というのが、今の巡礼者のトレードマークのようです。
 失礼かと思いつつ、聖堂の前で英語でお声をかけてみました。フランスから巡礼路を歩いてこられた親子と、スペインの南部からの巡礼路を歩いてこられたご夫婦でした。「さっきまでへとへとだったんだけれど、ここまで来たら興奮して…今は何も言えない、考えられない」とおっしゃっていました。どういう言葉が適切なのかはわかりませんでしたが、やっぱりこれなのかな?と思い「Congratulations」と言うと、握手をしてくださいました。とんでもないことを成し遂げた方達との握手でした

  じつは、ここでとっても素敵なことがありました。これは、大聖堂に併設された修道院「聖パイオ修道院」です。現地のガイドさんに教えていただき、この修道院のシスター達が、代々レシピを受け継いでいるというスイーツを買いに行くことになりました。
 でも、そのスイーツ。大聖堂のショップのようなところで売られているわけではなく、まさに修道院の門を叩き、ドアを開け、小窓のベルを鳴らす… というシステム。中から現れたのは、満面の笑顔の、かなりのご高齢のシスターでした。
 娘は14年間、カトリック校のお世話になりました。私は今でも、娘が小学校に進学する時、幼稚園の卒園面談でシスターから言われたお言葉が忘れられません。今もお年賀状のやり取りはあるのですが、シスターはすでに80歳をゆうに越えていらっしゃいます。そのお言葉は、私の「母」としての道標になり、それは今も続いています。
 私は、この聖パイオ修道院のシスターから、3箱のお菓子を買い求めましたが、お土産というよりも、とても尊いものを授かったそんな気がしました。

  

 これで、とうとう(やっと)おしまい、です

 私はこの回の冒頭の部分に… 「旅行記の続き」というか、もしかしたらいつか、この「続きから、別の展開」をご紹介することになるのではないか?という思いを持っている… ので、この「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」について書きたい、と書きました。
 はい ピンとこられましたか?
私は、この「巡礼路を歩いてみたい」と思っているのです。もちろん、500kmなんて無理です。時間は十分にありますが、その距離を歩くのは、無理です。でも、100kmを何とか…
 今回、実際にサンティアゴ・デ・コンポステーラに行ってみて、また、サンティアゴ・デ・コンポステーラがあるスペインではなく、ポルトガルの町の中で(じつは、ポルトだけではなく、リスボンでも「ホタテの道標」を見つけました)たくさんの巡礼路の印「ホタテ」を目にして、その思いは以前よりも一層強くなったのでした…
 夢に終わってしまうかもしれませんが、この「カミーノ・デ・サンティアゴ」を歩く、という夢を持っていよう、と思っています

 3回に渡り、長い長い旅行記を、最後までお読みくださり、本当に本当にありがとうございました 2回で終わると思いきや、オマケまでついてしまい、申し訳ありませんでした お読みくださったみなさまには、感謝しかありません


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