ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

医師確保険しく 来春産科医0の日製病院 (朝日新聞)

2008年12月23日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

茨城県内で最多の分娩を取り扱ってきた日立総合病院の産婦人科常勤医が、来春から全員いなくなってしまうようです。年間1200件前後の分娩を取り扱っていた地域基幹病院が、突然、分娩取扱いを中止したら、その地域が受ける影響は計り知れません。

院内助産所の開設も検討されているようですが、産婦人科医の常勤が前提条件となります。また、地域における「ハイリスク妊婦の受け皿」がなくなることになれば、この地域での診療所や助産所での分娩取り扱いの維持も困難となります。

最近は、どの大学の医局も地元の県の周産期医療体制を守るだけで精一杯となり、県外の病院にまで医師を派遣し続ける余裕がだんだんなくなってきました。従って、県を代表するような大病院の産婦人科であっても、県外の大学の医局から医師が派遣されている場合だと、突然、産婦人科の常勤医全員の医局への引き揚げを通告される可能性が少なくありません。

日立総合病院 分娩予約一時中止

****** 朝日新聞、茨城、2008年12月22日

医師確保険しく 来春産科医0の日製病院

 昨年まで県内の医療機関で最多の出産を取り扱ってきた日立製作所の日立総合病院(日製病院)から来年3月、産科医全員が派遣元の大学に戻る。病院は医師確保に懸命だが、全国的な産科医不足のなか、脳出血を起こした妊婦が7病院に受け入れを断られて死亡した都立墨東病院問題のあおりも受け、見通しが立たない状態だ。【大塚隆】

Photo_2  日製病院の産科医は現在4人と、わずか2年余りで半減した。それでも勤務医の奮闘で出産件数はここ数年1200件前後を保っていたが、8月からの新規受け付け中止の影響で今年度は990件程度に減少する見込みだ。残る4人の産科医も大学側の強い要請で来春には医局へ帰る。

 ●一時は光明も

 日製病院は新規受け付けを中止した8月以降、周辺の病院を案内している。日立市が母子手帳交付時に受診中の医療機関を調べたところ、5月には半数が同病院を使っていたが、10月は4%弱だった。

 来春以降の産科維持のため、日製病院は都内のある医大病院に絞って常勤産科医の派遣を要請し、一時は前向きの感触を得た。だが、10月に都立墨東病院問題が明るみに出て、都が産科医の確保に全力を挙げ始めたため、「どの大学も地方の病院に産科医を派遣することに二の足を踏んでいる」(関係者)という。

 日製病院は産科医不足に対応できるよう、正常分娩の場合は助産師が対応する院内助産所の開設準備を進めている。ただ、突然の出血などでハイリスク分娩への対応を迫られる場合もあり、「院内助産所でも産科医による管理が重要」(岡裕爾院長)と、産科医常勤が大前提だ。

 ●広がる影響

 産科は24時間の緊急対応が必要で、訴訟リスクなども敬遠されるため、産婦人科の看板を掲げながらも、婦人科だけにする施設が急激に増えた。日立市でも産科の開業医は瀬尾医院だけだ。

 日製病院は県北地域の地域周産期母子医療センターに指定され、県北で唯一、未熟児などの新生児医療に不可欠なNICU(新生児集中治療管理室)を持つため、「日製病院の産科が休止されると、緊急時には水戸や県南まで救急車で搬送する事態が起きうる」(瀬尾医院の瀬尾文洋院長)という。

 日製病院は「年内に何とかめどを」と、あらゆるつてを頼ってOBらにまで協力を求めている。日立市も「産科休止は町づくりの根幹にかかわる」(大和田進・保健福祉部長)と、産科医確保に向けた財政支援などの方針を固めている。だが、事態を打開するめどはまだ立っていない。

(朝日新聞、茨城、2008年12月22日)

****** 東京新聞、茨城、2008年12月9日

助産師16人活用できず 産科休止の県立中央病院 助産所開設検討へ

 産科医不足に伴い、助産師の役割が見直される中、笠間市鯉淵の県立中央病院(永井秀雄病院長・五百床)では助産師の資格保持者が十六人いるにもかかわらず、三年前から産科が休止となり、他の診療科で看護師として勤務していることが八日、分かった。病院は今後、数人の産科医確保を前提に、院内助産所の開設を検討する。【伊東浩一】

 同日の県議会一般質問で、常井洋治県議(自民)に対し、病院側が明らかにした。

 県内では分娩(ぶんべん)施設が十年前に比べて半減し、昨年十一月時点で五十カ所。産科医は約百五十人となっている。

 中央病院でも産科医四人が辞めた影響で、〇四年度末に産科を休止。法律上、正常分娩ならば助産師だけで取り扱うことができるが、県は「危険回避のため、出産は助産師だけでなく、産科医の指導下で行うべきだ」として、お産の受け入れを一切取りやめた。このため、助産師は他の診療科で看護師として働いており、資格を生かすことができない状況が続いているという。

 常井県議が「助産師を活用して、院内助産所を設置する考えはないか」と質問したのに対し、古田直樹病院事業管理者は「一定の産科医を確保した上で、指導の下に院内助産所を開設できる体制を整えたい」と答弁した。

(東京新聞、茨城、2008年12月9日)

****** 読売新聞、茨城、2008年12月8日

院内助産所開設を検討 県立中央病院

 産科の診療を中止している県立中央病院(笠間市鯉淵)で、助産師が中心となって出産を介助する「院内助産所」の開設が 検討されていることがわかった。8日の県議会一般質問で、古田直樹・県病院事業管理者が、常井洋治県議(自民)の質問に答えた。 助産所を構える病院は県内にはなく、開設されれば県内初になるという。

 中央病院は2005年3月の段階で4人の産科医を抱えていたが、医師らが出身大学の病院に戻り、当直体制が敷けなくなるなどしたため、 同年4月以降、診療を中止している。

 院内助産所は、助産師が、正常に経過している妊婦の出産を助ける病院内の施設で、育児期まで継続的なケアが受けられたりするのが特徴。 正常な出産の経過をたどっていれば、産科医の立ち会いもいらない。対象は、通常分娩が可能なリスクの低い妊婦に限られるが、 万一の時に対応する常勤の産科医さえ確保できれば開設の見通しが立ち、産科の開設に比べ、環境は整えやすい。現在、中央病院には助産師資格を持った看護師が16人いる。

 県内では、県北地域の中核的な周産期母子医療センターに位置づけられている日立製作所日立総合病院(日立市)が来年4月以降の 分娩の予約受け付けを一時中止するなど、出産をめぐる環境は年々悪化している。県内の人口10万人当たりの産科医数(06年末現在)も、6.5人(全国平均7.9人)で全国41位になるなど、産科医不足は深刻だ。

 これまでも、県は中央病院の産科診療の再開に向けて努力してきたが、産科医が1人も確保できていないのが現状。このため、 県はあくまで産科の再開を目標にしながらも、より開設の見通しが立ちやすい院内助産所の開設を本格的に検討していくとしている。

(読売新聞、茨城、2008年12月8日)

****** 読売新聞、茨城、2008年10月29日

産科医の確保 日製病院難航

 来年4月以降の分娩の予約受け付けを「一時中止」している日立市の日立製作所日立総合病院の産科医確保が難航している。病院や同市によると、産科医の派遣元大学の「全員引き揚げ」の姿勢に変化がないという。

 日製病院産婦人科の産科医は全員、大学から派遣を受けており、5月下旬に大学から「産科医全員を引き揚げるかもしれない」と伝えられた。2人が9月で引き上げ、現在の産科医は4人。病院と県、市などは派遣継続を要請しているが、大学側は「開業医になる医師が増えて、医師を派遣する余力が大学にもない」などと説明したという。

 日製病院は、産婦人科を閉鎖しない方針を固めており、派遣元の大学以外のルートでの産科医確保、正常分娩を扱う院内助産所の開設も探っているが、結論は12月ごろになる見込みだ。

 同市の樫村千秋市長は28日の記者会見で「来年4月以降に産科医がゼロになることは避けたい」とする反面、「もう少し様子を見るしかない」と述べるにとどまり、市の対応に手詰まり感をにじませた。

 日製病院は、県北地域の中核的な周産期母子医療センターに位置づけられ、年間に約1200件の出産を担っている。

(読売新聞、茨城、2008年10月29日)

****** 朝日新聞、茨城、2008年9月14日

来春から分娩予約を一時停止 日製病院

 県内の医療機関で最多の出産を扱う日立市の日立製作所日立総合病院(日製病院)が、来年4月以降の出産予約の受け付けを「一時中止」している。病院に医師を派遣している大学の医局から医師の派遣を打ち切りたいと要求され、来春以降の産婦人科医の確保が不透明なためだ。同病院は難しい出産にも対応できていただけに、広域的な影響が出かねないと懸念する専門家もいる。【木村尚貴】

 県医療対策課の調べでは、日製病院の07年の出産は1212件で県内最多。現在は産婦人科医6人で、24時間365日当番を回している。

 日製病院によると、産婦人科を開設してから医師を派遣していた首都圏の国立大学から5月、「来年4月以降の派遣を中止したい」と伝えられた。日製病院は大学側に1、2人でも医師を残すよう求めているが、現状では6人は来年3月までに大学の医局に戻る可能性が「極めて高い」という。

 こうした状況を受け、日製病院は8月初めに病院長名義で「分娩予約の一時中止」のお知らせを、病院内の掲示板やホームページで明らかにした。出産希望者には他の施設を紹介するなどしている。ただ、「あくまでも一時中止で、産婦人科をやめるということではない。医師が確保でき次第、診療を再開する準備はしている」と説明する。

 複数の市町村を一つの単位とする「二次医療圏」のうち、日立、高萩、北茨城の3市からなる「日立保健医療圏」では年間約2千件の出産があるが、出産可能な施設は3病院、1診療所、1助産所の5施設しかない。このうち過半数を日製病院が扱っていた。出産予約停止で通い慣れていない場所に行く妊婦の負担が増す。

 また、日製病院は異常分娩などの危険な出産にも対応する地域の拠点病院のため、異常出産の妊婦が近隣の病院に集中する可能性も高まる。

 日立保健医療圏に隣接する「常陸太田・ひたちなか保健医療圏」のある医師は「周産期医療の拠点である水戸の済生会病院などにハイリスクな患者が集中し病院のキャパシティーを超えると、ドミノ倒し的に県の母体搬送システムが崩れる恐れがある。今回の問題は、県北だけではなく県全体の問題だ」と指摘する。

(朝日新聞、茨城、2008年9月14日)

****** 読売新聞、2008年2月8日

24時間勤務 最高で月20日…産科医

「体力の限界」開業医も撤退

 「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。

 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。

 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。

 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。

 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。

 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。

 少子化になる前、お産の現場を支えてきた開業医たちも引退の時期を迎えている。東京・武蔵野市にある「佐々木産婦人科」の佐々木胤郎(たねお)医師(69)は、1975年の開業以来、3000人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。しかし、今は「命を預かるお産は責任が重い。体力的にきつくなり、訴訟の不安もつきまとう」と、分娩をやめ、妊婦健診だけにしている。

             ◇

 産科医がお産から撤退すれば、妊婦にしわ寄せがくる。

 東京・町田市の女性は昨秋、妊娠5週目ほどの時に神奈川県内の小さな産科医院を初めて訪れ、あっけなくこう言われた。「あら、あなた35歳なの? うちでは診られないですね」

 周辺病院で産科の閉鎖が相次ぎ、この産院に妊婦が集中したため、リスクの高い35歳以上の初産妊婦はお断りせざるを得ない――。そんな張り紙が待合室の隅に張り出されていた。帰り際、「早く探さないと産めなくなりますよ」と、別の病院を3か所ほど紹介してくれた。「これが現実なのだと自分を納得させるしかありませんでした」

 その後、産院や助産院を5か所回った。2か所は断られた。ある産院では「35歳の初産は分娩時に救急搬送になる可能性が高い。そういう妊婦は受け入れられない」と言われた。

 「仕事が忙しくて、出産を先送りにしてきたが、35歳以上の出産がこれほど大変とは思わなかった」と話す。

 医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台なしになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。

 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。

 産科医が直面する問題を昨年、小説に描いて話題になった昭和大医学部産婦人科学教室の岡井崇教授(60)は、「悪循環を断ち切るには、働く環境を改善して現場の医師をつなぎ留め、産婦人科に進む医学生を地道に増やしていくしかない」と話している。

(読売新聞、2008年2月8日)