ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

埼玉県の周産期医療の現場

2008年12月27日 | 地域周産期医療

****** 東京新聞、埼玉、2008年12月23日

周産期医療 現場からの報告<上> 疲弊する医師

 「二十四時間、三百六十五日の周産期母子医療センターとは名ばかり。それでも補助金をもらっているのかと問われれば、今すぐにでも県に指定返上願を出す用意はある」

 本紙が県内の各周産期母子医療センターに周産期医療の現状をアンケートをしたところ、深谷市の深谷赤十字病院からの回答には悲痛な現場の叫びが書かれていた。同病院は県北地域で唯一、地域周産期母子医療センターに指定されている。当直を二人体制にしたいが常勤医師不足でままならない。「センターとして機能しているのは平日の日勤だけ」という。

 県内の周産期医療は、設備が充実しリスクの高い救急医療ができる総合周産期母子医療センターに指定されている埼玉医大総合医療センターと、産科と小児科を併設し比較的高度な医療ができる地域周産期母子医療センター五カ所の計六医療機関が中核を担う。来年度には地域センターが一カ所増える見通しだ。

 地域センターでは常勤医師は五人が多く、休日夜間の当直体制は多くが一人で対応している。埼玉医大総合医療センターは四人で当直しているが、それでも「三十六時間勤務はざら」(関博之教授)という。

 厚生労働省の二〇〇六年の調査では、県内の産科医は出産適齢人口十万人当たり二七・六人と全国で二番目に少ない。施設面では今年四月一日現在、人口七百万人で総合センター一カ所、地域センター五カ所だが、東京都は人口千二百万人で総合九、地域十三、人口二百万人の栃木県は総合二、地域八。県内の医療資源がいかに貧困かが分かる。

 「行政は、新生児集中治療室(NICU)と総合周産期母子医療センターを充足するための対策を放置している。妊婦に『野垂れ死にしろ』と言っているに等しい」と話すのは、埼玉医大病院(毛呂山町)の岡垣竜吾准教授。

 県はNICUの増床を目指すが、医師不足で既存のNICUの運営すら厳しいのが現状といい、同病院の板倉敦夫教授は「設備を充実してもマンパワーが追いつかない。医師の養成はお金ではカバーしきれない」と、効果を疑問視する。

 関教授は県内の施設、医師数不足を考えると「これまで救急の妊婦の死亡例が県内でなかったのは奇跡だ」と話した。ある関係者はつぶやいた。「厳しい勤務で医師が次々に辞めている。県内六カ所の周産期母子医療センターで、撤退する病院が出てくるかもしれない」

       ◇

 全国で周産期医療が崩壊の危機に瀕(ひん)している。もはや、一医師や一病院の努力で患者の命を守ることができる状況は超えており、国全体で医療を立て直さなければならないところまで来ている。一方で、救急搬送で妊婦の受け入れ拒否が各地で問題化するなか、県内では救命が必要な妊婦を原則受け入れる母体救命コントロールセンターが二十四日にスタートするなど、新しい取り組みも始まりつつある。県内の周産期母子医療の現状と課題を探る。

(東京新聞、埼玉、2008年12月23日)

******* 東京新聞、埼玉、2008年12月24日

周産期医療 現場からの報告<中>母体救命センター

 「脳内出血の妊婦が次々に受け入れを断られ死亡した東京のような事故は、県内で絶対に起こしたくない」

 川越市鴨田辻道町の埼玉医科大総合医療センター。県幹部と同医療センター幹部が今月十二日、県内での母体搬送をどのようにすべきか、最終的に詰めていた。

 この時、県が本年度中に設置を予定していた「母体搬送コントロールセンター(仮称)」構想は暗礁に乗り上げていた。「だがいま何もしないわけにはいかない」という認識では一致。命が危険な妊婦を基本的に必ず受け入れる「母体救命コントロールセンター」の設置が正式決定した。

 県は当初、一般の産科では扱いきれないハイリスク分娩(ぶんべん)時の安全確保のため、救急搬送が必要な母体の受け入れ先を調整する母体搬送センター設置を計画していた。産科医が母体を診ながら受け入れ病院を探しているのでは医師に負担がかかる。同センターが病院探しを担当し、搬送先が決まるまで医師は母体への対応に集中できるシステムをつくろうとしていた。

 県の構想は、同センターに助産師が詰め、医師から病状を聞いた上で受け入れ先を決めるというもの。七月ごろの稼働を念頭に、五月からは医師会とも協議を重ねた。ところが医師らからは「母体の命にかかわる病状を助産師が判断できるのか」という反発も。一方で医師が詰めるとなると「ただでさえぎりぎりの医師。もう業務は増やせない」という意見も出た。

 ずるずると年末を迎えた。「少なくとも東京のようなケースは避けたい」との思いから、たどり着いたのが母体救命センターだ。

 総合周産期母子医療センターと高度救命救急医療センター、ドクターヘリ拠点施設の三つを兼ね備える埼玉医大総合医療センターと県が、高度救命救急と周産期医療の双方をカバーする仕組みをつくることで考えが一致した。

 ただ、同医療センターも医師数がぎりぎりの状況で新生児集中治療室(NICU)も十分とは言えない。高度医療の不必要な患者まで搬送されれば業務がパンクすることは必至だ。

 県は十六日以降、医師会など関係機関に頭を下げて走り回り搬送基準の徹底などを求めた。「まずかかりつけ医をつくってほしい。そうでないと、病状を把握して正確な搬送ができなくなる」と県民にも呼び掛ける。

 母体救命センターの運用開始を二十四日に控え、同医療センターの関博之教授の表情は厳しいまま。「何でも『命にかかわります』などと言って送ってこられても困る。そんなことが一回でもあればすぐやめる」

(東京新聞、埼玉、2008年12月24日)

******* 東京新聞、埼玉、2008年12月25日

周産期医療 現場からの報告<下> 意識改革の必要性

 「周産期医療は駄目になっているということを知ってほしい。そこからスタートしないと崩壊は止まらない」

 川口市立医療センターの栃木武一・病院事業管理者が話すように「現状を知ってほしい」という、医療関係者の声は共通する。

 深谷赤十字病院の担当者は「受け入れ拒否という言葉がセンセーショナルに言われると、私たちが身を粉にして頑張っている窮状への無理解に思えて残念。『私も疲れ果てた。やめさせていただきます』と言うしかなくなる」とする。

 埼玉医科大総合医療センターの関博之教授も「お産は絶対に安全と言い切れない。医師が夜も寝ずに社会的使命を持ってやっていることを理解してほしい。産科医を目指す医学生は少なくないのに、批判ばかりされると、産科医を避ける人が多くなる」と訴える。

 では、周産期医療の立て直しには何が必要なのか。関教授は、施設や人などの医療資源を増やすための財源確保と、広域的な取り組みを挙げる。

 「日本の実質的な医療費は米国の半分。高度医療など医療には金がかかる。財源をどう捻出(ねんしゅつ)するか、国民的議論をすべきだ。さらに、限られた資源を有効活用するため、東京を中心に周辺の県を含めてやりくりすべきだ」

 後者については、埼玉、東京、千葉など四都県で新たな取り組みが始まりつつある。県境を越えて患者の行き来が多い地域で搬送などに連携しようという「地域医療福祉コンソーシアム」構想だ。

 だが周産期に限れば、四都県とも限界に達しているのが現状。医療資源の確保という道筋が付かない状態では、どこまで実現できるかは未知数だ。

 さいたま市立病院の担当者は「救急・救命センターや周産期母子医療センターなど、国や県が形だけをつくり、維持管理は現場に丸投げ。医師・看護師を充足させる財政措置が伴わないと、すべて絵に描いたもちになる」と指摘する。

 医師や設備がそろっても、受け入れ拒否は起こり得るという指摘もある。妊婦健診を未受診だったり、かかりつけ医がいない場合、母体や胎児の状態が分からないといい、産科医は「出産時の事故の可能性が捨てきれず、受け入れを断らざるを得なくなる」と口をそろえる。

 川口市立医療センターの栃木病院事業管理者は行政から国民までの意識改革を求める。

 「老人医療は騒ぐが周産期医療にかける費用はあまり注目されない。子どもは国の宝、すべての住民が平等に周産期医療を受ける権利がある。国や国民が考えを今すぐに改めないと、周産期医療の未来、ひいては国の未来が危ない」

【萩原誠、柏崎智子、山口哲人】

(東京新聞、埼玉、2008年12月25日)