昨日も多くの読者の方々にご訪問いただいた
ブログ訪問者数1,426人(3,199,356人中192位)
という結果だった
偶然にも一昨日と同じ順位だった
足繁く通ってくださる常連読者の皆さんに感謝!
昨日は雑用に追われてじっくりとギターと向き合う時間がなかった
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それでも寝床に入ってから僅かな時間でもギターに触れることが出来た
レイヴォーンもギターが好き過ぎてベッドの上で同じような事をしていたという
風の噂なのでどこまで本当の話かは分からないが・・・
それでもそんなエピソードに妙に親近感を覚えてしまう
ギターが好き過ぎる人には同じ匂いを感じる
上手い下手という技術的な話ではないハートが大事なのだ
少なくとも私の周囲にはそんなクレイジーなギター弾きは存在しない
もっと言うならば、
”ただギターを持っている人・・”
という感じ
何かを言い訳に数週間もギターの練習を怠るような人をギター弾きと呼べるのだろうか?
突っ込んで話し込んだことはないがそんな人にとってギターの優先順位はどのくらいのだろうか?
こんな表現が適切なのかは分からないが・・
中途半端にギターと関わる人、ギターの練習を怠る人の類いがいるからこそ
少しばかり練習しただけで目立つことができるのだ
ギターは競争ではないが可能ならば上手いと言われたい
少なくとも私はそんな気持ちを持っている
それが向上心にも繋がっていくのだと思う
読者の皆さんはどんな気持ちでギターと向き合っているのだろうか?
どのような出来事がきっかけでギターを始めたのだろうか?
余談だが最近になってギターを始めた知り合いの娘さんは順調にギターを練習しているという
喜ばしいことだと思う
是非とも学業と両立させてほしいと願う
ギターを続けていると必ずスランプが訪れる
要するにギターに飽きてしまうのだ
これに関しては個人差や時期の違いがあると思う
少なくとも順風満帆にギターを謳歌している人は少ない
超一流のプロでさえ、スランプが訪れるという
自由自在にギターを操っていたクラプトンですらギターを止めたいと思った時期があるのだ
天才ジミヘンとの出会いなのだ
後にそれがプラス側への大きな転換になったと氏は語る
プロはギターに命を賭けているのだ
生活や人生を賭けて弾いているのだ
素人ではあるが私も似たような感じでギターと向き合っているのだ
人生の節目に必ずギターが傍らにあった
落ち込んだ時などにはギターに触れることで心をリセットできた
明日への活力が湧いてくるのだ
正直な話、こんな熱い?本音は当ブログでしか語れない
リアルライフでこんな台詞を吐いたならば確実に変人扱いされる
特にギターに覚めてい人とは会話が噛み合わないことが多い
ギターを軽視している人とは同じ空間での居心地が悪い
読者の皆さんは何を目標(目的)にギターを続けているのだろうか?
自問自答したことがあるだろか?
特に問題なくギターを楽しんでいる場合にはそんな問いかけは無用
問題は先に述べたようなスランプの時期なのだ
”これから先も続けていく価値があるのか?”
まぁ、素人でここまでストイックにギターと向き合っている人は少ないと思う
しかしながら、そのくらい真摯な態度かつストイックにギターを掘り下げなければ何も見えてこない
これは私の経験だが進むべき道が見えない時期には闇雲にギターや機材を買い漁ってしまう
買い物の先に自分が求めている『楽しさ』が存在すると勘違いしているのだ
買い物という行動に生き甲斐と幸せを感じる人はそれで良いのだ
お金が続く限り、ギターの置き場所に困らない限り収集を続ければ良い
しかしながら、プレイヤーを目指している場合には少し話が違ってくる
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「ジミヘンのように自由自在にギターが弾けたらなぁ・・」
私がギターを続けていく理由のひとつになっている
ジミヘンが使っていた機材には興味があるが深追いしたい気持ちが湧いてこない
むしろ、興味が湧くのはジミヘンのギターへのアプローチ方法
ジミヘンにとっては手癖のような私にとっては難解なフレーズをなぞることで得体の知れない興奮を覚える
昨日も少しお話したが『Voodoo Child』のイントロが決まった瞬間に全身に電気が走る
ギターが弾けるようになるほどにジミヘンの凄さを感じる
遠く及ばない存在なのだ
ジミヘンの楽曲をとにかく一生かかってコピーしたい
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コピーが完了した時に複雑な気持ちになることがある
コピーを制覇したという達成感、と同時に虚しい気持ちになる
ジミヘンは27歳という若さで亡くなっているのだ
私はジミヘンの倍以上の年齢でしかも半世紀が経過した現在にコピーに励んでいるのだ
先にも述べたがその偉大な背中はいくら追いかけても近づけない
最近はそんな偉大な目標を持っていることを誇らしく感じる
以前にも少しお話したが知り合いたちが冗談に私をジミヘンと呼ぶのだ
私はクールな表情を浮かべているが内心は飛び上がるほどに嬉しい
特に私が独自に考えたオリジナルのバッキングフレーズやリードプレイに問いかけられる
「それってジミヘンの曲なの?」
私は首を横に振るのだ
そんな時の知り合い達の反応が楽しいのだ
誰かの為に弾いているわけではないが誰かの耳に届けば嬉しいと思う
余談だが以前は当ブログでも簡単に音源をアップできた
現在は仕様の変更なのか?それが困難になってしまった
運営に問い合わせたことがあるのだが回答は微妙だった
それだけは今でも残念に思う
機会をみつけて再度チャレンジしてみようと思う
まぁ、実際の音源が無くても私の熱い(くどい?)文章でギターに対する熱量は伝わっていると思う
本当に良い読者の皆さんと出会えたと思う
一方通行の交流ではあるが私は手応えを感じているのだ
ネタが尽きてブログの継続が危ういという人も多いと耳にする
「なんか書くことがないんだよね」
「ギターの何を書けばいいのよ?」
多くのギター系ブロガーが抱える共通の悩み
格好などつける必要はないと思う
「最近はあんまり買い物もしてないんだよね」
「機材も代わり映えしないしネタが尽きたわ」
おそらくだが多くの読者は他人の買い物や機材などにはあまり興味がないと思う
むしろ、手持ちのギターや機材で何をしているのか?
ギターとどのように向き合っているのか?
そんな部分にある種の共感を求めているような気がする
数十万円もするような高価なブティックアンプの自慢話など聞きたくもない
自分が買えるような機材にこそ興味が湧くのではないだろうか?
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外でギターを弾くという環境と自宅でギターを弾く環境は明確に分けるべき
それを混同している人は意外に多いような気がする
スタジオで使うような真空管アンプを持て余している人も多い
音量を無理くりに小さくする機材を取り付けて小音量でコソコソと弾いている
そんな環境でギターが上手くなるのだろうか?
まぁ、人それぞれに考え方があるので正解は分からないが・・
”小さいアンプは幼稚な感じがする・・”
自称ベテランの層に多い勘違いなのだ
「小さいアンプで迫力がないからさ・・」
という声も良く耳にする
非常に当たり前の意見なのだ
勿論、私もその辺りを分かって使っているのだ
むしろ、そんな特性プラスと考えて使っているのだ
”廉価な機材や小さなアンプで良い音が出せたなら・・”
逆転の発想なのだ
そんな人は実は相当に技術が向上しているということになる
もちろん、再現できるジャンルは限られると思う
クラプトンがピグノーズアンプでレコーディングした事は有名な話だがジミヘンも小型のアンプでレコーディングしていたのだ
コアなファンにとっては有名な話なのだ
ジミヘンと一緒に仕事をしていたエンジニアの話なのだ
歴史を紐解くと老舗ブランドのvoxも小型の電池アンプをリリースしていた
ジミヘンがそれを使っていたかは分からないが・・
ワウペダルと同じブランドということで興味を示した可能性は十分にあり得る
「ジミヘンの音ってカッコイイよね」
「ジミヘンみたいな音が出したいよね」
という言葉をよく耳にする
まったくもって私も同感なのだ
しかしながら、レコーディングで使っていた機材は意外にもチープで雑だったという
未発表曲を寄せ集めたアルバムでは不明な機材も多いという
「ジミはジョニーに自分のアンプを貸したんだ」
「自分はスタジオに転がっていたアンプを使ったんだ」
ジョニーとはジョニー・ウインター氏のこと
仲間とジャムることも好きだったようだ
そんな折りにレコーディングされた音源も曲とし収録されている
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ギターマガジンにも同様の記述が記載されていた
因みに私はこの雑誌が発売される前から知っていたのだ
特に意識して情報を収集しているわけではないが何となく耳に舞い込んでくるのだ
名演は伝説の上に成り立っていることが伺い知れる
名プレイヤーが使う機材は超一流だと勘違いされることも多い
何となくその気持ちは理解できる
しかしながら、事実は異なる
”ギターの音は弾き手の技術に委ねられている・・”
ジミヘンもインタビューで答えていた
「ギターの音はこの指で作っているんだよ」
説得力がある重い言葉だと思う
これはプロにも素人にも言えることだが『結果』がすべてということ
出音がカッコイイならばそれで良いのだ
結果オーライということになる
音の表現は奥深い
読者の皆さんは『ブランドテスト』の動画を観たことがあるだろうか
たまにお勧めの動画ということでYouTubeなどで紹介される
廉価ギターと高級ギターとの音比べ
「みなさんはどちらの音か分かりますか?」
これが意外に難しい
パソコンやスマホのスピーカーということもあると思う
そもそも、音の好みは人それぞれなのだ
「歪みが最高だぜ~♪」
という人にヴィンテージ系の繊細な音など響かない
私は好き嫌いや好みを抜きにしたジャッジで正解率は約8割くらい
まぁ、そんなものだと思う
しかしながら、ハズレた時には少しモヤモヤした気持ちになる
「俺の耳もまだまだかなぁ?」
人間は生きていく上で何か自慢できるものを持つべきだと思う
何でも良いと思う
他人よりも少しだけ抜きに出ているというもの
読者の皆さんはそんな誇りをお持ちだろうか?
それが勘違いでも良いのだ
そんな勘違いが生きるバイタリティになることもある
私はギターの演奏技術と耳なのだ
それがとんだ勘違いだと分かっているのだ
それでもよいのだ
日々を楽しく生活していく張り合いになっているのだ
先にも述べたがそんな感じでギターは私には欠かせない存在なのだ
「人生の相棒のギターがレギュラーラインって?」
と悪口を言う人もいると思う
それはそれで良いと思う
ギターの価値を値段でしか判断できない人がいることも事実
実際のところ、そんな人がいなければ異常な値付けの高額ギターなど売れない
そんな層と販売側の微妙な関係なのだ
おそらく、賢明なる読者の皆さんもあまり関心がないと思う
仮に関心があったとしても財布の紐は緩まないと思う
如何だろうか?
汗水流して稼いだお金・・
使う時にも生きたお金として使いたい
家族は私のギターの購入額を聞いて驚いているのだ
「そんなに高いの?」
私は返す言葉がないのだ
面と向かって話しをした自分が馬鹿だったと後悔する
逆に廉価のアコギの値段を言い当てられた時も微妙なのだ
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ギターを知らない人と話をしても無駄なのだ
ギターを理解していない人に語る時間が惜しい
話はすこし逸れるが・・・
”ギターを知らない人にも分かる上手さ・・・”
多くのギター弾きが目指すべき姿でもある
ギターを弾けない人に練習過程のフレーズ一節を聴かせてどうするのか?
私にも苦い経験がある
若い頃に付き合っていた彼女にロック的なリフを聴かせたのだ
彼女はロックを知らない、ギターも弾けないのだ
頑張って演奏した時間が無駄だった
無駄というよりは空気が微妙になってしまった
彼女は私を気遣って苦笑い
私も妙な空気でブルーになった
ギターが弾ける仲間内では好評だったリックなのだ
その辺りから私の方向性が変わったのだ
マニアックな演奏と一派ウケする演奏の二刀流になった
ギターを知らない人の前ではビートルズやジブリの曲をソロで弾く
もう少し踏み込んで楽器を理解している人の前ではゴットファーザーのテーマや禁じられた遊びのテーマなどを弾くことにしている
これはウクレレも同様なのだ
ウクレレを知らない人の前でハワイアンの伴奏をジャカジャカ弾いても意味がない
万人が知っている有名曲のウクレレソロで披露する
このアプローチは大いに正解だといえる
ギターを知らない人がキラキラした眼差しで耳を傾けてくれる
その傍らでギターに覚えがある層が嫉妬の眼差しで視線を送ってくる
「なんでビートルズとか弾けるの?」
これはかなりの愚問
”ギターは一夜にして成らず・・”
これは私の中の思いなのだ
上手い人は見えないところで努力しているのだ
努力だけでもダメなのだ
そこに工夫も必要なのだ
ランディー・ローズが世に送り出した名曲『DEE』はまさに努力の結晶
幸いにも手元に古い教則本があった
仲良しの店員さんから貰った本なのだ
レスポールを持っていた頃にはかなり真剣にコピーに励んでいた
その中に『DEE』が記載されていた
コテコテのクラシック奏法なのだ
ランディーはロック界を卒業してクラシック界に転向する予定だった
そんな矢先の不遇の事故だった
人生は先がみえない
ランディーは小型セスナへの搭乗を拒絶したという
楽譜の読み書きもできたランディーの英知の結晶なのだ
プロにもアコギでコピーする人が多い
難曲だけに独自の解釈で弾いてしまう人も多い
これはジミヘンの楽曲と共通している
むしろ、完全コピー率は素人の方が上だといえる
何故だかプロは完コピを嫌うのだ
面倒臭いのか? 自我の表現なのか?
私には良く分からないが・・・
アレンジもツボにハマっているならば大いにありだと思う
頭が硬い素人さんは完コピ意外を一切受け入れない
これも困ったもの
そういう人がギターを弾くとどうなるか?
アドリブが弾けない人になってしまう
YouTubeなどで完コピを自慢げに披露している人にも少なからずそういう人がいるような気がする
何事も塩梅が大事
微妙なさじ加減が大事だと思う
今回の調子に乗って書きまくってしまった
溜まっていたものを放出したような感じでとても気持ちが良いのだ
最後まで熟読してくださった文章好きの読者に感謝!