五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

茶会の掛け軸

2007年11月29日 | 第2章 五感と体感
亭主は客をもてなすのに、茶会のその日まで、心を尽くして、意味を持たせる一点を選びます。

香、茶碗、棗、水指、茶杓、それに、床に飾る掛け軸、花、花器、菓子に懐石・・・。

学生の頃、散々好きなことをしながらも、毎週土曜日、お茶のお稽古に足を運びました。
今から考えると、恥ずかしいくらい無作法な私でしたが、先生のお宅の茶室に入ると、炭の香りが混沌とした私の頭をスッと浄化してくれました。

その頃、散々、ギリシャ神話やローマの勇士の石膏デッサンを描かされ、へきへきとしながら天邪鬼な私は、どんどん仏教美術にのめり込んでいきました。
回りの友人達がヨーロッパに足を向けている中、私はインドやアジア、日本の社寺に深い憧憬を持ち、リュックを背負って出かけました。

ウンチクは立派でも、なにしろ、常識的なことに欠けている若者に、お茶の先生は呆れていたと思います。黙って指導してくださったことに感謝しています。

亭主のしつらえ。
これは、知的な遊びでもあり、命がけのメッセージでもあります。
表向きの美とそれに隠された深遠なもの。
それを読み取る客との駆け引き。
アブストラクト(抽象的)を、読み取る「感性力」が必要な接待、又は親交。

ダイレクトにものを言うのも良いけれど、察し合うことで、事が成り立つ世界も美しいのだと思うのです。

12月号の淡交社「なごみ」にクリスマスの茶会が掲載されていました。
キリスト教禁教時代に、聖水に使われた鉢を水指にし、皮羊紙に書かれたグレゴリオ聖歌の楽譜が床に掛けてあります。
無言のうちに伝え合う魂の響きは、いつの世も同じだと思いつつ、このページを捲りながら、待降節の始まりを静かに祈る気持ちになりました。

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