五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

生きた証

2007年11月10日 | 第9章 愛
自分が臨終の時、ひとりはいやだな、と思います。
声をかけず、静かに手を握ってくれればよいのです。

静かに看取られることが最高の至福かどうかは、自分が経験してみないとわかりません。しかも経験し、解かったときには、私はこの世に居ないのです。

意識が遠いていても、人の声は聞えるそうです。
だから、静かに看取って欲しい。

「生きた証」とは何でしょう。
誰も私がそこに居たとは知らず、そこには、ただ風が吹くばかり、、、
旧約聖書の真似事ですが、私が思い浮かぶ「生きた証」は、「人の心に刻み込まれる想い」かしら、と思うのです。

大きな仕事を成し遂げた人でも、人の為に大いに尽くした人でも、人の心に響かなければ、「生きた証」は益々虚しくなっていくことでしょう。

その人を想う。
その人の死から、何かを解釈し、自分のものとしようと図るとき、はじめて証となるのかもしれません。

人は、必ず命尽きます。

死を想い、愛する人を想い、明るく伸びやかにこの時を終えるには、まだまだ修行は足りません。
自分の生涯をかけて、死ぬために生きることを意識していたい、、。そんなことを強く想う昨日、今日の感情の曼荼羅に、嘘はないつもりです。

77歳で生涯を閉じた「H師」に感謝の気持ちを。

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コメント (2)
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