昨日の夜のクローズアップ現代「NHK」をご覧になられた方は、「社会で生き抜く」という今日のタイトルに「ふんふん」と思うかもしれません。
100年前くらいまでの日本は、自分の村の中で生涯を過ごすことが当たり前で、生涯に出会う人の数は、多分、数えられるくらいだったのではないでしょうか?
商人以外は、そんなものだったのでは・・・、と思います。
現代は、好き嫌いに関わらず、幼い頃から、多様な人と出会い、付き合い、社会の中での自分の立ち位置を自分で決めながら生きていくのが通常のこととなっています。
これは、とても大変なことなのです。何と言っても自分とは違う驚きの対象者と常に関わるのですから^^;
朝、お天道様を拝み、田畑に出て、野良仕事をし、日が暮れる前には仕事を終え、夕餉の支度をし、ほのかな灯を頼りに夜を過ごしていた時代のほうが、人間が生きてきた歴史的年数としては長いのです。
テレビ番組の現代人の「心の病」についての傾向を見ながら、かつての人の住まい方を考えていました。
現代社会の人々は、私を含め、本来持っている「人の本質である不安感」を「いけないもの」として、捉えているのかもしれません。
「言われ慣れしていない大人が増え、自分の不安感を意識化するのが怖いので、つねに他者のせいにしているうちに、自分のアイデンティティが揺らいでいく現象」と、現象を捉え分析していくことも学問としては必要なことだと思いますが、あえて狭い人間関係の中で自分を見つめ直していくことは、大人になるほど必要なことかもしれない、と感じました。
人の成長とは、ブータンのワンチュク国王が言われた「人は、身体の中に住む経験という竜を食べて成長していくのです」という言葉通りだと思うのです。
「自分自身に留まり、思索すること」は「或る人」とっては非常に難しいことだということも忘れてはならない、と思うわけです。
お天道様に手を合わせると、どんな気持になるか、改めて意識化しながら、今日も多くの人々との出会いの中で、自分の中に住まう竜を成長させていきたいものです。
人生を終えるとき、身体に住まう竜が魂そのものになって、身体からするりと抜けるまで、自分の身体と心と魂を慈しんでいきたいものです。
クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
100年前くらいまでの日本は、自分の村の中で生涯を過ごすことが当たり前で、生涯に出会う人の数は、多分、数えられるくらいだったのではないでしょうか?
商人以外は、そんなものだったのでは・・・、と思います。
現代は、好き嫌いに関わらず、幼い頃から、多様な人と出会い、付き合い、社会の中での自分の立ち位置を自分で決めながら生きていくのが通常のこととなっています。
これは、とても大変なことなのです。何と言っても自分とは違う驚きの対象者と常に関わるのですから^^;
朝、お天道様を拝み、田畑に出て、野良仕事をし、日が暮れる前には仕事を終え、夕餉の支度をし、ほのかな灯を頼りに夜を過ごしていた時代のほうが、人間が生きてきた歴史的年数としては長いのです。
テレビ番組の現代人の「心の病」についての傾向を見ながら、かつての人の住まい方を考えていました。
現代社会の人々は、私を含め、本来持っている「人の本質である不安感」を「いけないもの」として、捉えているのかもしれません。
「言われ慣れしていない大人が増え、自分の不安感を意識化するのが怖いので、つねに他者のせいにしているうちに、自分のアイデンティティが揺らいでいく現象」と、現象を捉え分析していくことも学問としては必要なことだと思いますが、あえて狭い人間関係の中で自分を見つめ直していくことは、大人になるほど必要なことかもしれない、と感じました。
人の成長とは、ブータンのワンチュク国王が言われた「人は、身体の中に住む経験という竜を食べて成長していくのです」という言葉通りだと思うのです。
「自分自身に留まり、思索すること」は「或る人」とっては非常に難しいことだということも忘れてはならない、と思うわけです。
お天道様に手を合わせると、どんな気持になるか、改めて意識化しながら、今日も多くの人々との出会いの中で、自分の中に住まう竜を成長させていきたいものです。
人生を終えるとき、身体に住まう竜が魂そのものになって、身体からするりと抜けるまで、自分の身体と心と魂を慈しんでいきたいものです。
クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング