五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

文化を繋ぐこと

2013年10月30日 | 第2章 五感と体感
表装を始めていつしか20年。もともと絵を描いている頃から描き表装的な作品を描いていたので表装と向き合う事30年。
なんでこんなにこの形式が好きなのかなぁ。。。と、つらつら考えたこともありますが、多分、これは妄想ですが、いや、信じていると言ってもいいことですが、千年前ほど前に東大寺の学び舎にて各宗派を学ぶ僧の血が私に入っているからだ、と。
二月堂から正倉院方面に向かう小路を歩くと、草履を履き、巻子(かんす)を持った子坊主がパタパタと走る体感が自分のどこかから湧いてくるのです。必ずそんな気持と体感になるのです。きっと遺伝子の記憶が蘇るのかもしれません。
シンメトリーが好きであることも所以かもしれませんし。。。

表装好きは自分のDNAがそうさせている、ということで、自分の嗜好傾向を納得させております。

もともと表装伝来はチベットから始まったと聞いています。

字の読めない人々に布教するためにチベットのお坊さんはタンカ(仏表具)を背負って、村から村を説いて回っていました。
ブターン(日本語読みではブータン)では今に至るまで巨大なタンカを開きそれを祭儀で使っています。

中国、朝鮮半島、そして日本へと伝わり、茶席には欠かせないものとなっていきました。

日本の家屋には床の間があり、季節に応じた設えが成されることは日本人の風習の一つでもあります。

石と土ばかりの荒涼としたチベットの土地で暮らす人々は寺院をとても大切にしていました。家族を養うために我が子を一人お坊さんにすることも風習の一つであったようです。寺院に描かれている極彩色の曼荼羅を見ると、荒涼とした自然界との対称性に驚きと憧憬の感情が溢れ出たこともあったと推測しています。
その曼荼羅を背負ってお坊さんはチベットの山々を歩きます。

昔、チベットの山を歩きたくてネパールのポカラ村からトレッキングをしたことがあります。
雪を被ったヒマラヤの山々の美しさは、この世のものとは思えませんでした。孤独の先にある神を見たような思いになりました。ヒマアラヤは、神様が居る所という意味だそうです。

文化とは、あらゆる条件の中で人が暮らしを営む中で複合的に洗練され構築されてきた形だと私は認識しています。
ですから形には必ず意味があるのです。
その意味を裏打ちに例えるなら、表装という形式はまさに裏打ち無くしては出来ないものであり、その言葉の所以そのものなのです。

自分が当たり前だと思っていることは、実はその文化の中で違いを知らずに生活しているだけのことです。

先月訪れた東北で、口に合わない味を表現する時に「知らない人に合ったような感じだ」と言うお年寄りの話を聞きました。まさに文化とはそういうものなのかもしれません。

自分自身が当たり前だと思い身につけてきた文化を大切にしたいものです。

チベットを知るためには映画「7years in Tibet」 見るもよし。何と言っても大好きなのは「キャラバン」です。
双方、とても好きな映画です。主人公的な女性は双方の映画に出演しています。

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