五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

覚悟と怖れとギリシャ神話

2013年11月08日 | 第2章 五感と体感
覚悟を持つと怖れの感情が軽減します。

怖れていると覚悟が定まりません。

自分が何に怖れているのか、何と向き合うのが怖いのか、これがすんなり意識化できたらきっと悟りが開ける?のでは、と思うくらい難しい問題のように感じています。

怖れていることと対峙することを怖れていると、何処か矛先の違う方向に何らかの感情をぶつけ、行動を起こし、それに見合う言い訳を考えていくように思います。

この時の言い訳が自分の怖れをますます意識の奥底に追いやってしまうと、ぶつける感情ばかりが表出し、ぶつけられる他者はストレスが溜まっていきます。

上記の現象を考えるとき、ギリシャ神話のナルシスとエコーのお話をいつも思い出します。

水辺に映った人の顔があまりにも美しく、その美しさに魅了されるあまり、水辺でしか合う事の出来ないその美しい人に恋焦がれひたすら水辺を眺めるナルシス。実はナルシスその人自身が自分を水辺に映し、自分自身を愛し続けるのです。
その様子をエコーが見守り続けます。エコーはナルシスを愛していましたが、水辺に映る自分の姿しか興味がなく、自分に向いてくれません。哀しみに暮れたエコーはとうとう身体を失い声だけになってしまいます。その声は人の声を映す「エコー」の語源になっており、ナルシスはナルシストの語源となっています。

ギリシャ神話に登場する神々は、人の感情の種類、そして、人の傾向を集大成した曼荼羅のようだといつも思います。

壮大であり、理不尽であり、人間の世界ではあり得ないと思いきや、実は人に内在している感情や行動があからさまに、何のとらわれも無く表現されているのです。

人の傾向を擬人化していく神々の世界を神話で表現したのは一体誰なのでしょう。。。物語だったのかほんとうにそんな世界が繰り広げられていたのか、妄想の中でギリシャ神話がどんどんと自分の頭の中の宇宙に広がっていくのです。

ただし、ギリシャ神話はヨーロッパの礎(ギリシャ神話の神様はエウロパ)となっていますが、「チベットの死者の書」に関しても東洋らしい人のありようが表現されています。それが「80の自性の分別」と云えると私は解釈しています。

東洋で生まれ育った私は、この80の自性の分別に書かれている人の感情の種類のほうが自分の体感に納まりやすいのです。
大陸からの滴を交えながら更に養ってきた日本の文化はさらに自分にとって「当たり前」と言えるものになっていますが。

私の勝手な解釈ですが、東と西の文化はチグリス、ユーフラテス川を起点にそれぞれの分化していったのではないかと思っています。

自分の中にある怖れる心と向き合うには、自分の怖れを自分自身が怖れていることを受容することからが始まりかもしれません。
そのためには、世界の神話を読みながら自分に投影してみるのも一つの方法であるようです。

神話を大切にしない民族は滅んでいくと教えられました。まったくその通りだと思っています。
「怖れを無視すること」とはどういうことか考えることに繋がっていくのです。

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