五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

いまここでの感情

2010年01月16日 | 第2章 五感と体感
昨日、ある場所で講演させていただきました。

講演会のタイトルは「成育史は宝物」。

一時間傾聴していただき、ありがとうございました。感謝申し上げます。

理論や概念をたくさん話してもあまり意味がないので、「いまここでの感情」に焦点を合わせ、自分の成育史を振り返るきっかけを私の成育史を語りながら思い巡らせていただきました。

もうひとつは、親子関係における「同一化」について。

短い時間の中では、多くのことを語ることはできません。学校の保護者対象でしたので、この二点に絞ってみました。

自虐ネタで笑っていただくことに喜びを感じつつ、カウンセリングの入口というか素地に触れてみました。

自分の成育史は宝物です。
自分の歴史を振り返ることで「いまここで湧き出す感情」の所以が、みえてきます。

自分の傾向を知ることで、自分のセルフイメージが改めてみえてきます。

生まれてから今日までの成育史から成る個性の美を大切に生きていきたいものです。

どんなに小さな子供でも成育史があり、人間観をもっています。生きのびていく術も身に付けていますし、自分の方向性も考える力を持っています。
経験を重ねながら時は過ぎていきますが、経験が多かろうが少なかろうが、成育史は成育史です。

難しく考えず、「いまここでの感情」を意識化してみることが、カウンセリングの始まりです。

子供(他人)を変えることはできません。答えは自分の内にあります。
変わろうと思った人が変わることで、何かが変わっていきます。

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心理療法

2010年01月15日 | 第2章 五感と体感
心理療法家・カウンセラーになるための国家試験はありません。

今朝の朝刊(朝日新聞)に、行動認知療法の記事がでていました。

私たちが長年かけて勉強し続けている内容と同じです。

行動認知療法という名称は使っていません。
私たちは「カリタス・カウンセリング」と名付けています。

いわゆるあらゆる理論を適材適所に使う折衷主義であり、臨床をなにより大切にしています。

カールロジャーズの理論を愛し、自己概念の再構成を図りながら、自分の傾向を意識化していきます。
つまり、自分の成育史を見据えながら、無意識の意識化を図っていくのです。

この作業は、そんなに簡単なものではありません。

クライエントと向き合いながら、どのように心理的接触をしていくか?話しやすい空気をつくれるか?カウンセラー自身が自己肯定・他者肯定できているか?
そして、ほんとうに人が好きか?クライエントの個性の美を見つけ愛することができるか?
傾聴ができているか?・・・カウンセラーは仕事に向かいながら、それらの自問自答と確認をし続けます。

国家試験がないが故に、カウンセリングが「できない、広まらない」、と解釈はしていません。

多宗教を受け入れることのできる反面、宗教アレルギーを持つ人も多いという傾向を持つ風土がある国では、このようなファジーな体制のほうが良いと私は考えています。

なぜなら、心理学の礎は、ほとんどがカトリックやプロテスタントの宗教から生まれているからです。宗教から成り立っているのではなく、「宗教を信じて見えてきたもの、見えなくなるものです。または信じないで見えてくるもの、見えてきたもの。」そして、それらの背景には、チベット仏教やギリシャ神話、キリスト教以前の古代宗教、人類誕生から今日までの移動学と文化が積み重なり入り混じり、私たちのDNAに宿っているからです。

カウンセラーが人を愛すること愛されることに焦点を当てていれば、どんな環境でもできるはずです。

少なくとも、私たちが行動を起こしている勉強会をチェックしていただければ幸いです。

①ユースフルライフ研究所・・・ここでは、通信講座を行っています。勉強会も行っています。暮らしの中のカウンセラーを目指し、カウンセリングの理論を長い時間かけてじっくり学んでいきます。


②NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会・・・このNPOは、①のユールフルライフ研究所で3級資格を取得した勉強仲間が、一般市民を対象に、カウンセリングの理論を広めることを目的に勉強会を行うために設立しました。

詳細は、左横のHP案内をクリックしてお読みください。


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おみくじ

2010年01月14日 | 第2章 五感と体感
お正月、久しぶりに「おみくじ」を引いてみました。

なんと、大吉です。

一昨年のお正月には携帯を落とし、去年のお正月にはインフルエンザを発症し、しかも子供のセンター試験の直前でした。

二度あることは三度ある。。。

これを信じるか信じないかは、私次第。。。

そんなわけで、三年目の今年のお正月は、体調には気をつけ、自分の行動を意識するよう、気を使いました。

無事に三が日を過ごし、ひと通りイベントが終了した5日に免許取りたての息子の車に乗り、決死の覚悟で江の島にドライブ。
江の島の奥にある弁天様は、芸能の神様。。。そこで引いたおみくじです。

江の島からは、私の故郷の一つである茅ヶ崎沖の烏帽子岩や私が通う仕事場、そして勉強会の会場としてお借りているお宅を見渡すことができ、今年もこの周辺で粛々と働こう!と思うのでありました。

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成育史の解釈2

2010年01月13日 | 第2章 五感と体感
自分がいつも成育史上の何かに囚われているとしたら、何でしょう?

囚われているが故に、自己概念が固くなっていることもあります。
自己概念が固いから故に、囚われているということも云えます。

理想と現実のギャップ。

過去は変えられません。

では、現実をどう解釈し捉えていくか?

その答えは、私自身の内にあります。

自分らしく自分にふさわしい答えのヒントは、やっぱり成育史です。

腑に落ちる答えは、自分自身から湧き上がってきます。

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成育史の解釈1

2010年01月12日 | 第2章 五感と体感
成育史は自分の人生の軌跡であり、自分を成り立たせている自分そのものです。

私は高知に生まれ。5年間、龍馬と同じ海を見て育ちました。
しかも岩崎弥太郎の隣町に住んでいました。

高知生まれだと言うと、「強いねぇ~」と言われます。

でも、父は東京生まれ。母は札幌生まれ。
両親の実家は東京にありました。

それだけではありません。
5歳から7歳までは、福井県大野市で豪雪地帯の生活を経験しました。

そこから一気に神奈川県茅ヶ崎市に移ります。
小学一年生の二学期から茅ヶ崎の小学校に転校。
その年の冬、雪が30センチ積もっただけで、学校が休校になったことにショックを受けました。

しんしんと降り積もる雪に足を取られながら、長靴をはき、大きな手袋をして、幼稚園に通っていた私にとって、この出来事は、住む環境によって、人の解釈が違うことを学んだ大きなきっかけでした。

茅ヶ崎の生活は、太陽の生活そのものでした。高知生まれは、やっぱりおひさま大好きです。
しかも父が海外へ赴任していたので、食卓の話題は日本のことだけではありませんでした。

中学生になると同時に今度は横浜です。

だいたい、ここで、私の成育史上、自分の人格形成に影響を受けた流浪の生活は終わるのですが、精神的な流浪は、今もそのまま残っています。

人格形成は確かに両親からの影響も大きいのですが、私は住んだ場所がかなりの幅を利かせています。未知なる場所への探究心は、流浪の生活から育まれたのでしょう。

自分と他人の違和感に、大きく固執しないのもそのせいだと解釈しています。

違和感があって当たり前なのです。

私と他人は違うのですから。

生まれも違う、住んでる場所も違う、受けた教育も違います。

幼い子でも生き抜く術は、既に身に付けてます。
どんな言葉で挨拶すれば通じるのか?
どんな解釈の仕方をすれば、友人との付き合いがうまくいくのか?
どうすれば、自分が生き延びていけるか?
意識化せずとも、すでに備わっています。

それらの体験がしっかりと身体に沁み込んでいる私の個性が、今の私を生かしています。

成育史は宝物です。

自分の考え方、感情の湧きだし方、行動の仕方は、その宝物から成されているのです。

それらは、「個性の美」です。

「自分の成育史を大切にする」ということは、そういうことです。

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能楽

2010年01月11日 | 第2章 五感と体感
我とはいさや白雪の~

これから一ヶ月間、仕舞の稽古が仕事の合間にぎゅうぎゅうに詰められます。

たった5分ほどの仕舞なのに、私にとっては、限りなく果てしなく続く時間に挑戦、というような心境です。

能楽は、精神性の深い所作の芸術です。仕舞と謡い、能管に鼓、太鼓が時と空間を宇宙の世界感にまで直接繋がっていきます。

過去の日本の政治、経済、文化、宗教を縦軸に凝縮し、歴史という過去と現在が混じり合い、「今このときに舞う能」に表現されてきたと言っても過言ではありません。そして、自分のDNAに、舞った祖先の記憶が内在してる人も多いはずです。
だからこそ、能に魅せられた人が演じることに惹かれていくのだと思います。

演じる者の中に広がる宇宙感は、舞う人でないと分からないそうです。
頭は天に、足は地に、広げる腕は無限を差し、気を溜め、気を放ち、身体が自然へと宇宙へと同化していくようです。(修業を積めば、、、の話ですが)
そして、扇の先端には神様が居ます。その先には無限に広がる宇宙があります。

「私は何のために生きているのか?
生き甲斐とは何か?
魂と身体と心を大切にしているか?」

人の喜怒哀楽、そして恨みと鎮魂を戯曲に修めた世阿弥は無限に面白い。

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不安感に留まる

2010年01月10日 | 第2章 五感と体感
たとえば、
人間関係がきついから仕事、やめたい。
友達から避けられてるから学校、行きたくない。
介護に専念したいから今の仕事を辞める!

悩みを打ち明ける人の最初に出てくる言葉。

○○という理由だから、私は現状に耐えられない。

訴えている本人が、そう感じているのだから、それがその人の真実であることは確かです。

…でも、ほんとうにそうなのだろうか?

吐き出す言葉にに潜む防衛機制は、その人が今日まで生きてきた成育史を聞いていかないと見えてきません。こうだから自分は苦しい、と思っている人も、自分の成育史を語ることによって、思ってもみなかった真実が見えてくることがあります。

現在の自分の「思考と感情と行動」を私自身、正しく自己分析できる能力があるかというと、それには自信はありません。
ただ、「今ここで」の自分の感情を正しく意識化しようと努力はしています。

違う環境に身を置いても、なにも変わらないとしたら、「自分が思い込んでいる理由」のその奥にある「不安」に留まる勇気が必要です。
滝壺に落ちる滝に飛び込むくらいの勇気が必要な場合は、無理は禁物。。。
でも、もしかしたら、何の恐れもなく不安に留まる自分を体感できるかもしれません。

自分の現実吟味力と想像力に、閉塞感を感じたら、不安感にしばし留まることが自分に出来るか否かをちょっぴり意識化してみるのも、不安解消の方法の一つかな、と思います。

不安感に留まることが難しいことを意識化できただけでも、何かが変わるかもしれません。

「人の本質は不安」だそうです。

不安から生まれる自分の新たな感情を大切にしていただきたいと願います。

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五感を言葉に

2010年01月09日 | 第2章 五感と体感
味覚
触覚
視覚
聴覚
臭覚

テレビ番組で女の子が「ウマい!」という言葉に、違和感を感じます。
なんでもかんでも「かわいい!」と言うのと同じであるし、本来女性が使うに相応しい言葉ではありません。

ワインの味を表現する言葉は、味覚の文学です。
味覚から広がる触覚・視覚・聴覚・臭覚は、まるで絵画のように広がります。

歌を歌うこともそうです。言葉を紡ぎ、音を口にすることによって、感情に響き、情景が広がります。

体感したものを体感しっぱなしにして、癒されることも必要かもしれませんが、そこから一歩踏み込んでいくには、体感を言語化することが大切です。

自分の感情や体感にふさわしい言葉を見つけるには、本を読み、音楽を聴き、芸術を見て、人に会い、美味しい料理を頂き、好きな香りを意識することです。それらが曼陀羅のように響き合い、いつしか自分の言葉として自然に奏でられていきます。
環境は個性を育てます。

体感の言語化は、まずは自分の五感を言葉にすることから始まります。
自分にしっくりくる言葉を大切にしたいものです。

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不安感を言語化するためには

2010年01月08日 | 第2章 五感と体感
何度も書いていることですが、
「あなたが、頭の中で思い浮かぶ不安なこと、悩みはいくつありますか?」

「いくつあるか、数えられますか?」
今、ここで、私の不安なことは、二つあります。
それは、悩みではありません。不安感です。

「なぜ、悩みではないと言い切れるの?」
それは、するべきことは分かっているからです。
つまり、行動に移すだけのことなのです。

「なのに、なんで、不安なの?」
それは、自分が納得できるような成果が得られるか否か?
どれと、一定の期間で、その不安を解決すべく体得出来るか否か?

結局は、行動しかありません。
一に練習、二に練習。。。

上記は、私自身の今朝の一分間のセルフカウンセリングです。
つまり、自問自答です。

「今、ここでの感情」は、今日を過ごすための大切な感情です。
朝起きて、目が覚めたら、どんな感情で目覚めたかを意識化するのがよいようです。

もやもやしたものであれば、それが何に置き換えて表現できるでしょうか?

そのためには、やっぱり、五感を体感する訓練が必要です。
言葉に表現できなければ、身体で感じることを擬音で口に出してみると、何かの言葉に繋がるかもしれません。

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やっぱり五感

2010年01月07日 | 第2章 五感と体感
自分の感情に囚われすぎていると、五感が働かなくなります。

囚われは思いこみを強くして、自分に吹いている柔らかなそよ風に気付かなくなります。

いま、ここで感じる感情、そして五感で感じること、それらが複合的に絡み合い、自分の個性が輝いてくるのです。

仕事を変えても、友達を変えても、住まいを変えても、同じパターンで表れる不安感があるとしたら、もし、それに気付いたとしたら、「いま、ここでの感情と五感」に留まってみることを心がけてみるのもよいかもしれません。

聴こえてくるもの。
見えてくるもの。
香ってくるもの。
味わい。
触れるもの。

今ここでの五感をひとつひとつ感じることは、自分の核心に近づく道しるべです。

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自分との向き合い方

2010年01月06日 | 第2章 五感と体感
なんで死にたいのか。

身体の問題なのか?
心の問題なのか?
はたまた、全ては満たされているのに生き甲斐が見つからないのか?
もしかしたら魂の問題なのか?

じぶんが抱えている問題は、何と何のギャップが要因となっているのだろう?

お金の工面をつけられないから?
職場の環境が合わないから?
夢がみつからないから?
病気によるもの?

なんだろう…

自分の理想と現実のギャップをもう一度、冷静に見つめてみること、できるでしょうか?

そして、そのギャップから湧いてくる感情に、傾向はあるでしょうか?

いつも湧き出してしまう自分の感情。。。
いつも、同じような感情にとらわれてしまう自分。。。

何だろう。。。



どんな感情が湧き出しているでしょうか?


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死ぬこと

2010年01月05日 | 第2章 五感と体感
私の知る限り、今年は二日から人身事故がありました。
三日にもありました。

駅の電光掲示板を眺めながら「…またか、」
…悲しいかな、そう思う自分の思いに自責の念は起きません。

年末の新聞記事を読み、「死」は個人的なことだ、という考え方から、鉄道各社は、具体的な対策を積極的に行っていないという事実を知りました。

昨日も書きましたが、多宗教に対して寛容的な日本人でありながら、なぜか「死」を忌み嫌う感情が湧くのはなぜだろう、と思います。

「死」という事実がいずれ自分に起こることを意識しながら生きる人生と、「死」という問題を避けながら生きる人生。。。どちらが、イキイキと生きられるのだろう。。。。

私は前者だと思いながら生きています。

電車に飛び込み死んでいく人の気持ちは私には経験無いのでわかりません。
死のうとする人を説得できる自信もありません。

ただ、「死に向き合わずして、それを阻止する知恵は湧かない。」という考えは持っています。

「死」という言葉を口に出すことを憚るよりも、「死を想う・メメントモリ」を大切にしたいと思うのです。

死を想うことは、自分が生きていることの証です。

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神仏習合

2010年01月04日 | 第2章 五感と体感
我が家の新年は実に神々しい…

クリスマスの飾りはそのまま。
地元の氏神様の八幡神社のお札。
川崎大師で護摩焚きをしていただいたお札。
大日如来が鎮座し、小さな鏡餅が、それをお向かいから見つめている…
しかも、大日如来の横には、エジプトのピラミッドが三つ並んでいます。

そして、そろそろクリスマスの飾りから、東大寺横にある手向山八幡のお飾りへ。。。

多宗教を受け容れることのできる資質を持った日本人。
無宗教と言う人が多い中、手を合わせることを忘れませんし、結婚式も葬儀も、たいてい何かの宗教に帰属して行います。

一つのものだけに帰属しないアイデンティティ。そのようなあり方も、立派な揺るぎないアイデンティティです。

自己受容も他者受容もそんなところから生まれてくるはずです。
むしろ、しやすいはずです。

ただ、公立学校教育の中であらゆる宗教や考え方を教えてこなかったひずみが最近気になります。大学に入り、わけのわからない団体に勧誘され、気づくといつしかカルトのメンバーになってしまうことが問題になっているようです。
各大学が、具体的に親や学生に警告をアピールするようになってきました。
先日送られてきた子供の大学の広報誌にも警告が書かれてありました。
キリスト教系の大学にもそれについての冊子が置かれてあります。

問題意識を持った人は、このように記事に目が留まりますが、たいていの人は、大学の危機管理に気付かないと思います。

結局、自分を守るのは自分です。
それには、多宗教を学ぶことです。何がヘンで、なにがヘンでないかの判断を養う文化的知識を身に付けてほしいな、、、と思います。

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新しい年

2010年01月01日 | 第2章 五感と体感
あけましておめでとうございます

元旦のミサ

アメリカ人のK神父様が袴姿でミサを行いました。
通常、司祭服の上にストラを肩にかけます。

身体が大きい方なので、袴はよくお似合いでした。
袴の紐も正式に習ったらしく美しく結ばれていました。
しかし、袖が短く、グレーの長袖のシャツが丸見えで。。。
足袋をはき、草履もちゃんとはいてらっしゃる。。。

久しぶりに、心温まる思いをしました。
言葉ではなく、身体で示す思いやりと敬意は、深く沁み入ります。

今年、神父となるベトナム人のT助祭のきびきびとした成りを眺めながら、
とっとと天国に逝っちゃったヒロ(神父)さんを思い出し、今年は何かがうまく納まるような予感めいたものを感じました。

新しい年の、初直感。
当たるか当たらないかは、わかりませんが、
今年も、身の丈に合った我が道を歩きます。

我が道を歩き過ぎて、皆さまを戸惑わせることもあるやもしれませんが、これは、毎度のことと思って、よろしくお願い致します。

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