五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

南蛮美術

2011年11月13日 | 第2章 五感と体感
12月4日までおこなわれている「南蛮美術の光と影・泰西王侯騎馬図屏風の謎」を観てきました。

「新しい情報が自分の中に取り入れられた」ということを実感する展覧会でした。

現在、日経新聞で安土の時代を生き抜いた長谷川等伯の小説と重ね合わせ、信長、秀吉の目指すところを、「南蛮美術」を中心として視覚的に捉える事ができたことも収穫です。

展覧会会場の展示は、7つのテーマで構成されています。

1.はるかなる西洋との出会い
2.聖画の到来
3.キリシタンと輸出漆器
4.泰西王侯騎馬図の誕生と初期洋風画
5.キリシタン弾圧
6.キリシタン時代の終焉と洋風画の変容
7.南蛮趣味の絵画と工芸

どの部分も解りやすく展示されており、狩野派が取り組んだ西洋画の模写と融合だけではなく、歴史、地理、船舶、テキスタイル、表装、諸々の工芸が、いかに南蛮美術に傾倒し、信長が好んだかが手に取るように解ります。

秀吉の時代から江戸初期までのキリシタン弾圧に関する画等に関しては、長崎の26聖人が列福された大規模な殉教画がイタリアに保管されていることも知ることとなり、とても勉強になりました。

ふと、以前、千利休がロザリオを持って歩く画を観たことを思い出し、あの画は、いったいどなたが描かれたのか気になりだしました。

ともかくサントリー美術館の今回の展覧会は、とても大人的で、良質です。
キューレターの企画、構成、演出にも上手さを感じます。

この展覧会を観て、現在開催されている出光美術館の長谷川等伯の展覧会を観れば、日経新聞で現在連載中の「等伯」が視覚的なイメージで広がるかもしれません。
日経の作為は、ちょっぴり知的で、嬉しいものです…。

私が鑑賞している間、スペイン語を喋りながら神父さんと鑑賞しているオバサマの団体も居たりして、相乗効果もありました。

たぶん、会期中、もう一度行くこととなりそうです^^

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整理力

2011年11月11日 | 第2章 五感と体感
年の瀬が近づき出し、あれこれと仕事以外の用事が増えてくる季節です。

家の中の整理も、段々と気になり出しました。

ひとつの仕事に掛かり出すと、それが落ち着くまで片付けができない傾向が私にあります。そうはいってもリビングが片付いていないとイライラしてきます。

家は、人を表します。

整頓することを好む家の人は、そんな感じです。

掃除や整理が苦手な家の人は、そんな感じです。

不思議なくらい人と成りが一致します。

私は、といえば、自分で言うのもなんですが、家に愛着を持って暮らしていると思います。暮らすための道具や物のこだわりは強いです。掃除や置く物に関しては、常に気にしていますが、紙類の整理がいつも憂鬱なお仕事となるわけです。

日々、色々な物が家の中に持ち込まれますが、「要る・要らない」の意識を持っていないと、ただただ、溜まっていくばかりです。
「要る・要らない」は、自分の行動の選択に関しても同じことが言えそうです。

自分の行動に関し、常に「これはやる?やらない?」と意識しておかないと、いつのまにか雪だるまのようになっていきます。

今、私が抱えている仕事と役割は、とても多いと認識しています。多いと認識はしていますが、頭の切り替えすることで、種類の違う仕事や趣味を同じ時間に二重に引きずることをしないように気をつけています。
その仕事に与えられた時間は、それだけに費やすだけのことです。
二重、三重に引きずると、決定力がおろそかになり、現実吟味力が低下していくように思います。
たぶん、引きずりながら行動していたら、今頃はとっくに健康を害しているはずです。

一つ一つの仕事の中の自分の役割を整理していくと、案外、出来ていくものです。
「仕事全体」もしくは「体制の全体」に惑わされていくと、アップアップして、整理力が無くなっていきます。

整理することは、役割を意識することと大きく繋がります。

東日本大震災から丁度8カ月の11月11日。

そろそろ、見えていなかったものが見えだしてきているようにも感じます。
それぞれの役割の中で、成されていることが、整理されて見え出してきたようにも感じています。

そろそろ私自身の役割を組み直していく時期かもしれません。

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風土を体感する

2011年11月10日 | 第2章 五感と体感
民藝といえば、柳宗悦氏です。

現在、「柳宗悦展」が、横浜そごう美術館で開催中です。

私が民藝という言葉に目覚めたのは、6歳か7歳くらいの頃です。母の実家が高円寺にあり、訪れるたびに北口商店街の「ねじめ」(全国の民芸品を集めた、今の言葉で表現するなら、民芸セレクトショップ)に入るのを楽しみにしていました。
「ねじめ」に一人で入り、店内を眺め、器や小物を手に取ることで、幸福感を味わったりしていました。

つまり、民芸品好きの子供であったわけです。1960年代後半の子供といっても、ちょっと変わった子供だっと…^^;

暮らしの中のあらゆる意匠は、人の感性を育みます。風土から生まれた諸々の物、事、食、祭事は、その土地の個性として、いっそう独特なものとしていきます。

それらは、暮らしに必要なものによって更に育んでいきます。

つまり、「暮らすこと」と「人」を繋げているものは、「物」や「食」や「祈り」で、それらが時代と共に循環しつつ変化していきながらその土地の普遍的な風土を作り上げてゆくのです。

人に会い、その風土を知り、
物を見て、その風土を知り、
食で、その風土を知り、
祈り方、祀り方で、その風土を知ることができます。
言葉も、そうです。
そして、その土地に立ち、空気を吸う事で、風土を感じます。

その場に立ちたい、という情動がいつも強く起こるのは、自分の体感を一番信じているからかもしれません。

美しきものを見定める審美眼は、風土を知ってこそ、鍛えられるもののように思います。

フィールドワークは、身体が動く限りやめられない私の生き甲斐と言えそうです。

観る人がまばらな「柳宗悦展」で、ゆったりとソファーに座り、自分の人生を振り返る時間を持つことができました。

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炭の香り

2011年11月09日 | 第2章 五感と体感
冬の茶室の香りが好きです。

炭の香りです。炭に添える香の香りと混じり合うと、茶室は、浄化と洗練が一気に整い、他とは異なる広がりが生まれてきます。

炉にちりちりと朱色に落ち着く炭の姿を眺めていると、動き回る心が鎮静していきます。

一服のお茶を頂くために座り続けていると、人の奥に潜むものが形となって表れるのが不思議です。
「察し」によるアイデンティティの統合は、日本人のアイデンティテイを考える時に忘れてはならない「もののあわれ」に深く繋がっていくように思います。

表出されるものを察し、察するままにすることは、温情のひとつかもしれません。

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蘇る五感

2011年11月08日 | 第2章 五感と体感
住宅地での焚き火が消防法で禁止されて以来、庭で落ち葉の焚き火が出来なくなりました。私の住まいの周辺は我が家を含め、大きな庭を持つ家も少なくなり、焚き火ができる環境ではありません。

それでも、10年くらい前までは、どこかで落ち葉に火が焚かれ、朝に夕に、外に出ると匂う焚き火の匂いは、なんとも嬉しい晩秋の匂いと、私の中に記憶されています。

今日は立冬です。

大震災から八か月です。住まいを失った被災者の方々は、春、夏、秋と季節が巡り、季節毎の今まで当たり前だった五感を感じ得ることが出来ないことで、虚しさを感じていらっしゃる方も多いと思います。

自分が当たり前だと思っていた季節の香り、暮らしの香りが失われてしまうことを想像すると、とても悲しい気持ちになります。

長い歴史と共に育まれた風土の香り、季節の香りの復興は、住まう人々から改めて育まれていくことでしょう。
その土地特有の五感を蘇らせていくことは、住まう人々の暮らしを豊かにしていくはずです。

以前のままの香りを蘇らすことはできないかもしれませんが、ちょっとの違いでも感覚的に敏感に感じる人に記憶されている五感が、その土地の風土を新たにつくり上げていくはずです。

「あ、この香り。。。」

「そうそう、この味よ。。。」などなど…

言葉では表現できませんが、五感の絶対音階的なものは自己の中に必ずあるのです。
これらの感覚は、記憶する人の微細な感覚から発するものです。

目に見える風景が変わってしまっても、人に宿る五感を蘇らせることは、再生された土地に魂を宿らすことと同じことのように思います。



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どうしたいのか

2011年11月07日 | 第2章 五感と体感
問題を解決していくのに、いくつかある方法を考える前に、「どうしたいのか」という結果をイメージする必要があります。

そのイメージが掴むことができないままの現状であると、何も進みません。

自分がどうしたいのか。

「どうしたいのか」を考えると、更に何らかの不安感に包まれるとしたら、その不安感に焦点を当てていかなくては、尚更、何も進みません。

問題解決の結果を巡って、「どうしたいのか」というイメージが掴むことに怖さを感じるのであれば、やはり自分の感情の動きを意識してみることが大事なようです。

自分自身、解決する時期でなければ、解決しようとする意志が生まれるまで現状維持のままでも良いと思います。

無理やり結果を求めても、それによって自分の心の中に理想と現実のギャップが、自分自身を更に苦しめていきます。

どうしたいのか。。。を決断しようとする意思が働かない自分の防衛機制と向き合うことは、とても大切なことかもしれません。

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楽しく仕事するには…

2011年11月06日 | 第2章 五感と体感
自分の仕事のパートナーを選ぶことができる環境であるとしたら、勿論、自分と気の合う人を選びたいものです。

仕事の内容がきつくても、気の合うパートナーとの仕事でしたら、乗り越えることができそうです。

そのためには、自分の意思を周りに伝え、自分の意思が思い通りになるよう努力する必要があります。

自分が苦手なパートナーと仕事を始めたら、どうなるかは想像できます。

自分の意思を伝えながら、土壌を固めて戦略を打ちつつ、自己実現へと導いていくことは、自分を幸せに導くノウハウだと思います。

そのためには、自分の「好き」と「嫌い」を意識化できていると、苦い思いを回避できるように思います。

案外、「好きと嫌い」がうやむやになっていることに改めて気付くきっかけになるかもしれません…^^//


☆☆東急セミナーBEでの講座のお問い合わせ、ありがとうございます。
第一回目は終了いたしましたが、第二回目の講座からの受講も可能です。第二回11月18日(金)、第三回12月16日(金)
来年1月期(1月から3月)の講座も引き続き行いますので、東急セミナーBEにお問い合わせください。
ホームページはブログの左横に記載しております。NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会のホームページには、私達の活動内容が書かれてありますので、そちらもご参照ください。☆☆

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風土

2011年11月05日 | 第2章 五感と体感
それぞれの土地には、それぞれの山があり、そこにはご神体とされた神の山があります。

高い峰に亡き人を重ね、空を仰ぎ、手を合わせる・・・

恐れるのではなく、畏れるのです。

ひとつの地域で、先祖代々、生まれ育ち、そこで結婚し、子供を産み育て、暮らし、死んでゆく人生。その人生そのものが美しいのです。華美なものは、綺麗ではありますが、「美しい」という言葉には、もっと大きなものが含まれています。

地形や気候、植物、生き物、人々によって織り成された風土の個性は、そこに足を踏み入れなくては体感し得ません。

昨日も早池峰の風土記を放映していました。再度拝見し、しみじみとその場に立ちたくなりました。

風を感じ、土を感じ、風に触れ、土に触れ、自分にどのような感覚が体感されるのでしょう。

自分の住まう場所とは違う異質感を無性に欲する情動は、自分に宿る流浪の遺伝子が無意識に欲しているのかもしれません。

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環境を整える

2011年11月04日 | 第2章 五感と体感
自分の中にある解決できていないことや、不安感は、それに固執すればするほど、かたくなになっていくようです。

見た目には解決できているはずなのに、心の中では、未だ解決できていないこと…
心の中に湧きあがる感情が、どうしてもいつもの不安感に戻ってしまう…

何年も何十年も囚われ続けていることと、どう向き合っていけばよいのでしょうか?

経験を積み、多様な人と出会い、年齢を重ねても変わることのない不安の核。
自己の成育史を振り返り、なぜその感情が湧き出してくるのかが解っていても、その感情をありのまま受容しても、不安が消えず、そうなる理由に固執していくと、ますます意識が不安感に向いていくように思います。

ある程度、自分の不安感と向き合う事ができたなら、3Vの法則に意識を向けてみるのも良いかもしれません。

Visualize…イメージする
Verbalize…言語化する
Vitalize…行動する

まず、自分がどうしたいのか&何をしたいのかをイメージします。
イメージしたことを言葉にしてみます。誰かに聞いてもらったり、誰かに宣言したりして、言語化します。
そして、それを行動に起こします。

自分がどうしたいのか、解っていてもなかなか身体は動きません。
でも、出来ない理由をぐるぐると頭の中で巡らしていても、たぶん、前に進むことはできません。
どこでそのメビウスの輪から飛び降りるかは、その人自身の問題です。

できること、できないことに囚われることなく、まず、自分の「こうありたい自分」をイメージしてみることは大事なことだとのようです。

人は自分が思ったような自分となります。

たとえば、今までやってみたかった趣味やスポーツを、今の環境にポンと入れてみるのもメビウスからの脱出となるかもしれません。夢中になってやっているうちに、「メビウスの輪のようにやってくる不安感が消えていた、、、」ということに気付く日が訪れることもあるようです。

このように、自分が身を置く環境を自ら整えていったり、周囲の人がより良い環境を整えてあげることも大事なことかもしれません。

優しくするとか、親切にしてあげることは、対応として重要なことですが、
答えは自分の内に宿っているはずですし、人は自立を目指すものだ、ということを対応者や家族の誰かが信じることが、相手に真に伝わった時、見事に自分の道を歩んでいくようです。

人は一人では生きてはいけませんが、自立を目指している生き物であることを忘れてはならないと、しみじみ思います。

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湧き出す感情から見えるもの

2011年11月03日 | 第2章 五感と体感
人の言動にすぐケチをつける人

ニュースを見ながら文句をぶちまけている人

店員さんに、偉そうな態度を見せるお客さん

何か決めようとすると、ごねて、会議を長引かせる人

自分の役割や仕事なのに、周りに当たり散らしながら役割や仕事を嫌々行う人

上記のような人々に対して批判的な感情を感じる人

こうやって書いてみると、私も何らかの形で批判的な感情を表出させながら
生きている、と反省の気持ちが湧き出してきます。

すべてのこと受け容れて、にこにこしながら暮らすことができたら、なんと幸せなことでしょう・・・・

でも、現実は、そのようなわけにはいきません。

にこにこしながら暮らしている人が周囲に居たとしたら、ほんとうに心の中も「にこにこ」しているのだろうか?という猜疑心が湧いてくるように思うのが、私の正直な気持です。

実際、生まれてから今日までの人生をすべて平安感に満たされ「にこにこ」しながらいきているような人に出会ったことはありません。

生まれてから今日までの自分が体験した感情は、今この時の自分の湧き出す感情の傾向に大きな影響を与えています。

平安に暮らしている人が、苦しんでいる人を見て哀しい感情が湧くのも、
苦しんでいる人が平安になりたいと願うのも、不安感や平安感が自分にとってどんなものであるかのスケールを持っているからこそ表出(感情)するものだと思います。

批判的な感情を中心に表出しながら暮らしている人に出会うと、その方の成育史を知りたくなるのも、私が学んだ知恵の一つです。

批判的な感情をその人の不安感の表出現象であると捉えていくと、キラリと何かが見えてくるのが不思議です。

「人」が好きであれば、必ず見えてくるはずです。

(参考:生き甲斐の心理学:ロジャーズの6条件、19の命題、傾聴の仕方)

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腰越から見える富士山

2011年11月02日 | 第2章 五感と体感
昨日は、抜けるように澄んだ空気が秋から冬を思わせ、空の高さが一層感じられた一日でした。

江の島の背景に、丹沢、足柄、箱根、伊豆の山々が連なり、北側に少しだけ雪を被った富士山が悠々と姿を現していました。

勉強会で訪れる腰越の会場からは、お天気に恵まれるとこの風景を見渡すことができます。

いにしえの人々は、大阪から京都、そして琵琶湖を越え、歩いて旅をしてきました。そして、最後の難関がこの山々です。機会を得ては、関西を歩いていますが、最近は都市と都市とを結ぶ山々の存在に妙に気持が動きます。

奈良や京都を拠点に都市をつくり上げた人々、そして、その政権争いの中で蠢く人々は、これらの山々を巧みに利用し、戦略を練っていきます。
中世ヨーロッパにいても、近年の戦争においても、山や森は、それらの戦略や逃亡に、生き延びる人の力を貸してきました。

腰越は、箱根の山から降り、相模湾はの平坦な道を歩き続けたとしたら、鎌倉に入るために越えなくてはならない小山です。鎌倉に入るには、低くいとはいえ、数時間山道を歩かなくてはなりません。

義経は、まさにこの腰越で、頼朝に鎌倉入りを拒否されます。

腰越の万福寺にて、頼朝の返事を悶々と待つ義経を思うと、目の前の江の島や小動(こゆるぎ)不動が、物悲しく見えてくることもあります。

山を越え、海を渡り、自分の居場所を目指してきた時代は、昔話だけのことではなく、今も続いていると言えそうです。

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