DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBAジュニアフライ級)

2022年11月18日 05時20分40秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の1992年11月18日、大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ)で行われた試合結果です。
WBAジュニアフライ級戦(現ライトフライ級):
挑戦者/前王者柳 明佑(韓国)判定2対0(119-111、117-112、114-114)王者井岡 弘樹
(グリーンツダ)

*現WBOスーパーフライ級王者一翔の叔父である弘樹氏は、この試合の11ヵ月前に柳を破りジュニアフライ級の王座を獲得し世界2階級制覇を達成しました。柳は井岡(弘樹氏の事です)に敗れるまで同王座の17連続防衛に成功しており、その記録は現在でも同級の最多防衛記録として刻まれています。

井岡との初戦に敗れて以降実戦から遠のいていた柳。いい休養にはなったでしょうが、選手としては成長は期待出来ませんでした。逆に井岡はその間2度の防衛に成功し、着々と同級での王座の地位を築いていました。

井岡有利の予想が立てられていたこの再戦でしたが、柳の世界王座への返り咲き/井岡へのリベンジという執念が序盤戦から井岡を勝り判定勝利。約一年ぶりに世界のベルトを腰に巻くことに成功しました。

井岡がこの再戦に勝てなかった理由は、井岡の精神面の変化にもあったように思います。井岡は長い左ジャブと、華麗なフットワークを駆使するアウトボクサーでした。しかし井岡の頭には「もっと積極性を見せ、お客さんを喜ばせないと」、という意識が芽生え始めていたのではないでしょうか。そのため、柳の執拗なインファイトに付き合ってしまい、結局は僅差の判定負けで王座から転落。そしてその過度な打ち合いへの意識が、その後の4度に渡る3階級制覇失敗に繋がったと見ます。

華麗なアウトボクシングでも十分ファンを魅了し、テレビの視聴率も稼いでいた井岡。心技体のバランスの微妙なズレが、この試合から始まったような気がします。

公式採点は2対0でしたが、柳の勝利は明白でした。しかし119対111の大差で柳の勝利というのも行き過ぎた採点のように感じました。

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