今から30年前の1992年12月11日、有明コロシアムで行われた試合結果です。
WBAジュニアバンタム級戦:
王者鬼塚 勝也(協栄)判定3対0(119-109、119-113、118-111)指名挑戦者アルマンド カストロ(メキシコ)
*平成初期の日本ボクシング「黄金時代」のピークを迎えていた1992年。牽引車の代表であった辰吉 丈一郎(大阪帝拳)は、9月に一度目のWBCバンタム級王座から陥落。井岡 弘樹(グリーンツダ)も前月に2階級目の世界王座を手放してしまい、平仲 明信(沖縄)も春にメキシコで奪取したタイトルを秋口には失っていました。その悪い空気を断ち切るため、人気抜群だった鬼塚に期待が寄せられていました。
しかし鬼塚はこの年の4月に、当時空位だった王座を全勝のまま獲得するも、相手によって試合のムラがあり決して安定王者とは言えません。この試合で鬼塚が迎えた指名挑戦者カストロは、ちょうど一年前に、鬼塚の前任者で、アジアが誇る偉人カオサイ ギャラクシー(タイ)の保持していたタイトルに挑戦。大差判定で敗れるも、2回には怪物カオサイからダウンを奪っています。パンチと粘りを備えた最強挑戦者と危険視されていました。
鬼塚への期待と不安が交錯する中行われた一戦。王者は初回に早々と挑戦者の強打に捕まってしまいます。ロープ際に追い込まれ、防戦一方となってしまった鬼塚。初回からこの調子では、王座陥落も大いにあり得るのでは?と思われましたが、ここから鬼塚が素晴らしいボクシングを披露する事になりました。
(フットワークと回転の速いパンチでカストロを翻弄した鬼塚。)
2回から、フットワークと回転の速いパンチでカストロを翻弄し始めた鬼塚。パンチはあるものの、鬼塚とは対照的にスピードは遅く、パンチは大振り。タフが幸いして最終回のゴングを聞くことが出来ましたが、スタミナの十分な王者のパンチを浴び続ける事に。結果はカオサイ以上の大差をつけて鬼塚が2度目の防衛に成功。この勝利により、鬼塚が世界王者としてようやくその実力を認められることになりました。鬼塚は1994年9月までこの王座を守り続けましたが、このカストロ戦が鬼塚の最高のパフォーマンスだったと言っていいでしょう。
(最終回の開始ゴングと同時に、自身のコーナーを駆けて出た鬼塚。しかし最終回だったため、カストロとグローブを合わせるよう、レフィリーに止められてしまいました...。)