Do I have any questions from the champion? Do I have any questions from the challenger?
(チャンピオン、質問あるか?挑戦者は?)
Ok! TOUCH THE GLOVES!
(よし!グローブを合わせる!)
LETS GET IT ON!!
(さあ、やろうぜ!)
(威厳の漂う名レフィリー ミルズ レーン。普段は弁護士でした。)
ジミー レノン ジュニア(米)、またはマイケル バッファー(米)のリングアナウンスの後、名レフィリー ミルズ レーン氏は上記の掛け声を上げ、両選手、そして会場を盛り上げ、試合は開始ゴング前に最高潮の興奮状態となります。ボクシングの代名詞の一人と言っていいでしょう。
今月6日、ボクシング史に残る名レフィリーが今逝去されました(享年85歳/20年前に起きた脳卒中が原因)。心よりご冥福をお祈りいたします。
1963年11月末日にリング上の第3の主人公としてデビューを果たしたレーン氏。1998年11月まで261試合でレフィリーを務めました。長い期間レフィリーを務められていましたが、リングに上った数はそれほど多くなかったようです。
初めて務めた世界戦は、1971年11月20日、ベネズエラのリングで行われたWBCフライ級戦エルビド サラバリア(比)対 ベツリオ ゴンザレス(ベネズエラ)という日本でもお馴染みの選手同士による一戦でした。そのキャリアのほとんどを米国のリングで行ったレーン氏ですが、1981年8月30日に韓国のリングに上がり、大熊 正二(新日本木村)からWBCフライ級王座を奪ったアントニオ アベラル(メキシコ)の防衛戦、対金 泰式(韓国)の試合を捌いています。残念な事に、日本のリングとは縁がありませんでした。
量より質というのでしょうね。レーン氏は、数々の歴史に残る一戦のレフィリーを務めてきました。
WBCヘビー級戦(1978年6月9日 米国ネバダ州):
挑戦者ラリー ホームズ(米)判定2対1(143-142x2、142-143)王者ケン ノートン(米)
*新王者ホームズの長期政権の始まり。
WBA/WBCミドル級戦(1979年11月30日 米国ネバダ州):
王者ビト アンツォフェルモ(伊)引き分け(1対1:143-143、144-142、141-145)挑戦者マービン ハグラー(米)
*帝王ハグラーの世界初挑戦は引き分け。
WBCフェザー級戦(1980年6月21日 米国ネバダ州):
王者サルバドール サンチェス(メキシコ)TKO14回1分42秒 挑戦者ダニー ロペス(米)
*この年の2月に対戦し、ロペスからタイトルを奪った「永遠のチャンピオン」サンチェスが2度目の防衛に成功。
統一ミドル級戦(1986年3月10日 米国ネバダ州):
王者マービン ハグラー(米)KO11回1分29秒 挑戦者ジョン ムガビ(ウガンダ)
*絶対王者ハグラーが、最強挑戦者ムガビをKO。
WBCヘビー級戦(1986年11月22日 米国ネバダ州):
挑戦者マイク タイソン(米)TKO2回2分35秒 王者トレバー バービック(ジャマイカ)
*若干二十歳の怪童が、タフな王者を倒しまくりヘビー級王座を獲得。
統一クルーザー級戦(1988年4月9日 米国ネバダ州):
IBF/WBA王者イベンダー ホリフィールド(米)TKO8回1分9秒 WBC王者カルロス デ レオン(プエルトリコ)
*鉄人ホリフィールドが、3団体クルーザー級王座の統一に成功。
統一ライト級戦(1990年5月19日 米国ネバダ州):
王者パーネル ウィテカー(米)判定3対0(116-111、116-114、115-113)挑戦者WBC王者スーパーフェザー級王者アズマー ネルソン(ガーナ)
*「アフリカの英雄」ネルソンも、ウィテカーの技巧を崩せず。
2団体ウェルター級戦(1991年3月18日 米国ネバダ州):
IBF王者サイモン ブラウン(米)TKO10回2分10秒 WBC王者モーリス ブロッカー(米)
*親友対決を制したのは強打のブラウン。
2団体ライトフライ級戦(1993年3月13日 米国ネバダ州):
IBF王者マイケル カルバハル(米)TKO7回2分59秒 WBC王者ウンベルト ゴンザレス(メキシコ)
*軽量級の大一番は「小さな石の拳」に凱歌。
WBAヘビー級戦(1997年6月28日 米国ネバダ州):
王者イベンダー ホリフィールド(米)反則3回終了 挑戦者マイク タイソン(米)
*試合中に相手の耳を嚙みちぎる馬鹿がどこにいる!?
ボクシング史に残る試合がずらりと並びましたが、これらはレーン氏の偉大なるキャリアのごく一部に過ぎません。正直、10選は難しかったです。またネバダ州のレフィリーだったため、同州での試合が圧倒的に多かったです。
他にもバーナード ホプキンスを誤ってリング外に突き落としてしまい、無効試合になったり、抱きつき(クリンチ)を繰り返すヘンリー アキンワンデ(英)に失格を言い渡したり、オリバー マッコール(米)は試合中に泣き出す始末。ホリフィールドとリディック ボウ(米)の再戦では、パラシュートを付けたパラグライダーに乗った男がリングに落ちてきました。多くのトラブルに巻き込まれた事は事実ですが、数々の名勝負を捌き続けたのも事実です。ボクサーを含め関係者からは、観客者や選手たちの邪魔にならない絶妙なポジショニングが高く評価されていました。レーン氏が名レフィリーであったことに疑いの余地はありません。
レフィリーになる前、ボクサーとしてもリングに立っています。アマチュアでは、ウェルター級でオリンピック米国代表選考会の準決勝まで進出。プロでは初陣戦で黒星を喫しまっが、10勝(6KO)1敗(1KO負け)の好戦績を残しています。サウスポー(左構え)だったそうです。
リングアナウンサーに名前をコールされた後、下記の写真のように(ホジホジしているのではありません)人差し指で横鼻を擦る仕草が好きでした。