DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBAジュニアミドル級)

2022年12月21日 05時54分51秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の1992年12月21日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで行われた試合結果です。
WBAジュニアミドル級王座決定戦(スーパーウェルター級):
世界1位フリオ セサール バスケス(亜)KO初回2分59秒 日本王者上山 仁(新日本木村)

*前年1991年後半から始まった平成初期の日本ボクシング「黄金時代」。一年を通し大いに盛り上がった1992年には、日本人選手が出場した多くの世界戦が行われました。そのトリを務めた一戦は、年末に日本の反対に位置する南米のアルゼンチンで行われました。

師走の頭に急遽決まったこの試合。当初は空位だった王座を1位のバスケスと、2位のアーロン デービス(米)が争う予定でした。しかしデービスが体調不良を理由に出場を辞退したため、同じく世界ランカーだぅた上山に出場の機会が訪れる事に。

(師走のアルゼンチンのリングに降りた上山。)

39勝(29KO)1敗のバスケスに対し、日本同級王者上山は24勝(15KO)1敗。上山は日本王座を12度防衛中で、その王座を返上せずに保持したままに世界挑戦に臨みました。結果的には妥当な選択になりました。個人的には日本王者(もしくはOPBF、WBOアジア太平洋)が世界戦に出場する場合、上山のように日本を代表する選手として日本王者のまま挑戦し、世界戦に勝利した時点で日本王座を返上。負けた場合は日本王座の防衛戦からやり直し、という形をとって貰いたいです。

試合は僅179秒でしたが、内容の濃いもののように映りました。試合開始から2分にかかろうとした際、バスケスの連打で上山がダメージを負います。日本人はクリンチで急場を凌ごうとしましたが、アルゼンチン人はお構いなしにパンチを放ち続けダウンを奪います。試合再開後、連打から2度目のダウンを奪ったバスケス。上山も何とか立ち上がりましたがダメ押しのダウンを奪われてゲームセット。技術の云々ではなく、バスケスのパンチがあまりにも凄すぎました。

(上山、バスケスの強打の前に散る。)

バスケスと同時代の選手で、バンタム級からフェザー級でWBA王座の3階級制覇を達成したプエルトリコのバスケス、ウィルフレドも、その強打で日本人選手に立ちはだかりました。二人のバスケスに共通していた事は、両者ともチャンスと見れば一気に対戦相手を倒し切る事。「機を見るに敏」とはどういうことかというのを教えてくれました。

バスケスはその後、世界中のリングを飛び回り10連続防衛に成功。一度は王座を手放しましたが、返り咲きにも成功しています。残念ながら世界のベルトを獲得できなかった上山ですが、翌1993年から日本王座の防衛戦を再開。1995年3月までに20連続防衛に成功し、王者のまま引退しています。両者との立派な記録を残しましています。

この試合で使用されたリングは異常に小さく(ルール規定内ではありましたが)、ロープも現在のように4本ではなく3本でした。時代と敵地というものがそれらの面でも感じさせられる一戦でした。

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