今から30年前の1993年2月10日、東京体育館で行われた試合結果です。
WBAストロー級戦(現ミニマム級):
指名挑戦者チャナ ポーパオイン(タイ)判定2対0(118-111、117-112、114-114)王者大橋 秀行(ヨネクラ)
*振り返ってみると、これほど不思議な試合もそうはないでしょう。初回は両者がほとんど手を出さないまま終了しました。これは大激戦の前の静けさかなと思いきや、その後のラウンドも激しいアクションは見られず。特に大橋の手の出さなさは極端で、「大橋は一体何を考えているのだろうと」不思議というか、歯がゆい気持ちで試合を見ていました。終盤戦に入り、大橋がようやく攻勢を仕掛け始めましたが時すでに遅し。大橋は不完全燃焼のまま試合終了のゴングを聞き、王座から転落。そして眼疾が発覚し、現役から引退してしまいました。
チャナはこの王座を獲得後、8連続防衛に成功。一度は王座から決別しましたが、その後ベルト奪回に成功した実力者です。しかし大橋が負ける相手ではなかったでしょう。大橋が後半に見せた攻めをもう少し早く行っていれば、防御技術の高いチャナからダウンを奪う事は難しかったかもしれませんが、ポイントは取れていたでしょう。
(にらみ合いが続いた「大橋対チャナ」。)
残念ながらこの試合が、現大橋ジムの会長である大橋のラストファイトとなってしまいました。「150年に一人の天才」と呼ばれた大橋が、26戦全勝(11KO)の指名挑戦者チャナを迎え、前年10月に返り咲いた王座の初防衛戦を行いました。そんな二人が対戦するのだから、余程凄い試合になると予想していましたが、蓋を開けてみると全くの期待外れなものになってしまいました。
19勝(12KO)5敗(3KO負け)という戦績を残してリングを去った大橋。獲得した世界王座はWBCとWBAの最軽量級の2つのベルトで、防衛回数はWBC王座時代の1度のみ。大橋の実力からすれば、物足りない数字でしょう。
大橋の現役時代には、「韓国の鷹」張 正九を筆頭に、崔 漸煥や崔 煕墉など、多くのタフで手数のあるコリアン・ファイターが軽量級を中心に暴れまくっていました。大橋が喫した5敗の内、3つはキャリア前半に韓国選手に喫したもの。そのため大橋は、韓国選手に対抗するため、そして世界のベルトを腰に巻くために、相手の攻撃を待ち受けるボクシングを身につける事が必須でした。そのため、元々手数が少なく、自ら積極的に攻勢に出るタイプでなはなかった大橋が、さらに受け身のボクシングを展開するようになりました。
キャリアを進める過程で身につけたボクシングと、本来の鋭い左ジャブを融合したスタイルを築いていれば、もっと結果を残し現役生活を終える事が出来たのではないでしょうか。大橋のボクシングとキャリアを振り返る時、いつも「不完全燃焼だったのでは?」と考えさせられてしまいます。