5月31日(火)の画像の、続きです。
可部線の走破を終えた私は、可部から引き返す途中、三滝の駅で下車しました。
途中下車して、もう一度40年前の思い出を振り返りたかったというか…、なんか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは 物足りない気がしたからです。
三滝駅で電車を降りた私は、そこから西広島駅まで、太田川放水路沿いをてくてく歩いて移動しました。
先に記述したように、私は子供時代の8年間を広島で過ごしました。そのときに住んでいたのが、西広島、己斐の町でした。
なので、西広島界隈は、私にはとても懐かしく思える地域なのです。


↑可部から引き返してきた私は、三滝で下車。
電車を降りてしばらくプラットホーム上に残留し、227系どうしの列車交換(行き違い)を眺めました。

↑可部ゆきが発車していきます。
従来、広島地区のJR電車は、種別や行き先を 車両に表示せずに走る流儀でしたよねぇ。(可部線の電車は、表示して走っていたっけ?)
私の印象ですが、『
なんで、広島のJRは、行き先を表示しないで走るんだろう?』という疑問を、ずうっと抱いていました。
227系の導入で、種別・行き先がきちんと表示されるようになりましたね
分かりやすくて、いいぞー

↑広島ゆきの電車も、発車していきました。

↑三滝駅。
無人駅ですが、自動券売機と自動改札機(ICカード乗車券対応)が設置されています。
学研都市線の無人駅と同じ装備やね
(可部線の全駅、ICカード乗車券に対応しています)

↑三滝駅の出入り口。 シンプルな造りの駅です。
40年前、祖父に連れられて 私はここで電車を降りたんだなぁ。その場面は記憶に残っていないけれど…

↑三滝駅から横川方面へ向かう線路。
線路は、左へカーブしながらトンネルに消えていきます。このトンネルは短いです。

↑三滝駅前から川沿いに出て、ここから西広島駅まで歩きました。
すぐそこに、可部線の鉄橋が見えています。

↑踏切。 車道ぶんの幅だけしかない、昔ながらの踏切道やね。
子供時代(広島時代)、父が運転するクルマで、家族で買い物に出かける際、この道をよく通りました。この踏切を渡ったことも覚えています。
当時は、今よりは可部線の運行本数が少なかったかもしれないけれど、踏切が鳴って遮断機が下りている場面に遭遇することもありました。
うすいグリーン色(うぐいす色)の旧型国電が通り過ぎるのを見ました。それも覚えています。
昭和50年代の前半です。当時の可部線って、ホンマに古めかしい電車だったなぁ。
今から思うと、父のクルマで出かけていた買い物先っていうのは、いづみ(イズミ)の祇園店だったと思う。現在の「ゆめタウン祇園」やね。

↑可部線の踏切を渡ると、続いて、鉄橋が見えてきます …っていうか、すでに見えています。
山陽新幹線の高架橋と 山陽本線の鉄橋です。
ちょうど、山陽本線のトラスを、ディーゼルカーがとろとろと渡っているところでした。回送列車だったのかな(?)

↑歩いていく方向を望む。 山陽新幹線と山陽本線が横切っています。
この道路、昔は、土手から下って(=河原へ下りて)、山陽本線の鉄橋を〝くぐり抜けて〟いたと思うのですが、現在は陸橋で〝またぐ〟方式に改められています。
でも、こういう形態に改修されてから、もう久しいです。
私も大人になってから、すでに幾度か西広島界隈を訪れているので、ここの道路形状が変わったことは存じておりました。

↑陸橋の歩道から。
山陽本線をまたぎながら、山陽新幹線をくぐる…、という、絶妙な設計が求められたであろう、立体交差です。

↑陸橋の上から、もういっぺん、歩いていく方向を望む。
子供時代、父のクルマに乗せてもらってこの辺りまでやってきて、河原で凧揚げをして遊んだことを覚えています。
ここの河原は遊び場でした。(
ダンポポ思い出の宝箱) (←
何やねん、それ)
画面の前方に見える〝斜め〟に横切っていく橋! すごいなぁ。 私が広島に住んでいた当時は、この橋、まだ無かったです。

↑これが〝斜め〟に横切っていく高架橋。

↑山陽本線の線路も高々とまたぎ、その向こうで山にぶつかって、そのままトンネルにつながっていくという、〝わが道を突っ走る〟構造です。
これは「広島高速4号線」という都市高速だそう。この道路も、開通してからすでに久しいですね。
トンネルで山の向こう側の沼田というところまで通じています。新しい街づくりが行われて、そのあたりを西風新都って言うんやね。

↑土手より一段低い、線路沿いの道を歩いていきます。 線路は、山陽本線です。

↑この場所、いいねぇ
立ち止まって、次の電車が通りがかるのを 待ちたくなります。
それと、豆知識ですが、画面左手の丘の上に、幼い日の私が通った幼稚園が今もあります。

↑電車、来たっ! 岩国ゆき普通電車が駆け抜けました。6両編成…、だった気がする。

↑さらに歩いていくと、こんどは上り列車が走ってきました。 (さっきの場所でデジカメ持って待機しておけばよかった
)
白市ゆき普通電車でした。

↑この、陸橋入り口が、私が通った幼稚園へ通じる道です。
園の送迎バスに乗って、毎日ここを行き来しました。くどいですが、40年前の話です

◎西広島駅の風景

↑JR西広島駅へ着きました。
まっすぐ駅前へは行かず、ちょっと違う角度から、西広島駅を写してみました。(
そんなに、角度は違わないと思うけど
これはこれで…)
ゆめマート、見えていますね。昔はイズミ己斐店。
わが家が広島で暮らしていた時期に、イズミ己斐店はオープンしました。私も覚えています。
新しいスーパーマーケットだったわけですが、お店の出入り口が〝自動扉〟になっていたことが 当時の私には珍しくて、珍しくて…
面白がって何回も出入りを繰り返し、母に叱られた
という記憶もありますなぁ。

↑西広島駅そば(広島寄り)の踏切です。
現在は自動踏切ですが、ここも当時は踏切係の職員さんによって遮断機の昇降がおこなわれる、手動式の踏切でした。

↑いよいよ、西広島駅の前まで歩いてきました。

↑決して、道路は広くないっていう…、この雰囲気が懐かしいです。

↑JR西広島駅の跨線橋。
この雰囲気、昔のままですね

↑駅のまん前にやってきました。

↑JR西広島駅前には『ズッコケ三人組』の像があります。
どうしてここに、この像があるのか? については、後ろの説明板に書かれていますので、みなさん、また現地を訪ねて読んでみてください。
(
こらっ! ちゃんと説明しなさいよ!)
ウィキペディア情報によると、「この石像のモーちゃんの腹に触ると恋が叶うという噂がある。」のだそう。
モーちゃんっていうのは、画像の真ん中のキャラクター。
「触ってきたん?」
「いや…
こんなおっさんが、ひとりでブツブツ言いながら触ってたら、アブナイやろ」
「ぶつぶつ言わんでええやろが…
」

↑JR駅前にある、駐車場・駐輪場の出入り口。
駅に隣接しており、駐車場や駐輪場にはもってこいの場所です。
当時、ここは、貨物を積んだトラックが出入りする場所だったと思う。〝日通〟か何かの、運送関係の営業所の敷地だった気がします。

↑バスのりば。

↑私が広島に居たころは「国鉄西広島駅」だったわけですが、この駅舎のたたずまいは、今も当時と変わっていない気がします。
だからこそ、この駅は、いつ見ても懐かしい気持ちになります。
私は大人になってからも幾度かここを訪れていますが、その印象は毎度変わりません。

↑さらに懐かしいのは、あの建物です。 ひろでんのビル! (ひろでん会館)

↑ちょっと駅前から離れて、この位置から眺めるのが、やっぱり一番いい感じ
大きなビルが、ひろでん会館。交差点の路上にレールが見えていますが、ここを通って路面電車が発着しています(広電西広島駅)。
そして、画面の右奥、バスの向こうに、さっき眺めたJR西広島駅が見えています。
ひろでん会館もJR西広島駅も、建物が昔のままの姿なので、この場所から見える風景は私が子供時代に見たそれと、今もほぼ変わりません。
大人になった今でも、西広島を訪れてこの場所に立つだけで容易に懐かしい気持ちに戻れるのは、風景が変わっていないからでしょうね。
そして、目の前を広電(路面電車)のレールが通り抜けるこの場所は、私の「鉄道ファン人生」の原点
始発駅なのです
ひろでん会館のすぐそばの〝線路わき〟に立って、目の前を走り抜けていく路面電車を眺めるのが、子供時代の私の 楽しみでした。
この私にしては珍しく自分からすすんで(
)、路面電車を眺めていましたから、すでに当時から鉄道に対する興味は持っていたんやね~。
ここが、鉄道ファンになるキッカケの場所だったと言ってよく、私にとっては「聖地」です。ダンポポ聖地、認定。(
なんだそりゃ…)

↑広島電鉄(ひろでん)の電車。

↑もと京都市電の電車も、ここで元気に活躍しています。
ひろでんの電車画像を さらに何枚か写してきましたので、また後日に紹介いたします。
きょうのブログはここまで。
(つづく)
可部線の走破を終えた私は、可部から引き返す途中、三滝の駅で下車しました。
途中下車して、もう一度40年前の思い出を振り返りたかったというか…、なんか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは 物足りない気がしたからです。
三滝駅で電車を降りた私は、そこから西広島駅まで、太田川放水路沿いをてくてく歩いて移動しました。
先に記述したように、私は子供時代の8年間を広島で過ごしました。そのときに住んでいたのが、西広島、己斐の町でした。
なので、西広島界隈は、私にはとても懐かしく思える地域なのです。


↑可部から引き返してきた私は、三滝で下車。
電車を降りてしばらくプラットホーム上に残留し、227系どうしの列車交換(行き違い)を眺めました。

↑可部ゆきが発車していきます。
従来、広島地区のJR電車は、種別や行き先を 車両に表示せずに走る流儀でしたよねぇ。(可部線の電車は、表示して走っていたっけ?)
私の印象ですが、『

227系の導入で、種別・行き先がきちんと表示されるようになりましたね



↑広島ゆきの電車も、発車していきました。

↑三滝駅。
無人駅ですが、自動券売機と自動改札機(ICカード乗車券対応)が設置されています。
学研都市線の無人駅と同じ装備やね


↑三滝駅の出入り口。 シンプルな造りの駅です。
40年前、祖父に連れられて 私はここで電車を降りたんだなぁ。その場面は記憶に残っていないけれど…


↑三滝駅から横川方面へ向かう線路。
線路は、左へカーブしながらトンネルに消えていきます。このトンネルは短いです。

↑三滝駅前から川沿いに出て、ここから西広島駅まで歩きました。

すぐそこに、可部線の鉄橋が見えています。

↑踏切。 車道ぶんの幅だけしかない、昔ながらの踏切道やね。
子供時代(広島時代)、父が運転するクルマで、家族で買い物に出かける際、この道をよく通りました。この踏切を渡ったことも覚えています。
当時は、今よりは可部線の運行本数が少なかったかもしれないけれど、踏切が鳴って遮断機が下りている場面に遭遇することもありました。
うすいグリーン色(うぐいす色)の旧型国電が通り過ぎるのを見ました。それも覚えています。
昭和50年代の前半です。当時の可部線って、ホンマに古めかしい電車だったなぁ。
今から思うと、父のクルマで出かけていた買い物先っていうのは、いづみ(イズミ)の祇園店だったと思う。現在の「ゆめタウン祇園」やね。

↑可部線の踏切を渡ると、続いて、鉄橋が見えてきます …っていうか、すでに見えています。
山陽新幹線の高架橋と 山陽本線の鉄橋です。
ちょうど、山陽本線のトラスを、ディーゼルカーがとろとろと渡っているところでした。回送列車だったのかな(?)

↑歩いていく方向を望む。 山陽新幹線と山陽本線が横切っています。
この道路、昔は、土手から下って(=河原へ下りて)、山陽本線の鉄橋を〝くぐり抜けて〟いたと思うのですが、現在は陸橋で〝またぐ〟方式に改められています。
でも、こういう形態に改修されてから、もう久しいです。
私も大人になってから、すでに幾度か西広島界隈を訪れているので、ここの道路形状が変わったことは存じておりました。

↑陸橋の歩道から。
山陽本線をまたぎながら、山陽新幹線をくぐる…、という、絶妙な設計が求められたであろう、立体交差です。

↑陸橋の上から、もういっぺん、歩いていく方向を望む。
子供時代、父のクルマに乗せてもらってこの辺りまでやってきて、河原で凧揚げをして遊んだことを覚えています。
ここの河原は遊び場でした。(


画面の前方に見える〝斜め〟に横切っていく橋! すごいなぁ。 私が広島に住んでいた当時は、この橋、まだ無かったです。


↑これが〝斜め〟に横切っていく高架橋。

↑山陽本線の線路も高々とまたぎ、その向こうで山にぶつかって、そのままトンネルにつながっていくという、〝わが道を突っ走る〟構造です。
これは「広島高速4号線」という都市高速だそう。この道路も、開通してからすでに久しいですね。
トンネルで山の向こう側の沼田というところまで通じています。新しい街づくりが行われて、そのあたりを西風新都って言うんやね。

↑土手より一段低い、線路沿いの道を歩いていきます。 線路は、山陽本線です。

↑この場所、いいねぇ

それと、豆知識ですが、画面左手の丘の上に、幼い日の私が通った幼稚園が今もあります。

↑電車、来たっ! 岩国ゆき普通電車が駆け抜けました。6両編成…、だった気がする。

↑さらに歩いていくと、こんどは上り列車が走ってきました。 (さっきの場所でデジカメ持って待機しておけばよかった

白市ゆき普通電車でした。

↑この、陸橋入り口が、私が通った幼稚園へ通じる道です。
園の送迎バスに乗って、毎日ここを行き来しました。くどいですが、40年前の話です


◎西広島駅の風景

↑JR西広島駅へ着きました。
まっすぐ駅前へは行かず、ちょっと違う角度から、西広島駅を写してみました。(


ゆめマート、見えていますね。昔はイズミ己斐店。
わが家が広島で暮らしていた時期に、イズミ己斐店はオープンしました。私も覚えています。
新しいスーパーマーケットだったわけですが、お店の出入り口が〝自動扉〟になっていたことが 当時の私には珍しくて、珍しくて…

面白がって何回も出入りを繰り返し、母に叱られた


↑西広島駅そば(広島寄り)の踏切です。
現在は自動踏切ですが、ここも当時は踏切係の職員さんによって遮断機の昇降がおこなわれる、手動式の踏切でした。

↑いよいよ、西広島駅の前まで歩いてきました。

↑決して、道路は広くないっていう…、この雰囲気が懐かしいです。

↑JR西広島駅の跨線橋。
この雰囲気、昔のままですね


↑駅のまん前にやってきました。

↑JR西広島駅前には『ズッコケ三人組』の像があります。
どうしてここに、この像があるのか? については、後ろの説明板に書かれていますので、みなさん、また現地を訪ねて読んでみてください。
(

ウィキペディア情報によると、「この石像のモーちゃんの腹に触ると恋が叶うという噂がある。」のだそう。
モーちゃんっていうのは、画像の真ん中のキャラクター。






↑JR駅前にある、駐車場・駐輪場の出入り口。
駅に隣接しており、駐車場や駐輪場にはもってこいの場所です。
当時、ここは、貨物を積んだトラックが出入りする場所だったと思う。〝日通〟か何かの、運送関係の営業所の敷地だった気がします。

↑バスのりば。

↑私が広島に居たころは「国鉄西広島駅」だったわけですが、この駅舎のたたずまいは、今も当時と変わっていない気がします。
だからこそ、この駅は、いつ見ても懐かしい気持ちになります。
私は大人になってからも幾度かここを訪れていますが、その印象は毎度変わりません。

↑さらに懐かしいのは、あの建物です。 ひろでんのビル! (ひろでん会館)

↑ちょっと駅前から離れて、この位置から眺めるのが、やっぱり一番いい感じ

大きなビルが、ひろでん会館。交差点の路上にレールが見えていますが、ここを通って路面電車が発着しています(広電西広島駅)。
そして、画面の右奥、バスの向こうに、さっき眺めたJR西広島駅が見えています。
ひろでん会館もJR西広島駅も、建物が昔のままの姿なので、この場所から見える風景は私が子供時代に見たそれと、今もほぼ変わりません。
大人になった今でも、西広島を訪れてこの場所に立つだけで容易に懐かしい気持ちに戻れるのは、風景が変わっていないからでしょうね。
そして、目の前を広電(路面電車)のレールが通り抜けるこの場所は、私の「鉄道ファン人生」の原点


ひろでん会館のすぐそばの〝線路わき〟に立って、目の前を走り抜けていく路面電車を眺めるのが、子供時代の私の 楽しみでした。
この私にしては珍しく自分からすすんで(

ここが、鉄道ファンになるキッカケの場所だったと言ってよく、私にとっては「聖地」です。ダンポポ聖地、認定。(


↑広島電鉄(ひろでん)の電車。

↑もと京都市電の電車も、ここで元気に活躍しています。
ひろでんの電車画像を さらに何枚か写してきましたので、また後日に紹介いたします。
きょうのブログはここまで。
(つづく)