勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

こんなに大きくなりました!

2006-07-11 22:19:40 | Weblog

 朝起きて最初に行くところはベランダ。6月22日に卵が孵ったのを確認してからちょうど20日。一羽をカラスの餌食にさせてしまった後悔から、何とか残された一羽の巣立ちを見守ろうと、日課となった鳩の観察。
いなくなったと思った親鳩は、2羽揃って毎日向かいの電柱に止まり、子鳩に餌を与えに来る。一度だけ口移しで餌を与えているところを確認したものの、僕の姿を見るとすぐに親鳩は飛び立ってしまい、一緒にいるところを見るのは稀である。
しかしこんなに大きくなった子鳩が巣立つのも、間近かに迫ってきたのだろうか。時々羽を広げるような動作をして、場所も移動している。

 迷ったあげくの決断は、こんな形で僕に夢を与えてくれた。
日ごとに大きくなって、旅立つ日が迫るほどに、期待と淋しさの入り混じった気持ちで、あの生まれたばかりの小さかったヒナが思い出される。

6月22日 

6月27日 

6月28日

 一羽になってしまった子鳩の元気な旅立ちを見られるのは、間もなくになりそうだ。
2006.07.11

あるがまま

2006-07-10 23:00:02 | Weblog
 いつもとは違う眼で見たサッカーW杯、決勝戦の白熱した試合も今日、早朝に幕を閉じた。
すべてをリアルタイムで見ることはできなかったが、サッカーという競技を、今まで以上に興味を持たせてくれたW杯の選手諸君には拍手を送りたい。

 朝日新聞のコラム、94歳の現役医師・日野原重明氏の『あるがまゝ行く』で、氏が言っている。
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 「プラトンは老人たちに、若者たちが運動や舞踊や遊戯をしているところに出かけていって、自分になくなった肉体のしなやかさや美しさを他人の中に見て喜び、自分の若い頃の美しさや愛らしさを思い出すようにせよと命じ、また、これらの娯楽においてもっとも多数の老人を、もっとも多く喜ばせ楽しませた若者に、勝利の名誉を与えよと命じている」

 フランスの哲学者モンテーニュが、著書「エセー」に引用したプラトンの言葉です。

-日野原重明さん-
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 スポーツを見るときに、自分には不可能なプレーにも、自分が今一緒に戦っているような錯覚で見てしまう。
スポーツなど、見る娯楽には、そこに若い頃の自分をオーバーラップさせる魅力も潜んでいるようだ。

 日本チームは惜しくも予選で敗退したが、「もっとも多数の老人を、もっとも多く喜ばせ楽しませた若者に、勝利の名誉を与えよと命じている」という言葉を借りるならば、あなたは誰を選びますか?

 僕は、日本の選手以外はあまり知らないので、GKの川口選手の活躍が印象に残りました。
W杯のMVPには、あのジダン選手が選ばれたようですが・・・。

 ブラジル戦が終わった後の中田選手の行動にも、意味深さを感じたが、後でそうかと納得した。
彼のメッセージはHPでご存知の方も多いと思うが、我がブログへコメントをくださるmammy さんが転載されている。
 
“人生とは旅であり、旅とは人生である” マスコミでも取り上げられているが、彼の言葉による旅の終焉に近づいた我が身には、若者たちのエネルギーに満ち溢れた姿を見て、自らの若い頃に思いを馳せ、これからも楽しませてもらおうと思う。

 スポーツは見るのもやるのもいいですね。
2006.07.10

ほおずき市

2006-07-09 18:57:57 | Weblog

 この日にお参りすれば、四万六千日(しまんろくせんにち)分のご利益があるといわれる「ほおずき市」。この四万六千日という数字の由来は、白米一升分が四万六千粒で、この日観音様に詣でると一生(一升)食いはぐれることなく過ごせるからといわれる。日曜日と重なった今日(9日)は、早朝から大勢の人出で賑わい活気に溢れていた。
 
 そもそも、聖観音菩薩の縁日は「毎月18日」と伝承されてきたが、7月10日の功徳日はそのご利益が「千日分」と最も多く、「千日詣で」と呼ばれた。
千日参りなのだから、四六時(一日)の千日分で、四万六千日と言う説もあるようだが定かではない。

 境内にはほおずきなどを売るお店約250店舗、その他縁日の売店を含めると400店舗を超えるお店が立ち並び、売り子達の威勢のいい掛け声が響いていた。
 
 
        こんな可愛い兄弟に、思わずニッコリ♪

 このお店で買った2鉢の左の鉢は、岐阜に住む我が息子「おにぎり」に発送していただいた。
 また、一度でもここに立ち寄ってくださった皆様へのお礼の気持ちで、4万六千日のご利益を願い、お参りして来ました。

 境内の裏では植木市も立ち、夏の花が梅雨明け前の空に向かって、力強く咲いていた。
2006.07.09

ほおずき

2006-07-08 23:24:21 | Weblog


  ≪ほおずき≫

漢字で「酸漿」とも「鬼灯」とも書く
 

 昔、女児たちが口の中に入れて鳴らしたのが、ナス科の“ホオズキ”。その名の由来には、2つの説がある。
第一の説は、口の中で鳴らすことから“頬突き”、ホオズキが頬の内側に当たる意味である。古名として“保々都岐”の名前がある。
第2の説は、赤い実[液果]を火に見立てた説。古名に“燈篭花”(とうろうばな)があり、現在も“鬼灯”とか“鬼燈”と書くのも、実を火と見立てたからである。
どちらが正しいかではなく、両方とも正しいと思う。

-解説・高橋勝雄さん(山と渓谷社・野草の名前)から-
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 浅草では9・10日の二日間にわたって「ほおずき市」が開かれます。
2006.07.08

あさがお

2006-07-06 22:51:21 | Weblog

「朝顔に釣瓶(つるべ)とられてもらひ水」 

加賀の千代女のあまりにも有名な句である。

 「江戸しぐさ」の語りべ・越川禮子さんによると、この朝顔に対する繊細な気持ちを詠んだ句も、江戸の町方によると別の意味を読みとるのだそうだ。

 朝顔に支えをせずに、釣瓶に巻き付かせてしまった「うかつさ」を、先読みが大切な商人にとっては、自身を戒める句として受け取ったという。

 僕は本来の解釈が好きだが、そんな解釈はともかくとして、朝顔の鉢に涼しさを求めて、入谷では朝顔市が開かれている。



 市の前日は強い雨に見舞われ、降りしきる雨の中、店舗作りが急ピッチで行われたが、今日は天候にも恵まれ、入谷鬼子母神の名で知られた「真源寺」を中心に、言問通りは午後5時からは歩行者天国にもなり、多くの人出で賑っていた。


 朝顔市は8日まで行われ、いよいよ下町の夏が始まります。
2006.07.06  

リサイクル

2006-07-05 22:59:45 | Weblog

 我が仕事は汗をかく仕事である。何度も着替えをするので、帰りには汗で濡れた下着やワイシャツが何枚にもなる。それを持ち帰るときバッグが必要なのだが、なかなか洒落たバッグがない。

 ダンスのお客様でもあり、ブログ仲間でもあるコスモスさん が、こんな素敵なバッグを作ってくださった。
不要になった傘の布を利用して、バッグを作るというのでお願いしたのがこれである。


 マウスオンでご覧ください

 我が家で長年眠っていた、買ったときにそのバッグが入っていた袋と、コスモスさんの見立てた傘の布で、見事なリバーシブルの袋が出来上がった。

 傘の布なので、濡れた衣類を入れるのに最適であると同時に、雨が降ったときなどは、裏返して使える優れものである。
そのお礼の気持ちとして、お約束でもあった、コスモスさんをイメージした冒頭の絵をプレゼントします。こんなものでもよかったらお受け取りください。

 数年前、汗で濡れたシャツの入った袋を持っての深夜の帰宅途中で、不審尋問を受けた事がある。何故か僕は度々不審尋問を受ける。その時の様子を過去 のブログで紹介しました。お暇がありましたらどうぞご覧ください。
2006.07.05

欠点

2006-07-04 20:05:57 | Weblog
 子供の頃、気の小さい僕は(本当ですよ)人前で話すことが苦手だった。学校で朗読などさせられると、声が震えた。思ったことも言えず、悔しい思いをしたことも多い。成績表にはいつも「おとなし過ぎて覇気がない、積極性がない」と書かれた。(ホントです!)
それをいつも自分の欠点だと思い、なるべく物事に積極的になろうと内心思っていた。
大人になった今、おしゃべりで、図々しくて、毒口が多く、遠慮のない、嫌なジジイになっている。
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 理学博士、脳科学者の他にも多くの肩書きを持つ、茂木健一郎氏が、朝日新聞でこんな事をいっている。

 脳の不思議なシステムの一つに、欠点と意識したことを乗り越えようとする働きがあります。本人が明確に欠点と考えること、どうしても人より劣っているとか苦手だとか思い悩むことがあると、意識がそれに集中しますね。すると変えようとする創造性が働き始める。
すごく努力して乗り越えようとし、なぜか普通の人をはるかに超えて、とてつもない領域へ到達してしまうのです。

 学生でも社会人でも、自分にはたいした能力がないとか、うまくことが運ばないといじけている人は、逆に自分の欠点をはっきりと探り出して、意識できるようにしたほうがいい。いじけている間はモヤモヤしているだけで、脳にきちんと働きかける「意識」の形になっていない。欠点が明確に出来ると、乗り越えるべき対象が見えるということですから、脳は喜んで創造性を発揮するようになります。

-朝日新聞・コラム「仕事力」から-
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 茂木さんの話によると、自分に「これが欠点だ」と突きつけてしまうことで、退屈するのが嫌いな脳は、それを乗り越えようと工夫をするのだそうです。
欠点のある人間のほうが魅力的なんです。欠点を隠さず、自覚することで、もっと魅力的な人間になれるかもしれません。
ただし、くれぐれも僕のような嫌味な年寄りにはならないで下さいね。
2006.07.04

幸せな出会い

2006-07-03 20:21:50 | Weblog
 昨日の記事、星野富広さんの「幸せ」の詩は、僕にとって大切な詩でもあります。

 我がブログで多くの方と出会い、楽しくオシャベリさせていただき、とても感謝しています。
その中のひとり「おにぎり」ちゃんとは、親子のような関係でお話をさせていただいていますが、その軽妙なオシャベリは、彼の聡明さが伺え、また以前にも紹介したように、サッカーのゴールキーパーとして活躍し、岐阜県代表にも選ばれた優秀な選手でもあります。

 その彼との初めての出会いが、我がブログで紹介した星野富弘さんの詩と、彼のブログで取り上げたこの「幸せ」の詩をきっかけに今に至っています。
そんな縁を大切にしたいという気持ちから、あえてこの詩を我がブログでも取り上げたのです。

 頚椎骨折という怪我により、首から下の運動機能が麻痺しながらも、絵筆を口に咥えて書く星野富広さんの絵と詩は、彼でなくては見えない感性で、我々に訴えてくるものがあります。
同じ頚椎損傷という怪我から、幸いにも復帰できたおにぎりちゃんには、きっと彼の気持ちがわかるのでしょう。いつも優しい言葉に溢れています。


マウスオンでご覧ください

 星野富広さんの花の詩画集「あなたの手のひら」の結びで、富弘さんはこんなことを言っています。

 電動車椅子で畑の道を歩きながら見つけた草花などを採ってきて描いています。地面に生えているその場所で描ければいいのですが、首の力は以前とほとんど変わりませんから、やはりベッドの上で身体を横にして描いています。
  
 顔の前20センチのところに画用紙を立てると、他のものはほとんど見えなくなります。ですから描く花は画用紙の横に辛うじて見える一輪か二輪の花になります。でもこの不自由が、私に花の美しさを教えてくれました。あれも描きたい、これも描いてみたいという誘惑から、一輪の花と静かに向きあう事を教えられたのです。

 よく見ると道端の小さな花は、決して小さくはありませんでした。虫に食われた葉っぱ、折れてもなお起きようとする茎、夏の陽に焼かれた花びら、いつのまにか、私は草花に人間を重ねて見るようになりました。

中略
 
 絵と文字という別のものを、一枚の紙の中に描いていくうちに少しずつわかってきたのですが、絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、調和のとれた作品になるのです。
これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。

2006.07.03

幸せ

2006-07-02 21:55:26 | Weblog


 -幸せ-

幸せ という
花があるとすれば
その花の
蕾のようなものだろうか

いという字がある
もう少しで
せに
なれそうな字である

-星野富弘さん-




 -悲しみの意味ー

冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が
咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく

-星野富広さん-

2006.07.02

僭越ですが・・・

2006-07-01 23:15:33 | Weblog


 
 紫陽花の季節も終りに近く、依頼をいただいてから、10日ほどが経ってしまいました。
uragojp様、遅くなって申し訳ありません。拙い画ですが山紫陽花、描いてみました。

 一枚目は、お求めになった鉢植えの山紫陽花を参考にしましたが、二枚目のバックには、長崎にお住まいで、お茶のお稽古場からご覧になれると仰る、めがね橋をあしらってみました。

 山紫陽花は、薄暗い林や沢沿いに生え、花の色は赤、青、白などがあるそうです。園芸種のような華やかさはないが、楚々とした美しい姿が魅力的だそうですね。

 少し華やかになってしまいましたが、こんなものでよろしかったら、どうぞお持帰りください。稚拙な画でごめんなさい。
2006.07.01