勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

2008-05-14 01:21:28 | Weblog
オ~レ!
 昔、自分のことを「おれ」という女性がいた。言葉遣いにも女性らしさはなかった。地方によってはそれが当たり前の地域もあるらしい。また、普段自分のことを俺と言っている知人がいた。気取って話をすると「ぼく」と言う。すかさず「ぼくって誰?」と聞くと、「おれ」という。

 子供の頃から「ぼく」といっていた僕。農村で育った僕にとって、周りからは浮いていた。東京育ちの姉たちの影響のようだ。「おれ」と言ってみたい衝動に駆られることもあった。男にとって「おれ」は男っぽさを表わす言葉でもある。大人になってから意識的に使うことはあるが、どうもしっくりしない。

 公的な場や公用文書では「私」を使うのが常識。しかし我がブログでは敢えて「僕」という。訪れてくださる方に親しみを感じていただきたいから。また、コメンテーターやコラムニストとして活躍の天野祐吉さんも、テレビでもコラムの中でも「ぼく」といっている。その影響もあるかもしれない。

「俺」
を、新たに常用漢字に入れるべきかかどうか議論になっているらしい。「法令や公用文書では、普通、俺は使わないから、いれなくてもよい」という意見と「俺、は相手との距離をはかるうえで大事な言葉であり、男性が自分を呼ぶ場合にも使う。その俺だけ仮名で表記するのはおかしい」という意見があるそうだ。言葉は人である。俺という言葉、僕の好きな言葉でもある。女性には使って欲しくはないが、「オレオレ詐欺」にもご遠慮願いたい。

キーボード

2008-05-13 00:00:07 | Weblog

 先日友人が遊びに来た。我がPCのキーボードを見て言った。「あっ、汚な~い!」。キーの隙間に入ったホコリやゴミは始末が悪い。忙しさにかまけて掃除を怠っていた。

 彼が帰ったあと、キーボードの掃除をした。キーボードを逆さにして叩くと、机の上に落ちたゴミに驚く。洗剤で絞った布でひとつひとつのキーを丹念に拭く。きれいになったキーボードは気持ちがいい。右上の丸い器具は、隙間に空気を送ってホコリを吹き飛ばすためのもので、カメラにも使用する。


 「キーボードはトイレより不潔?」昨日の朝日新聞に載った記事である。キーボードはばい菌の繁殖に好都合らしい。つい疎かになりがちな(僕だけかな?)キーボードの清掃。頻繁に掃除をしたほうが良さそうである。 

今日の我れに明日は勝つ

2008-05-12 00:00:23 | Weblog

丘のホテルの 赤い灯も
胸のあかりも 消えるころ


とんでもなく歌のうまい天才少女ひばりが
精一杯可憐な瞳を輝かせて大人たちの前で歌ったとき
大人たちは、自分たちの苦しいであろうが希望に満ちた将来に
遠く思いを馳せ生きる勇気を奮いたたせたのだ。
(文・鈴木義昭さん)
 

 美空ひばりさんの歌71曲がitunes上で世界へ配信されることになった。ひばりさんの楽曲を世界に向けネット販売するのは初めて、曲数はひばりさんの生誕71周年にちなみ、配信開始日は彼女の誕生日にあわせたという。

 
 ジャンルを問わず音楽が好きな僕。子供のころからひばりさんの歌は、聞き、歌い、身体に染み込んでいる。そして彼女が亡くなって直後に発売された、彼女のシングル版として発売されたすべての曲を納めた35枚組のCDも迷わず買い求めた。大切な音楽ライブラリーのひとつである。
 
 そんな天才歌手の歌が世界に向けて配信されることがうれしく、改めて彼女の歌を聞きたくなった。ipod が出番を待っている。

メンテナンス

2008-05-11 00:00:00 | Weblog
 我がマンションでは、避難梯子を含め、様々なメンテナンスが行われる。年に一度の雑排水管清掃工事は、台所、浴室、洗面、洗濯場などの排水口を高圧洗浄するのだが、手馴れた数人の作業員によって、数分で終った。

 人々が生活のうえで使用しているものは、どんなものでも時間とともに劣化・老朽化を生じ、やがて使用に耐えなくなる運命にある。しかし、メンテナンスによって、欠陥を早期に発見したり寿命を伸ばしたりすることが可能である。(Wikipediaより抜粋)

 歳とともに欠陥だらけになってきた我が身体、自分の意思とは裏腹に思うように動かないこともしばしば。視力の衰え、足腰の衰え、記憶力の衰え、反射神経の衰え、数え上げたらきりがない。

 今までは駅の階段など手摺りを掴まることはプライドが許さなかった。しかし、そんなこと言っていられない。近頃はしっかりと掴んで昇り降りをする。同時にできた複数の作業、これもひとつひとつ確認しながら行う。


 60年以上も使った我が身体、老朽化も仕方ない。生活習慣病もなく、食事毎に飲む薬もないことを良しとしよう。メンテナンスを心がけ、同居する貧乏神と仲良く、一病息災、いのち明朗、いのち満点。今日一日に感謝♪

弁解

2008-05-10 00:03:19 | Weblog

 どこかの料亭の女将。産地偽装が発覚したときの記者会見で、息子に囁いた言葉がマイクに拾われたときの言い訳。「マイクに声が入るとは思わなかった」

 そして何故か夫である前社長の後を引き継いで社長になった今。食べ残した料理の使い回しが発覚しての報道陣への言葉。「手をつけなかった料理は、食べ残しとは違うと思った」

 子供にも通用しないような、この馬鹿げた弁解が通用する客が、きっとこれからも利用するのだろう。利用できない者のひがみで言うのだが・・・。


花のアロマ

2008-05-09 00:04:29 | Weblog
 春の訪れを告げる花の香りが沈丁花なら、秋を感じさせる香りは金木犀。そして夏を告げる香りの代表はジャスミナム。正式名をジャスミナム・ポリアンサム、通称ハゴロモジャスミンともいうらしい。
 車道と歩道の境の植え込みに植えられたジャスミナム。辺り一面に甘い香りを漂わせ、もう夏だよといっている。
 無類の花好きの友人がいる。髭を蓄えたその風貌は、一見すると怖い職業?のお兄さん。よく見ると瞳の奥にやさしさが潜んでいる。そんな彼の愛読書は花図鑑だとか。目に付く花の名前で知らないものはない。ジャスミナムの花の名前も彼が教えてくれた。
 この花を風呂場に置くと、湯気に温められて充満した花の香りが心地よい、と教えてくれたのも彼。早速一枝失敬して試してみた。

 扉を開けるや否や、甘い香りに包まれた風呂場は癒しの空間。疲れた身体を湯船に沈め一息つくと、そこはアロマセラピーの世界。この花一鉢欲しくなった。

満天星

2008-05-08 01:26:52 | Weblog

満天の星をいただく
果てしない光の海を 
ゆたかに流れゆく風に
心を開けば
きらめく星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂(しじま)の
なんと饒舌なことでしょう

 ミスターロンリーの調べに乗せて流れる城達也のナレーションで始まる、ジェットストリームに耳を傾けながら、夢の世界に遊んだ昔を思い出させる、満天星躑躅(どうだんつつじ)。灯台躑躅(どうだんつつじ)とも書くらしい。

 鈴のような小さな花が風に揺れると、それは流れ星のようでもある。日本人が発見した、満天星(どうだんつつじ)という名の小惑星もあるそうだ。

 秋にはその葉が真っ赤に紅葉することで知られるドウダンツツジ。その花がこんなに可愛い花だということを知らなかった。さらに不思議なことに、この花がツツジ科であることにも驚く。名前が躑躅(つつじ)だから当然かもしれないが・・・♪

涙の袋

2008-05-07 00:16:41 | Weblog
 一の谷の合戦で、平敦盛と一騎打ちをし、敦盛を討ち取った熊谷直実(くまがいなおざね)は、敦盛があまりにも幼い少年であったことに衝撃を受け涙を流す。

 その後僧籍に入った直実は、蓮生(れんしょう)と名を改め、敦盛の菩提を弔う。仇を討とうと亡霊となって現れた敦盛の前には、一心に読経する蓮生の姿があった。

-クマガイソウー

◇ 涙の袋 ◇

どこに仕舞い忘れたのだろう
たまには取り出して
口紐を解いて
溜まったものを
換えたいのだけれど

どこに仕舞い忘れたのだろう
私の涙の袋

ー星野富弘さんー

 人は悲しいとき涙を流す。嬉しいときにも涙が出る。東邦大学の有田教授は、涙にはストレス解消効果があるという。涙の理由は問わないらしい。漢語辞典によると、涙には「なさけ、人情、思いやり」という意味もある。

 読経する直実の姿を見た敦盛は、極楽浄土では共に同じ蓮に生まれる身になろうと言い残して姿を消す。今度はクマガイソウと同じ仲間のアツモリソウを探しに行こう。

亀戸天神

2008-05-06 02:02:19 | Weblog
 花の盛りは過ぎたとはいえ、その香りと色はまだあせず、fujiという仕事上の源氏名を持つ僕にとって浅からぬ縁。そんな藤の花の香りと色が好き。
 多くの人で賑わう亀戸天神は、30年ほど昔、この目と鼻の先に住んでいた頃と少しも変わっていない。

 藤色は、平安時代高貴な色として愛されたというが、fuji色に高貴さははじめからなく、その色も歳とともに色あせた。藤の花って本当に藤色だ。

おだまき

2008-05-05 00:23:30 | Weblog

◇ おだまき ◇

いのちが
一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった

いのちより
大切なものがあると
知った日
生きているのが
嬉しかった

-星野富弘さん-


 囚われの身となった義経を想い、静御前は舞を舞う。その時に歌った歌「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」(しず布を織るために糸を巻くおだまきのように、繰り返す昔であったらどんなに良いことか)。

 紫色のおだまきの花言葉は「勝利への決意」「捨てられた恋人」とある。失って始めて知る、いのちより大切なもの。あなたにとってかけがえのないいのち、失う前に、もう一度見直してみませんか。いのちより大切なものがあるとき、やさしくなれます。経験から・・・♪

みどりの日

2008-05-04 00:23:28 | Weblog

みどりのそよ風 いい日だね
喋々もひらひら 豆のはな
七色畑に 妹の
つまみ菜摘む手が かわいいな

 みどりが美しい季節。木々は緑に萌え、吹く風も緑、青葉に降る雨は緑雨。緑には瑞々しいという意味もあるらしい。

 少し前まで信号の青は緑色だった。いつの間にか青信号は青色になっている。黄色い信号もオレンジ色だった。気が付くと黄色に近い色合いだ。大辞林によると、緑とは、古くは緑色から青色に至る広い範囲の色をさした、とある。

 何年か前のコマーシャル、田原俊彦さんがファンに求められ色紙にサインをする。「お名前は?」と聞くと「○○みどりです」「どんな字ですか」「こんぺきのぺきです」そのとき彼は固まった。

 「緑・碧・翠」どれもみどりだが、紺碧は深みのある濃い青色をいうらしい。紺碧の空にはこいのぼりも泳いでいる。

伊達じゃない伊達

2008-05-03 01:22:36 | Weblog
 プロテニス界に現役復帰した伊達公子選手の活躍がうれしい。松岡修造さんや伊達公子さんが活躍した時代は、真夜中の衛星中継も眠い目をこすりながら応援したものだ。

 なんとか王子とやらが次々と現れ、若い選手の台頭がめざましいプロスポーツ界。テニス界でも、今が旬の錦織 圭(にしこり けい)選手も見逃せない。そんな中、伊達選手の活躍は勇気を与えてくれる。

 テニススクールに通ったこともある僕だが、椎間板ヘルニアで4回も入院経験があり、テニスをすることは諦めた。したがって彼らの活躍をテレビで見るのが楽しみのひとつ。ましてや、二度と見ることはできないと思っていた伊達選手のライジングショット。現役復帰を知ったとき、無理はするなよ、と思ったが、この活躍はそんな心配を吹き飛ばしてくれた。

 若い選手の刺激になれば、と謙遜していた彼女だが、もう一度世界で戦う姿を見たい気もする。元世界ランキング4位は伊達じゃない。

 テニスのカウントは不思議だ。得点を0(ラブ)、15(フィフティーン)、30(サーティ)、40(フォーティ)と数える。

 この数え方には諸説あるようだが、テニススクールで教わった説は時計説。スコアボードの代わりに時計盤を使ってテニスをしていたとき、60分を4分割して、針を15分・30分・45分に指してカウントした。その名残りが今の数え方の原型だそうだ。ただし45(フォーティーファイブ)は言いにくいので、40(フォーティー)とした。0をラブというのは、卵を意味するフランス語の発音からきているとか。ラブゲームは、勝っても負けても響きがいい。

 これからも伊達選手の活躍を、ラブコールを送りながら応援しよう♪

黒いチューリップ

2008-05-02 00:23:01 | Weblog
 心無い輩(やから)による切断事件が相次ぐチューリップの花。他人の見ていないところで、か弱い花を傘でなぎ倒す男の愚かさは、憐れでもある。そんな男に限って、自分より弱いものには威張るくせに、強いものの前では小さくなるものだ。
 オランダでは、花は王冠、葉は剣、球根は財宝を表わすというチューリップ。その種類は約8000品種に上るという。鼻(花)の下が長い男をチューリップに例えることもある。僕のことではありません。

 「黒いチューリップ」は、品種改良を巡る陰謀により、投獄されてしまった青年と牢番の娘の愛を描いた小説にもなった。アランドロンの映画を見たような気もするが、全く覚えていない。

 花言葉を探してみたが、見当たらない。紫のチューリップの花言葉は「永遠の愛」だとか。「君の名は」で歌われた「黒百合の歌」は、黒百合は恋の花、愛する人に捧げれば、二人はいつかは結びつく♪と歌われた。さてこの黒いチューリップ、紫色と考えて、誰に捧げようか?

白い花の咲く頃

2008-05-01 00:25:01 | Weblog

白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日
さよならと 言ったら
黙ってうつむいてた お下げ髪

 東京は今年初めての夏日になった。30℃を超えて真夏日になった地方もあるという。暑い夏の陽射しには白い花がよく似合う。夏が好きな僕は、白い花が好き。

白い小手鞠の花は初夏の太陽に弾んでいる。
 
 赤い実がなるのにイチゴの花はなぜ白い。子供の頃イチゴは夏の食べ物だった。いつの頃からかイチゴは春の果物。

 山吹色は黄色いのに、白山吹はなぜ白い?山吹の花は5弁だが、白山吹は花弁が4枚。山吹とは属が違うらしい。

 白い花が一輪咲くのがイチリンソウ。サンリンソウという名の花もあるが、この花はニリンソウ。しかしどちらも一輪咲いたり、二輪、三輪咲くこともあるという。いつも二人は二輪草♪とは限らない。


悲しかった あの時の
あの白い花だよ