以前にもチラッと触れた「小津安二郎」というタイトルの小津本。
書評見出しの通り、ガラッと小津作品群の見方を変えてしまう凄い本だ。
小津安二郎ファンでもあった坂本龍一さんが著書「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でも「映像はモホリ=ナギにも匹敵する構成主義的な美しさがある」と評している通り、隅から隅まで無駄なく隙なく緻密な画面に心酔してきてはいたものの、引っかかりはしても答えは不明なままだった。
まさしくそれは戦病死した山中貞雄さんの視線であり、鎮魂をこめた表現だという考察は膝を打つことの連続で、昔から議論の的である「晩春」の壺の解釈も一番近い答えに感じた。
400ページに迫る分厚さと、各ページびっしりな情報量は凄まじく、遅読な自分はまだ読み切れていない(^_^;
それにしても小津映画の解釈や考察は掘っても掘っても尽きない大きく深い沼なんだなと感じさせられる...。
読後、じっくりと咀嚼して改めて感想を書きたいと思っている。
書評見出しの通り、ガラッと小津作品群の見方を変えてしまう凄い本だ。
小津安二郎ファンでもあった坂本龍一さんが著書「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でも「映像はモホリ=ナギにも匹敵する構成主義的な美しさがある」と評している通り、隅から隅まで無駄なく隙なく緻密な画面に心酔してきてはいたものの、引っかかりはしても答えは不明なままだった。
まさしくそれは戦病死した山中貞雄さんの視線であり、鎮魂をこめた表現だという考察は膝を打つことの連続で、昔から議論の的である「晩春」の壺の解釈も一番近い答えに感じた。
400ページに迫る分厚さと、各ページびっしりな情報量は凄まじく、遅読な自分はまだ読み切れていない(^_^;
それにしても小津映画の解釈や考察は掘っても掘っても尽きない大きく深い沼なんだなと感じさせられる...。
読後、じっくりと咀嚼して改めて感想を書きたいと思っている。