
女の子なのにゴンタだった私に
こんなふりふりの服を着せて
菜の花を持たせて立たせたけれど
こんなのやだ!とぐずついて
この一枚を撮るのに
大人たちは大変だったと
写真の裏に書いてあった。
というわけで
これは、超不機嫌な私三歳のポートレート。
実物はもうちょっと可愛かった・・・かも(^^;
本当は、お婆ちゃんが縫ってくれた
赤い綿入れの着物が大好きで、
夏でも脱がすのに苦労したのだとか💦
この時は、母の体調が悪くて母の実家に預けられていて、
そこにはハイミスで職業婦人の叔母が同居していて、
自分の趣味で可愛い服や帽子を買って来ては、
着せ替え人形のように私に着せていたのでした。
せっかく買って、やっと着せた服と帽子ですから
何としてでも写真を撮りたかったようです。
幼い私にとってはいい迷惑だったのでしょう。
離れて暮らす母に渡したかったのかも知れません。
叔母はいつまでもこの時のことが忘れらず、
会うたびに、「あの時はねえ~」と話していました。
背景は、新潟の山間地、田んぼの脇です。
服装がミスマッチ(^^;
これからバスに乗って町へお出かけする前の一枚です。
撮影 昭和**年 5月28日
ふりふりフリル、好きでした、母が。
戦後は、まだモンペの人もいたのに、
手縫いのフリフリを着ていました。
幼な友達が、お婆さんになってから、
着たかったわ、羨ましかったと。
叔母さまの薫陶よろしく、
今の越後美人さんの美意識があるのかもしれませんね。
叔母は自分が着れなかった分、私に可愛い服を着せたかったようです。
でもゴンタなものですから、表情は男らしい、増して不機嫌ですし(笑)
まるで男の子が女装したみたいですね~💦
つゆさんはお母さま手縫いの可愛いフリルの洋服だったんですね。
つゆさんは可愛らしくよく似合っていたのでしょうね♪
その時代にフリルの洋服は少女の憧れだったと思います。
帽子が好きなのは叔母の影響があるかも知れません。
この頃の写真はたいてい帽子を被っていますので、叔母が好きだったんでしょうね。
この帽子と服は当時としては、最高のおしゃれだったのではないのでしょうか。
嫌々ながらも、ポーズまでつけさせられて、その時はぐずられたようですが、
今となってみれば貴重な一枚ですね。
背景とのミスマッチが服と帽子のモダンさを一層引き立てていますよ。
思い出の一枚ですね。
叔母は実家暮らしの独身貴族でしたから、私にいろいろ着せることで楽しんでいたようでした。
ポーズまでつけさせられてまで我慢したのは、、帰りに良いものを買ってあげる!
とか言われてしぶしぶ納得したんでしょうね。
叔母がやっと撮った写真で、私はよい表情ではないですが、
この時撮れていなければ、こうして見ることは出来なかったですね。
当時の自分の様子が、叔母の書付けなどで分かって良かったと思います。
ははは~♪
このミスマッチが素晴らしいでしょう~
町の子が山に遊びに来たことにして下さい(^_-)-☆
その頃の越後美人さんに会いたかったです~。
お人形の様に着せ替えては楽しんでおられる小母様、越後美人さんが可愛くて可愛くて仕方なかったのでしょうね。
良い思い出の一枚を私も小母さまの気持ちで見させて頂いてます。
私にも思い出が有りますよ。 寺に嫁いだ姉が私が行くと必ず寺の隣の洋裁をしているOさんの所へ連れて行き服を頼んでくれたものでした。
父が無くなり母一人で子育てをしていたものですから姉なりに、こんな形で親孝行をしていたのでしょうね。
写真の裏に当時の事が書いてあったり叔母様に話を聞いて
3歳の幼い自分を知る事ができるなんて幸せですね。
こんばんは
何と可愛いお姫様ですこと
貴重な一枚ですね
ひらひらのお洋服を着て菜の花をもって
きちっと将来を見つめておられる姿
現在の越後美人さまを想像できるようです
お母様の実家で母性愛に恵まれてお育ちで幸せでしたね
写真はいろいろ語ってくれますね
私は戦災で全てを失っているので戦後からのもの
だから羨ましいです
思い出をありがとうございます
父が無くなり→亡くなり
変換違いに後で気づきました。
コメントも送ってしまった後でも訂正できるといいのにね。
可愛いお写真です
昔お出かけとなると必ず一張羅を着て写真を撮っていましたね
グランマまで遠い昔を思い出しています
栴檀は双葉より芳し
なかなかオシャレですね(^^)/
子供の頃から
美的センスに長けていたのですね
この時の私には女の子らしさは芽生えていなかったようです。
望んで着せてもらったのなら、嬉しくてニコニコ顔で写っていたでしょうね。
叔母も可愛いところを撮りたかったでしょうが、こんな仏頂面で悪かったなあ~と思います。
私も息子を五月飾りの前で撮ろうとした時に、息子が途中からぐずり出して、
良い表情が撮れなかったことがありました。
小さい子を撮るのは難しいですね。
たかさんのその思い出も素敵ですね✨
お姉様のたかさんを思う気持ちが伝わってきました。
そんな風に自分を大事に思ってくれる人が、傍にいたのはお互いに幸せでしたね。
そんなお二人の様子を見られて、お母様も喜んでおられたと思います。
もう少し可愛らしい表情だったら叔母もさぞ嬉しかっただろうなあ、と思います(^^;
確かに、幼い頃のことはほとんど覚えていないですから、こんな風に
写真と説明書きがあって、当時の自分の様子が分かって面白いですね。
叔母は近くでずっと見ていましたから、あれこれ知っていて
話を聞くのが楽しかったです。
姫ちゃんや僕ちゃんの登場するブログは、将来は二人の良い財産になりますね。
利休ちゃんも登場していますしね(^_-)-☆
本当に、こんなふりふりの洋服を着せられていたとは(^^;
自分は祖母の手縫いの着物が大好きだったんですから、いい迷惑だったと思います。
とは言っても、離れて暮らす母に写真を送るのに、叔母なりに
可愛らしくしたかったのだと思います。
今は、この写真を撮って、残してくれた叔母に感謝しています。
そうですね、曽祖母、祖母、伯母、叔母の四人の女性に囲まれて
愛情をたっぷり注いでもらいました。
fuyouさんは戦争で焼けてしまって残念でしたね。
親戚のどなたかの所に残っているとよいのですが・・・
たいてい皆さんは、正しく変換し直して読んで下さっていると思います。
ですから、よほど文意が変わらない限りそのままで失礼しています。
本当にね、いったん送ったコメントも修正出来たらいいですのにね。
うっかり者にはそんな機能が必要ですね~(^^;
おはようございます。
やはり子供の頃から美人さんでしたね。
当時としては本当にモダンな服だったのでしょうね。それに帽子も、本当は満面の笑みで写したかったのに・・・。ですね。
小さい頃の自分に、こんな形で会えるのは嬉しいですね。
生活に余裕のあった叔母が近くにいたものですから、
普段の様子も撮ってくれていて、今それを見ることが出来て
有難いなあ、と感謝しています。
この写真のワンセットは、きっと飛び切りの一張羅だったのでしょうね。
靴が見えないのが残念です。
まあ~そう言えば、雅子皇后陛下のお帽子に雰囲気が似ていますね。
当時はこのような形が流行っていたのでしょうか。
叔母にしっかりと話を聞いておいたら良かったなあ、と今になって残念に思っています。
この頃は独身貴族の叔母が、自分の好みで買って来ては着せていました。
それは私が長じてからも続いて、結婚後近畿地方で住むようになってからも、
帰省の折に服やらバッグやらお土産に持って来てくれました。
叔母によって都会の香りを知ることが出来て、田舎娘に良い刺激になったと思います。
すごい仏頂面で可愛い洋服が泣いていますね~(^^;
私が住んでいたのは新潟の山奥で、下の町まで歩いて1時間くらい、
さらにそこから買い物が出来る町までは、バスに乗って1時間以上かかったと思います。
そんな町まで行くのに、叔母もずいぶん張り込んだものだと思います。
こうして写真も残してくれて有難いなあ、と感謝しています。
それにしても、もう少し可愛らしい表情だったら叔母孝行だったですね~(^^;
幼稚園よりまだ幼い頃、母に箪笥のところに連れていかれて、おニューの洋服を母が出し、着てご覧といったのですが、執拗にいやだいやだと言って、母が(着たら)かわいいのにーと怒りながら嘆いていたのを覚えています。 幼稚園入園時の私の来ていた服は、吊りズボンに、ニットの簡単なネクタイをしていました。 今考えると、子供にかわいい服を着せることを楽しみにしていたんだなーと懐かしく母を思いました。
越後美人さんの幼い時の写真、当時(1960,70年代?)、カメラは高額で操作もとっつきにくく、まして女性がカメラを撮るのは、珍しかった時代だと思います。そのなかで叔母さんが、キチンといい写真を撮っておいてくださったのは、とても、貴重なことだと感心します。 前回の「バスから放り投げ」の時のお写真も、室内で、伯母さんに抱かれた越後美人さんの表情もさることながら、笑顔の伯母さんの表情も抜群です。 いいシャッターチャンスで、撮った叔母さんの気持ちまで写真に出ていました。 良かったですね、こんないい写真を残してくれて。
この時のことは何も覚えておらず、叔母の書付けで状況を知りました。
むずかるのをあやしながら・・・と書いてあって苦労したようです💦
確かに、私自身も子供の可愛い様子を何枚も撮って楽しんでいましたから、
叔母もこんな気持ちだったんだろうなあ、と想像できます。
te-reoさんのお母様もきっとそうだったのでしょうね。
でも、親が可愛いのに!と思っても子供には関係のないお話ですもんね。
te-reoさんの入園時の吊りズボンにニットのネクタイ姿は可愛らしかったでしょうね♪
その時のお母様の気持ちが良く分かります。
確かに、この当時カメラは高価でうし、まして女性が持っていることは
ほとんど無かったのでしょうね。
叔母は活動的で負けず嫌いですから、操作も頑張ってマスターしたのだと思います。
te-reoさんが仰るように、叔母が撮ってくれなければ、母の実家暮らし時代の
写真は一枚も無かったと思います。
こんな超がつく田舎で珍しいことですね。
前回の写真も叔母の撮影ですが、いつも身近にいたから撮れた写真ですね。
叔母のその時の気持ちが伝わる良い写真で、私の宝物です。
叔母に感謝です。
次回もお楽しみに(^_-)-☆