*~菱の門(ひしのもん)と姫路城天守閣~*
2月27日好古園の梅花展を観たあとで
初公開の姫路城で現存する最大の城門・菱の門
二階櫓(やぐら)(重要文化財)の見学に行って来ました。
*~ 菱の門の入り口 ~*
二階櫓は黒漆に金の装飾が施された格子窓と
火打窓がアクセントになっています。
美しさと重厚感が同居していますね。
外観だけでも見応えのある城門です。
*~菱の門・二階櫓部特別公開のパンフレット~*
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菱の門付近を拡大してみました。
菱の門を入ると
左側に広がっているのは西の丸。
家康の孫・千姫が休憩時に過ごした化粧櫓があります。
菱の門から真っすぐ伸びた道は
天守へ続く「いの門」に突き当たります。
*~ 菱の門・二階の櫓の内部 ~*
中は東・中、西の3室があります。
南面の窓から外部が見渡せます。
西室と中室では窓の真下に隠し石落としが設けられています。
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*~隠し石落としの蓋~*
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*~蓋を開けたところ~*
下を通る人がよく見えます。
ここから石を落としたわけですね。
*~火打窓~*
黒漆で飾り金具のついた美しい窓。
この菱の門に向かって来る人がよく見えます。
*~天井の太い梁~*
主要な城門であったため室内には
武器が保管されていたようです。
この度は、この菱の門と同時に
二つの所蔵品が初めて公開されます。
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*~城主酒井家家老の川合寸翁(道臣)愛用の硯~*
河合寸翁は
姫路城主酒井家家老として
姫路藩の財政赤字を救った名家老。
殖産や領民への教育などに力を注ぎ
27年かけて負債を全て返し終えたとのこと。
藩主と同様に茶人でもあったので
和菓子作りのために京都や江戸に職人を修行に行かせ
姫路銘菓「玉椿」の名付け親でもあるとのこと。
見た目もお味も上品な玉椿が
その頃からあったとは、知りませんでした。
※参考 電子じばさん館(詳しくはこちらをご覧下さい)
*~葵紋つき黒漆塗長持~*
*~黒漆塗長持の説明文~*
文字が薄くて読みにくいので下記に写しました。
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この長持は菱の門二階櫓部の東室に置かれていて
中には酒井家の資料が収納、保管されていました。
酒井家資料はもともと酒井家が所有していた近世、近代の
文書の総称で、姫路市が酒井家から資料を受け取る際、
東京からこの長持に入れたまま姫路まで運ばれたようです。
酒井家所有の長持で葵紋が描かれていることから
酒井家と徳川家あるいは松平家とのつながりが窺えます。
その具体例として
安政3年には高松藩松平家から嘉代姫(かよひめ)を、
安永3年には将軍家から喜代姫(きよひめ)を迎えています。
いずれかの嫁入り道具だったのかも知れません。
*~東室から天守方面を見る~*
*~西側には西の丸の櫓がみえます~*
北面の格子窓から城内に入る一番目の門
「いの門」が見えます。
*~北面にある格子窓~*
菱の門を出て「いの門」までに見られる
三天守の美しい姿。
左から「乾小天守」中央「西小天守」右に聳えているのが大天守。
この角度からの姫路城は均整がとれていてきれいです。
いよいよお城の足元までやって来ました。
「いの門」を抜けて中に入りました。
城門は、い、ろ、は、に・・と続きます。
ここからくねくねと曲がりながら登って行きます。
天守は見えているのに
なかなか行き着けない。
敵にやすやすと入り込ませない設計になっています。
大天守がこんな間近に迫って来ました。
*~登閣口~*
いよいよ城内に入ります。
※この菱の門、二階櫓の公開は3月12日までです。
ついでに大天守まで登ってみてはいかがでしょう。
城内の様子は次回に続きます。
素晴らしいものを見てこられましたね。
隠し石落としは城を守るために欠かせないとはいえ、
火打窓や格子窓は、これほどの装飾は必要ないようにも思えますが、
徳川家との繋がりがある城だけに、格式の高さが感じられます。
ほぼ全景を描かれた絵図を見ると、石垣のスケールの大きさもさることながら
直線と曲線の組み合わせの美にも目をひきつけられました。
さすがは天下の名城・姫路城だけあって、立派なものですね。
初公開の素晴らしいものをものを見せていただきました。
全部公開してるものだともってましたが
入れなかったとこもあったんですね
普段見られない場所に入れてラッキーでしたね
石落年のがれっきとした攻撃だったんだな
今ならボタン一つで核弾頭積ん仇だロケットが飛んでいく時代
その時代なりの最先端の武器だったんでしょうね(笑)
初めて行った時大きな城だなと感じた城
松山城も大きのですが姫路はさらに大きく感じました
はい、姫路城には何回も行っていますが、この菱の門は潜るだけでした。
あまり気にせずに潜っていて、こんなに美しい城門だったとは
今回初めて気づきました(^^;)
そうですね、黒漆塗の格子窓や火打窓などは華麗で、
城門としての機能を考えますと、ここまでの装飾は必要ないですね。
豊臣が滅びて後、家康の孫・千姫が姫路城主に再嫁した経緯から
将軍家とのつながりを考えて格式をもたせたのかも知れませんね。
姫路城は姫山の上に建てられているので、その起伏を利用しているようです。
俯瞰図は全体像が分かって興味深いですね。
初公開の菱の門の見学はとても有意義でした。
また別な箇所で初公開があれば見てみたいです(^_-)-☆
そうなんです、私もそう思っていましたが、まだ公開していない所や物があるようです。
そもそも、この菱の門が二階建てとは思っていませんでした。
この門の内側には藩主の住居もあったようですから、ここは敵の侵入を防ぐ
大事な門だったのでしょうね。
石落としは原始的ですが、れっきとした攻撃手段だったんですね。
この当時では、最先端の施設だったのでしょうね!(^^)!
私は残念ながら、松山まで行ったことがありますが、美術館には行ったのに
松山城には行けてなかったんです💦
今なら絶対お城には行きますけどね。
因みに宇和島城には行きましたよ(^_-)-☆
姫路城は子どもの頃に遠足で行き、
若い頃にも行ったことがありますが、詳細は何も覚えていません。
優雅で綺麗なだけのお城ではないのですねえ。
次回も楽しみにしています。
私が初めて姫路城に出会ったのは、高校の時の修学旅行でした。
美しい姿は見学したのですが、なにせ大勢ですから、中の見学はしていなかったのです。
その後、当地に来てから入城して見学したのは今回で三度目ですが、
詳細はzooeyさん同様詳細は、過去二回のことはほとんど覚えていません💦
今回は三度目、ようやく詳細な事柄に目が向いてきた感じです。
この菱の門は、今まで何気なく潜っていましたが、こうして見せて頂いて
歴史的なことなども学べて楽しかったです。
優雅なお城ですが備えはばっちりのようでしたよ(^_-)-☆
姫路城…何十年も前行きました。
駅に降り立ち、城を目指して歩き始めたことをよく覚えております。
中々着かず閉口しました。
かなりゆっくりと見て回りましたが、今ではすっかりお返ししてしまい、何一つ覚えておりません。
もう一度行きたいお城です。
改修後は、まだ、行ったことがありませんが、綺麗になりましたね(^_^)
ほんと、白鷺を見ているようです(^-^*)
次回の紹介も楽しみです(^_^)
私は、お化粧直ししたばかりに行ったのですが・・・
tyako様のおっしゃる通り、駅から至近に見える割には遠くて
到着した時にはすでに疲れてしまいました。(笑)
城内はおっしゃる通り敵の襲来に備えて守備万端で固められて
天守閣に着く迄がうねうねと大変だった記憶です。
今、振り返っても、本当に広大で立派なお城ですネ。
菱の門は特別公開なのですネ。
地元にお住まいだからこそ拝見できる特権ですネ。
そうですね、駅の正面に聳えていて、すぐそこにあるかに見えますね。
歩いたら20分はかかります。
初めての方はもっと時間がかかったように感じたと思います。
お城の様子は次回アップしますので、ご覧になって思い出されることもあろうかと思います。
大天守からの眺めは、何と言っても桜の頃がきれいですから
その頃に来られますことをお勧めします(^_-)-☆