ELFじ~さんのほっつきある記(キャンピングカー アラモのたび)

アラモで走る無計画のたびと車中泊。たび先で温泉を楽しみ、ちょっと山登りと自転車。あとは快適化、ときどきじ~さんの日常。

萩市内を自転車で回る(2015/11/19)

2015年11月19日 | 2015/11 中国地方西部のたび
 道の駅の裏手は魚の卸売市場でその向こうはすぐ萩漁港だ。この地の利で「しーまーと」というわけだが、現実にはかなり期待はずれだった。



 世界遺産「明治日本の産業革命遺産」として萩市が注目されている。構成資産として萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾、萩城下町の5箇所があるが、城下町という広いエリアがを見て回ろうとすれば自転車が最適だ。
 そういうことで道の駅「萩しーまーと」から自転車で出発。

 最初に近くにある恵美須ヶ鼻造船所跡から。ここは道の駅から小さな湾をはさんで反対側にある。当時のそのままの防波堤とその内側に造船所の跡地があるわけだが、造船所跡は発掘中だった。







 ここでは1856年から2隻の洋式帆装軍艦を完成させている。

 次は萩反射炉。この小さな丘の上にある。それにしても宝くじ売り場が邪魔だなあ。





当時作られた反射炉はいくつかあるが、現存するものはここと伊豆韮山の2つだけ。この反射炉は試験的に運転された所までで、実用にはならなかったようだが、見よう見まねでこんなものまで作ってしまう幕末期の長州人のバイタリティに感心した。

 それにしても世界遺産にならなかったら、とてもここには来なかっただろうな。

 次は2度目か3度目の松下村塾。





この8畳が講義室ということだが、ここで松陰に学んだ人は90人余りだそうだ。しかも1年そこそこの期間だ。それを知るとなおさら狭く感じる。

 ここから松蔭神社の南側を回り込んで東光寺まで行ってみた。途中の道はゆるやかに曲がっていて少し登り坂。途中に伊藤博史の旧宅や松陰の叔父で松下村塾の創始者の玉木文之進の旧居などがあり、萩焼の窯元が点在する。







この東光寺は毛利家の菩提寺で入口にある朱塗りの総門とその内側にある三門ほか鐘楼、大雄宝殿が国の重要文化財だ。

 ここで昼食を食べてから一旦クルマに戻って卸売市場の駐車場の隅に行って充電運転をする。その間ちょっと肉じゃがを作っておく。

 14時くらいから萩城下町に出発だ。まずは萩城址に行ってみた。天守閣があるわけでもないのに入場料がいるようだ。それならば石垣を外から見るだけで十分だ。





入口をちょっとかすめて城郭から出てきた。その先にあるには旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。萩に現存する武家屋敷のなかで最大の大きさだそうだ。



塀の内側に長屋があるのではなく長屋の外壁が塀の役割をしている。親戚筋ではあるしまあ合理的といえばそうだな。

しばらく上士の屋敷のエリアの堀内をぐるぐると走って回った。いやあ、なんと広いエリアに屋敷も広い。







その広い屋敷の敷地には夏みかんがたくさんの実をつけている。



この赤い門は永代家老であった福原家の萩上屋敷の表門だそうだが、内側は竹やぶになっていて建物はない。

 堀内から出て町家、中士・下士の居住していたエリアに出る。こちらに来ると道が少し狭くなって、屋敷も狭くなっているようだ。





高杉晋作の生家は大人気だ。



商家の代表で藩の御用商人を務めていた豪商・菊屋家。これは大きい。

 あちこち走り回ってクルマに戻った。ゆっくり走っていたので疲れはあまりない。
すぐに出発して道の駅「萩さんさん三見」にやってきた。萩からここまでは山陰道の無料区間を走って、ここは明石ICを出てすぐの所にある小さな道の駅。駐車場はすべて左前下がりで車中泊にはあまり向いていない。



本日の走行は13.2キロ、燃費は9.2Km/Lだった。



 さあ、夕食は肉じゃがと昨日の大根料理だ。

 



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