道の駅「うき」で野菜やお昼ご飯と晩ご飯まで買ってゆっくり目に北に向かう。今日は取り敢えず「水辺プラザかもと」に行って温泉に入ろう。到着したらここは今年の11月に道の駅に登録されたとのこと。ここは以前から車中泊の適地として有名なところだったようだ。

なるほど、駐車場は広くて平ら、田舎なので静かだし温泉も300円とあって安い。物産展もそこそこの品揃えだ。
これなら人気があるはずだ。ただメインの道からは少し寄り道になる。
着いてからここで車中泊してもいいかなと、お昼を食べてから気持ちのいい天気の中をゆったりと散歩をしていた。

のんびりしていると、親族の不幸の知らせが入ってきた。行程を考えると葬儀には間に合うように帰れそうだ。急いで温泉に入ってから出発した。
今日は道の駅「いとだ」まで。
本日の走行は162.9キロ、燃費は10.4Km/Lだった。


なるほど、駐車場は広くて平ら、田舎なので静かだし温泉も300円とあって安い。物産展もそこそこの品揃えだ。
これなら人気があるはずだ。ただメインの道からは少し寄り道になる。
着いてからここで車中泊してもいいかなと、お昼を食べてから気持ちのいい天気の中をゆったりと散歩をしていた。

のんびりしていると、親族の不幸の知らせが入ってきた。行程を考えると葬儀には間に合うように帰れそうだ。急いで温泉に入ってから出発した。
今日は道の駅「いとだ」まで。
本日の走行は162.9キロ、燃費は10.4Km/Lだった。

20日に帰ってきてから18日以降の分を投稿する羽目になった。実は18日の朝からモバイルルータの調子が悪くネットにつながらなかった。ルータの設定画面までは入れるが、リセットしても回復しないので後は帰ってからのことになった。
以下18日分。
今日はいい天気だ。数日悪天候だったので、すこし自転車で走ってみたい。13日は大矢野島の西海岸を走ったので、今日は東海岸に出て維和島に行ってみることにした。


この天草四郎メモリアルホールの横を通って走っていくと広いレタスの露地栽培の畑に出てきた。収穫を終えたもの、収穫真っ最中のもの、まだ小さいものなど時期をずらした畑が並んでいる。


その先に野牛島に渡る「西大維橋」が見えてきた。なんだかちょっとした川を渡る橋のような感じだ。
橋の中間あたりから内海を見ると静かだ。

野牛島は小さな島ですぐに通過してこちらは「東大維橋」で、吊り橋だが主塔に向かって斜めに進入する珍しい形になっている。

次に橋の中央部からの眺望で、左奥に天草第一橋が見えている。更に渡りきって維和島に降りてきたところ.


ここから島を左回りに走る。

走っていくとあちこちに海を仕切った養殖池が並んでいる。ここで車海老の養殖をしている。この島は車海老養殖の発祥の地だそうだ。

維和島の南端まで走ってから戻ってきたら1時間半の走行だった。ちょっと風が冷たかったが、できるだけ坂道のない所を選んだので気持ちよく走ることができた。
お昼を食べてから出発だ。天草を後にして世界遺産三角西港に行ってみよう。
駐車場に入って目の前が「浦島屋」。小泉八雲が立ち寄った当時の旅館を写真を元に平成4年に復元したそうだ。


内部は1階も2階もがらんどうの大空間で、旅館なら客室などの部屋があったはずだが、外観だけそれらしく出来ていればそれでいい。中ではカフェと貸衣装を着て写真を撮るようなことをしていた。
これからが歴史的建造物で、まず「龍驤館」。

大正7年に明治天皇即位50年記念事業として建設された。内部では三角西港の歴史を案内するパネルなどがあった。
ついで「排水路」と排水路にかかる三の橋。



すばらしく立派な石積みの排水路が街を囲むようにぐるりと廻らされている。
次に「旧三角海運倉庫」で明治20年の建築。

当時は同様な倉庫が埠頭に面して数多く並んでいたそうだ。現在はレストランだった。
次は「旧三角簡易裁判所」で、その次の「旧宇土郡役所」と共に排水路の外の一段高い所にあって、石段を上がっていく。


簡易裁判所は大正9年から平成4年まで現役として使われていた。

こちらの旧宇土郡役所はいかにも日本式洋風建築で明治35年の建築。
最後に港のメインは石積みの埠頭。

優美な曲線をきっちりした石積みでコンクリート造りにはない柔らかさがある。この三角西港は当時の船舶の規模をもとに、水深や波などの条件を満たすものとして現在の国道57号線とセットにして建設された。当時は水深のあるところに防波堤を作って港にするわけにもいかないので、ここのように島が防波堤になる場所を選定したわけだ。ところがその後に土木技術の進歩によって利便性の高い三角港ができたために、この三角西港はあまり使われなくなった。そのため昔のままの姿で残っているということだろうと思う。
それにしても、こんなに素晴らしいものがまとまって残っているとは知らなかった。世界遺産になって初めて知る歴史散歩という感じかな。
さあ国道57号線を進んでいくと道の駅「宇土マリーナ」。ここは海側を埋め立てて作ったのだろう。本物のマリーナの横に道の駅という感じだ。国道57号線に面しているのでちょっとうるさいかな。

売店には野菜や海産物、惣菜類など一応そろっている。
ここから国道を少し走ると「住吉海岸公園(長部田海床路)」という看板がある。ここに海に消える道がある。潮が引くと道路が現れて沖の漁業施設(漁港)に行くことができるが、満ちたときは送電柱が海に並ぶという面白い景色が見られる。


今日は道の駅「うき」で車中泊して、明朝買い物だ。
本日の走行は44.4キロ、燃費は10.7Km/Lだった。

以下18日分。
今日はいい天気だ。数日悪天候だったので、すこし自転車で走ってみたい。13日は大矢野島の西海岸を走ったので、今日は東海岸に出て維和島に行ってみることにした。


この天草四郎メモリアルホールの横を通って走っていくと広いレタスの露地栽培の畑に出てきた。収穫を終えたもの、収穫真っ最中のもの、まだ小さいものなど時期をずらした畑が並んでいる。


その先に野牛島に渡る「西大維橋」が見えてきた。なんだかちょっとした川を渡る橋のような感じだ。
橋の中間あたりから内海を見ると静かだ。

野牛島は小さな島ですぐに通過してこちらは「東大維橋」で、吊り橋だが主塔に向かって斜めに進入する珍しい形になっている。

次に橋の中央部からの眺望で、左奥に天草第一橋が見えている。更に渡りきって維和島に降りてきたところ.


ここから島を左回りに走る。

走っていくとあちこちに海を仕切った養殖池が並んでいる。ここで車海老の養殖をしている。この島は車海老養殖の発祥の地だそうだ。

維和島の南端まで走ってから戻ってきたら1時間半の走行だった。ちょっと風が冷たかったが、できるだけ坂道のない所を選んだので気持ちよく走ることができた。
お昼を食べてから出発だ。天草を後にして世界遺産三角西港に行ってみよう。
駐車場に入って目の前が「浦島屋」。小泉八雲が立ち寄った当時の旅館を写真を元に平成4年に復元したそうだ。


内部は1階も2階もがらんどうの大空間で、旅館なら客室などの部屋があったはずだが、外観だけそれらしく出来ていればそれでいい。中ではカフェと貸衣装を着て写真を撮るようなことをしていた。
これからが歴史的建造物で、まず「龍驤館」。

大正7年に明治天皇即位50年記念事業として建設された。内部では三角西港の歴史を案内するパネルなどがあった。
ついで「排水路」と排水路にかかる三の橋。



すばらしく立派な石積みの排水路が街を囲むようにぐるりと廻らされている。
次に「旧三角海運倉庫」で明治20年の建築。

当時は同様な倉庫が埠頭に面して数多く並んでいたそうだ。現在はレストランだった。
次は「旧三角簡易裁判所」で、その次の「旧宇土郡役所」と共に排水路の外の一段高い所にあって、石段を上がっていく。


簡易裁判所は大正9年から平成4年まで現役として使われていた。

こちらの旧宇土郡役所はいかにも日本式洋風建築で明治35年の建築。
最後に港のメインは石積みの埠頭。

優美な曲線をきっちりした石積みでコンクリート造りにはない柔らかさがある。この三角西港は当時の船舶の規模をもとに、水深や波などの条件を満たすものとして現在の国道57号線とセットにして建設された。当時は水深のあるところに防波堤を作って港にするわけにもいかないので、ここのように島が防波堤になる場所を選定したわけだ。ところがその後に土木技術の進歩によって利便性の高い三角港ができたために、この三角西港はあまり使われなくなった。そのため昔のままの姿で残っているということだろうと思う。
それにしても、こんなに素晴らしいものがまとまって残っているとは知らなかった。世界遺産になって初めて知る歴史散歩という感じかな。
さあ国道57号線を進んでいくと道の駅「宇土マリーナ」。ここは海側を埋め立てて作ったのだろう。本物のマリーナの横に道の駅という感じだ。国道57号線に面しているのでちょっとうるさいかな。

売店には野菜や海産物、惣菜類など一応そろっている。
ここから国道を少し走ると「住吉海岸公園(長部田海床路)」という看板がある。ここに海に消える道がある。潮が引くと道路が現れて沖の漁業施設(漁港)に行くことができるが、満ちたときは送電柱が海に並ぶという面白い景色が見られる。


今日は道の駅「うき」で車中泊して、明朝買い物だ。
本日の走行は44.4キロ、燃費は10.7Km/Lだった。
