青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

大阪・戦後と昭和の終わり

2021-11-03 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪・梅田でみんなが1番記憶に残る場所と言えば、阪急百貨店前の目抜き通り、グランドビル前の景色かも知れません。しかし、僕が1番記憶に留めている場所は、阪神百貨店前の地下広場です。

昔は汚い場所でした。梅田の阪急・阪神・JR・地下鉄(西&東梅田駅・梅田駅)と、6つの駅への分岐点でした。

宝くじ売り場があり(ここが大阪で1番当たりが出る場所でした。ここから現在の駅前第四ビル前に移動しました。)、新聞雑誌を売る簡易売店があり、靴磨きがいて、乞食が座っていた場所です。

おばちゃんが柱を背もたれにして、ビール瓶ケースを並べた上にべニア板を置き、その上に新聞・雑誌を並べただけの、販売許可が下りているのかどうか分からない新聞の簡易販売所や靴磨き等が、1980年頃、一斉に撤去・立退きになり、この場所から乞食や浮浪者も一掃されました。

同時にこの時期、大阪駅前第四ビル建設に伴い、大阪駅前最後の戦後の名残、闇市後も立退き・整地となりました。大阪駅の手荷物預かり所、田舎から出て来た人達が「ふとん」や「大きな引っ越し荷物」を列車で送る場所も廃止されました。(阪急からJR大阪駅への横断歩道~通りゃんせが流れていた~の横にありました。)

これで大阪駅前の戦後が終わった・・そう親父が言っていたのを覚えています。

このおばちゃんが、何をしているかが分かりますか?

実は回数券のバラ売りです。回数券は10枚セットで買うと、11枚付いてくるので、全部バラで売れば1枚分の利益が出る。そんなセコイ!と思われるかも知れませんが、1日に物凄い数を売っていたのかも知れません。別に安くならなくても、大阪の人は親切心で「困っているんだろうな」と、このおばちゃんから地下鉄や阪急、阪神の乗車券を買っていました。

それが今ではこのように綺麗になりました。戦後からつい数年前まで、不法にこの辺りに出店していた飲食店なども立ち退きとなりました。時代がどんどん変わって行く。ただ、気になるのはその中で、街から活気が減って行くというか、「人」がどんどん少なくなっていることを感じます。例えば駅員さん、巡回中の警察官。

防犯カメラやいろんな装置が開発されますが、ホームに車椅子の乗客の手伝いに駅員が行く度に、改札口から駅員がいなくなる。交番に行っても、御用の方は・・と電話だけがある交番。何かが起きた時に、すぐに困るような街になりました。確かにその代わりに携帯電話があり、すぐに手元から110番や119番は出来るようになりはしましたが・・・。