懐かしい写真です。こんな風景は、見たことが無い人の方が遥かに多いと思います。今では当たり前のようにある高速道路。名神や東名高速は東京五輪開催で整備されましたし、大阪を代表する阪神高速は、1970年の大阪万博で整備されました。
これは阪神淡路大震災の復興の光景ではなく、昭和41年(1966年)撮影の、阪神高速11号池田線の建設中の様子です。
大阪万博の開催に向け、大阪国際空港と大阪市内を結ぶ幹線道路と高速道路の工事が始まった当時で、写真は豊中市原田元町にある梨井橋から撮影。
もともとは空港と大阪市内(国道2号線歌島橋)を結ぶ、通称「歌島線」で、ここは万博の為に整備されるまでは何と、砂利道でした。
現在の光景と比べると、昔の方が周囲に何もないので、橋脚が遥かに大きく見えます。
昭和40年代、田舎から親戚が大阪に遊びに来るたびに、夜の空港線を大阪市内に向かって走り、環状線を1周して帰って来るというドライブを楽しんだものです。
特に中の島辺りの夜景は美しく、中之島分岐と出入橋出口の間で、朝日新聞ビルの中を貫通していた地点は、未来都市のようで皆が驚いたものです。車の渋滞がまだまだ無かった時代が、とても懐かしいです。