今週火曜日に、1970年に大阪万博が開催された、現在の万博公園に隣接するエキスポランドが閉園するというニュースが発表されました。
ジェットコースターの脱線事故で乗客1人が死亡、12人が負傷した大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」を運営するエキスポランド社は、再建を断念し、閉園することを決定。再開を目指して探していた支援企業が見つからず、事故で悪化したイメージの払しょくも困難と判断したのが閉園の理由。同社によると、9日の取締役会で断念を最終決定し、大阪地裁に民事再生手続きの廃止を求める上申書を提出した。従業員約30人には、既に解雇の方針を伝えているという。
「エキスポランド閉園にあたり」
株式会社エキスポランドは2月9日、事業の継続が困難であると判断し、破産手続きの申し立てを行いました。
35年間の長きにわたり、万博記念公園の活性化ならびに発展に少なからず寄与いたしましたことを自負しておりましたが、平成19年5月5日に引き起こしました脱線事故により、一人の尊い命を奪い、多くの乗客の皆様を負傷させましたことは弁解の余地のない痛恨事であり、改めてお詫び申し上げます。
万博開催期間中を含め、35年間で8300万人の大勢のお客様をお迎えいたしました。大阪府民の皆様をはじめ、多くのお客様の憩いの場として愛され、ご支援を賜りましたことに心から感謝と御礼を申し上げます。
また今まで、一方ならぬご厚情、ご協力を賜りました独立行政法人日本万国博覧会記念機構様をはじめ、関係各位の皆様に対しまして、お詫びと御礼を申し上げます。
エキスポランドは閉園いたしますが、今後もこの場所が万博記念公園内のレクリエーションゾーンとして、三世代が楽しく集えるような場所として、ご発展されますことを心から祈念申し上げます。
35年間の長きにわたり、ご支援ご協力を賜りましたことに、改めて心から御礼と感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。
平成21年2月10日
株式会社エキスポランド
取締役社長 清水 忠一
これはさすがにショックです。僕が高校~大学生のデートに。そして子供が生まれてからも何度も利用した、大阪の北摂の有力なスポットだったからです。最近映画がヒットしている「20世紀少年」でも、大阪万博がその中に登場したので、若い人もご存知でしょう。開園当時、ダイダラザウルスと名付けられたジェットコースターは、日本最長と話題になったものです。
また昭和46年にTV放送が開始した「仮面ライダー」では、怪人・死神カメレオンを迎えて、仮面ライダーのロケも行われた場所です。藤岡弘が主演していた旧1号ライダー編での番組オープニング。ライダーが長い階段を、愛車のサイクロン号で突っ走るシーンは、このエキスポランドの園内の道を走っているシーンです。藤岡弘のこのバイクアクションは吹き替えなし。ジェットコースターの線路上での格闘シーンも、吹き替えなしで撮影されました。当時小学生だった私も、そのロケを見に行き、アクションの凄さに驚いたものです。「探偵!ナイトスクープ」を公開放送している大阪・福島区の大阪タワー(朝日放送)での「ウルトラマン」のロケも見に行った私ですが、ライダーのロケは臨場感溢れる迫力あるロケでした。
そんな思いで溢れる、しかもいつも賑わっていたエキスポランドが閉園というのは、信じられないニュースでした。
この70年の日本万国博覧会の跡地に、現在も「太陽の塔」が残っていますが、その万博公園と道路1つ隔ててあるのが、エキスポランドだったのです。当時はここがどれだけ大阪の北摂の開発に役立ったのかは測り知れません。今では渋滞が当たり前の新御堂筋も、この当時は絶対に渋滞しないという触れ込みでした。千里ニュータウンは、多くの労働者が住む一大ベッドタウンとして、社会の教科書にも載っていました。しかし今では老人が住む、老朽化した団地になっています。身体が不自由なお年寄りには、団地の階段はきつい。エレベーターも車椅子用の道もなく、再開発の問題を抱えています。
小学校の時には5回は家族で万博に行きました。田舎から出てきた親せきを案内して、僕だけは更に2回行っています。サウジアラビア館で砂漠の砂を貰ったり、カナダ館では国旗を象ったピンバッジを貰いました。アメリカ館やソ連館では嫌と言うほど並びました。今でも多くのパビリオンを記憶していて、絵に書くことも出来ますが、思うことは今行けば、もっと楽しめたに・・・ということです。この当時のスタンプは今でも持っていますので、また公開します。
あの万博で僕は初めて黒人を見ました。同時に世界のいろんな人種の人々を見たのです。今ならパビリオン見学だけでも面白いでしょう。各国の文化を学べたでしょう。でもそれ以上に英語を話して多くの人と話が出来た。そして友人を作れたと思います。行くたびに我が家に宿泊させてもいいと思えるような友人を見つけ、招待していれば、どんなに大きなネットワークを作ることが出来るでしょう。
そういう「思い出の地」が、また1つ失われます。