スプラッター映画ブームの中、僕がビデオ屋を辞めようと思った「きっかけ」が、この業界に起こりました。競争の激しいレンタルビデオ店の生き残り合戦が始まったのです。
ちなみに当時のシフトは朝11時~18時と、18時~午前2時までの2部構成。お金が必要な人は11時から夜中2時まで入り、これを「通し」と呼んでいました。午前2時を過ぎてから、プールバーや、喫茶店に行く事もありました。月次の締めでコンピュータのデータを取る月末日は、店を閉めてから作業を開始するので、朝6~7時に作業終了となります。この月末日に朝11時から翌朝7時まで働き、3時間ほど寝てから月初の1日に、また「通し」をするという貧乏人(笑)がいました。遊びのお金を作りたい連中がそういう無茶をしたものでした。時給は下は500円から。僕で1,000円+交渉して歩合を取っていました。ビデオ屋で、現場仕事並みのバイト代を稼いでいました。
アダルトに対抗し、ホラー映画ブームに乗って輸入ビデオで成功し、店内の売上比率を変えることに奮闘していたのですが、これは所詮個人の趣味の延長であり、経営という点から見れば子供みたいなものでした。それがイヤでも分かることが起きました。客の取り合いをするほどビデオ店が増え過ぎ、生き残りを賭けた競争の時代に入ったのです。
そこで出て来たのが、「海賊版」だったのです!まだ日本では劇場公開もされてない作品を、輸入ビデオで仕入れ、それを大量にダビングしてレンタルする。もしくは販売する店もありました。そして暫くすると、その輸入盤に、字幕を打ち込んだものまで1部のレンタル店に出回り始めました。そして次には劇場にカメラを持ち込んで撮影した映画を、そのままビデオにしたものまでもが出回り始めたのです。これなら字幕入りです。画像は最悪に近く、カメラの前を人が横切る事もあります。しかし劇場に行かなくても見ることが出来るのです。これは客を呼びました。「E.T」「トップガン」「エルム街の悪夢」「コマンドー」「ロッキー4」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などがその対象作品でした。
その上を行く店も出ました。アダルトの無修正。つまり裏ビデオのレンタルを開始した店までもが登場したのです。勿論販売を裏でする店もありました。これはもう完全に違法行為で、警察も目をつぶることが出来ない。完全に1線を超えたのです。私の店では、レンタル協会が、直輸入したホラー映画に注意をするだけで済みましたが、その後、オーナーから海賊版を扱うという、時代に逆行した命令が出ました。この場合、もし警察が入れば、アルバイトと言えども、知らなかったではすまされず、法律で裁かれることになります。そこで私は海賊版の扱いをスタートする前に店を辞めることにしたのです。
海賊版や裏ビデオが扱われる事によって、怪しげな経営者の店が実際に出て来ていたので、それらと競合することに嫌気もさしていました。
ビデオ屋での大切な仕事に、延滞金の取立てがあります。延滞金が全額貰えなくても、商品を回収しなくては損をしてしまいます。電話してもなかなか通じない家が多く、どうしても勤め先に電話することになるので、トラブルも発生しました。アダルトの延滞客で、延滞料金10万円なんて客もざらで、しかも開き直る。誠意ある態度で相談してくるお客には、商品の返却+値引きした延滞金で済ませましたが、1円も払わないという輩には手を焼きました。他店の取立て係りの人間と、同じ延滞客の所に鉢合わせで行ったこともありますし、その筋の所にも取り立てに行った事があります。
仕事ですから相手を選んでいられません。他店はそういう取り立て係に、ボクサーを雇ったりしているところもありましたし、示談屋が出る時もありました。結構修羅場も経験しました。今でもあまり思い出したくありません。レンタルビデオの返却で揉めて、会社を辞めなくてはならなくなった人もいるのです。借りたものは返す。当たり前のことはお金だけではないのです。でも非合法な手段を取るお店もあり、これは嫌でした。返却を何十日も放置し、延滞金を求められても払えない貧乏人と、その訴訟で儲けようと言う弁護士、示談屋、悪徳な経営者の店が関係した泥沼の世界は、僕のような学生には関係の無い世界だったのです。ここで僕のレンタル店での店長のバイトは終わりました。
暫くして散髪屋で「どこどこに沢山ビデオを置いたビデオ屋が出来てるよ」と言う話を聞きました。お店は広いし品揃えは豊富。何より店が明るくて暗いイメージがないのです。他店では見ないようなプロレスビデオまで置いてある。スポーツや音楽ビデオも充実していました。アダルトは一見しただけではどこにあるのか分からない。誰でもが気軽に入ることの出来るお店だったのです。そして破格のレンタル料金2泊3日330円!あり得ないような値段でした!これが現在のTUTAYAの前身の蔦谷(つたや)だったのです。レンタル業界の黒船でした!蔦谷はどんどん店舗が出来、その近所の店は軒並み潰れて行きました。圧倒的な在庫量、特に新作の本数には太刀打ちが出来ないのです。通常の店で3本も入れば多い新作が、棚1列にズラリと並んでいるのです。誰でもこちらに行くでしょう。
蔦谷ではビデオレンタルだけでなく、CDレンタルもあり、1つの店舗でビデオとCDレンタルが出来るというのが、この後当たり前になって行きます。本の販売まである店舗も登場します。そして斬新な1週間レンタル・システム!瞬く間にレンタル業界を制圧してしまったのです。カウンターには明るい女性店員。アダルトも置いてあるけれど、目に付かない配慮。これは資金力豊富な会社で無ければ出来ない芸当でした。この大型店の業界への参入によりアオリをもろに受けたのが個人経営のレンタル店でした。個人オーナー達はこの商売は当たると、何の計画性も無く、タケノコのように店舗を出して来ましたが、そういうお店の顧客がみんな、蔦谷に足を運んで行くようになったのです。話題の人気作品を、一気に30本ぐらい棚に並べてしまう巨大な資金力の前に、力のないお店からバタバタと店をたたみ始めました。
CICビクターが旧作セルビデオを3,800円の低価格で発売。他社も追従し、ビデオはレンタルから買う時代へ変革して行く流れを見せ出しました。その上、潰れたレンタル店から流れた「レンタル落ちのビデオ」が、中古店を埋めつくしました。しかし販売ビデオの流れは止まります!
同じ買うなら高画質のレーザーディスク!そうLDが登場したのです。しかしLDは作品数がビデオには到底及ばず、松下―ビクター連合軍のVHDとの戦いにも勝利を収めたものの、蔦谷のレンタルの牙城を揺るがすまでには至りませんでした。LDの家庭用プレーヤーは録画のできない再生専用機で、かつソフトは販売専用という戦略をとり、末期の一時期を除いてレンタルは全面禁止だった為、これらの要因によりLDプレーヤーの低価格化が加速せず、普及率はビデオテープレコーダ(VTR)に遠く及ばなかったからです。
後年、LDのレンタルが許可された時には、LDさえ取り込まれ、TUTAYAでレンタルされるようになったのです。LDはレーザーカラオケの分野においてはシェアを伸ばしましたが、遂にビデオテープと共に、主役の座を追われます。DVDの登場です。今ではレンタルビデオ店ではなく、レンタルDVD店になってしまいました。
家庭における再生機器も、DVDデッキや便利なHDDデッキなどが登場し、かつては夢にまで見たビデオデッキは姿を消しました。DVDにはアダルトソフトもあり、勿論好調なセールスを記録しているようです。
(終わり)