梅田の真ん中の景色が、昭和・平成・令和でどう変わって来たかが良く分かる光景がここにあります。
梅田東小学校をご存知ですか?明治8年に創立の梅田東小学校の裏通りの、昭和40年頃(1965年)の写真です。
この道路を写真奥に進むと、阪急梅田駅のちょうど正面に着くので、抜け道として利用したり、写真にあるように路上駐車の場所としても使われていました。(勿論駐禁!)
梅田東小学校は児童数減少によって、平成元年に曽根崎小学校と統合、大阪北小学校と称し、曽根崎小学校の校地に移転しました。
この平成時代の写真の時は、大阪市の生涯学習の場「梅田東学習ルーム」となっていました。
そして現在はこういう風景になっています。令和の現在の光景は、昭和~平成の時とは全く同じ場所とは思えません。
上は昭和の時代の梅田の地図です。現在の「飛天」の前にはスケートリンクもある、梅田スポーツガーデンがありました。映画館もシネコンではなく、大きな単館の劇場が現在のナビオの場所に立ち並んでいました。
これからも大都市の盛り場は、形を変えていろんな姿を見せてくれるでしょう。しかし、地方や都市周辺の町の景色は寂れる一方で、朽ち果てて行くだけという場所も増えて来ると思います。もっと人が増え、ルールやマナーが守られる明るい社会に発展して行くことを願って止みません。