風のたより

つれづれに

    輪中( わじゅう )のくらし

2008-04-14 | Weblog
「チューリップ祭り」で賑わっている同じ公園内の西隣に、立派な大きな建物が
見えました。

何かと近づいてみると、この地独特の「輪中」の生活文化を伝える江戸時代中期
頃のこの地方の比較的豊かな農家の建物でした。

「輪中」とは堤防で囲まれた集落のことで、この建物はその当時の輪中に住んだ人々
の生活を知るための展示でもあるようです。

数段ある石の階段を登って門の中に入ると、母屋の脇に水屋と呼ばれるもう一つの
建物が並んでいます。

母屋の玄関の軒下には、洪水に備えた生活の知恵「上げ舟」が掛けられています。
水害の度にこの船に乗り高台の方に避難したんでしょうね。

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輪中の家屋
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ソースはnon_nonさんよりお借りしました。

立派な母屋も水が家の中を通りぬけやすいように、北と南は障子戸とか。
次の仏間には、洪水時には滑車を使い二階に釣り上げる装置があり、この辺では
「上げ仏壇」と言われていたようです。
これも生活の知恵だったのでしょうね。

母屋よりさらに一段と高い石積みの上にある「水屋」には、洪水で避難しても数日
間の生活が出来るように食料や衣類などを保管した倉庫を作りました。
これが「水屋」と呼ばれる物です。


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画像はマウスオンです。

木曽川、長良川、揖斐川が集まったこの地域は、大昔は毎年のように水害が多く
その度に人々は大きな被害を受けていました。

行き返りに通った堤防沿いからの写真を見ても右側の長良川よりも堤防を挟んだ
左側の住居地の方が低くなってなっているのが良く分ります。
これが「輪中」と言われていた所なんですね。

明治時代に入って、木曽川、長良川、揖斐川の三川の大規模な治水事業により
水害は激減し、輪中の必要性はなくなり、いまでは昔語りとなったようです。

玄関の軒下の「上げ船」や「上げ仏壇」、そして「水屋」の様子を見ると、当時の
この地に住んでいた人々の苦労が伝わってきました。

来た時も通った長良川にかかる長良大橋を渡り岐路に着きました。