新型コロナ感染拡大真只中でも、LGBTsの悩みは待ったなし!
というわけで、12月6日(日)開催決行。キャンセルもあり6名での交流会。参加人数が少ないおかげでじっくりとテーマを掘り下げながら語り合うことができました。我が子以外の当事者に会ったことがないという親御さんには最適の場となったかも♥
日本では、2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行されて以来、性同一性障害という言葉が認知されてきたが、2013年にアメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版(DSM-5)ではgender identity disorders(性同一性障害)ではなくgender dysphoria(性別違和)という新しい診断名を用いており、最近の若い世代ではトランスジェンダーとか性別違和と自身を語る方が多い。トランスジェンダーと語る方はFTM、MTFと称されることが多く、生物学的性が如実に表れている肉体への違和感、嫌悪感が強い。性別違和の方は、生物学的性により(社会的に)認知される自分の性に居心地の悪さを感じる、あるいは性別のどちらも違う感じ、もしくはどちらでもある、真ん中みたい、稀に揺れている(時によって、年月によって)方もいたりする。Xジェンダーと称することも多い。(人により感じ方は違うので、自ずと表現の仕方も違っている)
尚且つ性的指向も様々。性的感情を持たない人もいたりするので、トランスジェンダーは、百人いれば百通り、千差万別とはよく言ったものだと思う。
けれども社会は相も変わらず性別二元論で成り立っている。自身の生物学的性に合点がいかなければ性別を変えるしかない、と思い詰めるセクシャルマイノリティの子ども達。今の生きづらさから逃れたい一念で別の性をと願う。そこで、親はたじろぐ。「一体どうしたらよいのか⁉」親は子どもを愛するゆえに、どうしたら我が子は幸せに生きられるのか、と悩み、問う。
その問いに対して、答えは自分で見つけるしかない。異性装をしながら、あるいはホルモン投与で様子を見ながら、社会の中で折り合いをつけることができるのか、やっぱりこの肉体が嫌ならば脱ぎ捨てるしかないかもしれない。
他人の目を気にせず、ありのままの自分で生きていけたら・・・、
相手が同性であれ好きな人と愛し合うことができれば・・・鬱屈せず生きられるのに。
そのためには、社会全体が、いろんな人がいていいんだ、十人十色が当たり前との多様性の意識を持つ事が大事だし、柔軟性のある社会制度であれば、セクシャリテイが何であれ、偽ることなく生きられる。
これは夢のまた夢なのか…
でも、夢の未来に向かって進んでいくつなぐ会でありたいと思う。 M