☆『ラブれたーずfrom中野』残念ながら今回で最終回となりました。もっともっと桑島さんの分析、お聞きしたかったです。男「性」が少しわかったような気がします・・(笑)最後に「お母さん」に絶大なエールをいただきました。身の引き締まる思いです(笑)ちなみに「つなぐ会」には強力な「お父さん」軍団もいらっしゃいますので、男「性」女「性」を超越して(笑)、「親」アライ軍団として来年も頑張りますよ!! あとは全国の親が元気を取り戻して、このアライ軍団の陣列に続々と加わってくださるのを期待しています!
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『YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE 』
「わたしはおかあさんこそ世界一美しい人だったと信じていますのでね。」
手塚治虫『ブラックジャック』でBJが母親と自分を見捨てて「愛人」と逃げた父親に復讐を遂げた時のセリフです。病気のために醜くくなった「愛人」の顔を父親が「世界一の美女に整形してくれ!」と依頼すると、BJは自分の身代わりに瀕死の重傷を負いそして自分たちを捨てた父親も赦して死んで行った「母の似姿」を再現するのです。
これを読んだ時に僕は「そこまで書くのか!」と思いましたが、それは図星だったからです。
「母親の鏡台をこっそり覗いて口紅をつけた体験が僕や僕のゲイ友たちにはある。」とKから聞いてハッと思いました。ゲイは男性でありながら「お母さん」になる道を選んだのかなと。因みに僕も母の三面鏡を覗きましたが、それは自分が何人も映っていてブルース・リーの『ドラゴン(強いお父さん)への道』を真似たからです。Kと僕は母の鏡の前で2つの別別の道に分かれたとも言えます。母になるKと父となり母を探し求める僕の二つの道です。
手塚治虫の『三つ目が通る』の写楽保介(シャーロック・ホームズ? 探し求める男?)は赤ん坊の時に母が死に自分の母を同級生の和登さん(ワトソン?助ける母?)に見い出します。少年漫画で許される範囲で二人は良く一緒にお風呂(産湯?」に入っています(泣)。
さてマザコン手塚治虫に対抗した宮崎駿もやはりマザコンです(泣)。『風の谷のナウシカ』でナウシカが脅えて怒るキキ(リス?)に指を血が出るまで咬ませ「恐くないよ」と痛みを隠して優しく声をかける時、さらにまた人間のエゴのせいで傷だらけの「醜い」王蟲の幼虫をナウシカ自らも大怪我をしながら「ごめんね。痛いよね。ごめんね。」と泣いて謝った時、僕は母を思い出しました。母とは家族制度の中の母親ではなく生物学的な母でもありません。例えば散歩中にチワワに近づくお母さんです。脅えてワンワン吠える我が家のチワワにお母さんは「恐くないよ」「ごめんね」と優しく声をかけて下さいました。お母さんは誰かのために一緒に泣き自分も痛みを感じてしまう方です。僕たち男性はお母さんを通じて初めて「愛」の何たるかを知ります。でもお母さんと同じ様には「愛」を表現出来ません。「触れられない」「視線を受け止められない」僕たち男性は筋力や知力や権力を持ち過ぎてしまったためにうまく「愛」を表現出来ない=「語れない」のです。男性は「強さ」を目指すゆえに「弱さ」を極度に恐れます。人前では「泣けない」のです。でもお母さんの「弱さ」は別です。女性語です。優しさ、美しさ、哀しさ、はかなさ、この世の良いものは全てお母さんの「弱さ」の中にあります。「弱さ」とはウィークネスではなくフラジャイルとかセンシティブとかピアニッシモと呼んだ方がピッタリ来る言葉です。
男性が否定語の応酬なのに対してお母さんは全面的に相手を肯定する言葉です。「みんな違ってみんないい」金子みすずお母さんは仰いました。
ピノコはBJの娘の様な存在ですが、お母さんでもあります。「醜い」ゆえに誰もが目を反らし誰もが触らないBJに全身の愛情と肯定を込めてピノコは飛び込んで行きます。BJは結構女性にもてるのですが(泣)、唯一人亡き母に変わってBJの目をみて話し頬ずりをして抱きしめ手をつなぎ袖をつかんで一緒に歩くのはピノコです。小さな小さな「押し掛け女房」は崖の上の家に来たポニョも同じですが、小さな小さなお母さんの原型でもあるのです。YOU ARE THE SUNSHINEOFMYLIFE!お母さんは僕の太陽です!
虹色の皆さん、突然ですが、今回が最終回でお別れです(泣)。僕たち男が普段隠しているマザコン=ロリコンの秘密を公開しました。そして男性の騎士道精神はここから生まれます。命をかけて女性を救うあるいは女性をLADYとして敬う精神です。BJはお金にがめついですが、お母さんが泣くとただにしていたりします。いい加減なやつです(泣)。
僕が思うにこれからアライさんを探すならお母さんです。『ラスフレ』のエリーはミチルとタケルとルカの孤独と苦悶をまるで自分のことの様に受けとめて「ごめんね。わかってあげられなくて。」と涙を流していました。お父さんオグリンは「星条旗のパンツ」がどうのこうのと言っていていましたからダメです(泣)。
あらゆる多様な性を持つ人たちがラウンドテーブル(円卓)に集まり話し合いをする時に多分男性(マジョリティ)は遅刻か早退あるいは欠席をすると思います。男性は性を語るのが苦手・下手そして不利なのです。僕は「性」をお母さんの側に返したいのです。お母さんに「性」が返ればそれは「心」と「生きる」に戻るはずです。明るく楽しく思えるはずです。
最後に「つなぐ会」のお母さんありがとうございました。雨が止んだ後で太陽が輝き虹が見える様にお母さんの涙の後の笑顔が虹色の皆に勇気を下さいます。お母さんはみんなの太陽です!
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『YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE 』
「わたしはおかあさんこそ世界一美しい人だったと信じていますのでね。」
手塚治虫『ブラックジャック』でBJが母親と自分を見捨てて「愛人」と逃げた父親に復讐を遂げた時のセリフです。病気のために醜くくなった「愛人」の顔を父親が「世界一の美女に整形してくれ!」と依頼すると、BJは自分の身代わりに瀕死の重傷を負いそして自分たちを捨てた父親も赦して死んで行った「母の似姿」を再現するのです。
これを読んだ時に僕は「そこまで書くのか!」と思いましたが、それは図星だったからです。
「母親の鏡台をこっそり覗いて口紅をつけた体験が僕や僕のゲイ友たちにはある。」とKから聞いてハッと思いました。ゲイは男性でありながら「お母さん」になる道を選んだのかなと。因みに僕も母の三面鏡を覗きましたが、それは自分が何人も映っていてブルース・リーの『ドラゴン(強いお父さん)への道』を真似たからです。Kと僕は母の鏡の前で2つの別別の道に分かれたとも言えます。母になるKと父となり母を探し求める僕の二つの道です。
手塚治虫の『三つ目が通る』の写楽保介(シャーロック・ホームズ? 探し求める男?)は赤ん坊の時に母が死に自分の母を同級生の和登さん(ワトソン?助ける母?)に見い出します。少年漫画で許される範囲で二人は良く一緒にお風呂(産湯?」に入っています(泣)。
さてマザコン手塚治虫に対抗した宮崎駿もやはりマザコンです(泣)。『風の谷のナウシカ』でナウシカが脅えて怒るキキ(リス?)に指を血が出るまで咬ませ「恐くないよ」と痛みを隠して優しく声をかける時、さらにまた人間のエゴのせいで傷だらけの「醜い」王蟲の幼虫をナウシカ自らも大怪我をしながら「ごめんね。痛いよね。ごめんね。」と泣いて謝った時、僕は母を思い出しました。母とは家族制度の中の母親ではなく生物学的な母でもありません。例えば散歩中にチワワに近づくお母さんです。脅えてワンワン吠える我が家のチワワにお母さんは「恐くないよ」「ごめんね」と優しく声をかけて下さいました。お母さんは誰かのために一緒に泣き自分も痛みを感じてしまう方です。僕たち男性はお母さんを通じて初めて「愛」の何たるかを知ります。でもお母さんと同じ様には「愛」を表現出来ません。「触れられない」「視線を受け止められない」僕たち男性は筋力や知力や権力を持ち過ぎてしまったためにうまく「愛」を表現出来ない=「語れない」のです。男性は「強さ」を目指すゆえに「弱さ」を極度に恐れます。人前では「泣けない」のです。でもお母さんの「弱さ」は別です。女性語です。優しさ、美しさ、哀しさ、はかなさ、この世の良いものは全てお母さんの「弱さ」の中にあります。「弱さ」とはウィークネスではなくフラジャイルとかセンシティブとかピアニッシモと呼んだ方がピッタリ来る言葉です。
男性が否定語の応酬なのに対してお母さんは全面的に相手を肯定する言葉です。「みんな違ってみんないい」金子みすずお母さんは仰いました。
ピノコはBJの娘の様な存在ですが、お母さんでもあります。「醜い」ゆえに誰もが目を反らし誰もが触らないBJに全身の愛情と肯定を込めてピノコは飛び込んで行きます。BJは結構女性にもてるのですが(泣)、唯一人亡き母に変わってBJの目をみて話し頬ずりをして抱きしめ手をつなぎ袖をつかんで一緒に歩くのはピノコです。小さな小さな「押し掛け女房」は崖の上の家に来たポニョも同じですが、小さな小さなお母さんの原型でもあるのです。YOU ARE THE SUNSHINEOFMYLIFE!お母さんは僕の太陽です!
虹色の皆さん、突然ですが、今回が最終回でお別れです(泣)。僕たち男が普段隠しているマザコン=ロリコンの秘密を公開しました。そして男性の騎士道精神はここから生まれます。命をかけて女性を救うあるいは女性をLADYとして敬う精神です。BJはお金にがめついですが、お母さんが泣くとただにしていたりします。いい加減なやつです(泣)。
僕が思うにこれからアライさんを探すならお母さんです。『ラスフレ』のエリーはミチルとタケルとルカの孤独と苦悶をまるで自分のことの様に受けとめて「ごめんね。わかってあげられなくて。」と涙を流していました。お父さんオグリンは「星条旗のパンツ」がどうのこうのと言っていていましたからダメです(泣)。
あらゆる多様な性を持つ人たちがラウンドテーブル(円卓)に集まり話し合いをする時に多分男性(マジョリティ)は遅刻か早退あるいは欠席をすると思います。男性は性を語るのが苦手・下手そして不利なのです。僕は「性」をお母さんの側に返したいのです。お母さんに「性」が返ればそれは「心」と「生きる」に戻るはずです。明るく楽しく思えるはずです。
最後に「つなぐ会」のお母さんありがとうございました。雨が止んだ後で太陽が輝き虹が見える様にお母さんの涙の後の笑顔が虹色の皆に勇気を下さいます。お母さんはみんなの太陽です!