☆『ラブれたーずfrom中野』第7弾、到着です。今回もまた桑島さんならではの自己分析力、そして観察力が全開です。「男同士はお互いに目を合わせない・・目と目を合わせれば勝負!」知りませんでした!!
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『オグリンをなぜ仲間外れにしたのーっ(泣)?』
虹色の皆さん、今日は男性の僕からご相談したいことがあります。冬場の授業の時に多分冷え症(ハシモト症?)だと思うのですが、暖房を付けているのにコートを来たまま震えている女子生徒が目に入ってしまうと僕はつい暖房の気温設定を上げてしまうのです。すると今度は「佐渡ヶ嶽部屋」系の男子生徒が滝の様な汗を流しながら訴える様に僕を見ました。僕は目を反らせました(泣)。
僕は「男性差別」をしてしまいました!「男女公平平等の原則」を踏みにじってしまったのです。僕の体験からも寒いより暑い方が思考力は鈍るのです。僕は女子ではなく男子の「視線を受け止める」べきだったのかも知れません。しかし男子を無視・黙殺・「着払い返送」(泣)をしてしまいました。
虹色の皆さん、僕はどうすれば良かったのでしょうか?例えば同じ状況で女性講師はどうするのか僕は知りたいのです。男性の僕とは正反対の行動を取るのでしょうか?あるいはゲイやレズビアンの講師ならどうしたのでしょうか?
ここで僕の内なる男性の生理+心理=性理を解剖してみます。講師生命を賭けて書きますが(泣)、僕の中の「エロ男爵(沢村一樹)」が女子生徒に親切だったのは否定しません(泣)。そう言えば授業中に僕は女子生徒の方を見ることが多いのです(泣)。これはゲイ友のKと話していて気がついたのですが、映画やテレビを見ている時にはKは〈性的指向〉として俳優やキャスターや司会者は男性をじっと見つめているそうです。女性陣は目に入らないそうです。僕は真逆で滝川クリステル嬢や皆藤愛子お天気お姉さんしか目に入らないのです(泣)。
虹色の皆さん、実は男性による女性差別の前に男性はまず自分=男性を差別して女性を優先しているのです。良く言えば「騎士道精神」ですが。
僕の出す例は古いものが多かったので虹色ユースの皆さん申し訳ありませんでした。さあ『ラストフレンズ』です。
僕はなぜタイトルロールにオグリンが出ていなかったのか?と素朴な疑問があります。あの歌田ヒカルの『Prisoner of Love』の切ない歌声が響く中でリストカットをして流れる赤い血の様な糸で結ばれていたのはオグリンを除く(泣)5人でした。心は「ますらお」体は「たおやめ」のルカとルカが「自分の男を隠して」愛する親友のミチルとルカを愛する女?性恐怖症のタケルそして母への叶わぬ愛をミチルにDVすることで満たすソウスケこの4人が「見えない傷を抱えるマイノリティ」として物語を引っ張って行きます。
僕が聞きたいのはなぜエリーが入っていたのか?あるいはエリーが入っているならなぜオグリンが外されたのか?です。二人ともに不倫で傷ついていたはずですし、シェアハウスに一緒に住んでた仲間でしょー(絶叫)!
さてここで先に宿題?を片付けましょう。ブルース・リーの「からだ」を熱く語る僕たち男組は傍目にはまるで「今日は男子だけで仲良くやるんだ~」の轟次郎(宮迫博之)です。女人禁制です。「やおい(腐女子)」的な解釈の誘惑ももっともです。しかしここには『ブロークバックマウンテン』や『ベント』にはある愛を表現する大切な何かが欠けているのです。それは「触れ合い(お母さん特権!)」「見つめ合い」です。男同士はお互いに目を合わせないのです。理由はシャイなのもありますが(泣)、「ガンつけたな(怒)」とケンカになるからです。目と目を合わせると勝負!なのです。ご存じでしたか?
クビにならない様に書いておきますが(泣)、僕が授業中に女子生徒を見ることが多いのは女子生徒も僕を見ているからです。女子生徒に限らず女子講師でも女子職員でも同じことです。お互いに「視線を受けとめる」時間が女子の方が男組よりほんの数秒ですが、長いのです。男子生徒・男子講師・男子職員の場合はそもそも「見つめあう」ことが無いのです。目をそらして話しています(泣)。
男組に女性を呼びたくないのは女性を蔑視・軽視・無視しているからでは無くむしろ反対です。女性がいると気を遣って(あるいは心奪われて)しまうのです。女性の方が顔と目と手に「表情」があります。従って教室でもそれ以外の場所でも僕たち男組は女性の「表情」=メッセージに一早く反応してしまうのです。エロ男爵抜きにです(泣)。
男組の会話は対決・死闘です。お互いの体に「タッチ」せず、言葉で「パンチ」です。「見つめ合い」ではなく「にらみ合い」です。誰が一番ブルースリーをわかっているのかの「勝ち抜きトーナメント」です。そこではイチローvs山本益弘の「こだわりすぎる」「小さななことの意味を見出しすぎる」「自分にルールを課しすぎる」と清原vs松方の「大きなことやろうとしすぎる」「暴れすぎる」「親分になりたがりすぎる」の「やりすぎ」=男の性(さが)が全開しています。そこではお互いを否定する語が飛び交っています。「無知!」「初歩!」「破門!」など(つなぐ会の品位を守るために下品な言葉(泣)は避けますが)、罵語卑語も出ます。それも「お兄心」は楽しいのです。『北斗の拳』で強敵(とも)と呼び、漢文では知己=真友というやつです。
さて最後に男組の最大の秘密です。お互いに仲が悪かった(強敵=とも?)手塚治虫と宮崎駿はセクシャリティを考える上でヒントに満ち満ちた作品群を残しています。作風の違う点を横に置けば実はマザコン+ロリコン=女性賛美という所では共通点があります。
虹色の皆さん、ポニョやピノコそれにナウシカとワトソンさんを思い出して下さい。
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『オグリンをなぜ仲間外れにしたのーっ(泣)?』
虹色の皆さん、今日は男性の僕からご相談したいことがあります。冬場の授業の時に多分冷え症(ハシモト症?)だと思うのですが、暖房を付けているのにコートを来たまま震えている女子生徒が目に入ってしまうと僕はつい暖房の気温設定を上げてしまうのです。すると今度は「佐渡ヶ嶽部屋」系の男子生徒が滝の様な汗を流しながら訴える様に僕を見ました。僕は目を反らせました(泣)。
僕は「男性差別」をしてしまいました!「男女公平平等の原則」を踏みにじってしまったのです。僕の体験からも寒いより暑い方が思考力は鈍るのです。僕は女子ではなく男子の「視線を受け止める」べきだったのかも知れません。しかし男子を無視・黙殺・「着払い返送」(泣)をしてしまいました。
虹色の皆さん、僕はどうすれば良かったのでしょうか?例えば同じ状況で女性講師はどうするのか僕は知りたいのです。男性の僕とは正反対の行動を取るのでしょうか?あるいはゲイやレズビアンの講師ならどうしたのでしょうか?
ここで僕の内なる男性の生理+心理=性理を解剖してみます。講師生命を賭けて書きますが(泣)、僕の中の「エロ男爵(沢村一樹)」が女子生徒に親切だったのは否定しません(泣)。そう言えば授業中に僕は女子生徒の方を見ることが多いのです(泣)。これはゲイ友のKと話していて気がついたのですが、映画やテレビを見ている時にはKは〈性的指向〉として俳優やキャスターや司会者は男性をじっと見つめているそうです。女性陣は目に入らないそうです。僕は真逆で滝川クリステル嬢や皆藤愛子お天気お姉さんしか目に入らないのです(泣)。
虹色の皆さん、実は男性による女性差別の前に男性はまず自分=男性を差別して女性を優先しているのです。良く言えば「騎士道精神」ですが。
僕の出す例は古いものが多かったので虹色ユースの皆さん申し訳ありませんでした。さあ『ラストフレンズ』です。
僕はなぜタイトルロールにオグリンが出ていなかったのか?と素朴な疑問があります。あの歌田ヒカルの『Prisoner of Love』の切ない歌声が響く中でリストカットをして流れる赤い血の様な糸で結ばれていたのはオグリンを除く(泣)5人でした。心は「ますらお」体は「たおやめ」のルカとルカが「自分の男を隠して」愛する親友のミチルとルカを愛する女?性恐怖症のタケルそして母への叶わぬ愛をミチルにDVすることで満たすソウスケこの4人が「見えない傷を抱えるマイノリティ」として物語を引っ張って行きます。
僕が聞きたいのはなぜエリーが入っていたのか?あるいはエリーが入っているならなぜオグリンが外されたのか?です。二人ともに不倫で傷ついていたはずですし、シェアハウスに一緒に住んでた仲間でしょー(絶叫)!
さてここで先に宿題?を片付けましょう。ブルース・リーの「からだ」を熱く語る僕たち男組は傍目にはまるで「今日は男子だけで仲良くやるんだ~」の轟次郎(宮迫博之)です。女人禁制です。「やおい(腐女子)」的な解釈の誘惑ももっともです。しかしここには『ブロークバックマウンテン』や『ベント』にはある愛を表現する大切な何かが欠けているのです。それは「触れ合い(お母さん特権!)」「見つめ合い」です。男同士はお互いに目を合わせないのです。理由はシャイなのもありますが(泣)、「ガンつけたな(怒)」とケンカになるからです。目と目を合わせると勝負!なのです。ご存じでしたか?
クビにならない様に書いておきますが(泣)、僕が授業中に女子生徒を見ることが多いのは女子生徒も僕を見ているからです。女子生徒に限らず女子講師でも女子職員でも同じことです。お互いに「視線を受けとめる」時間が女子の方が男組よりほんの数秒ですが、長いのです。男子生徒・男子講師・男子職員の場合はそもそも「見つめあう」ことが無いのです。目をそらして話しています(泣)。
男組に女性を呼びたくないのは女性を蔑視・軽視・無視しているからでは無くむしろ反対です。女性がいると気を遣って(あるいは心奪われて)しまうのです。女性の方が顔と目と手に「表情」があります。従って教室でもそれ以外の場所でも僕たち男組は女性の「表情」=メッセージに一早く反応してしまうのです。エロ男爵抜きにです(泣)。
男組の会話は対決・死闘です。お互いの体に「タッチ」せず、言葉で「パンチ」です。「見つめ合い」ではなく「にらみ合い」です。誰が一番ブルースリーをわかっているのかの「勝ち抜きトーナメント」です。そこではイチローvs山本益弘の「こだわりすぎる」「小さななことの意味を見出しすぎる」「自分にルールを課しすぎる」と清原vs松方の「大きなことやろうとしすぎる」「暴れすぎる」「親分になりたがりすぎる」の「やりすぎ」=男の性(さが)が全開しています。そこではお互いを否定する語が飛び交っています。「無知!」「初歩!」「破門!」など(つなぐ会の品位を守るために下品な言葉(泣)は避けますが)、罵語卑語も出ます。それも「お兄心」は楽しいのです。『北斗の拳』で強敵(とも)と呼び、漢文では知己=真友というやつです。
さて最後に男組の最大の秘密です。お互いに仲が悪かった(強敵=とも?)手塚治虫と宮崎駿はセクシャリティを考える上でヒントに満ち満ちた作品群を残しています。作風の違う点を横に置けば実はマザコン+ロリコン=女性賛美という所では共通点があります。
虹色の皆さん、ポニョやピノコそれにナウシカとワトソンさんを思い出して下さい。