前半はトークセッション、後半は交流会の形式。参加者19名。
FTMの子どもの親とQの子どもの親、司会進行はセクシュアルマイノリティという布陣で始まったトークセッション。
幼少期、思春期を経て、カミングアウトから現在までの子どもの状況と親の心境の変化を語る中で、親の性別規範にどっぷり浸かった思い込み「…らしく」育児エピソード、子のカミングアウト時の動揺、困惑を経てその後の行動、親自身の被差別感の葛藤、親戚・友人への発信、現在の思いまで、途中にセクマイ当事者ならではの冷静な分析を交えながらの親談義。
親は共に中高年、家父長制度の名残が残る時代に男女二元論を疑わずに育った世代、子のカミングアウト時もLGBTの言葉すら知らず、当時どれだけ狼狽えたことか。
一人の親は幾度となく涙し、天を仰ぎ、自分を責めた。恩師に励まされ、誰か助けてくれる人はいないか探し廻る中で医者を見つけだし、𠮟咤され、奮起した。更に家族の会という仲間を見つけ出して、「そうか、子どもが出来損ないなんじゃない、親が悪いんじゃない、社会の無理解が子どもを追い詰めているんだ」と気づいていく。
もう一人の親も、当初勘違いだと思ったそうだ。幼少期の女の子特有の思い出・・・三段切替フリルのスカートを好んで着、草花の花冠で遊ぶ、リリアンや編み物が好きな・・・が邪魔をして。けれども、子の手術意向に反対する親に対して「こんな不本意な身体で生きていたって意味はない」という言葉に我に返り、子どものセクシュアリティを受け入れたという。何もわからないまま。拒否すれば、親の手元から離れていってしまう、もし自殺でもしたらという恐れが、子どもに対する「わかった」という言葉に至った。が、真に受け止められるに2年は要した。
今回に限らず、セミナーで語られる親の話は、子どものセクシュアリティを理解し認める「ご立派な」親の姿だ。子のセクシャリティを認められない殆どの親にとっては親としての自尊感情を貶めることになり、あまり聞きたくないのが本音だろう。地域によっては未だ旧態依然とした価値観が幅を利かせる社会に生きる親達も多い。親の無理解、親にはカミングアウトしづらいという声も多いが、親自身の背景を考えると、一概に親を責めるわけにはいくまい。子の言い分を受け入れたくても世間様が許さない、と親は思ってしまうのだ。現につなぐ会に相談してくる親も、周囲には隠し、家族間でも秘密裏にしているケースも多い。それは何故なのか。それは、社会全体の差別、偏見であり、それを許している制度ではないのか。ならば、先に生を受けこの社会を築いてきた親たち、大人たちが声を挙げる責任がある。理解を示し、子どもたちを守りたい親たちが、まず、先行しよう。
その為にも、親自身の受け皿が必要だろう。セクシャルマイノリティ以上にクローズに陥っている親たちが共に語り、支えあっていく為の居場所が必要とされている。 M