山門に 花見してゆく 朝asita かな
馬糞 Bafun
花の句も、思い出を追う形になった。
花は、最後のときを迎え、風もなくはらはらと散っている。
東長寺山岳寺門からみる桜は絵のようである。
博多駅から港までを貫く大博通りの古刹であるが、その門前の
花は、博多祇園山笠のように、終わってもなお、翌年の花を楽し
みに思う見事な咲きっぷりだった。
その桜を見るたびに、「一心行の桜」の佇みを思い出す。
2004年の台風で折れてしまったと聞いたが・・・
(阿蘇の一心行の桜)
http://www.yado.co.jp/hana/kumamoto/issingyo/issingyo.htm
爛漫の花は、それぞれの春の舞台に主役としての感慨を与え
てくれる。
梅ほどの花はあるまいと思っていも、さすがに桜の花の季節が
ある。
その桜も夢のように散ってしまうと、つつじが咲き誇る。
木蓮やこぶしの花が咲き、菜の花が咲く。
神が作られた世界の本質は、多様な美の表現にあるという確信
が、花の命である。
しかして美の創造とは、人々の心を癒しいたわる「愛」の献身で
ある。
山門に 花の命の 美を拝み
馬糞 Bafun
【4月の神々】
4月は、元旦の決意を創始する、新しい月である。
宇宙の出来事でいえば、ビッグバンである。
ビッグバンとは、なさねばならぬという使命感が、一切の悩みを
吹き飛ばして自己の内部に宇宙を開くという神業である。
しかし、一瞬のようでありながら、4月、5月のドラマがある。
慣れない環境で、思い通りにゆかないもどかしさ、不安に胸が
押しつぶされそうな一人の夜があるのかもしれない。
なぜだろうか。
未来の見え方は、希望と不安の裏表なのだ。
希望とは、その未来を求めて止まない行動である。
退路を断って、その舞台に立ち、そのリングに上がったのである。
4月に創始する若者よ、一切の悩みを吹き払え!
そなたたちはまさに、神としてその内部に宇宙を創造している。
ビッグバンの一瞬を生きているのだ。
悩みははるか後方に吹き飛んでいる。
若き神々よ、決然として、その宇宙をあらしめよ。
梅士 Baishi