他愛のない会話や、ネットに書き込んだ何気ない一言が、大問題になったり、非難や誹謗中傷されたり、人を傷つける事が多々あって、本当に気を付けなくてはいけないと、自戒する日々。
たった一言が、下手すると、相手の人生を変えたり、心の病気の種になったり。1週間ご飯が喉を通らないなんてザラだし。
そんな言葉の凶器的可能性を考えると、科学の発達していない昔に、“言霊”が信じられていたことは、至極当然だったのだと思える。
心ないひとことで学校や仕事に行けなくなるなど、“言霊”による“呪詛”と言えそうだ。迷信深かった頃の人々にとっては、式神や怨霊の仕業と感じられるくらいの強烈な忌みの言葉も多々あっただろう。
同様の事は、“場の空気”にも言える。
簡単な例をあげると、机の上に出しっぱなしにされた消しゴム。几帳面な人なら、このこと一つで落ち着かない気持ちになってしまうと思う。通常なら何一つ心に波を立てる要素のない文具が、シチュエーション一つでイライラ増幅機になってしまう。
それを大袈裟に置き換えるなら、神社やお寺が適当か。足を踏み入れただけで、人によって程度の差はあれ、ピンとはりつめた空気を感じ、背筋が伸びる思いを感じない人はいないと思う。
その理由を、造り手の気持ちになって考えてみる。なにせ神様を奉るための物だから、それに相応しいところをと、俗っぽい世間から遠く離れ、神秘すら感じられるような自然の中をチョイスするのは当然。さらに同様の思いで資材を選び、遠方より時間をかけて運び、儀式で清め、そしてそれらが神秘的に感じられるような配置になるよう、図面を引く。それが使役に駆り出された人々の生活感や信仰心、怨念などにあてられつつ、長い年月をかけて形になっているわけだから、当然それは置きっぱなしの消しゴムなどとは比較すべくもない、強烈な訴えが感じられて当然なんじゃないか。
この感覚を利用しようとしたものが“結界”や“封印”などと考えると、妙に得心が行く。風水なんかもそれに近いのかも。
「言霊」と「場の空気」。言葉の違いはあれど、どちらも、発信者側のメッセージと受け手側の感受性が干渉し合って影響を及ぼすものという点では共通している。
今、スピリチュアルとかパワースポットなどという言葉が流行っていて、俺からしたら、鼻で笑って唾(鼻水でも可)吐きかけたい気分のクソ流行なんだけども、上記を鑑みれば、人によっては多少効果を為してもおかしくはないような気はする。
ただ、それはあくまで、受けて側と発信者側とが干渉しあう事で起こることなので、その場所からパワー的物質が放出されてるなんてことはチャンチャラおかしく、日々感受性を研くことを怠ってる俺みたいなのが行っても、疲れてお腹が減るだけなのだと思う。
そういえば、昨日京都のヨドバ○カメラの占いコーナーで、占い師達が暇そうに呆けていたけど、他人の人生のターニングポイントは占えても、お客さんのゲットの仕方は占えないんだろうね…。
…結局何が言いたいのかというと。
出した消しゴムはちゃんとしまいやがれ、このハゲ上司!(*`Д´)ノ
以上。
たった一言が、下手すると、相手の人生を変えたり、心の病気の種になったり。1週間ご飯が喉を通らないなんてザラだし。
そんな言葉の凶器的可能性を考えると、科学の発達していない昔に、“言霊”が信じられていたことは、至極当然だったのだと思える。
心ないひとことで学校や仕事に行けなくなるなど、“言霊”による“呪詛”と言えそうだ。迷信深かった頃の人々にとっては、式神や怨霊の仕業と感じられるくらいの強烈な忌みの言葉も多々あっただろう。
同様の事は、“場の空気”にも言える。
簡単な例をあげると、机の上に出しっぱなしにされた消しゴム。几帳面な人なら、このこと一つで落ち着かない気持ちになってしまうと思う。通常なら何一つ心に波を立てる要素のない文具が、シチュエーション一つでイライラ増幅機になってしまう。
それを大袈裟に置き換えるなら、神社やお寺が適当か。足を踏み入れただけで、人によって程度の差はあれ、ピンとはりつめた空気を感じ、背筋が伸びる思いを感じない人はいないと思う。
その理由を、造り手の気持ちになって考えてみる。なにせ神様を奉るための物だから、それに相応しいところをと、俗っぽい世間から遠く離れ、神秘すら感じられるような自然の中をチョイスするのは当然。さらに同様の思いで資材を選び、遠方より時間をかけて運び、儀式で清め、そしてそれらが神秘的に感じられるような配置になるよう、図面を引く。それが使役に駆り出された人々の生活感や信仰心、怨念などにあてられつつ、長い年月をかけて形になっているわけだから、当然それは置きっぱなしの消しゴムなどとは比較すべくもない、強烈な訴えが感じられて当然なんじゃないか。
この感覚を利用しようとしたものが“結界”や“封印”などと考えると、妙に得心が行く。風水なんかもそれに近いのかも。
「言霊」と「場の空気」。言葉の違いはあれど、どちらも、発信者側のメッセージと受け手側の感受性が干渉し合って影響を及ぼすものという点では共通している。
今、スピリチュアルとかパワースポットなどという言葉が流行っていて、俺からしたら、鼻で笑って唾(鼻水でも可)吐きかけたい気分のクソ流行なんだけども、上記を鑑みれば、人によっては多少効果を為してもおかしくはないような気はする。
ただ、それはあくまで、受けて側と発信者側とが干渉しあう事で起こることなので、その場所からパワー的物質が放出されてるなんてことはチャンチャラおかしく、日々感受性を研くことを怠ってる俺みたいなのが行っても、疲れてお腹が減るだけなのだと思う。
そういえば、昨日京都のヨドバ○カメラの占いコーナーで、占い師達が暇そうに呆けていたけど、他人の人生のターニングポイントは占えても、お客さんのゲットの仕方は占えないんだろうね…。
…結局何が言いたいのかというと。
出した消しゴムはちゃんとしまいやがれ、このハゲ上司!(*`Д´)ノ
以上。