GABACHOP〜あがんにゃな日々〜

趣味について、日記がてら。

KAMINOGE Volo.6

2012年05月26日 | 格闘技
書籍『KAMINOGE』vol.6読了。

プロレス格闘技ファンのコンプレックスを、一時的に誇らしい気持ちへと転化させてくれる合法ハーブみたいな本です。

マイナージャンルを有識者達でよってたかって持ち上げてそこに乗っかる(悪く言えば他人のふんどしで相撲を取る)手法は、それ自体プロレス的で、面白さと胡散臭さがたまらないのですよ。

「瞑想はね、コンピューターで言う所のキャッシュが取れるんですよ。だから気持ちのバランスが崩れにくくなるんだよ」「キャッシュが大きくなると脳が誤作動しちゃって、おかしくなるんだよ」みたいな事を、前田日明(元格闘家)と菊地成孔(音楽家)が延々50ページ語り合うとか。

試合の写真?んなの今時のプロレス格闘技書籍にあるわけないじゃないですか!←半分本当

「音楽家はメンタルを壊す人が多いんですけど、ほとんどの音楽家は多分、音楽そのものが宗教そのものになっていて、音もひとつの波動ですから、その効果を信じてる人だけが、音楽をやる理由がのこっているということだと思うんですね」(菊地)

「音楽って、感情をつかさどる扁桃体で聴く人と、前頭葉で聴く人の2つに別れるんだよね」(前田)

「音楽は、音楽が最終的に脳に何かを与えるということもさることながら、やっぱり全身で聴いていると思うんですよ」(菊地)

(以上抜粋&一部省略してます)

特に上記あたりは、正否はともかく、とても得心がいったというか、俺の音楽嗜好は宗教的な信仰よりはかなり浅いとは思うんですが、好きな音楽の紹介や説明を求められた時、少しでもその素晴らしさを相手に共有してほしくて、保有しているあらん限りの語彙を駆使して答えるんですが、浮ついた感じにしかならなくて。「あの場所」で感じた「あの音楽」は皮膚感覚的なもので、到底口で説明できるものでなくて、それが上記の(ちょっとうさんくさい言葉だけど)「波動を全身で聴く」ということなのかなと。

そう考えると、タ○レコや音楽雑誌などのCDレビューを読んだ時の違和感や、伝わって来なさってのもわかる気がするわけで。

まあ、そもそも音楽を理屈で解析する必要があるのか、とも思うので、元のプロレス格闘技書籍のレビュー(←そういえばそうだった!)に戻ります。

そんな特濃な冒頭対談に続くのは、苫米地英人インタビュー、ケンコバ×三又又三対談、もんじゅくん。やっぱりプロレスラーいないじゃん!(笑)

中でも最高だったのは、テレビ番組のロケに同行して、マサイ族の村に一人置いてけぼりにされた17歳の頃の藤波辰爾のエピソード。「朝起きたら猪木さんもスタッフもいなくてマサイ族しかいないんだもん!」キラー猪木!

湾岸戦争時の猪木の邦人人質解放エピソードの裏で、新間寿が画策したモハメド・アリとフセインの電話会談があったとか、いちいち俺のハートを震わせる濃コクのエピソード続出で、大満足。

この本がスゴいのか、はたまた俺の脳内が幼いのか、の問いについては「保留!(by藤波辰爾)」させていただきます!