気まぐれ日記

カメラを持って、花を主とした写真を撮っています

松本城

2013年10月26日 | 建造物

国宝松本城は、戦国時代の水正時代初めに作られた、信濃の守護小笠原氏居城林城の一支城であった深志城が始まりであった。一時期武田信玄公が小笠原氏を追い、この地を信濃支配の拠点とした。その後小笠原氏が本能寺の変後深志城を回復し、松本城と改めたのが始まりとか。

これは「黒門」と呼ばれる、本丸に入る正門です。

黒門を入ったところから見た、現存する日本最古の五重天守の松本城です。

天守閣から見えるこの広場は、本丸御殿跡です。

この松本城天守閣内部は、本来の状態を残している珍しいお城です。そのため、天守閣を上り下りする階段は、幅も狭く、最大勾配が61度もあるという、とっても急なものです。同時に階段で上り下りすることが無かったのでしょうが、幅も階段ですれ違うのはちょっと危険なくらい狭いのです。刀や鎧で武装した武士がすれ違う余地は全くありません。その上、一段の高さが約40cmという険しい箇所もあります。

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旧 国鉄万世橋駅

2013年09月15日 | 建造物

いまから7年前の2006年5月14日を以て閉館した鉄道博物館は、旧 国鉄時代の万世橋駅跡地を利用していました。そのせいもあったのでしょうが、鉄道博物館閉館時に、この旧万世橋駅の状況を希望者限定で公開してくれました。私も希望し、拝見させて貰いました。その時の写真を一部ご覧いただきます。

最初は見学時に渡された入場パスです。日にち・時間を指定されました。

次は、鉄道博物館に展示されていた万世橋駅の、縮尺1/150の模型です。

最後は、駅名表示と、万世橋駅プラットフォームの写真です。戦前の物なので、文字は右から左へ「しばいせんま」と表示されています。

このときには、もう今後二度とこの万世橋駅を見ることはないと信じていました。所が、時代が変わり、再開発とかで、明治時代に造られた旧国鉄の万世橋駅(東京都千代田区)が、レトロな商業施設「マーチエキュート神田万世橋」として生まれ変わり、昨9月14日に開業されました。

中央線の御茶ノ水―神田駅間に位置する万世橋駅は、1912年(明治45年)に誕生しました。当時の同駅周辺は銀座と並ぶほどのにぎわいだったようですが、戦時中の1943年に利用客の減少で駅としての利用は停止されました。トレードマークの赤レンガ造りの高架橋は今も残され、1階に新たに飲食店など10店舗が入ったほか、2階のプラットホームも展望デッキやカフェとしてよみがえりました。

台風接近中と言うことで、今日は1日雨との予報があったので、日曜とは言え、訪れる人は少ない、と言う想定の下、今朝秋葉原へ行って来ました。この予報ははずれ、午後からは全くの晴天となって暑かったのですが。

次の写真は、旧万世橋駅プラットフォーム跡への階段と、カフェ内部です。

最後は、このカフェすぐそばを走りさる中央線特急「あずさ」です。

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東京メトロ銀座線新型車両「1000系」に乗車

2013年07月13日 | 建造物

東京メトロ銀座線で、2013年4月11日より運行を開始している、28年ぶりにリニューアルしたというレモンイエローの1000系に、初めて乗車しました。浅草方面行きの先頭車両および編成車両の写真です。

ニュースでは運用されていたのを聞いて知ってはいたのですが、実際に乗車できるとは考えてもいませんでしたので、びっくり、驚きました。

当初は一編成くらいの導入だったのではないでしょうか。今年度中には、11編成を導入が導入されるそうです。2016年度までに銀座線全38編成が全てこの1000系に置き換えられるそうです。

インターネットで検索すると、沢山の画像を見ることができますが、昨年運行が開始されたときの車両番号は「1101」となっています。私が見た先頭車両車両番号は「1602」となっていました。下二桁が製造番号のようです。と言うことで、第二番目に製造された車両編成だったと思われます。

私が乗車した車両内部の写真です。この車両の番号は「1502」となっています。

現在は、まだそれ程多くの編成が運用されているとは思えません。銀座線に乗る機会もそれ程多く無い私が、この「1000系」車両にたまたま乗車できたのは、非常にラッキーなことだったと思っています。

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帆船「日本丸」 総帆展帆(2)

2013年04月29日 | 建造物

今月14日にも、この「日本丸 総帆展帆」を見に、横浜みなとみらい地区へ行っています。その時は、想定外の強風に祟られ、「総帆展帆」には至りませんでした。と言うことで、ボランティアの皆様にとっても、今回はリベンジと言うことになるのでは無いでしょうか。

今日は連休中と言うこともあるのでしょうが、男性59名、女性36名の総勢95名と、前回より10名多いボランティアによる、作業が始まります。まず最初はマストに登り、ヤードという帆桁に固定されているセイルを、解きほぐしてゆきます。このときは3点支持をするように、と言う指導を受けるそうです。両手は固定用ロープの解きほぐしに関わることになるので、両脚とお腹での3点支持をするのだそうです。

今回は、事前に既に信号旗が飾られています。軍艦では、満艦飾と言いますが、軍艦では無いため、満船飾というのだとか。

「日本丸」には、船首側からフォアマスト・メインマスト・ミズンマスト・ジガーマストの4本のマストが有ります。今回の展帆作業は、前方3本のマストにはそれぞれ6枚の帆桁がありあわせて18枚の横帆が、さらにバウスプリットとジガーマストおよび3本のマストの間にはあわせて11枚の縦帆が有り、全部で29枚の帆の全てがある規則に則り、展げられてゆきます。

総帆展帆が終わったところで、ボランティアの方達による登舷礼が行われました。噂に寄れば、登檣礼があると言うことだったのですが、登舷礼になってしまいました。理由は分かりません。海の日には登檣礼を執り行う、と説明されていましたが。

”海の貴婦人・太平洋の白鳥”とも呼ばれている帆船「日本丸」の、晴れがましい姿です。惜しむらくは、今少し強い北寄りの風があれば、風をはらんだ美しい”海の貴婦人・太平洋の白鳥”の勇姿を見ることができたことでしょう。

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東京タワー改修工事(6)

2012年12月10日 | 建造物

11月下旬から始まった歯の治療も、今朝のブリッジ装着で一応完了となりました。と言うことで、今日も三田まで出かけたので、東京タワーの写真を撮ってきました。何度か取り上げたこの「東京タワー改修工事」ですが、有るところに、「平成26年12月完了予定」とあります。まだ2年あまりのち、と言うことですが、一体後どんな工事が残っているのでしょう。殆ど完了しているように見えるのですが。

塔頂部の、スーパーターンスタイルのアンテナが取り付けられている部分は、今までは気が付かなかったのですが、元は円柱だったそうです。今はこの部分は、四角柱になっています。このことにより、耐震性が向上するのだとか。

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