小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

ありがとう!さるびあ丸!!

2024年06月01日 | 母島 船舶
■さあさあ、今回は初めて乗る船で小笠原へ帰るという、
ドキドキワクワクの機会に恵まれました♪

そう、今回はいつもの定期船「おがさわら丸」がドック(船舶検査)期間の為に、約3週間お休みとなり、その代打を務めてくれている東海汽船の「さるびあ丸」に初めて乗船することになりました!!
小笠原に移住して22年。
東京から小笠原へ渡るときは、ほとんどが「おがさわら丸」でした。
※何度か貨物船「第二十八 共勝丸」に乗って渡ったこともあります☆(現在は一般客は乗せていません)

今回は運良く、議員の内地出張の戻りが初めての「さるびあ丸」という事で、
とても楽しみにしておりました!

いつものおがさわら丸とは勝手が違い、とても新鮮だった「さるびあ丸」。
勝手ながらにレポートしちゃいます(#^.^#)


■そんな、さるびあ丸。
いつもは伊豆諸島の主に東京~大島〜利島〜新島〜式根島〜神津島航路を運航しています。
また夏が東京湾納涼船としても運航しているそうです。

おがさわら丸よりはコンパクトですが、2020年就航の新しい船で、
様々なアイディアが詰まった船となっています。

おがさわら丸が東京と父島を24時間で結ぶのに対し、
さるびあ丸は東京と父島を29時間で結ぶので、出港と到着時間が違います。
そこも何だか新鮮でした(#^.^#)

伊豆諸島の皆さんからすると、普段夜に東京を出港するさるびあ丸が
昼間の朝10時に竹芝を出港するのは新鮮かもしれません☆
これは東京滞在時にさるびあ丸を見送りに行く機会があり、撮ったものです。
みんな夕飯を食べて、飲んでから乗り込み、翌朝には着くスタイルです♪

ちょっとおがさわら丸と比較してみると、

●さるびあ丸(3代目)
2020年就航
総トン数:6,099t
全長:118m
全幅:17m
航海速力:20ノット(約38km/h)
旅客定員:近海区域 693人、沿海区域(御蔵島まで)1,343人

●おがさわら丸(3代目)
2016年就航
総トン数:11,035t
全長:150m
全幅:20.4m
航海速力:23.8ノット(約44km/h)
乗客定員:894名

こう思うと、おがさわら丸って大きい方なんだなと感じます。
そんなおが丸がドック中の間に代打として、
年に一度、小笠原航路へ応援に来てくれています。
その為の近海資格を持っていて、それ用の救命装備などを備えているみたいです。
ちなみに伊豆諸島を空ける間は、高速船の増便などでフォローしてもらっています。どうもありがとうございます!


■さてさて、初めての船で1日以上船に乗るなんて、
なんだか外国に行くみたいでワクワクしちゃいます♪

おがじろうに見送られながらの乗船です☆

普段のおがさわら丸と違い、飛行機みたいに高い位置からの乗船!
新鮮でした!

今回、僕は特2等の席にお邪魔しました。
おがさわら丸よりもマットが分厚くて、実は快適でした♡
ベッドサイドには貴重品ロッカーもあり、なかなか便利に思えました。

そしておが丸にはない、たばこの自販機!
こちらは需要があるという事でしょうか?

おが丸同様の冷蔵のコインロッカーもありました。

自販機コーナーも2フロアに分かれてありました。
お酒は免許証を差し込まないと買えない仕組みの自販機でした。
免許を持っていない大人は、なかなかお酒は買いにくいようです。

そして驚いたのが、電子レンジの表示!
なんと自販機の物を温めるのみで、監視カメラまでしっかりついていました。
これは自由に使えるおがさわら丸とは明らかに違う部分。
何か理由があるのでしょうか?

慣れない船内なので迷子になっちゃいます(笑)。
そんなのも何だか楽しい♡


■東京湾のレインボーブリッジをくぐるのも、
おが丸じゃないのが不思議な感覚です。
なんでも新鮮っていいもんです(#^.^#)
それだけで小笠原の島民は大興奮♪

船の後部デッキの舞台みたいな場所が、
おがさわら丸にはない部分です。
しっかりみんなの宴会の場と化しておりました(#^.^#)
そう思うと、丸1日乗る仕様のおがさわら丸と、
夜乗って朝着く仕様のさるびあ丸の違いが興味深いです♪

■今回、一番驚いたのがスターリンク衛星による、船内Wifiです。
僕は割と早起きタイプで朝2時からさるびあ丸の船内のレストランで、
普通にインターネットが使えています。
試験的に行っているという、スターリンク衛星を使った広域Wifi通信の実証試験です。

結局、父島に着くまでずっと
Youtubeも普通に見れるし、ネット閲覧もスムーズにできています。
素直にすごいと思います。

これを小笠原航路に導入してほしい!という声を船内でも頂いています。
また一方、せっかく電波の届かない時間を過ごせているのだから、世界にも稀なデジタルデトックスの場としても、維持してほしいという声もあります。

確かに小笠原航路ほど公共交通の中で乗客がスマホに釘付けではない空間はないかも知れません(#^.^#)
24年前、初めて小笠原に来た時、携帯が通話しかできなくて、
電波から解放された!と喜んでいた人がいた小笠原。

そこも今は光ファイバーが繋がり、高速でネット通信が使えるようになりました。
インターネットの物資の量が10倍に跳ね上がり、島の暮らしはとっても便利になりました。

スマホの普及もそうですが、
便利になったときに、同時に失っていくものがあります。

山小屋の仕事をしている方も、
Wifiを導入したら、登山同士の会話や宴会が激減したと嘆いていました。
時代の流れとして、仕方がないものとも言えますが、
どのような方向にしていきたいか、
どのように暮らしていきたいかは、
自分たちで選んでいける部分とも思います。

議員としては導入を希望かな?
個人としては船内は電波なしが好きかな(^^♪
正直、迷ってます。
皆さんはどっちがいいですか?


■そんな便利と不便のもたらす恩恵を考えながら、
おがさわら丸よりゆっくりと長い船旅が続きます。

小笠原の人は特にある傾向らしいのですが、
長い船旅は揺れさえしなければ、全然苦ではないというハナシです(#^.^#)
最近僕は24時間ですら短いと思えてしまい、
なかなか他の島の方には理解されないでいます(笑)。

色んな人と話しながら船旅を楽しむって、
実はすごい贅沢な時間なのかもしれません(#^.^#)

さてさて、乗る前から気になっていたのが、
さるびあ丸のレストラン。
食券を買う式のもので、
おがさわら丸と違い、朝も昼も夜も同じメニューです(#^.^#)

これは普段の航路が半日以下なので、当然と言えば当然ですね。
僕はシラス丼やジャンボエビフライカレー、
神津島のお酒、盛若を楽しみました♪

料理の写真を撮り忘れてしまったのですが、
レストランの窓が大きくて、
ベタ凪の海を眺めながら、みんなと色んな濃い話ができて楽しかったです!
やっぱ船旅は最高です♪
船内の部屋も1等が雑魚寝で、特2等がベッドで、
なんだか不思議な感覚でした☆

シャワーもコイン制のものですが、
小笠原航路では無料で使えました(#^.^#)

さるびあ丸の至る所で見かけるこのマーク。
これは東海汽船130周年記念ロゴなのだそうです。
デザインは美術家の野老朝雄さん。
船にとって必要不可欠であるロープの「結び目」を表現しているそうです。

船の速さを表す単位の「KNOT(ノット)」 という言葉には、
「結ぶ」という意味もあり、
この「結び目ロゴ」は島と本土を結ぶ船会社である東海汽船、
そして船舶にとって、とても意味深いデザインになっているそうです。

普段は赤いのが多いバルバスボウ。
さるびあ丸はライトブルーでした。

なんだかこれが小笠原の海の色に映えていて、
とても印象深かったです♪

印象的なファンネルマークもいい感じですね(#^.^#)

おがさわら丸にもありますが、船首にある旗もカッコいいです!


■夕陽を眺めながら、怒涛の様に巡った内地での日々を思い出していました。
また別の機会に記事に書こうとは思いますが、
去年のドック期間の時には島に食料品が足りないという大問題が発生し、
その調整を1年かけてやってきました。
今回、芝浦でさるびあ丸に載せる冷蔵品の積み込みも拝見させてもらい、
無事にその後島でなんの問題もなく終わって、
心底ホッとしたのをしっかりと胸に刻んでいます。

パッションフルールの最盛期、
ベタ凪で魚が釣れる絶好の時期、
この農業と漁業の物資の問題がこの5月ドック期間の大きな問題のままですが、
現時点ではできる限りのベストは尽くせたとは思っています。


■本土から1000㎞も離れて暮らす私達小笠原諸島の人々。
物価は高いし、色々大変ではありますが、
本当に沢山の方々の支えがあって、
随分と便利な暮らしをさせてもらっていると思います。

本当にありがとうございます!
便利にを求めると、キリがないとは思いますが、
なるべく今あるものに感謝の気持ちを忘れずに、
支えてくれている人々の心を忘れずに、
足るを知る気持ちで謙虚に生きていければと思います。

■さるびあ丸で朝を迎えても、聟島は昼まで見えて来ません(#^.^#)
そんなゆっくり感も愛おしい船旅♪
カツオドリが小笠原の海域にいることを教えてくれます。

少しずつ島影が見えてくると、
ようやく帰って来たんだなぁと実感がわきます。
約2週間ちょいぶりに帰ってきました♡


父島の二見港に近づくと、
何だか見慣れないサイズのヨットらしきものが。

ヨットもカッコいいですね!
乗っている方々が手を振ってくれていました(#^.^#)


■さるびあ丸が15時に父島に着いてからは、
今度は「ははじま丸」に乗り換えて、母島に向かいます。
このアングルを父島の二見港で眺めるのも年に2日間しかありません(#^.^#)

このちょい夕方の父島出港もレアなもんです☆
どうもありがとう!さるびあ丸!!

なかなか斬新でカッコいいデザインです♪


夕方のははじま丸がようやく母島の近くに帰ってきました!
オナガミズナギドリを多く見かけると、母島の近くに帰って来た気がするのです。

いつもであれば、島に着いてすぐ入港作業で夜まで仕事なのですが、
18時入港なので、荷物作業は翌朝という事で、
ゆっくり家に帰ることが出来て嬉しかったです(#^.^#)
母島に帰ってからは、例によって怒涛の日々を送っています。
今は6月の議会に向けての準備、調整もいっぱいですし、
しっかりと現金収入の仕事も頑張らなければ、
家族を養っていけません☆

議員になって1年。
まだまだヒヨッコですが、1年やってみて見えてきたものもあります。
なかなか面白い仕事なので、色んな人がぜひやってみてほしいと思います☆

さあ6月議会も頑張るぞ~~!!

最後におまけの夜の橘丸です。
黄色い個性的なカラーがカッチョイイです!


くろしお丸に感謝!おかえり、ははじま丸!~伊豆諸島開発のみなさんありがとう!!

2024年03月16日 | 母島 船舶
■3/10我らがははじま丸がドックを終えて、母島に帰ってきました!
お帰りなさい!

3/9入港日の父島~母島の往復を以って、
今期のははじま丸代船、くろしお丸は本来の青ヶ島航路に戻って行ったそうです。

ははじま丸は広島県呉市の神田造船所でドックをしてきたそうです。
なんと同じく僻地離島航路を支える伊豆諸島開発の「あおがしま丸」は9日まで青ヶ島航路に就航した後、
八丈から直接鹿児島のトカラ列島の応援に向かったそうです。


■トカラ列島十島と鹿児島を結ぶ航路ですが、
去年12/29、悪石島沖で運航中の十島村営船「フェリーとしま2」
の機関から火災が発生し、乗客11名、乗員18名が全員が無事に救助される出来事がありました。

唯一の公共交通機関での火災で、三島村の「フェリーみしま」などで臨時運行などを行ってフォローしているそうですが、やはり村民生活に支障が発生しているとのことです。

鹿児島への医療、物資、仕事の出張移動など色々と不便が生じているようです。

そこで、なんと伊豆諸島開発のあおがしま丸が十島航路に応援しに向かっているというのです!

宝島に接岸するあおがしま丸。
これはトカラ列島宝島に住む友人が画像を送ってくれました。
トカラ列島応援のあおがしま丸の運航についてはこちら

過去にはくろしお丸の前の船、「ゆり丸」がフェリーとしまの改造ドックの際に代船として応援に行った経緯があるそうです。
その時はフェリーとしまのバリアフリー化という事で、
エレベーターを増設する長期ドックだったとか…



■去年は、おがさわら丸に漁網が絡む事件、さるびあ丸のプロペラ故障、新島~式根島の連絡船「にしき」の座礁など色々な船のトラブルが続き、その予備船の存在が本当に大切である事が見えてきました。

近海資格という特殊な資格を持つ、
くろしお丸とあおがしま丸のポテンシャルの高さ(貨物も旅客もできる!)はかなり凄くて貴重な能力と思いました。
※ははじま丸はドックに行くときのみ臨時で近海資格を取っているそうです。

今回のくろしお丸がドック明けに母島に来てくれて、
ははじま丸はドック入り。
その間も母島の生活に支障がないように日々、動いてくれていました。
船員さんは船で寝泊まりをして、時化の時は沖留めでずっと海の上で揺られて過ごしています。

私たちの生活は、こうした皆さんに支えられている事を忘れてはいけないと思います。
つい、当たり前になると忘れがちですが、こうしたインフラを支えてくれているから、普通の日常が送れているのです。

昨日は母島航路を離れるくろしお丸の船員さんに、
目一杯の感謝を込めて、声をかけて、手を振ったら、
船員さん達も船長も大きく手を振って応えてくれました。

本当にありがとうございます!!

■母島~父島航路の応援運航を終えて、くろしお丸が父島を経由して、八丈~青ヶ島航路に戻っていきます。
父島に到着すると、沖合にドック帰りのははじま丸が父島の二見湾に帰って来ていて、素敵な交替の場面があったようです。

今回、僕も議員の出張で内地に行って来たのですが、
内地からの戻りが初のくろしお丸乗船でした♡

過去に母島でくろしお丸の内覧会があり、
そこで内部は見たことありましたが、
運航しているのに乗ったのはなんとこれが初めてでした(^.^#)

くろしお丸の誕生が2022年1月だったので、
なんと2年も乗っていなかったわけです!!

■そしてようやく、我らがははじま丸がピカピカになってははじま丸航路に帰って来てくれました!

2月3月は学生の春休みやクジラのシーズンということで、
入港日に父島に戻り、翌日朝にまた朝から父島を出て来るという、
普段より1往復多い臨時運行をしてくれています。

これが観光面でもすごく有難く、
年度末の仕事の行き来している方々にもとても助かっている状況です。
しかし、船員さん達はガッツリ仕事が増えてしまっているので、
リスペクトの気持ちも込めて、
なんとか船員さん達が心地良く過ごせる雰囲気作りも、
島側からやっていきたいと思っています。


■さてさて、そんな赤字な超僻地離島航路に
ははじま丸、くろしお丸、あおがしま丸と3隻の船を就航させている、
伊豆諸島開発さん。

議員の2月の内地出張の合間に、
芝浦にある事務所を始めて訪ねて行って来ました!!
お忙しい中、山本社長と沢山の話をさせて頂き、
これからの小笠原との関り、未来についてお話させて頂きました。

たった450人の人しか住んでいないははじま丸ですが、
こうした色んな方々に暮らしが支えられています。

毎朝、ここから島の海況を連絡を受けて、
くろしお丸、ははじま丸の運航の決定などの連絡、発信をしてくれています。

その情報は東海汽船のHP、アプリで確認できます。
一番、多くの人がリアルタイムで情報を知れるように更新してくれていますが、こうしてその方達の顔が見えてくると、
グッと嬉しくて応援したくなってきます。
今後も色んなアクションをしていきたいと思うので、
よろしくお願いします!

芝浦の伊豆諸島開発の事務所には、沢山の島の写真が飾られています。
その中で、よく知っている方のポストカードが展示されていて、
思わず山本社長にお願いして写真を撮らせてもらっちゃいました♪

こんなに島の事を考えてくれてるっていうのが伝わり、
とても嬉しくなってしまいます!!

明日はまたまた議会で父島に行くので、
ははじま丸に乗ってきます。

いつもいつも、
そしてかなり厳しい海況でも、
島の航路を支えてくれています。

本当に有難うございます!!




くろしお丸が初めて母島にやってきた!!ヤァ!ヤァ!ヤァ!

2022年01月08日 | 母島 船舶
■時は来た!
2022年1月8日。
ついに去年引退したゆり丸の後継船「くろしお丸」が母島にやってくる日です。

この日は試験航海ということで、
長崎の渡辺造船所から一直線、65時間かけて小笠原諸島へやって来たそうです。

今回の試験航海を経て、
1月30日~2月22日までのははじま丸のドック中の代船として就航するとのことです。

総トン数493トン(ははじま丸が456トン)
全長66.0m(現ははじま丸より60㎝長い)
全幅12m(現ははじま丸とほぼ同じ)
航海速度16.5ノット(現はは丸と同じ)
主機出力2000馬力×2基(現ははじま丸は4400馬力)
旅客定員84名(近海:青ヶ島)、200名(沿海:母島)
貨物コンテナ数36個(現ははじま丸より多く積めて、現あおがしま丸よりちょい少ない)
※詳しくは伊豆諸島開発のHPを参照してください。

長年、ははじま丸のドック中を支えてくれたゆり丸
それに代わる船なので、島民の関心も高く、
初入港、見学会に多くの母島島民が集まりました♪

僕自身も年季の入った船も大好きなのですが、
やはり新しい船というのはワクワクしてきてはしゃいでしまいます♡(←40歳w)

今回は動画を取りつつ、写真も撮るというハードな作業をこなしました(笑)。
入港の様子は動画をご覧ください↓
くろしお丸 母島試験航海 沖港初入港 2021.1.8



■村内のポスターにはくろしお丸は14時から見学開始と書かれていましたが、
この日ははじま丸が出港するのが14時。
奇跡の並んだ姿が見れるかも♡と期待した人もいましたが、
試験航海で、1月末からの接岸などの練習も兼ねているので、
ははじま丸が出港してからの入港となりました☆

ははじま丸が出港しました。
いよいよくろしお丸の登場です。

鮫が崎展望台の左側にチラッと見えていたのですが、
1度見えなくなりました。

何だろうと思っていたのですが、
鮫が崎で見ていた妻曰く、
1度回って、はは丸と平行に進めて、電気を点けて挨拶をしてからまたUターンして、
沖港に入って来たとの事。

その時の様子です(妻:撮影)


最後のゆり丸も父島の二見港で同様の動きをしたみたいですが、
なかなか粋な行動に思えます(#^.^#)

ゆっくりと灯台から先へ出て、姿を現しました!!

印象としてはでかい!!
はは丸より大きいのではないか?と思ってしまったほどです。
実際ははは丸より60cm長いだけだそうです。幅は同じ。

2016年のははじま丸の交代式を思い出します。
今回のくろしお丸はクレーンが油圧に代わっています。
ははじま丸の姉妹船に思えるほど、そっくりな印象です。

しっかりとくろしお丸と意外と可愛い字で書かれています。

■くろしお丸はメインは八丈~青ヶ島航路だそうです。
天然の良港である父島の二見港、母島の沖港とは違い、
過酷な青ヶ島の暮らしを支えるために作られたそうです。

現行の八丈~青ヶ島航路を結んでいる「あおがしま丸」は、
伊豆諸島のこれまでのゆり丸のような代船として活躍するそうです。


船が接岸した時に気になるロゴがありました。
どうみても青ヶ島にしか見えません☆

最初に降りてきた伊豆諸島の会長さんにいきなり聞きました。
「あのロゴ、青ヶ島ですか?」
「よく気が付いたね!その通りだよ!!」
後で理由を聞いたら、メインに青ヶ島航路に就航するからあのロゴを付けたと聞きました。
我が家の次女が2021年に1か月もお世話になった青ヶ島
妻と次女は伊豆諸島開発の船をすべて制覇しています。(僕はあおがしま丸だけ乗ってないですw)
会長さんも社長さんもそんな偏屈な我が家を覚えてくれていて、
今回も嬉しそうに船内を案内してくれました♡


狭い沖港の旋回を慎重に行っています。
船長さんの腕の見せ所です(#^.^#)


真正面からのアングルはこんな感じでした。
東京オリンピックのデザインも手掛けた野老朝雄さんのデザインのラインが映えますね。
東海汽船の「さるびあ丸」「セブンアイランド結」と同じで、
アイランドブルーを纏っていると書かれています☆


右舷側は日本語のみ反対文字になってます。
これは単純に逆になっているのではなく、
縦書きとして右から左に流れていて、両国国技館とかも同様だと今日初めて知りました(笑)。


おしりも可愛い感じです♡
書体がなんか親しみやすい感じです(#^.^#)

■母島観光協会が素敵な歓迎のプレートを作ってくれていました!


船の上部には見慣れない旗がついていました。
これは船の船体番号をしめす旗と、JRTT鉄道運輸機構の旗、伊豆諸島開発の旗だそうです。


ゆり丸では小笠原諸島と伊豆諸島の全部の島が書かれていましたが、
今回は母島⇔父島と書かれていました。
これはその都度、交換する作りなんでしょうか。


ははじま丸もあおがしま丸もゆり丸にもある
この3色のデザインは伊豆諸島開発のロゴで、
赤は太陽、
青は海、
緑は大地を意味していたと記憶しています(合っているかな?)


海況の極めて厳しい青ヶ島航路の船として建造された「くろしお丸」。
後ろから見たアングルもなかなかのデザインです。
かっちょいいですね~~



■さて、14時過ぎにははじま丸と入れ替わりの接岸後は、
みんなお待ちかねの船内見学タイムです♪
伊豆諸島開発の皆さんの粋な計らいで、
丁寧に船内を案内していただきました(#^.^#)


伊豆諸島開発の会長さんが、
自慢の新船をとても嬉しそうに話してくれます。
伊豆諸島開発の船をすべて乗っている妻と次女も嬉しそうです♪


乗船してすぐにくろしお丸の航路図が設置されています。
くろしお丸はメインが青ヶ島~八丈航路。
現行のあおがしま丸は伊豆諸島の船の代船としてゆり丸の代わりに運航するそうです。
母島~父島間のははじま丸がドックの時は毎回くろしお丸が代船として来てくれるそうです♪


乗船してすぐ右手には多目的室とバリアフリーの旅客座席。


この多目的室は色んなコンディションのお客さんを想定しているそうです。
なかなかくつろげそうなコンパクトなお部屋です。


その隣には出入りが完全バリアフリーのお部屋。
高齢者や車椅子の方などがすぐに利用できる、
気の利いた配置です。



その付近にはバリアフリートイレがありました。

車椅子でも利用しやすいし、
赤ちゃん連れの為のオムツ交換台などしっかりと揃っています。


左右の壁には東京オリンピックのロゴデザイン担当の野老さんの「HORIZON WISTERIA」が
左右対称の色合いで設置されています。
これは穏やかな水平線で無事の航海を願っているそうです。


今回、一番驚いたのがエレベーターの存在でした。


伊豆諸島開発としては初のエレベーターだそうです。
バリアフリーとしては欠かせない存在。
航行中は使えないそうですが、
年配の方にとっても上の空間を利用するのにとても大事な設備です。
設置も維持管理もコストがかかる分ですが、よくぞ設置してくれたと思いました。


こちらは荷物置き場。
今回はくろしお丸見学会用のグッツが沢山置かれていました(#^.^#)


ははじま丸で特に気の利いて人気のある冷蔵庫の存在。
くろしお丸でも設置してありました。
父島でバターやケーキを買って帰るときに重宝します(#^.^#)


水飲み場もありました☆


その先には雑魚寝用のスペースが広く4区画ありました。
これはバリアフリーの雑魚寝区画と合わせると、ははじま丸より広い印象です。


外の通路から見るとこんな感じです。



■上の階に上がります。
これは喫煙ルーム。


僕はタバコを吸わないので使いませんが、
一人くらいしか入れない、プライベートな個室です。
贅沢な一服になりそうですね(#^.^#)


通路には船体の案内板がありました☆


こちらは椅子席です。
観光協会会長が気に入って座っておりました(笑)。


2階にもコンパクトですが荷物置きが設置されていました。


そこから外に出るとこんな感じです。
前のゆり丸と比べると雲泥の差です。
超快適♪



■そのまま正面に回るとコンテナを収納するスペースになります。
コンテナはははじま丸より3つ多く収納出来て、
あおがしま丸より2つ少ない収納の規模と言っていました。

青ヶ島は就航率50%と言われていて、特に海のあれる冬場は物資がなかなか届かない、
過酷な環境です。(この時点でもまだ年明けてずっと欠航と聞いています)
このくろしお丸がより快適な生活航路になることを祈るばかりです。

妻が青ヶ島の大ファンで、さらに次女がお世話になったことから、
青ヶ島にとてもご縁を感じていて、
この船のつながりも何だか嬉しい限りなのです(#^.^#)


今回は見学会ということで特別に操舵室もお邪魔させてもらいました♪


みんな歓声が上がる場所ですね。
色んな計器がびっしりとあって、なかなか面白いです☆


島のみんなも色々と眺めています。


正面には方位磁石と双眼鏡。


上部には角度針や時計。


2つのエンジンの出力レバー。


背部には色んな連絡と監視ツール。


レーダー。


くろしお丸が鮫が崎沖で1周回ってははじま丸とえい航した軌跡が残っていますね。


父島・二見湾の盾でしょうか?


神棚もしっかりと祀られていました。


昔ながらの海図卓?もありました。



■外には緊急用の設備がありました。
なんだか文字が可愛い♡


一番上の外通路からの眺めもいいもんです♪


後ろに回り込むと煙突の間近に来れます。


これは救命ボート。
いざってときの切り札です。
ミニくろしお丸とかって名前ならいいのに(笑)。


後部には展望デッキ。
椅子もあります。


海鳥やクジラを見るにはここでしょう!


僕が船に乗るといつもいるスペースになりそうです(笑)。


最高の眺めです♪


こちらは後部で一番下のスペースです。
これは見学会用に開放されていて、普段は入れない空間だそうです。
危ないですからね。


案内板です。


最後に家族で記念撮影☆
どうも有難うございました



■こうして試験航海で船内も拝見させてもらって、
本当に貴重な経験をさせて頂きました。


くろしお丸は母島に1泊して、明日の9時に母島を出港するそうです。
なんとクリスマスから15日間欠航だったあおがしま丸が船底に穴が開いてしまったらしく、
なんと1/11まで欠航が決まってしまったそうです。
当初の予定とは違い、少し早めていきなり青ヶ島航路で活躍するかも知れませんね。


見学会にお邪魔して、沢山の素敵な記念品も頂きました♡

タオルにバンダナ(ハンカチ?)。

一発で分かってしまった青ヶ島ロゴの素敵な一品(#^.^#)


さらにくろしお丸の詳細な案内。



今回の試験航海と見学会を通して、
開発に関わった皆さんの創意工夫がビンビンと伝わって来ました。

ここ数年でおがさわら丸もははじま丸も新しくなり、格段と進化しました。
乗客が気持ちよく過ごせるように、本当に色んな箇所に気を遣ってあって、
これは本当に真心の結晶だなぁと感じさせられました♪

明日は父島に渡り、父島で見学会です。
・小笠原 父島 1 月 9 日(日) 11 時~13 時
・八丈島 1 月 12 日(水) 9 時~10 時
・ 青ヶ島 1 月 12 日(水) 14 時~15時
自分も関わって、顔を知っている友人や知人がいる島と島をつなぐ船。
ご縁をつなぐ一期一会の船。

パンフには
【船が来たら島の子供たちが笑って迎えてくれる、そんな船を目指しました】とあります。

そんな想いに満ちた1日となりました。
本当にありがとうございました!!

ありがとう!ゆり丸 その①~小笠原航路 最終運航

2021年02月10日 | 母島 船舶
■2021年2月10日の朝と前日の夕方に2回、防災無線が鳴りました。
【ゆり丸の小笠原航路の最終運航となります】
その短い1文には、言葉にならない想いが十分に伝わって来ました。

母島の暮らしを支えてきた船がまたひとつ引退を迎える日が来ました。
ゆり丸は今年いっぱいで引退が決まっているのです。
ホントはもっと盛大にセレモニーを行いたい!
でも、今はコロナ禍の緊急事態宣言の最中です。

盛大なイベントは行えない。
だからこそ、どうやって感謝を表現できるのか?

特に告知されない中、厳かにゆり丸を見送りたい、最後をこの目で見たい、
そんな気持ちに突き動かされた人々がみんなマスクをして、
港に集まりました。

そこでは厳かに引退セレモニーが小規模でひっそりと行われていました。


■「ゆり丸」は母島~父島間を結ぶ定期船「ははじま丸」と同じ伊豆諸島開発が運航している船です。
いつもははじま丸が船舶検査(通常:ドック)中に代替船として、父島~母島航路を運航してくれます。

平成10年(1998年)から運行していて、普段は伊豆諸島の全ての島の産業廃棄物や一般廃棄物、貨物を運んでいます。
青ヶ島~八丈航路の「あおがしま丸」のドック中なども同様に代替船として運行しています。
古くだと、トカラ列島の代替船としても運行していた過去があるそうです☆

【ゆり丸】
総トン数 469トン
全長 62m
旅客営業定員 沿海90人(近海40人)
航海速力 13.5ノット
主機馬力: 2,000馬力
竣工 平成10年2月25日

島ではよく「ゆれ丸」なんて言われます。
それはドック中のよく海況の悪い、冬の海を運航することが多く、
おまけに船の横揺れ軽減装置「スタビライザー」が未搭載だからなのでしょう。

しかし、船乗りからすると、「とんでもない!とても揺れない良い船だ!」なのだそうです。

伊豆諸島開発は全部で3隻の船を運航していて、
「ははじま丸」
「ゆり丸」
「あおがしま丸」
なのです。

なんて僻地の赤字航路ばかりを支えてくれているのでしょう♪

ちなみにこのクロスとクリアファイルはゆり丸引退記念で限定販売されているものです(*^_^*)

元々、貨物船に乗るのが好きな夫婦です(笑)。
これで気に入らない方がおかしいでしょう(*^_^*)

2016年のははじま丸の交代式
2018年の第二十八共勝丸の引退
そして、
2021年秋のゆり丸の引退。

返還50周年を過ぎたタイミングだからでしょうか?
近年大好きな船の交代が続きます。
やっぱり寂しいです。
精一杯、私達の暮らしを支えてくれた船なのだから、精一杯感謝の気持ちを伝えたいです。


■ゆり丸とのお別れの日は、なんだか綺麗な綿あめの様な筋状の雲でした☆
島の友達や妻と「綺麗な雲だね~」と言い合えたのがなんか嬉しかったり(*^_^*)

見送りの為に急いで山の仕事から下りてくると、
告知されていないセレモニーが始まっていました!

役場の母島支所長の言葉、

そしてM船長からの言葉、

そして花束贈呈。

祝福するかのような青空といい天気の下でした。

本当にありがとうございました(*^_^*)


■ゆり丸の今秋の引退を知っていたので、
この1週間は夫婦でソワソワとしていました。
今朝は朝から妻と次女がゆり丸に捧げるレイを作っていて、
学校に行くギリギリまで作業をしていました。

セレモニー後、

レイはM船長の粋な計らいで、操舵室に招き入れてくれて、みんなが見える高い位置にかけさせて頂きました♪


こんなところです。

M船長ありがとうございます!!

少し、去年「あおがしま丸」で妻子が青ヶ島に渡った話は知っていて、
船長もすっかりご存知でした(*^_^*)
※ゆり丸とはは丸、あおがしま丸の船員は交代し合っているのです☆


船長が離岸接岸の時に周囲を確認して操舵する場所です。


ついでに操舵席にもハイビスカスを添えさせていただきました☆


計器類の中に赤い花が映えますね♪



■島の友人の一人も役目を終えて、引き揚げとなりました。

一緒に沢山カヌーを漕いだり、青年会をやったり、誰からも好かれる素敵なYちゃん。

お酒がめっっちゃ大好きで、見送りのお土産がみんな
ビールだお酒だおつまみだで大笑い(笑)。

終いにはチョコを持ってきてくれた友人。
よく見るとウイスキーボンボンならぬ、焼酎ボンボンでした(笑)。

「いやあ、酒がガソリンだからね!!」
と笑顔で乗っていきました(*^_^*)
行ってらっしゃい♪

■そして保育園の子供達が見送りに来てくれていました!
しかも手作りの横断幕を持って(ToT)/~~~

なんて素敵なんだ~(*^_^*)

子供達は
「ありがと~!」「げんきでね~!」と叫んでいます。

うちの長女が第二十八共勝丸の引退見送りの時に大号泣していたのを思い出しました。

このゆり丸がいなければ、母島はおが丸ドックとは別に3週間のアクセスのない離島になっていたかも知れません。
本当にゆり丸がここに来てくれることが、どれだけ有難いか…
再度、確認した気持ちです。

今回はいつもやらない紙テープまで用意してくれていました。

短いけど、想いのこもった放送をしてくれたり、
厳かにセレモニーをしてくれたり、
ちゃっかり紙テープまで用意してたり、
ほんとやる事が人情ですね(*^_^*)

なんかこっちまで嬉しくなってしまいます☆

色んな島の暮らしを支えてくれていたゆり丸。
どうもありがとう!!
これで小笠原航路としては引退となります。

また次の嫁ぎ先や、次の新船については詳細が分かっていないので、
分かり次第、また記事に書こうと思います。

最後に小笠原航路 最後の運航を動画でご覧ください。


その②はゆり丸のアナザーストーリーとして、記事を書こうと思います。
そちらもお楽しみに(*^_^*)






島の暮らしを支える貨物船・新「共勝丸」参上!!

2019年01月22日 | 母島 船舶
■2018年12月19日、第二十八共勝丸が母島で最後の雄姿を見せてくれました。
多くの関係者、島民に見送られてのお別れでした。
長女の涙が忘れられません。

そして時は流れ、2019年1月21日。
ついに新「共勝丸」が就航後はじめて母島の沖港に入港しました!

今回は船体に黄緑のラインが入り、空色から濃いブルーに色が変わりました!
船の長さも1mほど長くなり、重さも8トン重くなったそうですが、
レイアウトはあまり大きく変更が無いように見えます。

しかし、共勝丸を迎える為に鮫が先展望台で待っていた僕たち夫婦の耳に聞こえてきたのは、
あの共勝丸の聞きなれたポンポンというエンジン音でした♪

速度は12.8ノットとなり、23km/hくらいの速さで航海できます(先代は11ノット)。

この日はとても海況が悪く、頑張って母島に資材を初届けに来てくれているのです(*^_^*)

なんか、すべてが新しく変わっていく中で、
前の代の名残りが残っていることに、嬉しい気持ちになってしまうのはどうしてでしょう(笑)?


気になる旅客定員は先代の半分の4名+αとなりました。
通常、父島~東京間では一般客を乗せることはないようですが、緊急時はその限りではないでしょう。

来る時間と日程が決まった前日の段階で村内に放送もかかり、
多くの関係者、島民がお迎えに集まりました♪


こちらが新「共勝丸」が母島に入港する動画です。

風が強く、懐かしいエンジン音はほぼ聞こえませんね(笑)。

■新しく生まれ変わった共勝丸。

今までの様に船名の前に数字が入る形式をやめ、今回はシンプルに「共勝丸」だけになりました。

正面はこんな顔です☆

船の後方には先代にはなかったクレーンが付いています。


「かねに」印のファンネルマークの書体も変わりました!!


なんとその後ろには先代ではなかった(残っていなかった)旗も付いていました!!



■共勝丸が入港して、歓迎セレモニーが開かれました。

本当に多くの島民も参加しています!

歓迎の横断幕も!!

父母アクセスの代表のスピーチ後、
株式会社共勝丸の代表の方から丁寧なご挨拶がありました。

母島からは素敵なお祝いの花束が贈られました。

共勝丸からは島の小中学生に向けて、
素敵な新「共勝丸」のペーパークラフトと絵葉書が贈られました。

歴代の共勝丸の歴史も書かれており、読み応え十分の嬉しい内容です☆
本当にありがとうございます(*^_^*)

なんだかとても厳かでいい雰囲気でした♡

最後にみんなで共勝丸を背景に記念撮影。


船もピカピカだし、なんだか新鮮な気持ちになってしまいます(*^_^*)

舫綱(もやいづな)もまだまだ綺麗なのが新鮮ですね♡

■前回の記事で有り余るほどの共勝丸への愛を持つ妻について書きました。
そりゃもう、最後の航海で乗って母島から父島へ行ってしまう程ですからね(笑)。

そんな妻には船長が直々に挨拶に来てくれました。
とっても嬉しそうでした♡
仙台生まれの僕にとっては東北訛りの言葉がとても懐かしくて嬉しかったです(#^.^#)


■最後に嬉しいニュースが内地の方より届けられました!
去年、小笠原航路という役目を終えた第二十八共勝丸。

現在、海外への旅立ちまでの一時を西伊豆の安良里で過ごしているそうなのですが、
な、なんと!現在定期検査の為にドック入りしている現在就航中の「三代目ははじま丸」と共に過ごしているとのことです!!

左に三代目ははじま丸、右に第二十八共勝丸。

三代目ははじま丸は陸に上げられて、現在定期検査の真っ最中☆
まさか同じ西伊豆にいるとは(*^_^*)

わざわざこんな情報と写真を送ってくれたNさん、どうもありがとうございます!

第二十八共勝丸は第二の人生をソロモン諸島で過ごすと言われていますが、
なんとそこでは先代・二代目ははじま丸も活躍していると聞いています。

小笠原を遠く離れた日本本土、そして海外でまで共に小笠原の海で過ごした仲間と過ごせるというのは、
なんだか嬉しいものです(#^.^#)


島の暮らしを陰で支えてくれる共勝丸。

荷役をする作業員、船員さんを含め、
これからもどうぞよろしくお願いしますm(__)m

第二十八共勝丸 最後の航海 ~アナザー・ストーリー

2018年12月19日 | 母島 船舶
■2018年12月19日、島の暮らしを支える貨物船「第二十八共勝丸」が最後の航海をするにあたり、母島でも引退セレモニーが行われました。

共勝丸は島の生活には欠かせない存在です。
主に車両や建築資材、ガソリンやガスの危険物など
客も乗せるおがさわら丸が運べないものを運んでくれます。

帰りは産業廃棄物などを運搬してくれています。

この度、1993年から25年間、島の暮らしを支え続けてくれていましたが、
老朽化が進み、この度新造船と代わることになりました。

ちなみに船名の「第二十八~ 」は、
1から順番に船が造られたわけではなく、その都度名づけられるそうです。
「第二十八~ 」は、末広がりの縁起をかついだ船名なのだそうです。

次の人生は旧ははじま丸と同じ、ソロモン諸島で活躍してくれるそうです。
小笠原で活躍した2つの船が遠く離れた同じ地で活躍するなんて、なんだか不思議ですね♪

母島の引退セレモニーは当初、予定されていませんでした。
出発の時間などが読めない理由からでしたが、積荷作業の関係では母島に最後1泊することになり、
朝の出発が確定したので、急遽セレモニーが決定しました。

多くの島民や学校関係者も
島のライフラインを支えてくれた共勝丸の引退を見送る為に集まりました。

島の事務所長、船長から挨拶を頂き、
父島~母島アクセスの会からは感謝状が贈られました。


普段、普通に暮らしていて関わる機会は少ない共勝丸ですが、
我が家にとってはとても大きな存在の共勝丸。

今回はそのもう一つの物語を記したいと思います。


最後にはは丸と交錯する第二十八共勝丸

■うちの奥さんは別名「共勝の女」と呼ばれたほど、共勝丸が大好きな人です(爆)。
僕と結婚するまでに2回小笠原に来ているのですが、その時のアクセス手段はもちろん共勝丸のみ。
独身時代、一度も定期船おがさわら丸&ははじま丸に乗ったことがなかったツワモノです(笑)。

今回、村内放送の予定すらなかった母島の引退セレモニーですが、
冒頭に書いたように開催が決まり、村民向けに流れた瞬間に、
嬉しくて思わず泣いてしまうほど共勝丸を愛している人です(*^_^*)

この最後の航海の日程が決まってから、
この日が近づくにつれてソワソワしていました(笑)。

結婚当時はまだ普通のお客さんも乗せてくれていた時代でした。
東京~父島まで18000円(食事付き)、2段ベットに湯船もある贅沢な船旅。

当時の船員さんたちは本社がある宮城県、石巻の人々がほとんど。
とても気さくで優しい船員さん達です。
訛りの強い東北弁を話すので、人によっては何を言っているか分からないこともしばしば(笑)。
その点、僕は東北出身なのでほとんど何を言っているか分かります♪

共勝丸の着く岸壁には沢山の資材とフォークリフト。

■そして、2006年に家族で日本1周旅行をした帰りに共勝丸で父島に帰りました。
その時は海が悪く、4泊5日の船旅でした(笑)。

写真は当時の月島で乗船するときのものです♪

一度、伊豆大島まで進みましたが、時化の為に館山沖に引き返したのです。
それは、積荷が破損しないための配慮でした。
島から本土に向かう場合はゴミなど産業廃棄物ばかりなので、そういうときは多少の時化でも行くそうです。

丁度2月3日の節分の日だったので、
館山に接岸してもらい、コンビニで節分の豆を購入し、船内で豆まきを行いました♡
当時3歳の長女も、沢山デザートをもらったりして、本当に良くしてもらいました。

その時、奇遇にも一緒に船に乗っていたヤギが今飼っている「なつ」なのです。
運命の不思議ですね~

最後の積み込みを行う共勝丸

■また、2008年に僕の母がカナダで危篤状態に陥ったとき、その連絡は定期船おがさわら丸が出港した直後でした。
その時、運良く共勝丸が翌日に東京に向けて出港するタイミングでした。
すぐに乗せてもらうようにお願いをしに行きました。

役場でパスポートの緊急発行の手続きを行い、緊急で航空券も手配してもらいました。
人生初めての外国に行くのがまさかこんな理由とは。

当時の写真です。27歳なので若いですね(笑)。

飛行機に間に合うか、初めての海外はどうなのか?
不安な気持ちの僕に船員さんたちはとても優しく接してくれました。
「大丈夫だ。絶対に間に合うように届けてやるから、安心してけろ」
この言葉がどんなに頼もしかった事か!!

船内ではゲームやビデオなど沢山のおもてなしを受けました♡

その後、無事に予定通りカナダに渡れて、脳死状態の母と対面し、最後の務めを果たして来れました。


これは石次郎海岸から撮影しました

■そして、忘れられないのが3.11東日本大震災の時の事です。
当時のブログ記事がこちらです。

宮城県石巻に本社のある共勝丸。
その本社は大津波で壊滅的な被害を受けました。
その時、社長さんも行方不明となっていたのです。(後に死亡が確認されました。ご冥福を祈ります)

震災発生直後、共勝丸の船員は一度、石巻に向かいますが、
すぐに小笠原に向けて出港します。

自分たちのホームグラウンドが大変な事になっているのにも関わらず、
小笠原を目指してくれたのは、
小笠原の人々のライフラインとして重要な役目を担っているからだと聞きました。

そんな状態で島に向かってくる共勝丸の船員さんたちを、
どう迎えたらいいのか。
どう感謝の気持ちを伝えたらいいのか。

仙台出身の僕は、
共勝丸が大好きな妻は、
何か役目がある気がして、寄せ書きを集めて渡しました。

自分たちにできることはこれくらいしかありませんでした。

なのに後日、島の「子供たちへありがとうの気持ちを」と沢山のお菓子を届けてくれたのです!!

この時の事は本当に忘れられません。
本当にありがとうございます!


鮫が先展望台から共勝丸のいる沖港を望む

■他にも台風でおが丸が欠航している最中、
共勝丸が物資を届けてくれて、
それに感激した母島の皆さんが共勝丸の歌を作ったエピソードもあったそうです♪(←すごく聴いてみたい!)

また、1月の定期船おがさわら丸が船舶検査のために3週間のドック入りしている間、
島の生鮮食品と郵便を運搬する重要な役目も果たしてくれています。

島の暮らしに欠かせないガソリンもドラム缶に入って共勝丸が運んでくれています。

そして、沢山の産業廃棄物。

このいわゆるトン袋が港に沢山積まれると、
ああ共勝丸が来るんだなと分かります。

リユースするお酒のビンだって、運んでくれています!


知らない間に私達の生活を支えてくれているのです。

母島最期の夜の共勝丸

■いよいよ最後のお別れの時が来ました。

その場の全員で記念撮影をしました。

共勝を愛する妻はなんと乗船して、父島に向かって行ってしまいました(笑)。


長女はもう大粒の涙を流しています。

さびしいよね。
ありがとうだね。
いってらっしゃいだね。


よく見ると本当に活躍した爪痕だらけの船体です。

この2年は船艇に穴が開いてしまったり、エンジントラブルが続いたり、本当に大変だったと思います。
まずは、お疲れさまでしたと言いたいです。

長女はこの見送りの為に、
授業を少し抜けさせてもらって来ました。
彼女にとって大事に思う部分なのでしょう。
はは丸の交代式を思い出します。

灯台を過ぎて、堤防に隠れつつあるなかでも、最後まで彼女は見送っていました。
その姿をみて、20年以上前から共勝丸に関わってきた人が目に涙を浮かべていました。

こんなに我が家にとっても沢山のドラマを持っていた共勝丸。
関わった人の数だけのドラマがあるでしょう。
この船は第二の人生をソロモン諸島で旧はは丸と一緒に活躍するんだね。

次からは新しい共勝丸が島のライフラインを支えてくれます。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

どうもありがとうございました!!

出港の瞬間の動画も撮りました(Kくん、カメラをありがとう!)。


その後、父島でもセレモニーが行われたそうです☆
写真が送られてきました(*^_^*)

父島のセレモニーや最後の出港はオガツアーのおがちゃんがブログに書いてくれています♪

ははじま丸の交代式 2016.07.01

2016年07月02日 | 母島 船舶
■「ありがとう~!」「元気でね~!」「寂しいよ~!!」
子供達の素直な声が響き渡ります。

目から涙を流している人もいます。


Photo by MISA.M
2016年7月1日は「ははじま丸」の交代式でした。
25年間という長い期間、
述べ47万人の人を運んだははじま丸。

この日、新しいははじま丸と交替し、
父島~母島航路を引退しました。

左が旧ははじま丸、右が新ははじま丸です。

朝は雨が降り、心配した交代式でしたが、
いざ予定の時刻になってみれば素晴らしい天候に恵まれました!

本来は父島で交代し、
母島に初就航する予定だったようですが、
「母島のための船だから、母島で交代式をして欲しい!」
との声に応えてくれて、母島で実現した経緯があります♪
ありがとうございます!!


小学生が船員さん達に花束を贈呈し、

中学生がレイを贈ります。


最後はみんなで記念撮影。


雨の日も風の日も安全に運航してくれました。
冬の海の悪い時期に乗り、下の2等船室は泣き叫びながらも吐く子供達の阿鼻叫喚の状態の時もありました。

14年前、母島のユースで働くために初めて乗ったのがこの船でした。

それから一体何度お世話になったか分からないほどです。

子供を上のデッキで抱きながら
海鳥を見たり、
イルカやクジラを見たり、
色んな思い出が詰まった船でもあります。


沢山のテープを切りながら離れていくははじま丸。

長い長い汽笛を鳴らすと、
それに応えるかのように新ははじま丸が長い汽笛を鳴らします。
その汽笛の音で「最後なんだな」と分かり、グッときてしまいました。

「ありがとう~~!」
「元気でね~~!!!」
涙ぐむ人の姿も見えました。

次女(小1)は淋しくて大号泣でした。←予想外
その後、夜まではは丸の絵葉書を見ては、
なんども泣く始末。

まさかそんなに思い入れがあったとは!

考えてみれば、
子供にとっても何度も見送りをした、
何度も乗った
思い出深い船だったのですね♪

旧ははじま丸はまずはそのまま静岡のドックに入り、
船員さんは休暇となるそうです。

本当にお疲れ様でした!

その後はソロモン諸島で第二の人生を送るそうです。
25年間、本当にどうもありがとうございました!

ありがとう!共勝丸!!

2011年10月11日 | 母島 船舶
■先日、小笠原に貨物、危険物(燃料、ガス)を運ぶ船共勝丸が入港しました。
実はこの船は本社が宮城県石巻で、今回の大津波の被害を受けました。

3.11の直後に小笠原に貨物を運び、船員さんたちも石巻へ向かいました。
船員さんの家族もほとんどが石巻なのです。

その後、少し遅れてまた島に生活物資を運びに来てくれました。
自分達の家族が被災し、大変な中、小笠原の島民の暮らしの為の物資を運んでくれたのです!

そこで、僕達も日頃からお世話になり、島の根っこを支えてくれる共勝丸の皆さんに何か出来ないかと考えました。
悩んだ挙句、島の人達からのエールの寄せ書きを送ることになったのです。
仙台出身の僕がその集める役をさせて頂きました。

そして、沢山の島の人達が暖かいメッセージを書いてくれました。

かける言葉がなかなか見つからず、本当に重い気持ちでしたが、それを船長に渡し、日頃の感謝の気持ちを伝えました。

■そして先日の共勝丸の入港前、船員さんから、
「前の寄せ書きのお返しに、お菓子と飲み物を沢山持ってきたから、取りに来てくれないか?」
と、連絡がありました。

そんな、大変な被災者の皆さんからお返しを頂くわけにはいきません!
と思ったのですが、1000kmもわざわざ運んできてくれ、船員さんの気持ちも受けなければなぁと考え、港に向かいました。

忙しい中、小中学校の校長も、6年生の生徒も、未就学のこどもたちも港にかけつけてくれました。
荷降ろしの忙しい中、船員さん全員が船を降りてきてくれ、プレゼントの引渡しを受けました。

6年生のふたりが素晴らしいお礼を述べ、感謝の気持ちを伝えました。
本当にありがとうございます。

この沢山の気持ちは後日、島のすべての子供に配ります。

日々島の為に動いてくれている縁の下の力持ちの存在を感じて、
感謝を込め、
いただきます。

共勝丸の皆さん、どうもありがとうございます。