■9月は議員になって2回目の定例会で、色んな質問や動き、まとめをしていたら、
あっという間に20日間も経過していました(#^.^#)
議会の方は議員HPやFacebookページの方でアップしてありますので、
そちらをご覧ください(^^♪
この間、議会の他には4年ぶりのカヌー大会や素敵なライヴイベントなどがありました。
そちらは追々アップしていきたいと思います。
まずはタイトルの通り、カノー(アウトリガーカヌーの島の呼び名)の石器を今回、
手に触れて感じたことを書いていきたいと思います。
■この一見、ただの細長い石。
これはただの石ではなく、
磨製石器と呼ばれるもの。
先史時代に小笠原の島々に人の暮らしがあり、
カヌーを彫っていた石器と言われています。
そのきっかけとなった、昭和58年に父島の西町で見付かった丸ノミ石斧。
このドラマは発見者の方からのリクエストで、現在の保管場所を探すことから始まりました。
この石斧は父島の教育委員会の金庫に大切に保管されています。
発見者は現在、島の暮らしを支える貨物船、共勝丸の所長さんです。
たまたま5月、島のおがさわら丸ドック中の物資問題で東京の共勝丸事務所を訪れて話していた時から、
カヌーの話になり、この石斧の話になったのです。
島に戻ってから父島の教育委員会、
そして東京都のビジターセンターの係の方にも一生懸命探してもらいました。
そして、なんとかこの石斧が見つかりました!。
その節は本当にありがとうございました☆
これは先史時代に小笠原にカヌーの民が暮らしていたことを示す、重要な発見でした。
発見が地層とかではなく、旧島民の改築の家からだったので、
出所が不明で重要文化財の指定にはしにくいようですが、
戦前から確実にトウモロコシ等を潰す道具として使われていました。
この石斧の発見がきっかけで東京都の考古学調査の予算が2年間分ついて、
三日月山の遺跡、母島の沖村遺跡、北硫黄島の石野遺跡の発見につながっているのです。
それらの発見は、現在定説となっている江戸時代に最初の定住者と言われているナサニエル・セーボレーらの時代から
現代に至る小笠原定住の歴史の前の時代に人の暮らしが島に有った事を示す、重要なものでした。
カヌー文化研究会の映像を同じ議員仲間の清水さんのFacebookで知ることが出来ました。
9分ごろから小笠原のカヌーについても触れられています。
この石斧へのドラマをきっかけに、島のアナログ映像資料のデジタル化、
その後はケーブルテレビやYoutube配信で有効に活用できる仕組みができないかと思っています。
9月の議会で小笠原の文化財産の管理と有効活用について、
一般質問を行いました。
→議事録はこちら
今回の一連の動きで、デジタル保存化は進むことになったので、
とても嬉しく思います★
■そんな石斧にまつわる発信をしていたら、
世界的にも有名なハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」の話が友人から舞い込んできました(#^.^#)
2026年、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」が太平洋航海を実施し、
日本にも寄港することが決まっています。
小笠原では先史時代に人が住んでいたことが分かっていて、
その手掛かりはカヌーを彫っていた石器の存在があります。
石器は父島、北硫黄島から見つかっています(母島は貝の道具が発見)。
その石器は伊豆諸島とマリアナ諸島の石器に類似していて、
先史時代にカヌーで人が行き来していたと考えられています。
ホクレアは70年代に建造され、最初のハワイ~タヒチ間の伝統航海を成功させてから、
各地の先住民のアイデンティティを蘇らせてきています。
日本で現代に通じる文化の中で、一番最初にアウトリガーカヌーが伝わったのが小笠原です。
今もカヌーは使われています。
しかし、文化という意味でも太平洋戦争時の強制疎開が大きな影響を与え、
戦前と戦後では大きく分断し、現在はまさに文化の形成途上にあると思います。
そんな小笠原だからこそ、ホクレアに来てもらいたい。
色んな島のスピリットを蘇らせたいと願っています。
そして、小笠原とミクロネシアを繋ぐルートを復活させたいと願っています。
今、僕が踊っている郷土芸能の南洋踊り。
これは確実に南から来ている文化です。
カヌーを漕ぎ、南洋踊りを踊る時に意識することは、
先史時代の島の民の暮らしと、南への航路なのです。
昨晩、ハワイのネイティブの教えを学ばせてくれた、
たろちゃんと久しぶりにお話をして、
丁度、先日大事な石器を手で触れて、
改めて、歴史と文化とご縁が繋がる奇跡を感じています。
どうもありがとう!
たろちゃんがアロハ未来という、
2007年ホクレアの日本公開の時のドキュメンタリー映像を教えてくれました♪
He Wa’a He Moku, He Moku He Wa’a
Mahalo!!!
Aloha 未来
あっという間に20日間も経過していました(#^.^#)
議会の方は議員HPやFacebookページの方でアップしてありますので、
そちらをご覧ください(^^♪
この間、議会の他には4年ぶりのカヌー大会や素敵なライヴイベントなどがありました。
そちらは追々アップしていきたいと思います。
まずはタイトルの通り、カノー(アウトリガーカヌーの島の呼び名)の石器を今回、
手に触れて感じたことを書いていきたいと思います。
■この一見、ただの細長い石。
これはただの石ではなく、
磨製石器と呼ばれるもの。
先史時代に小笠原の島々に人の暮らしがあり、
カヌーを彫っていた石器と言われています。
そのきっかけとなった、昭和58年に父島の西町で見付かった丸ノミ石斧。
このドラマは発見者の方からのリクエストで、現在の保管場所を探すことから始まりました。
この石斧は父島の教育委員会の金庫に大切に保管されています。
発見者は現在、島の暮らしを支える貨物船、共勝丸の所長さんです。
たまたま5月、島のおがさわら丸ドック中の物資問題で東京の共勝丸事務所を訪れて話していた時から、
カヌーの話になり、この石斧の話になったのです。
島に戻ってから父島の教育委員会、
そして東京都のビジターセンターの係の方にも一生懸命探してもらいました。
そして、なんとかこの石斧が見つかりました!。
その節は本当にありがとうございました☆
これは先史時代に小笠原にカヌーの民が暮らしていたことを示す、重要な発見でした。
発見が地層とかではなく、旧島民の改築の家からだったので、
出所が不明で重要文化財の指定にはしにくいようですが、
戦前から確実にトウモロコシ等を潰す道具として使われていました。
この石斧の発見がきっかけで東京都の考古学調査の予算が2年間分ついて、
三日月山の遺跡、母島の沖村遺跡、北硫黄島の石野遺跡の発見につながっているのです。
それらの発見は、現在定説となっている江戸時代に最初の定住者と言われているナサニエル・セーボレーらの時代から
現代に至る小笠原定住の歴史の前の時代に人の暮らしが島に有った事を示す、重要なものでした。
カヌー文化研究会の映像を同じ議員仲間の清水さんのFacebookで知ることが出来ました。
9分ごろから小笠原のカヌーについても触れられています。
この石斧へのドラマをきっかけに、島のアナログ映像資料のデジタル化、
その後はケーブルテレビやYoutube配信で有効に活用できる仕組みができないかと思っています。
9月の議会で小笠原の文化財産の管理と有効活用について、
一般質問を行いました。
→議事録はこちら
今回の一連の動きで、デジタル保存化は進むことになったので、
とても嬉しく思います★
■そんな石斧にまつわる発信をしていたら、
世界的にも有名なハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」の話が友人から舞い込んできました(#^.^#)
2026年、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」が太平洋航海を実施し、
日本にも寄港することが決まっています。
小笠原では先史時代に人が住んでいたことが分かっていて、
その手掛かりはカヌーを彫っていた石器の存在があります。
石器は父島、北硫黄島から見つかっています(母島は貝の道具が発見)。
その石器は伊豆諸島とマリアナ諸島の石器に類似していて、
先史時代にカヌーで人が行き来していたと考えられています。
ホクレアは70年代に建造され、最初のハワイ~タヒチ間の伝統航海を成功させてから、
各地の先住民のアイデンティティを蘇らせてきています。
日本で現代に通じる文化の中で、一番最初にアウトリガーカヌーが伝わったのが小笠原です。
今もカヌーは使われています。
しかし、文化という意味でも太平洋戦争時の強制疎開が大きな影響を与え、
戦前と戦後では大きく分断し、現在はまさに文化の形成途上にあると思います。
そんな小笠原だからこそ、ホクレアに来てもらいたい。
色んな島のスピリットを蘇らせたいと願っています。
そして、小笠原とミクロネシアを繋ぐルートを復活させたいと願っています。
今、僕が踊っている郷土芸能の南洋踊り。
これは確実に南から来ている文化です。
カヌーを漕ぎ、南洋踊りを踊る時に意識することは、
先史時代の島の民の暮らしと、南への航路なのです。
昨晩、ハワイのネイティブの教えを学ばせてくれた、
たろちゃんと久しぶりにお話をして、
丁度、先日大事な石器を手で触れて、
改めて、歴史と文化とご縁が繋がる奇跡を感じています。
どうもありがとう!
たろちゃんがアロハ未来という、
2007年ホクレアの日本公開の時のドキュメンタリー映像を教えてくれました♪
He Wa’a He Moku, He Moku He Wa’a
Mahalo!!!
Aloha 未来