小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

7,000㎞先の新聞でみる娘の様子~長女がカナダ地方紙に

2021年11月23日 | カナダ留学 長女
■カナダのバンクーバー島最北端の小さな村に高校留学している長女。
なんと、北バンクーバー島のローカル新聞「EAGLE」に載ったと連絡が入りました。

事前の取材ですら知らなかったので、ビックリしました(#^.^#)
聞くところによると、新聞に長女が撮った写真を提供しようと連絡をしたところ、
彼女のルーツやこの町に来た経緯などに関心を持たれ、ストーリーで記事を作ってもらう事になったそうです。

せっかくなので紹介したいと思います。
(掲載文+勝手な和訳は記事の最後に載せてあります)

どういう観点から見ても、親ばかなのは間違いないのですが(笑)、
長女は写真や絵が上手いです。
カナダでもそれが健在なのはさすがですね(#^.^#)

僕と長女で同じ被写体を撮ってみて、島の人に評価してもらった時も、
歴然と差がありました。
く、悔しいけど認めます!!

撮る前から、どういう写真を撮りたいかが明確にイメージできているらしく、
スマホだろうが、コンデジだろうが1眼レフだろうが、
関係なく見事に風景を切り取ります(人物は苦手と言っていました)。


■例年だと12月の上旬の父島母島スポーツ交流大会があり、
島の多くのみんなが日々スポーツに明け暮れるこの季節、
母島の南崎にも営巣するオナガミズナギドリの巣立ちのシーズンです。

夏に生まれて、親がずっとお世話をして、
最後には親が来なくなってお腹を空かして飛び立つ海鳥の子育て。

3年前、長女は母島の中学を卒業し、
数か月の父島にある小笠原高校生活を経て、
一気に7000km彼方のカナダの公立高校に巣立っていきました。

「異文化の中にどっぷり浸かりたい」
ミズナギドリのヒナが陸から一気に大海原に飛び立つように、
長女は当時日本人が一人しかいないカナダの島の最北の小さな村に巣立っていきました。

もちろん、慣れない土地で大変だったこともあったでしょうが、
優しくて、ちょっぴり頑固な義祖父の元での海外生活はとてもエンジョイしているみたいで安心しました。

留学して1年後に小笠原高校に戻る選択肢もあったのですが、
コロナ禍でもカナダに戻ることを選択した長女。
記事にも書かれていますが、
母島とはまるで正反対の気候の中、
まあそれなりにエンジョイしているようです。

親から見て、
中学生の段階で英語はペラペラだったし(親は片言w)、
人が好きでいい意味で単純なところもあるので、
親としてはあまり心配はしていないのですが、
こうして元気そうに過ごしていそうな記事を見ると、なんだか嬉しくなります♪


■先日、母島ではコロナ禍で中止になった島嶼の子供サッカー大会「愛らんどリーグ」関係のイベントがあり、
内地からコーチが来てみんなと島嶼リフティング大会を開催してくれ、
母島の小学生も100回近くリフティングをこなして、見事入賞していました!!

こんな景色の中育った長女が、
シャチやラッコのいるカナダの北の島で暮らしているなんて、
なんだか不思議です。

今年はコロナ禍で帰国を断念しましたが、
去年帰国した時に「この日差し!!紫外線が恋しかった!!」と言って、
真っ白くなった肌を焼いていて、
とても可笑しかったのを覚えています。


■先日は近畿のほうから母島によく来ているヨットマンが来島していました。
もう20年くらい通い続けていて、
うちの夫婦が島に来た頃と時期が同じなので、
ヨットに載せてある島の人との写真アルバムが知った懐かしい顔が多くて、嬉しくなりました(#^.^#)
20代の僕も写っていました☆

台風を島でやり過ごしつつ、
また地元へ帰っていきました♪

母島を出港するときにみんなで見送ったのですが、
母島の北端の鬼岩ら辺でエンジントラブルを発見し、
ひょっこり戻って来ていて、またまた宴会が続いていたのが素敵でした☆

出港日時を決める時も、
戻ってくる時も、
ヨットマンの時間の流れは風と天候任せ。

島暮らしののんびりした時間軸ともまた違う彼の雰囲気に魅せられていました(#^.^#)
まるでスナフキンの様な、現代の枠とは違う目線、そんな感じです。



■さてさて、
去年の9月にSUPを購入してから、
可能な限り時間があれば海に出ている日が1年経過しても続いています(^_-)-☆
まだまだ飽きません(笑)。

先日は妻とカヤック&SUPで沖に出て二人で楽しんできました♪
(次女はソフトボール。みんなバラバラが我が家らしいw)

もうすぐザトウクジラが来る島の冬の季節。

その圧倒的な存在感は、SUPをしているとより顕著です。
クジラからしてみればSUPなんて木の葉みたいなもの。
こちらもその時期はライフジャケットを着て沖に出ます。
潜るとクジラのどこか哀しげな歌声が聴けるのも冬ならではです。


今期は脇浜にネムリブカ達が冬なのに集まってきています。
普段は春時期に見られるこの光景。
ネムリブカ(英名:ホワイトチップ)は繁殖ために集まってくると聞いています。

今年は何かせっかちさんでも多いのでしょうか?
SUPで上を通ると、凄い速さで波を起こしながら逃げていきます(ごめんね~!)


そして近所にはオオベニゴウカンの木が美しい花を咲かせていました。
僕はこのレッドパウダーパフとも言われる、
ネムの木系のブラシのような花系が大好きです(#^.^#)

ハワイの花でもあるオヒアレフアの仲間でしょうね。

線が細い花なので、あっという間にしなびてしまいますが、
咲いてすぐの時の姿は圧巻です♪

花言葉は「高潔・澄んだ心」だそうです。
花は色んな場面で心を癒してくれます。

小さな素朴な野の花も素敵ですし、
こうした園芸品種の花も見事で感動します♪

そんな11月の母島でした(#^.^#)


■掲載記事を転載しました☆
2021.11.26までWeb版にも掲載されているそうです。
「EAGLE 2021.11.19」

Youth swaps Japan for Port Hardy to learn English

By Kathy O'Reilly, North Island Eagle, November 19 2021


When most people want to learn a new language, they sign up for a course.
Nagiho Miyagi hopped on an airplane from Japan to Port Hardy.
Nagiho, who is attending Port Hardy Secondary School, is from Tokyo, Japan, but not from the big city that immediately comes to mind.
“I was born in Tokyo, but I’ve grown up on islands. There are about 11 isolated islands south of Tokyo including the Ogasawara Islands, and all of those belong to Tokyo,” Nagiho explains.

She is from the southernmost island of Tokyo called Hahajima which belongs to the Ogasawara Islands.
The Ogasawara Islands are a World Heritage Site. They are located 1,000 kilometres south of Tokyo and are structured by two main islands and another 30 small uninhabited islands. The two islands, where people live are Chichijima: meaning father island and Hahajima: meaning mother island. Chichijima has a population of 2,000 and Hahajima has a population of 450.

“I used to live on Chichijima up ‘til I was five and then I moved to Hahajima and then grew up there ‘til I was 15,” Nagiho said.

Nagiho moved to Port Hardy in 2019, to improve her English skills and learn about different cultures.
The Ogasawara Islands are a tourist site, visited by many people from around the world.
“I have always liked to make friends with tourists and especially enjoyed talking people from abroad since I could use my English and get to know the stories of travellers from all over the world.”

By the time she graduated from junior high school (Grade 7 to Grade 9), Nagiho aspired to live abroad where she could immerse herself in an English-only environment.
As it would happen, Nagiho’s step-grandfather Kevin Lynch has been living in Port Hardy since 2016.
“He gave me an opportunity to stay in an English-speaking country by being my legal guardian. So, I started attending PHSS when my 10th grade started and now my last year of high school has just started.”

Moving to a smaller, isolated community on the tip of Vancouver Island, from a small island, was not a huge change and it is hard to draw comparisons between the two places.
“However, if I were to compare this town to my island, I would say some (things) are in common and some are not. Since both are island communities, we have very close relationships with people in the community. It makes our bond tight, and we help each other in need,” she said.
“On the other hand, we have completely opposite types of climates and nature.” Her island was warm, and she could swim year-round. The island had palm trees and all other tropical plants, and dolphins and sea turtles in the ocean.

Nagiho Miyagi moved to Port Hardy from Japan to immerse herself in the English language.

“Here, Port Hardy is a bit colder, rainy town with beautiful tree-beard-covered evergreens. I’ve had this fantasy about evergreens, and I am extremely happy that I can see evergreens every day." She finds Port Hardy small but likes towns and finds it “nice to see people greet and hug each other everywhere.”

Nagiho also appreciates the natural world presents on the North Island.
“The scenery here is just breathtakingly beautiful every day. It rains a lot here, but I realized that it also means we can see rainbows just as often as it rains,” she said.

“The beauty of North Island is in the humidity, not just rain but also mist and fog that covers this island just like veils, I think. The sunsets among the mountain ranges are one of my favourite scenes on the North Island, especially when the sunshine comes through the foggy mountains,"
Wildlife is another thing she treasures.

"Every different species of life is living so serenely,and they are shining in Mother Nature.Since I like photography,I have taken lots of beautiful North Island photos. It makes me feel like exploring more of the North Island.
I will keep capturing the special and normal moments and scenery of the North-Island.""
In addition to become anavid photographer since moving to the North Island,Nagiho enjoys singing,drawing and painting.
There are "lots of canvasses"on the wall in her room.



【親父による不完全な和訳】
英語を学ぶために日本からポートハーディーへ

ほとんどの人が新しい言語を学びたいとき、講座に申し込みます。
彼女は日本からカナダのポートハーディに向かう飛行機に飛び乗りました。
ポートハーディ高校に通っている彼女は、日本の東京出身ですが、みなさんがすぐに頭に浮かべる大都市ではありません。
「私は東京で生まれましたが、島で育ちました。小笠原諸島を含め、東京には約11の島があり、それらもすべて東京なのです」と説明します。

彼女は小笠原諸島に属する母島と呼ばれる東京最南端の島から来ました。
小笠原諸島は世界遺産に登録されています。

小笠原諸島は東京の南1,000kmに位置し、2つの主要な島と30の小さな無人島で構成されています。

人々が住む2つの島は、
お父さんを意味する父島と
お母さんを意味する母島です。
父島の人口は2,000人、母島の人口は450人です。

「父島に住んでいたのは5歳まででしたが、
母島に引っ越してから15歳まで育ちました」

彼女は2019年にポートハーディに引っ越し、
英語を上達させ、さまざまな文化について学んできました。

小笠原諸島は、世界中から多くの人が訪れる観光地です。
「私はいつも観光客と友達になるのが大好きで、
英語を使って世界中からの旅行者の話を聞くことができたので、
特に海外からの人々と話すのが好きでした。」

彼女が中学を卒業する頃には、英語だけの環境に浸れる海外生活を目指していました。
たまたま、彼女の継祖父ケビン・リンチは2016年からポートハーディに住んでいます。
「彼は私の保護者になってくれて、英語圏の国に滞在する機会を与えてくれました。
それで、私は10年生(高校1年生)が始まったときにポートハーディー高校に入学しました。
今は高校3年の最後の年が始まったばかりです。」

小さな母島からバンクーバー島の先端にある小さな孤立したコミュニティに移動したことは大きな変化ではなく、
2つの場所を比較することは難しいでしょう。
「しかし、この町と私の島と比較すると、
共通しているものとそうでないものがあります。
どちらも島コミュニティであるため、
地域の人々と非常に緊密な関係を築いています。
それは私たちの絆を強くして、
困っている時はお互いを助けることをします」
と彼女は言いました。
「その一方で、完全に真逆の気候と自然です」
彼女の島は暖かく、一年中泳ぐことができます。
島にはヤシの木やの熱帯植物があり、
海にはイルカやウミガメがいました。

「ポートハーディは少し寒くて雨の多い町で、
木の髭で覆われた美しい常緑樹があります。
私は常緑樹について夢を抱いてきました。
毎日常緑樹を見ることができてとても嬉しいです。」
彼女はポートハーディを小さいと思いますが、町が好きで、
「人々がどこでも挨拶し、抱き合うのを眺めるのが大好き」
と感じています。

また彼女はここの自然も素晴らしいと思っています。
「ここの景色は毎日息を呑むほど美しいです。
ここは雨が多いですが、
雨が降ると同じくらい頻繁に虹が見えることに気づきました」

「ここの美しさは、雨だけでなく、
ベールのようにこの島を覆う霧や雲にあると思います。
山脈に沈む夕日は、北島での私のお気に入りの風景の1つです。
特に、霧の深い山々から太陽が降り注ぐ時は格別です。」

野生生物は彼女が大切にしているもう一つのことです。
「色んな種類の生物がとても穏やかに暮らしており、
母なる自然の中で輝いています。
私は写真が好きなので、たくさんの美しい景色の写真を撮ります。
ここをもっと探索したい気分になります。
特別な瞬間だけでなく、普通の瞬間や風景も撮っていこうと思っています」
ここに来てからは写真を撮るだけでなく、歌、絵、絵を描くことも楽しんでいます。
私の部屋の壁には「たくさんの作品」があります。


厳かな命を偲ぶ日に。

2021年11月14日 | 母島 日常 日記
■昨日、大好きな島のレジェンドが旅立ちました。
今日は朝から家族や島の仲間に囲まれ、火葬を行い、
95年間という激動の時代に魂をのせて過ごした身体も天にあがっていきました。

12年前、僕が母島に来た時からもずっとよくしてくれた、
沢山の話をしてくれた素敵な、大好きな方でした。

多感な十代まで母島で過ごし、
太平洋戦争での強制疎開を経験し、
本当に辛い時代を百姓として生き抜いてきたのです。

それなのに
とても繊細で優しくて、
いつも真剣で真面目で、寡黙な方でした。

でも、その中にとびっきりのユーモアが詰まっていて、
いつも最高の笑顔を垣間見ることができました。

「一、富士
 二、鷹
 三、なすび
 ちょ~どいいのが、あんぽんたん♡」
と、とびっきりの笑顔で話してくれた大好きな人です。

母島の南部、中ノ平に住んで沖村に歩いて通って、
海が穏やかな日は南京浜からカノーで沖港に農作物を運んでいたそうですが、
学校の行き帰りにそのカノーに便乗することも多かったと聞きました。

雨の日はマニラ坂を裸足で滑るように降りたり、
マニラ麻(サイザルアサ)の葉っぱに傷を付けて文字を描き、
後から通る友達に伝言をしたり、
山道を通うあまりに足腰が強くて「ヤマネコ」と言われるほど、
足が速かったと言います。

本当に色んな大事な話を聞かせてくれていました。

天に昇った日も、
大事な家族に囲まれて、
静かに眠るように旅立って、
またスッと起きて笑わせてくれるような、
そんな安らかな寝顔でした。

ご本人も、
ご家族も、
関わった皆さんも、
本当にお疲れ様でした。
心よりご冥福を祈ります。


■母島にはデイサービスや訪問介護を行う施設はあるものの、
老人ホームはありません。
50km隣の父島には老人ホームがあります。

“自分が過ごした母島で最期を迎えたい”
そんな願いがなかなか叶えにくい現在です。

こうして家族に見守られて、
穏やかに最期を迎えることができたことが、
言葉にならないほど心に響きました。

家族の皆さんの日々の関りには、本当に頭が下がります。

今はただ、寂しい気持ちもこみ上げてきて、
複雑な心境ですが、
数年前に先だったパートナーと天国で再開を果たして、
また笑顔で過ごしているんだなと思うと、
ほっこりする気持ちも溢れています。


■この秋は畑の烏骨鶏が4匹のヒヨコを孵し、
日々成長しています。
新しい命が巡るその様を見ていると、
なんだか、生命の儚さと力強さを垣間見させられます。

誰もが平等に訪れる「死」というもの。

僕も今年40歳となり、
少し死生観というものが変化してきた気がします。

前は漠然と畏れ(おそれ)みたいなものがあり、
人が亡くなったり、ご遺体に触れるときに、とても深い心の動きがありました。
でも、最近は死というものが何も特別なものではなく、
誰にも共通する出来事なんだというのが肌で感じることが出来るようになってきました。

そして自分がどのような最期を迎えたいかを考えるようになってきました。

今回のような、景色が色褪せてしまうほどの
厳かな気持ちにさせられる最後にはならないかも知れませんが、
最期を迎える時には
感謝の気持ちでいっぱいになるような、笑顔で迎えることを願っています。

その為には日々を大事に、
どんな出来事にも意味と役割を感じて接して、
できる限り出来事を受け入れて健やかにいれることを大事にしたいと今は思っています。



■1年前の4月。
新型コロナが世界を覆い、
医療崩壊しているイタリアのある病棟の屋上で、
一人のバイオリニストが病院の上でエールの旋律を奏でる場面。
ふと思い出して、また見たらやっぱり感動してしまいました。

当時の自分のコメントです。
「鳥肌が立ちました。
涙が溢れました。

新型コロナウイルスにより、
深刻な医療崩壊を起こしている
イタリアの病院の屋上で演奏する 横山令奈さん。

日々の疲弊する新コロナの医療関係者の皆さん。
来る日も来る日も、自分自身の感染におびえながらも、
患者さんを救おうと必死に働いていると思います。

ふと、外に出たとき、
ベランダに出たとき、
こんな美しい音色が聴こえたら、
アーティストの心意気に触れることができたなら、
またもう1日頑張れる力が沸く。
そんな気にさせられました。
ありがとうございます。

アーティストって、こんなにも凄いんだ。
こういう形で人が人を支える。
だから世界は美しい。
そう思えました。」

日々、色んな想いが交錯する島の暮らし。
人口450人の僻地な田舎の島です。
僕ができることは何でもやっていきたい、そう思っています。

理解できない理不尽な行動に首をかしげることもあります。
狭い社会ならではの課題にぶつかることもあります。
だけど、同時にそのすべてが愛おしくなる瞬間があります。

でも、僕はそんな泥臭い、人間臭い、
母島の暮らしが大好きです。

そんな母島を築いてきたレジェンドに関わることが出来て、
そしてそれを見送ることが出来て、
本当に有難い1日でした。

どうも有難うございました!


コロナ禍で無事に終了!! 母島フラオハナ2021

2021年11月06日 | フラ
■11月3日。
例年だとこの文化の日、
小笠原協会の交流会や、父島の大神山神社例大祭で相撲などに盛り上がってる頃ですが、
コロナ禍で軒並み中止の中、
母島ではフラの祭典、フラオハナが実施されました。


内地での感染者が毎日50人以下の状況となり、
島内でも発生していないとはいえ、
このコロナ禍で屋外でも人を集める久々のイベントとなりました。
(2020年12月のクリスマスイベント以来かな?)

規模や体制、広報など、
運営側も本当に試行錯誤だったと思います。
無事に終えることが出来て本当に良かったです。
どうもありがとうございました♪

去年は初のコロナ禍でオハナ自体中止となり、
中3の卒業フラとして、こじんまりと船客待合所横で実施していましたが、
今回は関係者のオハナを実施したい思いと行動で
母島小中学校の中庭で実施することが出来たようです♪

うちの次女も6年生で参加することが出来ました(^_-)-☆
本当にありがとうございました!

■コロナ禍で夏は島内でもコロナ感染者が発生し、
例年に比べてなかなか練習も難しいという状況ということもあり、
曲数も規模もコンパクトにしての実施だったようです。

●母島オハナ曲順
11月3日 17時半開始

1 アオウミガメの旅(リコ)
2 世界中の子供達(リコ)
3 パーリーシェルズ(リコ)
4 グリーンローズフラ(プア)
5 丸木舟(大人)
6 カラカウアヘイノア(プア)
  休憩
7 ホイイカプーナナ(大人)
8 パイナップルプリンセス(中学生)
9 海の声(大人)
10 小さな竹の橋(大人)
11 カヴァイレフア(中3)

アンコール
12 カイマナヒラ(全員)



■フラオハナで一番のハイライトはやはり、来春卒業する中学生の卒業フラだと思います。
2018年のオハナで長女の時に僕は保護者として初体験しましたが、
本当に心に迫る瞬間でした。

長女は心底フラが大好きで、
いつもとても楽しそうに踊っていたので、卒業と思うと色んな感情がこみ上げてきます。
涙涙の卒業フラでした。

今回は二人の中学生が踊りました。
まさに島内コロナ発生ということもあり、
例年に比べて練習時間が全然作れなかったみたいですが、
めちゃくちゃ頑張って身に着けたようです。
(指導してくれる先生方、本当に有難うございます)

先生方から素敵なレイの贈りものがあり、
卒業生側からも先生にギフトを渡し、抱き合います。

地域で他の家の子供も見送る心情の母島なだけに、
感動のひと時でした♪


■小笠原のフラは戦後にハワイでフラを学んだ方が島に持ち込み、
今や多くの世代が踊る1大文化となっています。

様々な装飾がハワイと同じものが育つ亜熱帯気候なので、
無理なく文化として浸透してきた感があります。

ハワイのような精神性、宗教性は感じられませんが、
みんな楽しく日々練習し、
こうした場で発表できる、
その家族や仲間もみんなの成果を見ることが出来る、
そんな素敵なイベントになってきています。

可愛い保育園~5年生までのリコ、
成長して見ごたえのある6年生~中3のプア、
大人の迫力と美しさのマカナ、
どれもそれぞれ魅力いっぱいのフラです♪

僕自身もフラは経験ありますが、
2019年にハワイ島に行って学んだ経験からさらに深いものになりました。
その時、ハワイのネイティヴにフラを習う経験をさせてもらったのですが、
その踊りの美しさ、精神性、意味という部分に、
やはり本場の深みが幾重にも織り込まれていて、圧巻でした。

メリー・モナークという1964年から続くハワイ島最大のフラの祭典で
指導もオープニングにも踊っている指導者と家族に直接習う経験をさせてもらいました。

島のフラも、そうした深い部分に繋がっていく事があるのかなぁと考えさせられました。
現代は無宗教が主流になってきています。



■母島フラオハナは僕が母島に来た2009年頃は、
船客待合所で実施していましたが、
どんどん踊り手も増え、観客も増え、バンドも増え、
次第に脇浜で実施するようになりました。

僕も男フラで参加していた2017年フラオハナまでが脇浜開催でした。

小笠原返還50周年の2018年フラオハナ(長女の中3卒業フラ)から、
母島オハナは規模を縮小し、学校中庭で行うようになってきました。

学校中庭の最大のメリットは、
集落の中心にあり、通いが容易であること、
設営と撤収が楽ちんということがあると思います。

脇浜開催の時は風にも天候にも左右され、
音響やテント、電源の用意など搬入する機材の数は膨大です。
しかし、それだけの頑張りで作られる熱量と一体感は格別です♡

運営側の労力を考えると、
楽ちんで気楽な学校中庭の開催はとてもコスパがいいです。
部外者を快く受け入れにくいコロナ禍では重要かもしれません。

脇浜の時は青年会や他も屋台を出し、
飲食しながら楽しむお祭り感が満載でした(#^.^#)

どちらを選んでいくか、なかなか面白い考察だと思います☆

今回は元々、小規模のオハナを想定していたらしく、
音響も照明も必要最低限の用意となったそうです。

写真を撮りたい側としたら、
暗いし、動くしでぶれてばかりでなかなか難しかったです(涙)。

そんな事よりも、
まずは企画してくれて、さらに開催までこぎつけてくれた関係者の皆さんにリスペクトです!



■こんなコロナ禍で無事に開催し、終了できたのは大きな意味に繋がったと思います。
関係者の皆さん、本当にありがとうございました!!

驚くほど内地の感染者も減ってきています。
変異株が変異しすぎて自滅してきているとも言われていますが、どうなんでしょう?
これから少しずつイベントも復活するのかな?

色んな意味でワクワクしてきました♪
島の無形文化財の南洋踊りはまだ続けていますので、
これからも色んな文化を楽しんでいきたいと思います。

どうもありがとうございました!!