小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

2年ぶりの父島で感動したこと 父島春休み編 その①

2022年04月30日 | 父島

■3月の下旬にコロナ禍になってから初の2年ぶりに父島に行ってきました!

2009年まで8年くらい住んでいた父島。

久しぶりに行ってみると、本当に刺激的で沢山の感動を頂きました(^^♪

クリエイティヴな人も多くて、素敵な友人知人が沢山いる隣の島があることはとても誇らしいです☆

ブログ記事に書こう書こうと思っていたのに、もう1か月も経過してしまいました。

長くなるので2回に分けて投稿しようと思います。

 

■今回の父島で特に感動したのは、念願のファーマーズマーケットに行けたことでした!

父島の南にある北袋沢というエリアがあり、そこのUSKコーヒーで行われる言わば市場。

僕が父島に住んでいたころはなかった素敵な空間で、

関わっている友人知人も多く、とても素晴らしい空間でした☆

野菜だけでなく、超美味しいパンやアクセサリーや工芸品、

クッキーやコーヒーなどありとあらゆる品々がならんでおり、

手作り感満載でものすごい活気溢れる空間でした♪

 

父島に住んでいたころ、

みんなが「こういうのをやりたいなぁ」と言うのを話していた気がするのですが、

こうして形になっていて、しかも大盛況で感動しまくりでした。

 

今年の10月で6年目を迎えるとの事。

月に1度の開催だそうですが、

雨の日もお客さんが来ない日も、自分の畑に作物がないときも、

ずっと続けてきたそうです。

そこが本当にすごいと思います♪

 

この場に色んな可能性とエネルギーをビンビンに感じて、感動しまくりでした。

こんな空間を作れている父島のメンバーにリスペクトです☆

小港の駐車場は車が溢れるほどの大盛況!!

聞いてはいましたが、まさかここまで盛り上がってるとは!!

山の方のイベントにこんなにも町の人が来るようになっているのは

素直にすごい事だと思います(#^.^#)

そして何もかもが雰囲気が良くてオシャレです(#^.^#)

クリエイティヴな人が多い父島の勢いを感じさせてくれました。

すごくいい刺激になります。

僕は単純なのでこんな可愛いビンのリンゴジュースってだけでときめいていました♪

飲んだ後は楽器に早変わりしていたのは言うまでもありません(中身を吹くと結構でかいいい音が鳴ります!)

 

コーヒー好きの妻は、念願の小笠原珈琲を堪能しておりました(#^.^#)

 

父島の町の方にある飲食店では、

プラごみ軽減の為にマイカップの持ち込み、使い捨てでないストローでの提供もあり、

凄い意識を高くもっているなぁと感激しました☆

 

■色んなブースに素敵でしかも大好きな人も多くて、

すっかりくつろいでしまいました(^^♪

幸せだなぁ☆

我が家が結婚する前からの長い付き合いの友人の「はるさえん」の素敵なお野菜の数々。

こういう雰囲気で自分が作った作物をお客さんと対話して販売できる空間って素敵です♪

色んな他愛もない話をしながら1日を過ごせる場でした。

そしてこれだけのラインナップを揃えられることも素晴らしいなぁと感激していました。

懐かしい顔ぶれとお話しているだけで、あっという間に時間が過ぎていきます。

 

■すぐ隣には友人家族が畑をやっていたり、

昔から色んな事を学ばせてくれる森本智道農園があるので、

もちろんお邪魔してきました(#^.^#)

いきなり素敵なアースオーブンがありました。

WWOOF旅の時に長野の高遠にあるフリーキッズヴィレッジで作ったことを思い出します☆

横にいるハニワちゃんがなんとも可愛い♡

 

ヤギさんも飼われていて、次女がすごく楽しんでいました♡

次女がこんなにヤギが好きだったとは!!

今現在、母島にはヤギがいなくなってしまったので、やはり近い将来また飼いたいと思います。

 

■母島になくて父島にあるものは豊富にあるのですが、

何といっても昔、父島に住んでいたころに沢山お世話になった境浦ファミリーさんの湧き水です♪

これは保健所による民宿での使用許可が下りるほど質のいい湧き水で、

オーナーの計らいで島民にも広く利用させてもらっています。

父島に住んでいたころは毎週、自転車で長女と一緒に水を汲みに来ていました☆

本当に住んでいて美味しい水が飲めるのは幸せな事です(#^.^#)

今回も美味しい湧き水を頂きました♪

伺った時は留守でしたが、いつもいつもありがとうございます☆

 

さらに母島にないものと言えばコンビニ!!

父島には早朝から深夜まで営業している佐藤商店があります。

これは僕らが父島に住んでいたころはなかったお店です。

こども向けのお菓子も充実していて、ふと夜遅くに買って飲みたくなった時にも重宝します(^^♪

 

■実をいうとこの2年ぶりの父島は次女の小学校卒業記念家族旅行でした。

ついでに僕も墓石彫刻の仕事があり、父島の大根山墓地などにお邪魔していました。

父島の大根山墓地は村が管理していて、海が見晴らせてとても綺麗でした(#^.^#)

父島は建物が多くて、母島から来ると本当に都会に感じます!!

 

来る時のははじま丸はカツオドリが乱舞していて、

なんと珍しいアカアシカツオドリの幼鳥が1羽だけ混じっていました!

上を見上げて撮っていたらなんと!!!ウンが降って来ましたが、見事に避けました(笑)。

まさに決定的瞬間(#^.^#)

こちらは普通のカツオドリ。

英名のBooby birdがピッタリな印象です(#^.^#)

春先は霧がかる日も多くて、

朝露がとっても素敵に見えました♡

 

宿は今回「なぎ屋」にお邪魔しました!

母島から来る家族向けにすごく配慮してくれていて、とてもリーズナブルで快適でした!!

どうも有難うございました☆

 

■父島について最初のミッションはお見送りでした。

母島で一緒に過ごした大好きな仲間がこのおがさわら丸で引き揚げだったのです。

「見送り船に乗ってみたいです!」というリクエストもあり、

せっかくの機会なので、僕も約10年ぶりに見送り船に乗ってみました!

 

母島の人数の少ない、距離の近い見送りを日々していたので、

父島の人数の多さ、規模の大きさに翻弄されまくりでした(笑)。

 

しかも、この便は父島も高校生の卒業便など、見送りが盛んなタイミングでした。

僕も竹ちゃんにお願いして見送り船に乗せてもらい、

精一杯見送りました。

 

ですが、大問題発生!!

人が多すぎて全然発見できない!!!

さすが父島の見送りです☆

最後の方で大人数の中からようやく見送りたい友人を発見!!
その後10年ぶりの見送りダイブを敢行しました。

用意していた防水デジカメをしっかりと宿に忘れたので、写真はありません(涙)。

おっちょこちょいの僕なので、いつも通りだけど悔しかったなぁ

 

もう見送ってから1か月が経過しています。

まだまだ寂しい気持ちが残っています。

 

みんなそれぞれ次の暮らしを精一杯生きてると思います。

母島にも沢山の新しいメンバーがやって来ました。

そう思うと季節が巡ってレモンの花が咲き、ザトウクジラが巡るように、

島の暮らしも人もそれぞれの流れで巡っているのだろうと感じます。

 

その巡りの中で出逢い、一緒の時を過ごす。

やっぱりそれは一期一会なのだと思います。

その瞬間、瞬間を大事にしていきたいです☆

見送った後に久しぶりのウェザーステーションで夕陽を見ながら

みんなで語り合います。

これもまた一期一会。

この島時間が結構僕は好きなんです☆

 

父島の皆さん、どうもありがとう(#^.^#)

その②に続きます。


夕陽と渡り鳥と海と。

2022年04月20日 | 母島 鳥

■母島で暮らしていて、よく夕陽を見に行きます。
ひとりで見に行くこともあれば、
家族で行くこともあります。

台風1号が通過して、空気がクリアになったのか、
最近なんだかすっきりした夕陽が多い気がします。

美しい夕陽を見ながら、
家族や友人、そこで初めて逢った人とお話するのも素敵な時間です。

前回、季節外れの台風1号がもたらしたものという記事を書いて、
色んなシギ、チドリが来ていると書きましたが、
さらに色んな渡り鳥がやって来ています☆

何日もかけて大海原を超えて渡ってくる渡り鳥達。
前回の記事にも紹介した鳥でもあるオオソリハシシギの渡りGPS調査というのがあるのですが、
ニュージーランドから日本、中国など東アジアまでの1万kmを、
なんと最短距離を通ってわずか1週間で飛んでくることがわかったそうです。
すごいですね!

そこから計算すると、本土から1000km離れている小笠原諸島に渡って来るのに、
1日もかからない計算になります😲
渡り鳥達にとっては地球は大した大きさでもないのかも知れません…('Д')
 
だって想像してみると、
東京と父島を24時間で繋ぐおがさわら丸より速いペースですよ~☆

美しい夕陽を眺めながら、
この景色も渡り鳥達にとっては当たり前の景色なのでしょうか?
 
渡りの最中の鳥の目線や思考に興味がわきます♪

夕陽を見に子供と行っても、
こんな当たり前の景色を見もしない島の子供たち(笑)。
島を離れて、この景色の有難みに気付くのでしょう(#^^#)

そんな人と鳥と景色の事をふと考えたりしていました。


■季節超早めの渡り鳥シーズンの台風1号襲来!!
そのお陰で色んなシギ、チドリ類が沢山母島にやってきました♪

4月の台風はまさにシギチ・パラダイスの到来を意味していました♡

これは母島の前浜にある小岸壁での様子です。

久しぶりに母島にサルハマシギがやって来ました♪

名前の由来は夏羽は全身が赤く、
猿に似た赤顔のハマシギなので“猿浜シギなのだそうです。
いつもせわしなく採餌しています。
ちょっと目つきが悪いタイプな気がします(^^♪

オバシギさんです。

名前の由来は、尾羽鷸と書いたり、女へんに老いると書く姥(うば)の姥鷸と書くこともあるみたいです。
腰を丸めたようなやわらかい体型、ゆったりした動作からおばあさんの姥(うば)になったのかもです(^_-)-☆
初見でした(#^.^#)

こちらはコオバシギ(左)。
こちらも初見です(^^♪
右隣のサルハマさんに似ていますが、
もっと丸くて大きくて、落ち着いています。
上のオバシギとは全然ガラが違いますが、これは夏羽で、
冬羽はオバシギとそっくりみたいです('Д')
 
図鑑によると
「ユーラシア大陸と北米の北極圏で繁殖し、アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、南米で越冬する。
日本では数の少ない旅鳥として春秋に通過する。」だそうです。
小笠原には赤道の南、ニュージーランドやオーストラリアからロシアなどを目指して行く途中かも知れません。
なんてダイナミックな!!

こちらはツバメチドリ。

母島にやってくる、シギチドリ系では一番の異端児(#^.^#)
ダルマのような可愛らしいで、割とビッと澄まして立っているのをよく見かけます。
名前の通り、尾羽がツバメのように燕尾です。
 
こちらも夏季は中国東部やロシア南東部、ヒマラヤ山脈などで繁殖し、
冬季になると東南アジアやオーストラリア北部へ南下し越冬するそうです。
もはや圧巻です(#^.^#)


こちらは初めて!キリアイちゃんです。

キリアイを漢字で書くと「錐合」大工道具の「錐(キリ)」と「合う」という漢字でした。
由来は色々諸説あるようですが、正面から見ると、
顔の模様が互いにキリが合っているようだからみたいです。
今度、正面顔の撮影も頑張ってみます。
 
こちらもオーストラリア~ロシア・北極圏を渡るタイプ。
年に2回もこんな長距離飛行をするって、
鳥たちにとっての地球のサイズがどう見えているのか知りたくなっちゃいます☆



■そんな母島の春ですが、日中は暑くなってきました。
昼休みにSUPで沖に出ました。
昼活です☆

見渡す限りの大海原。
空と海の色が少しずつ夏に近づいているのを感じます。

少し向こうでは、
ザトウクジラの親子がジャンプしたり、ヒレで海面を叩いたりしています。


海中に潜ってみると、あんなに賑やかだったザトウクジラのソングがわずかに聞こえる程度になり、アオウミガメが沢山見えるようになってきました。
沖合ではハシナガイルカがジャンプしています。

島の海での春の到来を感じます。
海の色が変わり、
クジラとカメが置き換わり、イルカも増えてきました。
仕事と仕事の合間のたった45分のSUPボヤージング。

存分にリフレッシュできました。
浜に戻ってみると、島民がまさに昼休みに海に遊びに来ていました。
「こんな昼休みを過ごせるって、最高ですよ~!」と。
コンビニも映画館も電車も飛行機もない母島ですが、
とびっきりの大自然を贅沢に過ごせる環境があります。
そんな1日に今日も感謝です♡

ザトウクジラも今日は3頭程度でした。
潮枯れしたギンネムを眺めながら、母島の春を感じています。
さあ、明日はどんな出会いがあるかな?

春に来た、べらぼうなマラカス台風がもたらしたもの

2022年04月16日 | 母島 日常 日記
■入学式を終えた4月。
なんとこんな時期に非常に強い台風1号が小笠原を襲いました。

その名もマラカス。
2000年の台風委員会で制定された台風のアジア名(国際名)のひとつで、
命名国はフィリピン。タガログ語で「強い」という意味だそうです。

なかなかの名前ぢゃね~か!

写真は台風通過後に潮枯れしたクサトベラです。
すぐに復活するのも多いですが、島中の色んな植物の葉がこのように枯れています。

そもそも4月に台風が来るなんてとても珍しいのに、
まさか950hPa、風速40m/sの規模で第1号が来るなんて、
僕の20年の小笠原暮らしで初の事でした。

案の定、4月の観測史上最高の記録を出したらしく、
父島では最大瞬間風速46.5m/sを記録したそうです。
(3年前の台風は風速計を飛ばしていて60m/s以上と言われています)

TVの報道もすごかったらしく、
多くの内地の友人・知人からも心配を頂いていました。
本当にありがとうございました!

こちらは月桃の花です。台風通過後も無事でした♪
力強さと可憐さ、そして何とも言えない香りがあって、好きな花のひとつです。
葉っぱなど料理にも使えます(#^.^#
)


■4月に赴任したばかりの方は、こんなにすぐに南の島の洗礼を受けるとは思っていなかったでしょう。
農業の被害はそれなりにあると思います。
実際、ハーブ系など枯れたのも多かったです。

しかし不思議なものです。
植えたてのまだ若い苗が塩枯れしている様をみて、
なんと春の作付けが遅れに遅れているのが功を奏したと思ったりしちゃいました(^^♪
色んな目線があるものですね☆
これから夏野菜の種まきを頑張ります!

圧倒的な暴風雨が通り過ぎた後は、
スッキリとした夏のような雲と青空が広がっていました☆
まさにデフォルト状態。

家の周りに散らかっていたものも、
この機会に片付けることが出来たし、
冬というリセットのタイミングを知らない島の植物にとっては、
伸びすぎた枝を選定し、葉を作り直すには台風の存在が欠かせません。

今回、有難いことに母島は停電になりませんでしたが、
隣の父島では大村地区以外は長い時間の停電になったそうです。
そんな時、電気の有難みが再確認できるし、
ロウソクや電気のない時だからこ、その過ごし方ができるいい機会とも言える部分があったのではないでしょうか?

我が家は家族で久々にゆっくり映画を観ました。
「きっと、うまくいく」
妻が朝に「これを観ろって降りてきた!!」というお告げがあり(笑)、みんなで観たら、まあ最高に良かった♡

「All izz well」と歌と口笛で進むストーリー。
成績や進路、競争ばかりのエンジニアの学校で繰り広げられる、本当の学びということ。
知らないことを知るって、本当は楽しいもので成績や評価を気にするものではない♪
親や他人が決めた進路ではなく、自分がやりたいことをやって生きていく意味。

そんなテーマをインド映画の絶妙なセンスとテンポのいい展開で、安心して魅せてくれました☆
インドにおける学歴至上主義、それによる自殺数の多さの社会問題もテーマにしています。
最後の圧倒的な店舗での伏線の回収は凄まじかったです!
ステキな映画をありがとうございました(^^♪


■3年前の10月。
台風21号ブアローイが島にもたらした被害は甚大なものでした。

今回の台風1号マラカスはなんと同じ規模の950hPaです。
しかも台風接近の2日前にSUPで海に入ったら、なんと沖で26℃の水温!
これは台風が弱まらないで行ってしまいそうな条件でした。

そんなわけで事前にかなりビビっていました。

漁師さんたちのあまりに芸術的なロープワークにうっとりしちゃいますが、
そんな場合でないほどの養生であるということです(汗っ)!

毎回、この陸揚げげされた漁船の見事なさまで感動しつつ、
その養生具合で台風の備えを覚悟します。

家の周囲、
バイクや自転車、
畑に職場周辺、
独居の高齢者のお宅。

色んな養生を済まして、
まさに「人事を尽くして天命を待つ」状態でした。

脇浜の春の風物詩、
ネムリブカダンゴもこの時期の台風には驚いたことでしょう(#^^#)



■避難所も開設され、やれることをやった後は、無事の通過を祈るだけです。
夜が明けて、そろそろ暴風圏に入るかな?の直前。
畑の家畜の世話にダッシュで行きつつ、前浜の状況を撮影してきました。

この時点でも物凄い雨と風のセレナーデです。
この後は危険なので外に出れる状況じゃありません。

もの凄い風の音でした。
これがもっと強くなって、強くなったらヤバいという感じでした。

有難いことに停電していなかったので、
家族で感動の映画を見てお昼ご飯を食べた後くらいに、
風が少し弱まりました。

ネットで確認すると、大方の予想を覆し、
直撃ではなく、少し西を通り過ぎて行った感じでした。

吹き返し後半は集落は風向きが丁度よく、
そよ風程度になったので、高齢者のお宅をチェインソーを持って周りましたが、
今回は3年前ほど深刻な倒木などはありませんでした。

去年から枯れていたママキ(ウラジロエノキ)が光ファイバーの線に引っかかっていました。
村に急いで報告し、
こちらはその後の復旧作業となり、僕も少し手伝いました(#^.^#)


母島の二戸建て都住のシンボル的な寒緋桜が根元からボッキリ折れていました。
これはかなりショックでしたが、折れた根元を見ると、少し傷んでいる感じもあり、
結構限界だったんだなあと思わされました。

今年の春に素晴らしい花を魅せてくれていただけに、とても寂しかったです。
今まで沢山の喜びをありがとう!


新村民会館を建てるエリア(旧:赤間建設跡地)からは大量の砂利が流出しており、
その片付けに追われていました。
これは杉田建設から学校まで長く続いていました。


深刻な倒木は少なかったですが、幾つかはもちろん見かけました。
今回は、3年前に比べると時間もコースもラッキーだったと言えます。


養生していたカヌーも無事で、心底ホッとしました。
3年前の台風では損傷してしまっていただけに、ずっと気がかりでした。
カノー部のみんなも心配していたので、みんなで喜んでいました(#^.^#)


丁度、潮汐も大潮で高潮が心配されましたが、母島はどうにか無事でした。
父島は雨なのか高潮なのか、冠水している映像が見えて、
昔住んでいた奥村が見たこともないような光景になっていてビックリしました☆

そして夜通し避難所を開設してくれていた役場の皆さんに感謝でした!
停電時に備えて、東電も色々と準備してくれていましたし、通過後も様々な対応をしていました!
父島が停電と聞いていましたが、暴風雨の最中でも復旧した個所があると聞くと、
あんな状況でも復旧作業をしてくれているのだと思うと頭が下がります。
その他各インフラも色んな組織の方が台風襲来に備えてくれていました。
本当に感謝です!!

通過後にみんなが片付け作業をしていて、
母島の力強さを再確認しました☆


■台風の接近は色んな被害や災害を覚悟して、消耗しますが、
逆に楽しみな面もあったりします。

それは鳥です。

いつも台風後はグンカンドリなど珍しい鳥を確認できたりします。
今回はなんとオオソリハシシギらしき鳥を発見しました♪

レギュラーのムナグロに混じって、真ん中ですました顔をしている子です。


チュウジャクシギちゃんも来ていました☆


なかなかいい腰つきのムナグロさんもお見掛けしました(#^.^#)

こんなイレギュラーな出会いも台風ならではのものだと思います。


■島では色んな大変な被害をもたらす台風ですが、
色んな観点から見ると、やはり必要な存在だと思います。

この時期の直撃は、
路地の野菜やパッションを全滅させる物凄い災害ですが、
同時に大地に海のミネラルを戻してくれる大きな仕事もしています。

今回は少し霞がかかっていた景色を、一気にクリアにしてくれました。
まるで夏と錯覚してしまうほど、今日の空と海は青かったです!

これはキョウジョシギ。
京都の女性の着物の共な美しい鴫で、京女鴫。
台風後もいつも通り群れを成して漁港を歩いていて、癒されました♪

今回の台風が大きな被害をもたらす結果でなくて本当にホッとしました。
この台風を糧に今後も頑張って行こうと思います☆

月桃風呂にでも入りながら♡








島で最期の我が子の入学式を終えて

2022年04月08日 | 母島 暮らし 子供
■先日、私たちが住む母島唯一の学校、母島小中学校の入学式がありました。
二人娘の我が家にとって、次女の中学校入学が母島生活最後の入学式です。

母島は小さな島で子供の数も少ないので小中学校です。
別に校舎やメンバーが変わるわけではありません。
でも、小学校のそれとはやはり違うと思います。

教科ごとに先生は変わるし、色々小学生の頃よりも自分たちが主体的になれる部分がある気がします。
この違いについては先輩の長女に聞いてみたいところですね(#^.^#)
ちなみに自分の頃は3つの小学校の生徒が集まり、クラスが倍以上に増えたので、
新しい出逢いに緊張したことだけ微かに覚えています(#^.^#)

いずれにせよ、6歳離れたふたりの娘の次女にとって最後の大きな開始の儀式。
一応、本人の意識も明確に違うらしく、普段だらけきった春休みを送っていたはずなのに、
急に掃除をしたり、色んなことを片付けたり、きちんとシフトしているようです(笑)。

入学式の朝。
在校生に遅れて登校する入学生。
母島のB線と呼ばれる、学校に続くまっすぐな道を進む次女を見ながら、6年前の景色を思い出します。

丁度6歳離れた姉妹の娘たち。
長女の中学校入学と、次女の小学校入学が同じでした。
その時の光景を思い出していました(^^♪

こちらが丁度6年前の写真です。
次女が背負っているランドセルは、長女が次女の為に心底丁寧に6年間大事に扱ってきたものです。
妹が大好きな姉は、妹と一緒に学校に迎えるのが嬉しくてたまらない様子でした♪

新入生の小学1年生と中学1年生は小学2年生の教室に集められていました。
すぐ隣の小学1年生の教室には黒板に素敵なトトロのイラストが描かれていました☆

そして机の上には黄色い帽子が。
懐かしいですね。
二人の娘たちもこの帽子を被って、最初のピカピカの1年生を経てきました。
今でもこの帽子の子供たちを見かけると、すごく可愛らしくて、思わず声をかけちゃいます(#^.^#)

今年の小学1年生はなんと8人!!
次女のいる中1は7人!
どちらも母島では人数が一番多い学年です。(中2と中3合わせても6人なんですw)

中1の教室にも見事なイラストが描かれていました。
先生と生徒の合作だそうです(#^.^#)
色の使い方も素晴らしい☆

■そんなこんなで入学式が始まりました。
いつもは地域の人たちも集まる、母島らしい入学式なのですが、
コロナ禍の為に保護者、関係者のみの若干コンパクトな式バージョンです。

卒業式もそうでしたが、みんなが一番楽しみにしているPTA会長の祝辞がカットされているのはとても残念です。

僕はこの春からPTA会長になる予定らしいので(笑)、
自分の出番の時のコロナの状況がどうなっているかですね(#^.^#)。

PTA会長…
PTAに限らず、色んな組織団体の会長って結構みんな嫌がります。
でもその役職に就いたからこそ学べることって、結構あります。
この機会を「嫌だなぁ」と思ってやるのと、
「これは丁度いい!頑張ってみよう」と思ってやるのでは雲泥の差だと思います。

中学生か高校生の頃か、はっきりは覚えていませんが、
人の嫌がることを進んでやる人をカッコイイと思えるようになって、
それからずっと今まで、その精神性でなんとか続いています。

高校生の頃に生徒会長もやってみて、その難しさ、
学びの多さが大きな発見でした。

10年前くらいにある組織の会長をやる機会がありました。
すごく役員メンバーに恵まれて、沢山の改革を実施してみて、
多くの感謝の声を聞くことが出来て、ああ、やって良かったなと思った経験があります。

父島の大好きなレジェンドに言われた言葉ですが、
「まずは何でもやってみることだよ」という宝物の言葉が今も僕の胸の中に光っています。

みんなが嫌がる無言の会議の中、
僕のことを推薦してくれた島の先輩がいて、
そのおかげで沢山の事を学ぶことが出来ました♪

僕自身もこの春に3年間務めた青年会の会長を引退します。
コロナ禍で例年通りの活動は1年しかできませんでしたが、
もの凄く大切な学びを沢山得ることが出来ました(^^♪


■島を離れる高校生。
この春も何度も見送りました。
不安と期待の交じった子供たちの表情を見て、たまらなく愛おしくなります。

あと3年すれば、今回入学した次女も島を巣立ちます。

母島で暮らしていれば、どの子にも平等に与えられる早めの巣立ち。
3年前、長女は4か月の父島高校生活の後に一気に単身でカナダの高校まで飛んでいきました。

自分たちがこうして見送られる立場となる3年後までに、
どれだけ楽しんで中学校生活ができるか楽しみです。

思春期。
普段、当たり前に通りすがりで挨拶を交わしていた子供たちが、
急によそよそしくなって、挨拶が前みたいにできなくなる年頃です。

僕も中学生の頃は親と話すのを極端に嫌になって、
親の言動と行動の不一致さに納得できなくて、
いつも家ではイライラしていた気がします。

でもそれは大事な成長の儀式だったと思います。

投げられたレイが水面を流れる景色を見つめながら想います。

島の中学生が自分の巣立ちが見える思春期の3年間で、
様々な精神的な葛藤を迎えて、
それを無事に乗り越えて巣立って欲しいと。

高校生になって再び会った時、スコンと抜けた表情で笑顔で挨拶を交わしたいと思っています。

入学おめでとう!
これからの3年間が楽しみです♪


島を旅立つ仲間に、見送りダイブで表現できる島の暮らし。
そんな子供たちにとって「当たり前」の生活が、
実は「有難い」と思えた時、
この島で暮らした経験が活きてくると思います。

それまではがむしゃらに色んな事に挑戦して、
いっぱい失敗して、いっぱい学んでほしいと思います。

本来、知らないことを知れる勉強は楽しいものです。
僕がそれに気付いたのは高校の恩師に出会ってからです。

島っ子のみんなにとってどころか、
どの人にとっても「潮時」というか「タイミング」があって、
色んな事にハッと気付く瞬間が人それぞれ、色んなタイミングであると思います。

僕は、そんなタイミングの種まきができて、
たまたまの偶然でもいいから、
何かに気付く瞬間があればいいなと思っています。

僕自身がそうであるように、
沢山の人と出逢いなどで気付く瞬間がありました。

人は一生学びが続くと思います。
いつまでもチャレンジする気持ちを、意欲を忘れないでいきたいなぁと思います♪





母島の春 ~切ない旅立ちと出逢いの季節

2022年04月03日 | 母島 日常 日記
■正直に言います。
僕は母島の春は嫌いです。
特にこの春は格別です。

それは大好きな島の仲間が沢山旅立ってしまうからです。
あんなにも楽しく一緒に過ごした仲間が島を離れて行ってしまうなんて、
何度経験しても慣れません。
だからこの春は嫌いです。


でももう一つの本音も正直に言います。
僕は母島の春が大好きです。

それは大好きな仲間が前向きに進む大きな一歩の旅立ちをして行くからです。
大好きな仲間が人生の次のステップに進むために、シフトしていくのを応援しない訳はありません。
でも間違いなく寂しい気持ちが胸の中に溢れています。
島を離れる港での見送りの時、一緒に過ごした時間が走馬灯のように巡って来ます。
島の暮らしでなければこんなにも関わって暮らすことはなかったと思うと、
島の春はその集大成のようで大好きです。

そして島を巣立っていく子供たち。
高校のない母島は中学を卒業すると同時に、
島を巣立っていきます。

これは3年前の長女達が島の卒業式に向かう場面です。

自分が中学卒業の頃、もう巣立つなんて考えてもいなかったのに、
母島の子供たちは当たり前に巣立っていきます。
なんとたくましい事か。

島の子供は誰一人名前の知らない子供はいません。
子供は地域で育てていきます。

この春に巣立つ島っ子達は、特に柔道などでも直接関わる事も多く、
なんだかとても感触深いです。
内地の高校に進む子、父島の小笠原高校に進む子などそれぞれですが、
新天地で頑張って欲しいと思います。


■3月の中旬以降、島の出港日の港はそんな見送りの雰囲気に溢れています。
僕にとっては寂しいけれど、なんだか応援する気持ちも入り混じった、
複雑な見送りです。

20年前、小笠原に移住した頃はこの春が本当に辛くて、
もう2度と転勤の人と仲良くなるか!!と思ったほどでした。
仲良くなった人たちと別れるのが辛過ぎたのです。

でも年月が経つにつれて、この期間限定の出会いも、
まさに一期一会。
大切にして、島を離れても繋がっていけるし、大事なご縁と思えるようになってからは
あまり躊躇することはなくなりました。

お別れで寂しい事は変わりないですが、
その先の関りを考えると、終わりではなく次へのステップと思えて、
辛い気持ちは薄らいできました。


■高校を卒業して、僕が19歳で初めて小笠原に行くとき、
小笠原行きを強く後押ししてくれた高校の担任の恩師が、
「その土地を離れる時に、涙が溢れるような過ごし方をしてこれると、それはいい旅なんだと思う。そんな旅をして来いよ!」
と声をかけてくれました。

涙涙に見送る場面を眺めるたびに、
その言葉が僕の胸の中で響いています。
【どうもありがとう!】
【いってらっしゃい!】
【元気でね!】
そんな言葉で見送りながら、
相手がこの島でどれだけいい時間を過ごせたのかと
想いを馳せます。

島に来てくれてありがとう。
一緒に過ごしてくれてありがとう。
また、逢おうね(#^.^#)



■小笠原ではお別れの時に花とティーリーフで作ったレイなどを渡す風習があります。

このレイを受け取った人は、
船が出港するときに海に投げて、
そのレイが島の浜に辿り着いたら、またいつか島に帰って来れると言い伝えられています。

丁寧に編み込まれたレイを大海原に託す。
この風習、とても素敵だと思います。
僕は大好きです♡

ハワイのフラ文化が島に定着している証だと思います。

僕もレイを良く作ります。
レイ作りを教えることもあります。

レイを作るにはティーリーフと花を集める必要があります。
ティーリーフは島のいたるところにあって、
僕は畑にも自宅にもあります。

ティーは編み込むために、
冷凍したり、火であぶったりしますし、その後切る手間があります。

その後は島を離れる相手を想って、
丁寧に編み込んでいきます。

僕はこの作業の時間がとても好きです♪
既製品でも流れ作業でもなく、
レイを編んでる時は、その相手のことを想っています。
一緒に過ごした時間に想いを馳せながらレイを編んで、
沢山の花を飾る工程はとても愛おしい時間なのです。


この春は本当に大好きすぎる仲間の引き揚げがあり、
なんと父島までレイを作って持っていくという機会に恵まれました☆
自分にできる事はこれくらいしかないので、一生懸命作りました(^^♪


■そして、いざお見送りです。
コロナ禍で去年は行えなかったお見送り式を行う事が出来ました。
これはすごく嬉しい事でした♪

島を離れる子供たちや先生が最後にひとつの節目を迎える場面です。
これでお互いの気持ちに一区切りつけることが出来ます。

セレモニーの後はそれぞれにお別れの時間を過ごします。
毎回思うことだけど、なんて切ないのでしょう。

だけど、この島のお別れの春というのはすごく人情的で大好きです。

見送り人の手には沢山のレイが見えます。
みんなそれぞれが良いと思う花を探して作ってきます。
僕はレイそのものももちろんですが、
そのレイを作るまでのそれぞれのストーリーや想いがたまらなく想えてしまいます。

時間にすれば受け取って、海に捧げるまでに1時間も持っていないレイですが、
受け取るものはそのスピリットだと思うのです。

見送った後にしばらくして、海に浮かぶレイ、浜に打ちあがるレイを見て、
すごくたまらない気持ちになります。


サッカー部は毎回、愛のこもった胴上げで旅立つメンバーを見送ります。
やっぱ愛だよなぁと思ってしまいます(#^.^#)


どれだけ撮っても足りないくらい、お別れのハイライトの連続です。

今回は離島のメインのタイミングで我が家の春休み父島旅行を設定したので、
見送られる目線でははじま丸に乗船しました。

沢山のレイ(首飾り)やハク(髪飾り)に包まれた仲間を見ていると、
島でいい時間を過ごせたんだなぁと感じさせられます。


■父島では毎回、すごい数の見送り船がおがさわら丸の出港に合わせて出ています。
母島では本当にこの時だけは!という時だけ、島の漁師さんが見送り船を出してくれます。

なおさら嬉しいですよね。
ずっとお互いが手を振って、お別れの時間を惜しんでいます。


遠くまで見送り船も並走して進みます。
この時間にすれば数十分の時間がたまらなく大事なひと時な気がします。


丹精を込めて作られたレイを大海原に投げて、フィナーレを迎えます。
沢山の涙が溢れます。
まさに島暮らしの集大成なのではないでしょうか。

島でいい時間を過ごせた勝だと思うのです。
僕はこんな見送りが出来る母島を誇りに思います♡


■そんな盛大な見送りを終えて、心にぽっかりと穴が開いたような時間が待っています。
この虚しさは形容しがたいのですが、すぐその後に新しい出逢いが待っています。

この春はなんとヤツガシラという派手な珍鳥に出会うことが出来ました♡
母島にはほぼ毎年のように来ている渡り鳥なのですが、
やはり派手なので目立つし、なんか嬉しいです。

ヤツガシラは春に来ることもあれば秋に来ることもあります。
ロシアや中国などで繁殖するために、通過地点として小笠原を利用しているようです。

そしてこの春から新たに赴任するメンバーと色んな場面であったりします。
父島帰りのははじま丸でも出会いました。

言葉にできないほど寂しい別れの後は、
また新しい仲間との出逢いが生まれてきます。

夕陽を眺めながら、この島に来たプロセスやいろんな話をしたりします。
そうして島の暮らしは巡っていくのだと思います。

最後に母島にも住んでいた友人が、
島のお別れのレイについて曲を作っています。
良かったらその曲を聴きながら、島のお別れのレイに想いを馳せてみてください(#^.^#)

音骨「ボニンオハナ〜レイの言い伝え〜」MV