小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

美しすぎる棚田 ジャティルウィ(2017バリ旅行記⑧)

2017年09月29日 | 旅行記 バリ
▪️今回のバリ旅行で一番感動した景色と言えば?
と聞かれたら、僕は迷わずジャティルウィの景色と言うでしょう。

景色ではなく、その複雑な水系の組織が世界遺産に指定されたバリのジャティルウィの棚田。
ジャティルウィはバリの中央部より北側の山岳地帯にあります。

有名なテガラランの棚田とは比較にならないほど、
広大で中心部から遠く離れているために観光客もさほど多すぎないジャティルウィ。

あのオバマ元米大統領もつい先日、観光に来ていたそうです。

残念ですが、
僕の拙い写真ではその迫力・感動の10%も伝えられません。

景色を見て感動して震えたのは本当に久しぶりだったのです。

思わず、その地で一泊することを決めてしまいました。
ここを事前に狙っていた妻の洞察力に脱帽し、
案内してくれたニョマンとアディさんに大感謝です♡

とりわけ、多くの日帰り観光客がいなくなり、
混雑する車がなくなる夕方と朝方の素晴らしさは言葉にできないほどです。

所々に作られたカカシが可愛く、
農耕用に飼われている小さな牛小屋が情緒的なのです。

少しの農業機械を見ることがありましたが、
基本的には牛と手作業で行っているようです☆

まるで日本なのではと見違える風景なのに、
大きなヤシの木やバナナが点在しているのです。


バリは赤道にも近く、3期作や3毛作が可能なので、
この広大な棚田もエリアで区切って、
順次田植えや稲刈り、代掻きなど作業をやっているようです。
だから、一気に稲刈りなどではなく、
手作業で成り立つようです。


▪️長女は連続5日のキャンプ参加だったので遠出ができたのですが、
彼女にこの風景を見せてあげたくて仕方がありませんでした。

夕方は小さなコウモリが空を飛び交い、
夜の帳が美しい広大な棚田を支配する中、
夕食を済ましました。

そして、翌朝は美しい朝焼けの中、
美しい棚田の背景にそびえ立つ大きなバトゥール山やアグン山が姿を現しました。

朝日がバトゥール山から昇ります。


谷間を覆う棚田は人工的なものなのですが、
その芸術的な美しさと、
自然の美しさは見事にマッチしていて感動的でした。


棚田を流れる水の影響か、
日中はすぐにガスってしまい、なかなか山を望むのは難しいらしいのですが、
朝日が降り注ぐ棚田の中で妻と次女とその景色の中をゆっくり散歩して、
農作業する人々に挨拶を交わして歩くというのは、
とてもありがたい体験でした。


バリの都市と違い、超郊外で山岳地帯でもあるジャティルウィは、
店の人も気さくで優しく、
次女の名前を覚えてはバナナのおかしなどを差し入れてくれたり、
可愛がってくれました。


バリ人というよりはジャワ島由来の方が多いそうですが、
棚田の作業に老若男女が参加しており、
とても雰囲気のいい場所でお気入りになりました♪

ぜひバリにお越しの際はとても遠いですが、
この美しい景色を泊まりで堪能してもらえればとおもいます。

娘たちの夏風邪とローゼル

2017年09月28日 | 母島 暮らし 子供
■3日間39度の熱出して学校を休んだ小2の次女。
昨日の午後からは割と元気になり、
悪さができる様になりました♡

さあ、これでようやく外仕事ができると思ったら、
今度は中2の長女が同じ高熱出して早退してきた(笑)。

と、なると次は自分!?

ヘルパンギーナをはじめ、
島では夏風邪みたいなものが2,3順をしながら蔓延しています。

人の体にとっては時々高熱を出すのはデトックスにもなり、
とても大事なことだと思いますが、
子供たちが辛そうなのは可哀そうです。

季節の変わり目、体調管理にはご注意ください☆
そして、お布団とお友達になったみんな、
一日も早く良くなりますように☆


■写真は収穫期直前のローゼルです。
今年は僕の背丈を超える木が沢山です。
すごい勢い!
このまま台風が来ないで収穫できますように…

花は満開。
ピンクで愛らしい花です♪

娘たちが風邪で畑作業できなくとも、
作物達はとっても元気に育っております☆

硫黄三島クルーズ 洋上慰霊祭に参加した娘たち

2017年09月26日 | 硫黄島
■毎年、6月実施の硫黄島訪島事業に島の中学2年生が授業として参加します。
去年、僕自身が硫黄島に行ってみて
その凄惨な戦争と爪痕と、
先の戦争がなければきっと楽園だったと確信できた上陸の2日間でした。

今年は自分の長女が中学2年となり、
硫黄島の大地に立ち、壕に入り、肌で硫黄島を感じるはずでした。

しかし、5月当初は20年に一度の渇水で硫黄島での受け入れが困難であると言われ、
その後大雨で渇水が回復した後は、
今の硫黄島沖の係留ブイが新おがさわら丸の重量に耐えられないということが判明し、
今年の硫黄島訪島事業は中止となりました。
(係留ブイの事は実は去年の就航前から言われていることでした)。

■そこで、今年は異例中の異例で、
9月の硫黄三島クルーズに中学生も乗船し、
硫黄島沖で洋上慰霊祭を実施することになりました。

当初は上陸できないことに本当に残念に感じていましたが、
普段の中学生がほぼ行かない北硫黄島、南硫黄島を見る絶好のチャンスとも思え、
さらに母島から硫黄島に行くには前後2泊を父島で過ごすので、
その空いた時間を、素晴らしい情熱の戦跡ガイド「板長」に父島の戦跡などを案内してもらい、
小笠原高校の体験授業を受ける機会にもなりました。
これはこれで良かったと思います。

■朝早くからの南硫黄島の周遊を終えて、いよいよ硫黄島です。

相変わらず美しいプロポーションを誇っています。
有名な星条旗を掲げられたすり鉢山を望み、
おが丸の最上部のデッキを一般封鎖して、
洋上慰霊祭が始まりました。

村長の言葉、
献花を行い、
父島、母島各2名ずつ戦没者に向けて言葉を贈ります。
(母島の中学2年生は2名しかいないので、全員です!)

長女も精一杯、ここまで学習したことを胸に、
スピーチしていました。
立派だったと思います。

おが丸の上は風が強く、
しかし暑い状況でした。

しかし、戦争中に壕に潜んでいた兵隊たちは、
こんなさわやかな風を感じることなく、
熱い壕の中で潜み、
喉の渇きを訴えながら亡くなって逝ったのです。

例年の訪島事業同様、
戦時中に硫黄島に来た少年兵が故郷を想って歌った歌、
「故郷の廃家」が合唱されました。

少年兵が故郷を想って歌っている姿を見て、
大人たちは無情な戦争に青春真っ盛りの
少年たちを巻き込んだことを悔やんだと言います。

去年、この曲を知らずに訪島事業に参加して、
満足に歌えなかったことを悔やんだので、
自分も含め、中学校にはしっかり予習するようにお願いしました。

今年は子ども達もちゃんと声を出していて、
自分達と同じ年齢で亡くなって逝った少年兵に弔えたかと思います。


■今回、帰りのはは丸の中で妻が硫黄島協会の方に話を聞く機会があり、
沢山の知らなかった事実を教えて頂きました。
北硫黄島には27柱のご遺骨が今も残っていて、収拾が進んでいないこと。
硫黄島の激戦のあとなんと4年も壕の中に生き残っていた方もいたそうです。

その兵士の方は壕の中にいる間、
戦争が今なお続いていると信じ、
米軍から投降の声掛けをずっと拒み続けていたそうです。

そんな中、米軍が壕の中に投げるお菓子や食べ物の中に雑誌があり、
その中で米国の女性と日本の男性が仲良くしている記事を目にして衝撃を受け、
戦争が終わったことを直感し、投降してきたそうです。

しかし、その方の一人は飛行機で羽田に戻り、
敗戦して経済復興した日本を目の当たりにしたそうです。

そして、この硫黄島の戦場の事を書に書こうと思い立ち、
4年間壕の中で書いてきた記録を取りに硫黄島に戻ったそうです。

しかし、戻った硫黄島の壕の中にはその記録が見当たらず、
その方はすり鉢山から身を投げて亡くなってしまったと。
兼ねてから、その記録で後世に戦場を伝える以外は生きる価値がないと周囲に漏らしていたそうです。

生き残って歓迎されるべき命のもった方の心に深く突き刺さる戦場の記憶。
あまりにも悲しい話に、これは伝えていかなければと思いました。
毎年のように新しい戦没者のご遺骨が見つかっています。
しかし、まだあと1万のご遺骨が硫黄島に眠っているそうです。

最後の一柱が収集されるまで、
硫黄島の戦後は終わりません。


■洋上慰霊祭を終えて、硫黄島を周回した後はデッキに出ている人全員で献花と黙祷を行いました。

一緒に乗船した小学二年生の次女にはどう映ったのでしょうか。

水を求めて飢えて亡くなった兵士たちに向けて、
水やビールを捧げる人もいました。

内地から花を持参し、船内で何度も水切りを繰り返して花を捧げた友人もいました。

この長い長い汽笛の瞬間、心を打つものがありました。
例え、上陸できなくとも、多くの事を学べたと思えます。



■村長は来年、
硫黄島訪島事業が実施された場合は、
今の中学二年生達も連れて行ってくれるつもりだと言っていました。

中3は島を離れる受験の大事な年です。
修学旅行で多くの日数を使い、
授業数的には厳しいかと思いますが、
学校の勉強以上に、
とても大事なことを学べる貴重な機会ですので、
ぜひ今年、硫黄島に行けなかった子供たちを
参加させてもらえたらなと思います。
(母島の保護者は全員、そう希望を出しています。)

ローゼル開花!!

2017年09月22日 | ローゼル
■母島のローゼル、ついに開花しました♪

オクラやハイビスカスと同じアオイ科なので、
それらに似た、可愛いピンクの花が午前中咲いています。

まだ花はまばらです。
これからじきに花だらけになるでしょう♪

沖縄に譲ったローゼルはもう収穫しているとお知らせを頂きました。
父島も少し前に開花したみたいです。

種の蒔く時期だけでなく、緯度や気候でもこうして当たり前に開花がずれるのは、
ローゼルが自分にとって一番咲くにふさわしい時期をそれぞれが知っているということ。

なんだか、その当たり前さに感激します。

よく近づくと、蕾がいっぱい実っています♪

今年の母島ローゼルは(今のところ)過去最高の出来で、
これからの台風次第ではありますが、豊作が期待できます。


背丈は僕を超える(176cm)のも出てきました!

今年は母島だけでなく、
父島に出荷はもちろん、
内地向けの発送もできそうです!(予約は10/1開始予定)


■そして、面白いのが今年2月に沖縄やんばるの森岡さんに頂いた2種類のローゼル。

こちらはうちーなーローゼル(勝手に命名)。
なんとまだ蕾すらありません!


小さな実を付けるであろうルビーローゼルも蕾すらまだです。


朝露と朝日に照らされて綺麗です☆
ルビーローゼルは赤シソのように葉も茎も赤いので、
なかなか異彩を放っていて面白いです♪

同時期に蒔いてもこんなに時期が違うというのは面白い発見でした!
沖縄で2月でも収穫できていたのが謎だったのですが、
こういう種そのもの違いというのもあるんですね~!
品種を複数作ることで、収穫期を延ばすことも可能になるわけです☆

栽培を始めて6年かな?
父島にも友人にも種を分けて、
少しずつ地域の季節の作物として定着してきた手応えが嬉しいです♪

ローゼルジャムやハイビスカスティー、
塩漬けや酒漬け、砂糖漬けなど、
利用は多様なローゼル。
今年ももうすぐ収穫期です!!

■そんな母島、一方うちの次女さんは思いっきりクライミングにハマっています♪

最近は夕陽を見に行くと、壁と下りたり登ったりしています(笑)。
大人が真似してやろうとすると、なかなかできません!

すごい手の力と感覚です!!

学校が休みの日はもちろん海に入りまくりです!

飛んで!!


潜って!!


パイプウニを捕まえて(笑)!!


明日は母島カノー大会!!(アウトリガーカヌーの大会です)
僕も娘たちも参加します!
開会式では男フラもします!


ローゼルが咲き始める時期は、
まだまだ海遊びの時期ということでした♪
チャンチャン☆

発展ということ ~バリのゴミと交通問題(2017バリ旅行記⑦)

2017年09月15日 | 旅行記 バリ
■僕にとって人生初の発展途上国(偉そうであまり好きではない表現)を経験することになったバリ。
自分の初アジアはタイかベトナムかインドと思っていたので、
超観光地でもあるバリに行くことになった流れは不思議なものでした。

バリに半月滞在してみて、発展ということを考えさせられることが数多くありました。
それは「交通」「ゴミ問題」でした。


■バリに初めて着いた空港周辺でまず目に付いたのが、
その交通量の多さでした。
そして、その中でもバイクの多さでした。

ノーヘルに二人乗りは当たり前。
時には5人乗りという凄技を発揮している人も見かけました。
明らかに中学生以下と思われる子供が運転しているのも見かけました。
超荷物満載のバイクも!!

車の隙間はもちろん、
裏路地は多くのバイクが行き交っていました。

リドート地となった空港周辺、クタやウブドに電車や地下鉄はありません。
空港付近に海の上を走る高速道路が出来て、
空港からテンパザールに向けての渋滞が緩和されたとは言え、
リドート地は慢性的な渋滞が深刻だそうです。

ほんの数10年前までは高価な車やバイクに乗る人は少なく、
自転車や徒歩が主流だったそうです。

しかし、1日の庶民の収入が600円程度のバリにおいて、
観光業は軽く桁違いのお金が入って来ます。

ある程度貧富の差はあれど、
多くのバリの人が安価で使い勝手のいいバイクにシフトしたのは
想像に難しくありません。

道路整備やインフラが整うより
はるかに早いスピードでバリの交通事情は激変したようです。


■しかし、常に生活の主軸は神様のバリの人々。
スピードも出すし、挨拶や注意のクラクションは頻繁ですが、
根本的に相手に対して優しいと感じました。

信号も少なく、
絶対的に交通量が多い都市であっても、
割り込んだ人や人に対して、
怒るような態度をすることなく、
とても穏やかに進んでいるように見えました。
日本の都市では考えられない雰囲気です。

実際、バリでは人身事故、死亡事故も多いらしく、
住んでいるみんなが考え、
解決していくべき課題と感じました。

ちなみに無免許で警察に捕まった場合、
以前は50000ルピア(500円)程度のお金を渡せば、
見逃してもらっていたそうですが、
大統領が変わって、警察官に賄賂を渡した人も罰せられるようになり、
今は警察官への賄賂はダメになったそうです(本来、当たり前ですがw)。



■飛行機がまだ主流でなかった時代、
バリの中心地は現在のテンパザールやクタではなく、
お隣のジャワ島からの港がある北西部の港町だったそうです。

現在もその面影は残っており、
ウブドから山岳地域を越えて、
急に現れた栄えている地域を見た時は、
その歴史背景がもたらすの影響の大きさに震えたほどです。

船の時代から飛行機の時代となり、
歩きや自転車から車バイクの時代に。

バリの至る所にカラフルなバイクの燃料が売られています。

激変する交通の変化に伴い、
失ってしまったものと
得られるもの。

発展というものを求めて、
これから私たちがどこに向かっていくのか、
バリの変化は様々なものを訴えかけていました。


■そして、バリの滞在中都市でも田舎でも目に付いたのがゴミでした。
それはプラスチックゴミ。

なんとバリにプラスチックが大量に入ってきたのは、
ここ10年程度とのこと。

それまでは暮らしのほとんどが、
竹や木、葉を使ったものなので、
暮らしの中で出るゴミはそこいらへんに放っておけば土に帰りました。

また燃やしても、石油製品由来の毒性の煙は発生しませんでした。

しかし、急速に入り込んできたプラスチック製品のおかげで、
バリの周囲のゴミは土に分解されず、
ずっと残ってしまうのです。

これはウブドの中心にあるマーケットです。
多くの人とモノ、観光客で溢れた活気のある市場周辺です。

その真っ只中にはこんなゴミの山が!

比較的に新しいものに見えるので、毎日市場から出ているゴミの一部なのかもしれません。

仮に一部だとしたら、毎日すごい量のプラゴミが出ていることになります。

私たちは燃えるもの、燃えないもの、リサイクルものは当たり前に
分別することに慣れていますが、
一気に変化している渦中のバリではその分別が追いついていないのです。

一般家庭が燃やす以外に、
都市部ではゴミ回収業者もおり、
朝早く暗い時間に回収して動いているのですが、
その後はスウンという村に運ばれ、
そのまま山済みにされるそうです。
近く通ったときに悪臭が漂っていました。


これは早朝4時のウブドの市場。
昼間の観光向けの市場とはまるで違う雰囲気です!

昼間は観光向け、早朝は3時過ぎくらいから地元向けの市場になるようです。
昼間と違い、物売りの声かけは微塵もなく、
道路は片側3列のバイクの列が果てしなく続いています。

買う方も売る方も緊張感があり、
これは観光の僕があまりお邪魔しては行けない領域だと感じました。
地元のみんながその日の買い物に一生懸命なのです。

■バリで1日に平均4778㎥のゴミが回収されているそうです。
1メートル四角のゴミが4778個並んだ数が毎日運ばれ、
埋め立てでなく集積されている。
大潮の満水時にはそのゴミは波と共に海に流れている…
そんな現実が実際にあるのです。

世界的な観光地であるバリの裏の姿です。
この部分に目をつぶってはいけないと思うのです。

観光で滞在しているその時でも、
レジ袋をもらわない、ゴミを分別できるときはするなど、
できることはあります。

観光はその土地にお邪魔して楽しませてもらっている行為です。
謙虚な心を忘れずに過ごしていきたいと思います。


■小笠原に暮らしていても、毎日山盛りに出される
ゴミステーションを見ても感じることがあります。

海岸に漂着するゴミを回収して考え、
縄に絡まったクジラや、テグスに絡まった鳥をレスキューしても考え、
今日深刻化している海洋マイクロプラスティックの問題も深刻です。

便利さが持っている暗い影というものを、
まざまざと見せつけられている今日。

プラスチックが導入されて日が浅い地域では
こんなにもはっきりと変化が見て取れます。

今の先進国が行ってきた発展の形というものが、
持続可能でないことがはっきりしている今、
持続可能な環境問題を解決するリーダーを育成するというコンセプトの
娘たちが参加したグリーンスクールがバリにあるという意味が
あるような気がするのです。

しかし、バリには宗教と階級の問題があり、
ヤシの木より高い建物は建ててはいけないそうです。
(高い建物を作ると高い階級の人の上に立つことになるからNG)

そうは言ってもクタや空港近くには、
大きなホテルが乱立していますが、
そんな中でも経営者は現場に出てはいけない、
労働者はある規定の人数バリの人を雇わなければいけないなど、
色々といい意味で機能している制度もあるようです。

発展というものをダイレクトに感じて、
真の発展というものを作り上げていく時代なのだなと感じることができました☆

僕自身もゴミ問題は島に暮らしていても感じ、
対応できる問題です。
海岸に行った際に漂流ゴミを拾うことはしていますが、
それ以上にできることをもっと模索していこうと思います。

硫黄三島クルーズに初参加!!

2017年09月12日 | 小笠原 野生動物
■去年、硫黄島訪島事業2016に初参加して、
今年は硫黄三島クルーズに初めて行ってきました!

硫黄三島とは、
父島、母島などがある「小笠原群島」から
南に約300km先にある「火山列島」にある三つの島、
北硫黄島、硫黄島、南硫黄島の事を指します。

ちなみに小笠原諸島というのはその小笠原群島に聟島列島や火山列島、
さらには南鳥島や沖ノ鳥島を含むとても広い島群の総称です☆

その硫黄島を中心とした火山列島の海域は
日本本土ではなかなか見れない海鳥の宝庫であり、
毎年のこのクルーズに数多くのバードウオッチャーが参加しに来ることで有名です。


今年は硫黄島の係留ブイが新おがさわら丸の重さを支えきれないということで、
6月に実施予定だった硫黄島訪島事業が中止となり、
それに参加予定だった島の中学2年生もこの硫黄三島クルーズに参加することになりました。
(うちの中二の長女もそちらで参加)。


■今回の三島クルーズは天候にも海況にも恵まれ、最高の船旅でした♪
入港日の夜19時に父島を出港し、
翌朝には一番南の南硫黄島に到着します。

素晴らしい朝日がお出迎えしてくれました。


このクルーズはなんと朝4:30に船内の電気が一斉に点きます(笑)。
目的がバードウォッチングだからです。
出発の夜には夜22時過ぎまで講演会があり、
パネル展示や解説員が各位置に配置されています。


■南硫黄島です。
ここは島の誕生以来、人の定住の記録がなく、
原生の自然が残される世界でも貴重な火山島です。

日本で初めて昭和50年に原生自然環境保全地域に指定されて、
立ち入りが厳しく制限されています。
そして島全体が天然記念物に指定されています。

標高は916mで東京の島の中では最高峰を誇ります。
島の直径も約2000mなので、なんと島の勾配は45°ということになります!
父島の二見湾に丁度収まるサイズの南硫黄はまさに絶海の孤島☆

今年と10年前を含め、過去4回山頂までの調査がされています。
調査隊の大変なエピソードを聞いて心していたのですが、
いざ目前にそびえ立つ、人を寄せ付けない雰囲気の島を見ていると、
超背ですらあの超急こう配な地形を上るというのが信じられない思いでした。

このあまりにも壮大な南硫黄島には
外来種のネズミすら入っておらず、海鳥の貴重な繁殖地として存在しています。

クロウミツバメの現在見つかっている世界で唯一の繁殖地です。

この周辺には
アカオネッタイチョウ、
シロアジサシ、
クロアジサシ、
ヒメクロアジサシ、

アナドリなどを見ることができました。

7月の台風5号、8月末の台風15号で猛烈に叩かれた痕跡が各所に見られます。
解説員の方も言っていましたが、
南島や母島の南崎で営巣中の海鳥の3分の1が台風で命を落としているのを考えると、
こうしてカツオドリの雛も含め、
厳しい自然の中を乗り切り、
元気な姿を見せてくれていることが嬉しいかったです☆


■戦争の爪痕が今なお生々しく残る硫黄島。

僕自身、去年初めて訪れた訪島事業で壮絶な戦争の爪痕を目の当たりにしました。


冒頭の事情で今年の訪島事業が中止となったので、
今年はこの三島クルーズで洋上慰霊祭が執り行われました。


これまで事前学習を重ねてきた島の中学生のスピーチがとても素晴らしかったです。
うちの長女も戦争で亡くなった方におもいを馳せて語っていました。

その後、硫黄島を1周し献花を全員で献花を行いました。

内地の友人もこの為に内地から花を持参していました。
乾きで苦しんだ兵士をおもって水を捧げる人、
ビールを捧げる方もいました。

それぞれの戦場への追悼を終え、
船は一路北硫黄島へ。

洋上慰霊祭に関しては別に記事を書いています。




■戦前までは人が住み、その集落跡があり、今は無人と化した北硫黄島。
大正時代は220人が住み、昭和19年の強制疎開時は島民90人全員が本土に引き揚げたそうです。
母島には北硫黄島出身の方が数年前までいて、色んな話を聞かせてくれていました。

北硫黄島の標高は792m。
夏の澄んだ空気の晴れた日は乳房山山頂から北硫黄島の山頂がわずかに見えるそうです。

こんな地形の島に2つも村(西村と石野村)があったと言われても、にわかに信じられないほど、
あまりに厳しい地形でした。


島の上部には「3万坪」と言われる広大な鞍部(平らなエリア)があり、
そこで牛を放牧していたというから驚きです!(どうやって上まで牛を上げたのかは謎です!)

平成3年の調査ではマリアナ系先住民のカヌーを掘る石器など遺跡が見付かっており、
江戸時代にナサニエル・セーボレーが小笠原に定住する遥か昔の石器時代に小笠原諸島に人が住んでいたことが明らかになりました!!

人が定住した記録のない南硫黄島の原生の大自然もとても魅力的ですが、
過去に人が住んでいた北硫黄も
また色んな時代のドラマに思いを馳せることができて、とても魅力的です♪

石器時代の人の暮らし、
戦前の人の暮らし、
そして無人島となった今の北硫黄…
様々なおもいを交錯しながら飛び交う海鳥と美しい情景を眺めます。


これはアカアシカツオドリ。
小笠原でもそんなに目にしない種類の海鳥です。
北硫黄島では森の樹上に営巣し、多くの姿を魅せてくれました。

先日の南硫黄の10年ぶりの調査で国内唯一のアカアシカツオドリの集団営巣地であることが判明したそうです!
きっと北硫黄も調査が進めば、南硫黄と同じような貴重なコロニーとなるのでは!?


これはそのアカアシカツオドリの幼鳥です☆


もちろんおなじみの普通のカツオドリが沢山いたほか、
シロハラミズナギドリ


オナガミズナギドリ、
シラオネッタイチョウ、
シロアジサシ、
クロアジサシ、
ヒメクロアジサシ
なども見れました!


■そしてOWA(小笠原ホエールウォッチング協会)の職員さん曰く、
過去7回参加した硫黄三島クルーズで一番鯨類がここまで見れなかったのは稀だとか(笑)。

そんな中、妻が得意のクジラ目になって見事、鯨類を発見しました!
大声で叫ばれて、慌てて撮った僕の写真がこれです(笑)↓


これだけではなんだかさっぱりわかりません!
その後、OWAの職員さんが見てコブハクジラと判定してくれました♪
約6頭ほどいます(もう少しいるかも)。

まったく知らない種類のクジラでした。
せっかくの機会なので調べてみると、
ハクジラ亜目アカボウクジラ科オウギハクジラ属に属するクジラであることが分かりました。

潜りで有名なマッコウクジラよりもっと深く潜るアカボウクジラの仲間で、
あまりに深く潜るせいか深海のダルマザメの食痕が体中に付いています。

そして、オウギハクジラの仲間の特徴でもある不思議な顎の形。
ネットで調べてみると分かりますが、
ホントに不思議な下あごから左右に突き出た歯があります(成熟オスのみ)。

いろいろ調べてみたら、ザトウやマッコウに比べて極端に情報が少なくてビックリしました!
本当に不思議な顎ですね~
以前、母島の南京浜にストランディングしたコビレゴンドウにしろ、
こうして少しずつ新しい鯨類の種類と親しみができてきて嬉しいです♡

コブハクジラはこれから気になる存在になりました♪

硫黄三島クルーズは
そんな不思議な生き物に逢ったりと
圧倒的な野生動物の雰囲気を
存分に味わうことのできる贅沢なクルーズでした!

帰りはなかなか通らない母島の東側を通り、
美しい夕日を眺めながら夜18時に父島に戻りました☆



夜遅くから早朝も含め、
出ずっぱりで活躍したスタッフの皆様、
戦没者慰霊祭の関係の皆様、
船員の皆様、
参加した皆様、お疲れ様でした!

講演会に早朝から連続で島周りまくりで、
ちょっとハードなスケジュールの工程でしたが、
とても楽しい船旅となりました!

どうもありがとうございました♪

硫黄島訪島記⑨ 美しい硫黄島

2017年09月09日 | 硫黄島
■美しくも悲しい歴史を持った硫黄島。
2016年の6月の訪島事業に参加し、初上陸してから約1年半が経ちました。

自分の娘も中2となり、
ついに授業として硫黄島に行く時期を迎えたのですが、
今年は残念なことに新おがさわら丸の重量に安全に対応できる係留ブイが用意できないことから、
2017年の訪島事業を中止する事態となってしまいました。

そんなわけで、今年は今日から開催される硫黄島3島クルーズに参加し、
洋上慰霊祭と献花を行い、参加することになりました。

去年、硫黄島の地を踏み、
痛烈なおもいをぜひ我が娘にも味わってほしかったのですが、
今回は上陸できないものの、
普段見ることのできない北硫黄島、硫黄島、南硫黄島を見に行く機会に恵まれました。

僕は鳥を見たさに参加。
なんと妻と次女も便乗(笑)。
結局、家族で硫黄三島クルーズに参加することになりました(長女は授業参加)。
今夜のおが丸で行ってきます!


■そして、遅くなりましたが、
去年から続いていた硫黄島のシリーズを、
美しい写真を振り返りながらおしまいにしたいと思います。
※写真は2016年6月撮影のものです。


【海鳥とすり鉢山のそびえたつ硫黄島の朝】
初めて硫黄島が見えた朝。
そのあまりの佇まいの美しさに言葉を失いました。



【硫黄島の地平線から上る朝日】
島なのに地平線が見える硫黄島。
その彼方の森の奥から昇る朝日は戦場の爪痕を超えてとても美しく希望に満ちていました。



【硫黄島の夜明け】
硫黄島の空に広がる圧倒的な雲。
朝だけでも硫黄島はあまりにドラマティックでした。



【朝日を浴びるうぐいす地獄】
硫黄島の玄関口でもある釜岩の近くにあるうぐいす地獄。
今も硫黄が吹き出る煙と匂いはきっと戦時中の兵士たちが感じたものと同じもの。



【砂浜からすり鉢山を望む】
釜岩から上陸し、遥かかなたに佇むすり鉢山。
激戦の地であったことを忘れるほど、美しい情景でした。



【大坂山の壕と青空】
弾痕の跡がない岩がないほど、戦闘が凄まじかった硫黄島。
その象徴でもある戦跡の上に広がる青空は、
きっとあの戦争の最中も兵士たちの心を癒してくれていたと思います。



【高射砲と青空】
荒野の中に佇む高射砲。
あたりの景色と異質なものが立っています。
あまりに悲しい光景なのに、なぜか美しいと思ってしまうのはなぜでしょう?



【高射砲に根付くいのち】
戦跡の中から確かな命が芽吹いていました。
僕はこれを見て震えるほど嬉しかったのです。
それは何か未来へのメッセージな気がしてなりませんでした。



【米軍上陸の浜とすり鉢山】
何百という戦艦を背景に、何千人という米兵が上陸した二ツ根浜。
ここから硫黄島の凄惨な戦闘が始まりました。
海が血の色で真っ赤に染まったといいます。



【夕暮れの硫黄島】
夜の帳が迫る中、硫黄島を後にします。
最後に船に乗り、硫黄島を一周して見えた景色。
まだ1万を超える遺骨が埋まったままの硫黄島。
一日も早く、遺族のもとへ帰れることを祈ります。



【Rest In Peace】
最後に洋上から献花を行い、黙祷。
長い長い汽笛の中、この多くの犠牲の上に私たちの平和な暮らしがあることを忘れてはいけない。
どうか、安らかにお眠りください。

日本人が硫黄島に帰島できない現状の中、
この訪島事業・遺骨収集で数百人が硫黄島を訪れる機会があります。
しかし、アメリカ人は年間10万人を超える観光客が硫黄島を訪れています。

この格差はもちろん、
最後の遺骨を収集し、遺族が硫黄島に帰島するまで、
硫黄島の戦後は終わりません。

これで硫黄島訪島事業2016に参加して各記事は終わりです。
どうもありがとうございました。

2017年 硫黄三島クルーズの記事はこちら
2017年 硫黄三島クルーズ 洋上慰霊祭の記事はこちら

グリーンキャンプに参加してーJungle&Surf Camp編(2017バリ旅行記⑥)

2017年09月08日 | 旅行記 バリ
■次女の時と違い、人見知りも場所見知りも全くしない長女の送りは、
何一つ心配しない気軽なものでした(笑)。

いや、うるさ過ぎて人に迷惑をかけないかが一番の心配でした☆

英語が大好きで、
人が大好きで、
下手をすると火星人ともコミュニケーションが取れる自信のある長女(笑)。

日本を発つ前から、
キャンプ終了のお迎えをするまで、
何一つ、彼女に関しては心配していなかったのは、
ひとえに彼女の人柄でしょう(笑)!

送りに行ってからの5日間は、遠出して山岳地帯や西部、バトゥールにも足を延ばしていました。
そして、特に心配しないでお迎えに向かいました。

予想
・絶対別れを惜しんで泣きじゃくっている
・誰よりもパッキングが遅くて最後に残っている
・来て良かったと心底思っている
…この予想は見事にすべて的中しました(笑)!


そんな、お迎え時にはみんなで最後のミーティングをしていて、
長女は話を理解し、英語で発言していました!!
凄いな~!

■彼女の参加したキャンプは4泊5日のジャングル&サーフキャンプ。
次女同様、
ココヤシ登りや、
チョコレート作り、
泥レスリングもやったようですが、
廃タイヤによるアクセサリー作り、
その他にサーフィンやジャングル探検も盛り込んだ濃密な5日間。


しかも5日間、同じ14名の少人数で過ごす濃密な日々は
何事にも代え難い経験になったことでしょう。

長女を置いて、
私たちはバリの山岳部や西部を周っていたので、
彼女の様子は時々アップされるインスタやFacebookで覗いていました。

ずっとやりたかったサーフィンもやれて最高だったようです(*^_^*)♪

投稿された写真を見ても、
関係者に聞いても、
同じ参加者に聞いても、
本人に聞いても、
まあ、なんと楽しそうな様子でしょう(笑)。

異国の地で多国籍な中に飛び込んでも、
言葉の壁はまるでなかったかのように、
長女は圧倒的な存在感で爆発しておりました♡


最終日は仲良くなった友達と文字通り、涙涙のお別れです。
「まだ帰りたくない!」
「ずっとここに居たい!」
といいながら一人残ってパッキングをする長女。(←やっぱり!)


夜遅くまでパッキングすらせず喋りまくっていたらしい(笑)。

お迎えと帰りの玄関に西日が射しこみ、美しい光が射す中、

ようやくグリーンキャンプとのお別れの時がやってきました。

凪穂の行動がいちいち面白くて、大笑いをしながら
仲良くなった先生たちとも別れを告げて、
一路、ウブドへ向かいます。

その時の車内で長女は泣きながら私達に心からの感謝の言葉を言ってきました。
大人に言わされるでもなく、自分から言ってきた謙虚な感謝の言葉。

親としてもとても嬉しく、
ああ、このキャンプに参加させて本当に良かったと思いました♪

彼女をひとつ大きくしてくれたと同時に、
親としての私達も成長させてもらったと感じました。


■去年からニュージランドのホームステイ、
今年はバリでキャンプ。
そして日常が母島の生活。

夏休みは大した旅行もせず、
ただひたすら友達と遊んでばかりいた僕の小学校、中学校時代。
僕の中学時代には想像すらできなかったことを経験しまくっている娘たち。

長女が母島を経つ2年後、どういう進路を選ぶのでしょうか。
僕は高校に行くのがすべてとは思ってないし、
見学しなかった学校を選んでもいいと思うし、
外国の学校を選んでもいいと思うし、
無難に父島の小笠原高校を選んでもいいと思っています。
学校に行かず、働いて、旅をするのもいいと思います。
ただ、家からは巣立つことはしなければいけないと思っています。
そして自分で生きていく力を身に付けなければいけません。

その先、どうなるか分かりませんが、
彼女が色んな選択肢を自由に選べる様に、
自分らしく生きていける様に、
自分の力で生きていける様に、
私たちは親として色んな経験やきっかけを作ってやれればと思っています。

少なくとも今の長女はこのままどこに羽ばたいて行っても、
まあ大丈夫なんじゃないかと思っています(笑)。

それは、彼女の持つ、一流の生きていくセンスが輝いているからです(頭脳ではないっw)♪




ローゼルの気配と縁

2017年09月07日 | ローゼル
■ローゼルが蕾を付けはじめました♪

秋の収穫まですくすくと成長しております☆

8月末~9月頭に2日間に渡って島を襲った台風15号の影響で、
我が家のローゼルも倒れたり、折れたりする木がたくさん出ました。

しかし、持ち前のしなりと粘り強さで、
踏みとどまった木もいたり、
倒れたり、折れても一本も枯れなかったりと、とても強いローゼルの底力を魅せてもらっています♡

以前、千葉でローゼル栽培されている方のブログで「台風で倒れて全滅」と書かれていたのですが、
もっと台風の勢力の強い母島で全滅したことはありません。(傷つくことはあります。)
真相は謎です☆

そんなわけで、昨日もその倒れたり折れたりのローゼルの復旧作業に追われています。
台風のおかげで夏休みが伸びた次女もよく手伝ってくれました♪
(支えてくれたり、先回りして色々動いてくれて最高の助手です!)

倒れていても問題なく育っているのですが、
作業道を塞がれて、この後の管理・収穫に支障が出るので、
基本的に多少の根が切れるの覚悟で起こしてしまいます。

隣の木に支えてもらったり、
支柱をしたり、
石で固定したりと様々です。

倒れた沖縄品種のローゼル、


このように戻しています。

裂けて割れてしまった枝は、
枯れてない場合がほとんどなので、
元の位置に戻して根元と枝で縛ってしまいます。

そんなこんなで少しずつ元の姿に戻ってきました!

台風が着た時期がまだ蕾段階だったのが幸いでした。

実がたわわに実っている頃の台風の場合、
枝先が実で重くなり、さらに倒れるし、
実自体も風で振り回されて、傷付いたり、落ちたりします。

今回の台風は島に大きな被害をもたらしました。

母島の清見寺とゲートボール場の間の菩提樹が倒れました。
しかし、奇跡的にお寺や道路を避けてゲートボールのコートの上に倒れたのです!


台風後は道路も緑の葉っぱで埋め尽くされていました。

そんな今回の台風も、
しなやかなローゼルにとってはまださほど大きな問題にはなっていませんでした。

収穫期の10月まであと1ヵ月!
それまでの天候との駆け引きになります♪


■そんな中、2月に行った沖縄やんばるから素敵なお知らせが届きました♪
やんばるでパーマカルチャーの実践している相川さんから、
種をお裾分けしたローゼルが開花しているとのことです。


小笠原より少し南に位置し、
黒潮の温暖な風がある沖縄はもう一足先に開花しているのですね♡

さすが農的暮らしのデザインのパーマカルチャー、
とても美しい畑のデザインです(*^_^*)

自分が運んだ種がこうして実りを迎えるのはとても嬉しいことです♪
お便り、ありがとうございます☆

世間では人が運んだ種や生き物は、
その土地の生態系を変える外来種として忌み嫌われています。

実際、そういう側面はあるのですが、
人の暮らしは、そういう側面で成り立っていることも事実です。

そして、僕は“作物や生き物が「ヒト」というものを使って分布を拡げている”ということを、
少し信じているので、
その流れに身を任せたローゼルが遥か古代のエジプトから日本、
母島に渡り、そしてその種が沖縄に渡る旅にたまらなく魅力を感じてしまいます。

島の生態系を保全する仕事をしている身としては、
悩ましい限りですが、
人が自然を操作するというのはあまりに偉そうとも思うので、
この作物の種の道筋は素敵な縁と思って大事にしていきたいです♪


■ローゼルの縁と言えば、
先月行ったバリにもローゼルがありました。

南半球のあちらはもう真冬で収穫末期の状態でした。

ローゼラという名前で呼ばれ、
種も売られていました♪

色んな種類がありました☆


グリーンスクールのカフェでも美味しいハイビスカスティーとして、
ローゼルが使われていました。
バリではお茶や砂糖漬け、ジャムとして使われているようです☆

こんな遥か彼方でもローゼルは愛されているのを見ると嬉しくなります♡

2006年に沖縄、西表のパン屋のアンパンで初めてローゼルに出逢い、
その場で種を分けてもらってから、
我が家のローゼルの歴史は始まっています。

こうして小笠原でも年々生産者が増えて、
秋の当たり前の作物になり、
初めはどう扱えば分らなかったものが、
定着してきたのが本当に嬉しいです♡
※ローゼルの加工はこちら記事をどうぞ



■そんな猛烈な台風一過なのに綺麗な脇浜。


集落の明かりに寄せられて不時着し、
保護されたただいま繁殖中のオナガミズナギドリ☆

無事に沖に飛んでいきました。

元気で生きろよ~

ローゼルも野生動物も、
大自然の厳しい気候の中、
精一杯生きています!


昨晩は美しい十五夜で満月カカを聴いたり、


毎日見る夕陽は毎日違ってて、飽きることもなく、


自然は厳しさも美しさも素晴らしさも儚さも兼ね備えています♪

さあ、今日もその自然を目一杯味わって暮らすぞ~(*^_^*)

グリーンキャンプに参加してー5Day kids Camp編(2017バリ旅行記⑤)

2017年09月03日 | 旅行記 バリ
■グリーンスクール主催の5日間のキャンプにそれぞれ参加した娘たち。
過去の記事にも書きましたが、
長女は終了後、泣きながら感謝の気持ちを伝えてくれるほど、いいものだったようです。
次女も終了後はまた行きたいというほどでした♪


小2の次女は5日間の日帰り「5day kids camp(小学生対象)」に参加。
中2の長女は4泊5日の「Jungle&Surf camp(中高生対象)」に参加しました。

あれから月日は経ち、子供たちの心の中に色々と消化されてきたことでしょう。
少数の日本人が参加していたとはいえ、
多くは言葉の通じない集団の中に飛び込み、
それぞれが文化も背景も違う子供たちが織り成す関係…
とっても楽しく、面白く、悔しく、最後は寂しかったでしょう。

■次女の初日はもの凄い緊張感でした。
これまでに見たこともないほど、です。

それもそのはず、
彼女は長女と違い、場所見知りに人見知りの性格。

朝から言葉は少ないし、
歩いてグリーンキャンプに行くときは足取りも重く、表情も固いままでした。

受付を済まして、集団の中に入っても誰とも会話することなく、
表情を強張らせたままでした。
姉が近づき、おせっかいをやくと泣き出しそうな始末…

「大丈夫だろうか…!?」

親としてもものすごく心配した初日でした。

美しい花に彩られた玄関を後にします。

送りの9時から迎えの16時まで、こんなに娘を心配したのは久々です。
明日から行きたくないとごねるかも…
泣きながら辛かったと叫ぶかも…

様々な心配が脳裏をかすめます。


■そんな中、日中の用事を済まし、いざ迎えに行くと…
すんごい笑顔で他の子と遊んでるぢゃあありませんか(笑)!

なんと日本語の通じるお友達を数人発見し、
仲良しになったようでした。

やれやれ、親の心配は杞憂だったようです。
子どもの可能性はやっぱりすごいようです♪
早速「はやく明日にならないかな~♡」という始末(笑)。
ああ、良かった(*^_^*)

小2の次女にとっては日帰りでも異国の地で多国籍な集団に入るだけで超冒険です!
日本人同士でも、仲良しが出来て乗り切れるのであればそれで良かったと思えました♡

初日のお土産に素敵な食べ物を持って帰って来ました♪


中身はもち米で炊かれた美味しいおにぎりみたいなもの♪☆


そして、ココヤシの葉で可愛いお魚のおもちゃを作ってきたのです!

このお魚をぶらぶらさせながら、
宿までいい顔して歩いて帰りました♡


数日経てば、初日の緊張はどこへやら、
朝の送り後は大好きな先生と手を繋いでさっさと行ってしまいます(笑)。

初日からヤシの木クライミングに始まり、
自分たちでボートを作り、ラフティングをしたり、
草木染めで素敵な布バックを作って来たり…

色んなことを毎日体験して帰ってきます☆


自然素材でドリームキャッチャーを作ってきた日もありました。


近くのワルン(小さな食堂)で食事をしていたら、周囲の散歩で出逢うなんて日もありました☆


泥レスリングをして泥だらけで帰って来るなんて日もありました♡


その日はグリーンスクールの生徒村に泊まっていたのでちらっと覗き見することもできました♪

最終日はいつもの宿からでなく、
生徒村から歩いてグリーンスクールの中を通り、グリーンキャンプへ。


思いっきり頑張ったキャンプの最終日はちょっぴり発熱して心配でしたが、
ラストはカカオから作るチョコレート作り!

なんとか最後まで頑張りました!


仲良くなったお友達と連絡を交換し、別れます。


■長女の5泊の泊まりキャンプと違い、
毎日帰って来て逢えるので、
その日の様子を直接聞くことが出来てそれはそれで良かったです♪

最終的にはあんなに緊張していたのに、
終わってみればまた行きたいとまで言う結果となりました♡


グリーンスクールから歩いて通える安宿にはプールがあり、
毎日帰ってきたら飛び込んで日が暮れるまで遊んでいました☆
一緒にキャンプに子供を通わせていたフランスの家族もいて、
子ども同士、言葉は通じなくとも、随分と仲良しになっていました♪(お互い、英語が得意でない)

そして長女も次女もキャンプを終えて、急にゴミの行く末やゴミの分別について興味を示すようになりました。
バリのゴミ問題については後日、記事に書こうと思ってますが、
こうしたキャンプを経て、人間が及ぼすごみの影響に関心持ってもらえるのはとても嬉しいことです。


キャンプ中の食事はこのように自分たちの圃場で採れる野菜を中心に、
ほとんどゴミの出ないオーガニックなベジタリアンな食事だったようです。

近くの食堂ではスタッフと話すこともできて、
とても勇ましく、頼もしい意気込みで語ってくれて、
すごく参加させて安心できるものでした。

本当にありがとうございました!







台風15号(サンヴ―)再び最接近!!

2017年09月01日 | 母島 日常 日記
■久々にすごい勢力の台風が小笠原を襲っています!

台風第15号 (サンヴー)
平成29年09月01日07時45分 発表

<01日07時の実況>
大きさ 大型
強さ 強い
存在地域 父島の北西約50km
中心位置 北緯 27度25分(27.4度)
東経 141度50分(141.8度)
進行方向、速さ 南南東 ゆっくり
中心気圧 955hPa
中心付近の最大風速 35m/s(70kt)
最大瞬間風速 50m/s(100kt)
25m/s以上の暴風域 全域 170km(90NM)
15m/s以上の強風域 東側 950km(500NM)
西側 500km(270NM)


この台風、昨日の日中からずっと暴風雨が続いていますが、
2度も穏やかな台風の目に入ってしまうほど近くを通り、
行ったり来たりしています。

東から小笠原にやってきて、
一度西に抜けて、北上、そしてまた南下して来ています!
まるで小笠原観光しにしに来たのかっ!と言いたくなるほど(笑)、
小笠原直撃で停滞する極上のコースです。

明日には勢力を940hPaまで増して、ゆっくりと北北東に北上する予報です。

様々な被害は想定されます。
おが丸は竹芝出港を延期、
はは丸はしばら~く欠航が決定。
まさに絶海の孤島となりました(笑)。

昨夜は我が家初の雨漏りを経験し、
なかなか緊張の朝を迎えました。

台風の影響で本日の母島小中学校は本日のお休みが決定!!
というわけで金曜日の始業式が延期し、必然的に夏休みは9/3(日)まで延長♪

夏休み終盤までほぼ宿題をしていなかった長女は拳を上げて大喜びして2度寝しました(笑)!
ちゃんと宿題を終えた次女も大喜び!


■外が明るくなってきたので、
畑と家畜の様子を見に行くことにしました。


漁師さんはがっつり養生しています。
私たちは漁師さんの養生具合で接近してくる台風の勢力を見るほどです!

凄い風です。

動画だとあんまりすごく感じませんが、体感すると怖いほどです!


沖縄品種のローゼル2種はすべて倒れていました(ToT)/~~~
折れてなければ再生できるので、
このまま寝て過ごしてほしいです。


こちらはモリンガ。
見事に葉を枯らし、枝が曲がっています。


オクラたちも軒並み倒れています。
台風接近前に種用の大きな実はほとんど収穫したので、
茎が折れるのを最小限にできています。(収穫した固いオクラはヤギの餌)

数本種取り用に残していて、種取りは色々と難しいことを実感。


モロヘイヤは葉は塩枯れをおこしているものの、
見事なしなりで折れずに台風を耐え忍んでいます。


■ローゼルは6列作っていて、一見無事そうですが…


台風の度重なる左右の風の吹き返しで折れている茎が…

今年は過去最高の出来栄えだったので、
これからの対応で被害を最小限に食い止めるのが必須となります。
頑張ってほしいものです!


陸稲もせっかく実ってきたのに、折れている箇所がありました。
耐え忍んでくれよ~~

漁師さんの船の様に、6方向から縛ったシカクマメとササゲの棚はまだ無事でした。
あと1日以上は暴風雨が続きそうなので、要注意です!


こうなるとアレカヤシの防風林のしなりはとても有効でした!
やっぱり自然はすごい!


ヤギたちも一応、緊張していましたが食欲もあり、無事でした。


■畑帰りの前浜はこんな感じでした!


僕も所属している消防団の車庫のシャッターが破損していますが、今は何もできない…(担当者に連絡済)


こういう台風を経験すると、
私達人間のちっぽけさを痛感します!
自然の猛威はほんとすごいと再確認させられています!

そして雨漏りはしても、
こうして雨風を凌げて、家族が無事であることに感謝です☆

無事の通過を祈るばかりです(*^_^*)