小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

ペサウ号~ヤップから小笠原へカヌーで渡った物語

2020年09月28日 | アウトリガーカヌー
■1986年(昭和61年)、
ミクロネシアのヤップ島からタマナで作った手作りアウトリガーカヌー「ペサウ号」で
3,000㎞の海を越えて小笠原・父島に伝統航海術で渡ってきたという話。

僕は父島に残されたカヌーの現状を見る為に行った時に、この話をビジターセンター聞き、心底驚きました。
そんな大きな出来事があったなんて!!!

Facebookにも投稿して、当時の話を知っている人から少し情報も頂けました。
しかし、もの凄い偉業を達成した割にはあまり詳細は見えてきませんでした。

ところが、ふとした時にこの時の様子を描いている本を中古で発見したのです!
「おじいさんのはじめての航海 著・大内青琥(理論社)」
どこかの図書室の廃棄図書だったようで、とても安く手に入りました♪
父島の図書室にはあるかもですね~

先日の日曜日、妻と次女が北港でSUPしている間に大半を読むことができました。(何時間も遊んでいたのでw)
当時の様子がとても丁寧なイラスト付きで描かれています。

なんと筆者もペサウ号に同乗していたんですね(笑)。
ちなみにヤップ島はミクロネシア連邦でグアムとパラオのだいたい中間地点位に位置しています。

■本には船長であるガアヤンがこの航海をするために、
当時ヤップですらFRPの船に移行していた時期で、
現役のアウトリガーカヌーが無い状態で手探りで、しかも数年かけて建造している様子が描かれています。

ガアヤンは当時70代で酋長。
カヌーで外洋を航海して島を渡った経験もない事実を知りました。

興味のある方はぜひ読んでほしいのですが、
そのヤップの人々の暮らしの様子、
人間模様がとても丁寧に描かれています。

材料のタマナを切り倒す所、なんといきなり斧で倒しては貴重な材を割る危険があるので、
根を掘って、根を一本一本切っていく。
木を彫るのは、木が育つ速度で掘っていく意識。
1日1~2食で、航海に向けてどんどん粗食に慣らしていく様。
一度、遠くの島に実験航海を行い、帆綱が切れて助けてもらう、など。
本当に手探りで、でもなんとか実現させた偉業だったと思います。

当時のガアヤンへのインタビュー記事がありました。


■とても興味深い話があります。
【海はわれらをつなぐもので、われらを引き離すものではない。
…ミクロネシアの歴史は、人々が筏やカヌーで海を探索した時から始まった。
ミクロネシアの国は星をたよりに航海した時に生まれた。
われらの世界はそれ自体ひとつの島であった…】

ミクロネシア連邦の憲法前文の一部だそうです。(P133より抜粋)

これが憲法前文に書かれているなんて、なんて素敵な所なのでしょう。

ちなみにスターナビゲーションという伝統航海術を復活させた、有名なハワイのホクレア号。
そのナイノア・トンプソンに星の航海術(スターナビゲーション)を伝えた
マウ・ピアイルックが住むサタワル島もミクロネシア連邦ヤップ州です。

※昔は竹と貝殻で描いた海図が用いられていたそうです

今回のペサウ号は最初はガアヤンのスターナビゲーションで航海していたそうですが、
ヤップからグアムに向けての840㎞の航海の途中であまりに西に流されてしまい、
伝統航海術は断念して、伴走のヨットにルートをフォローしてもらっていたそうです。
(それまでヨットのクルーはルートが外れても、一切口出ししない約束だったそうです)

ホクレアに伝えたマウ師匠のように、口述で航海術を伝承を受けたわけではない、ガアヤン。
それでも、星だけでなく、波や雲でだいたいの島を当ててしまうセンスを持っていたと書かれています。
そこはほんとさすがだと思います。

最終的には無事に父島に辿り着くのですが、
残念ながら本には伝統航海術をやめて、父島に着くまでのくだり、
着いてからの話もあまり描かれていません。

この写真は小笠原返還20周年記念誌に掲載されている到着歓迎の様子です。
盛大にセレモニーが挙行されていますね。

当時を知っている人から聞くと、
出来たばかりの扇浦の宿ビーチコマに泊まったそうです。

ホクレアの最初の航海と同じく、
長い航海でクルー同士が仲が悪くなってしまい、到着後はバラバラになってしまったとか。
本に詳しく書けないのはこうした雰囲気だからでしょうか?

それはホクレアがタヒチに着いた時に、
スターナビゲーター、マウさんが「もうこの船には乗らない」といった大きな理由がクルー同士の不仲だといいます。

無理もありません。
本当に狭い所で1ヶ月以上、極限の状態で過ごすわけなので、
「まったく自分を飾る事はできず、そのままになる」と言ったホクレアクルーの言葉が象徴しています。

ホクレアはこの不仲以降は特にこの部分を気をつけていると推察します。
違う価値観の人間が上手に支え合って航海する…
まさにここに世界の平和のヒントが隠されていると思うので、
ぜひ学びたいところだと思っています。



■いずれにせよ、70歳を超える船長ガーヤンから20代までのヤップのクルーが、
自分たちで手作りした、木造の伝統アウトリガーヌーを帆走(一部動力にも頼ったとか)でヤップ~~小笠原を航海した偉業は素晴らしいと思います。

船を数年かけて建造し、
実験航海を経ても、
ミクロネシアの大統領が認めても、日本側の許可がおりなかったり、
いざ出港する時には多くの人が集まったけど、風のタイミングをひたすらに待ったり、
自分の年齢がどんどん厳しくなる中、
「これを終えたら、ただのおじいちゃんになるからね」と家族に約束する中、
本当に根気強く進めた、結晶だと思います。

僕が小笠原の郷土芸能「南洋踊り」で首にかける首飾り。
これは母島の南洋踊りの酋長でもある小高さんがヤップ島からのお土産と僕にプレゼントしてくれたものです。

ホクレアとヤップ。
小笠原とヤップ。

なんだかこんなところで繋がるのもなんだか不思議で嬉しい限りです♪
いつかヤップ島にも行かなければいけませんね(#^.^#)

僕も娘たちも踊っている南洋踊り。
この踊りが小笠原に渡って来たのも、南洋諸島(サイパンなど)から
大正、昭和初期に小笠原に渡って来たと言われています。

東京都無形文化財に指定されている南洋踊り。
僕もヤップ島があるミクロネシアと文化的に繋がっているのです。


■作中にはこんな素敵な昔話がありました。
【若いカヌーの木が恋をした
可愛いヤシの実もやはりカヌーの木が大好きでしたよ
「私はいつか、あなたを縛るヤシのロープになりたい」
たくましい枝が動いて、タマナの木は嬉しそうに約束したよ
「きっといつか、お前と一緒に、遠い海の向こうへ行こうよ」
でも、木はまだ若すぎた

可愛いヤシの実は根が生えて、どんどん育って、そのうちカヌーの木を追い越した
とうとう、ヤシロープにはされなかったのさ

高いヤシの木から、また、実が落ちた
落ちた実は育って、やがてまた、実を落とした
3度実が落ちた時、ヤシの実はそっと聞いたよ

「あなたはまだ、昔の約束を忘れていない?」
カヌーの木はビックリだ
ヤシの木よりずっと背が高かったけれど、もう100歳のおじいさんだったからね

可愛い娘の声にドキドキしたからおじいさんは答えられなかった
すると、山のあちこちで、クスクス笑う声がしてきたよ
どうする?
さあ、お前さんだったらどうする?】


そこで一度、聞き手に質問しちゃったり…
続けて

【山の向こうからは、パンノキがからかった
「くっつけ、くっつけ、俺もしっかりくっついて、お前たちの浮き木となって、守ってやろう」
どこかで竹が 風にキシキシ笑った
「なんだか、久しぶりの話だな。俺が帆柱なら、ワヤン大船長もきっと大安心だよ」
ヤシの実は、眩しそうに100歳のカヌーの木を見上げ、一生懸命にささやいた
「私は、ずっと昔に、遠い海から流れて来たの。
だからきっと海ではあなたの大きな力になる。
もしも、あなたの心がまだ分かりませんなら…】(P65より抜粋)

いきなりここで話が変わってしまいます(笑)。

なんだかこの話のくだりと雰囲気がとても好きです。

小笠原にはこうした話が幾つもあったはずですが、なかなか聞くことは少ないです。


■最後にこのペサウ号が今も保存されている園田女子大学についてです。
こちらはこのペサウ号の安全のために伴走したヨットのスポンサーになってくれたそうです。
条件は、その後ペサウ号を預かり、展示させてもらう事。
園田女子大学のページにも載っていますし、
Youtubeにもその映像がアップされていました。


映像を見ると、さらに色んな情景を思い浮かぶ事ができて、
当時の様子を感じる事ができます。

このペサウ号の事についてはまだまだ知っている人もいそうだし、
村の教育委員会にも何かしら資料は残っているはずなので、
また父島に行ったときには調べてみたいと思います。

もし知っている人、知っていることがあれば教えて下さい!!

SUPがやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!

2020年09月26日 | SUPライフ 母島
■ついに、我が家に初SUPがやって来ました!!
実は妻や娘と去年位から、いや、もっと前からSUP欲しいよね~と話していました。

そして、ついに小笠原で新型コロナの初の感染者が出た翌日の9/19の貨物船・共勝丸で届きました!!

このSUPに出逢うまで、父島から仕事で母島に来てくれていた、
サーファー&カヌーパドラーのつよぽんにめっちゃ相談させてもらいました。
そのアドバイスの優しくて的確な事!
本当にありがとうございます(*^_^*)

色んなショップに連絡し、ああでもない、こうでもない、発送方法…云々などなど
このタイミングと流れに身を任せ、
色んなめぐりあわせで、NSPというメーカーのHIT CRUISER 11'2"というボードになりました。

到着してから今日で1週間。
毎日漕いでます(笑)。

目線の高い海の上の景色、
風や波を読みながら進む感覚、
ほぼカヌーと同じパドリングなので、めっちゃ練習になる、
とにかく朝漕ぎが超気持ちいい♡
ひとりでも楽しめる、
波があってもなくても楽しめる、
毎日自分の技術が進化して楽しい(*^_^*)♪

いや世の中、サーフィンよりもサップ人口の方が増えているという意味が分かりました。
これは入口としては入りやすいし、めちゃくちゃ深い醍醐味があります。

今回はせっかくなんで離島での購入方法の紹介や、
運動神経ゼロで超ど素人の僕が感じたことを色々書いていきたいと思います。

ちなみにうちの次女さん。
毎朝練習している僕より、あっさり乗って、しかも上手(笑)。

くっそ~!おやぢも負けないぞ~~ヽ(^o^)丿

ちなみにSUPはStand Up Paddle boardの略です☆

■まずは気になる購入ですね。
小笠原は本土から1000km離れた、週に1度のアクセスしかない超遠隔離島です。
近年、ヤマトが大型荷物の運搬をやめたりで、厳しい情勢の中、3mを超えるボードを果たして小笠原まで運べるのか!?
そこが問題でした。
インフレータブルタイプを購入の場合は小さく畳めるので、おそらく送料無料の場合も多いと思います。

色んなショップに問合せ、とても対応が良かった石川県のショップ「パープル・ヘイズ」さんに決定!
とても親身に僕の体格や家族で乗りたい事、島への運送など、本当に色んな相談に乗ってもらいました。
めっちゃいいスタッフさんでした♪

色々調べた結果、自分で取りにいかない場合での小笠原に長いサーフボードを運ぶには3つの方法がある事が分かりました。

①おがさわら丸の貨物で運ぶ
これが一番お手軽な方法です。
現在、佐川やヤマトは取り扱ってくれないそうです。
しかし、福山通運か西濃運輸であれば島まで配送可能とのこと。
今回のサイズの場合は海上運賃も含め、19000円くらいになるとのことでした。
これは今回のショップさんが丁寧に調べてくれました☆

②貨物船・共勝丸で運ぶ
今回、利用した手段です。
注文の際に月島の共勝丸事務所に届くように手配し、お届け先に「母島 ○○様行」と追加記入し、注文する方法です。
箱にも大きく書いてもらうようにお願いしました。
送料は着払い。
基本的に平日の午前に受け取ってくれるので、事前に共勝丸の事務所の方に連絡しておくことをお勧めします。
今回は8313円で東京→母島を運んでくれました♪(1㎥:東京→父島13,500円、東京→母島17,200円)

共勝丸は海況でどんどん日程が変わります(積荷を破損させない為に無理な航海はしないとのこと)。
HPで運航スケジュールをチェックする様にしましよう!

③内地の友人におが丸のチッキに預けてもらう
これが一番、友人いわく、コスパがいい方法らしいです。
内地の竹芝近くの営業所止めにボードを配達。
おが丸竹芝出港に合わせて内地の友人に直接持ち込んでもらう。
そうすると、父島までなんと1650円で運べます☆
大きなSUPボードでもサーフボードと同等の扱いをしてくれるみたいですね(#^.^#)

これは共勝丸で母島についたSUPボード。
しっかりと梱包して発送してくれたので、傷一つありませんでした(#^.^#)

以上の3つの方法はあくまで2020年9月の状況です。
様々な理由で変更することも多いので、きちんと調べてみて下さい。

■このSUPを選んだ理由です。
・インフレータブルかハードか?
まずはインフレータブル(空気でふくらますタイプ)かハード(中身が詰まったタイプ)か。
インフレータブルは価格も安いし、持ち運びが断然簡単だそうです。
とにかく、内地でもやはり置き場と運搬方法が色々決めて行くようです。

僕は島で波に乗りたいし、岩や珊瑚にぶつけるおっちょこちょいなので、
ハードタイプにすることにしました。

ハードの中でもレース、ウェーブ、オールラウンドとタイプがあるそうですが、
思いっきり初心者なのでもちろんオールラウンドに決定しました。

・長さ
長さは直進性と安定感を決める大事な部分らしく、初心者は長ければ長いほうがより安定するそうです。
このHIT CRUISERも9'8"、10'2"、11'2"と3種類の長さのラインナップがあったのですが、
僕の日々大きくなった準ヘビー級の体重をショップに話したら、もう11フィート2インチしか選択肢はなくなりました(笑)。
子供と乗る場合も長い方が安定性が良くていいそうです。

ちなみに
1フィート(ft)が30.48センチ(㎝)=12インチ(inch)。
1インチ(inch)=2.54センチ(㎝)。
1マイル(mile)= 約1.6 キロメートル(km)。

・容量と幅
ボードの容量は子どもと乗る場合は160ℓ以上はないと厳しいと言われました。
今回のボードは226ℓもあるので安心です。

幅もまずは32インチ以上はあった方がいいと言われました。
つよぽんには、このノーズの形が我が家のこれからの母島スタイルに丁度いいのでは、とアドバイスをくれました。


・メーカー
これは完全につよぽんのお勧めメーカーでした。
NSPは元々ウインドサーフィンのメーカーだそうで、ボードの表面加工の技術が素晴らしいらしく、
とても耐久性に優れているそうです。
島でもSUPが割れて補修しているのをよく見かけます。

ついそこいらにぶつけてしまいそうな、おっちょこちょいの僕にはとても大事な要素です。


・HIT CRUISERを選んだ理由
これはまずとにかく耐久性、そして初心者用であること。
そこに尽きます。
本来はスクールやレンタル用に丈夫に開発されたものなのだそうですが、
ショップによると、このHIT CRUISERが今一番NSPの中では人気なのだそうです。

ショップの方も「気を付けていても、ついぶつけてしまうもんなので、HITはお勧めです!」と言われました♪

HITという名前の由来はHigh-Impact Technologyなんですね。
メーカーによるボードでコンクリートを破壊する紹介映像があまりに痛快です(笑)。
もはやSUPの宣伝に見えないかも(笑)。

色もデザインも次女にとっては最高なものらしく、気に入ってくれていて、嬉しいです(#^.^#)



■さて進水式です。
到着してすぐに試したい性分の僕は、いても立ってもいられずに、即海へ(笑)。
とはいっても、命を預ける大事な存在です。

超自己流ですが、自分なりのチャント(祈り)を行いました。
感謝と無事を祈り、船首(ノーズ)と船尾(テール)にお神酒をかけます。

自然と家族とSUPが母島に辿り着くまで関わってくれた人に感謝の気持ちを込めます。

妻と次女は自分が初めて乗るときにティーのレイを編み、お祈りをしてくれました。

このレイは母島の沖で海に還しています。



■とある昼活です。
朝早くに仕事を開始して、長めの昼休みを作ってのトライ。
一番暑い時間は海にいるのがベストです♡

先日は台風のうねりでビギナーの僕にとって沖には全然行ける気がしなかったので、
脇浜内でSUPの色んな練習をしました。夫婦だけで。

なるべく毎日1時間は漕いでいます。

なんとSUP1時間漕ぐと600kcal消費するとか!?
こりゃ、シェイプアップ効果も期待できるかも(笑)!?

色々試してみると、自分の苦手な部分が見えてきます。
左側を漕いでまっすぐ進めるのが苦手だな~とか、
あとサイドスタンス(横向きに乗る姿勢)にスムーズに切り替えたり、
急旋回したりがまだまだ全然できませんでした。(3日目)

一番苦手なのが追いのうねり。
全然波に乗れない時は、一気に自分の進むタイミングと、波のタイミングが合わず、バランスを崩します。
こんなときはどうしたらいいんでしょうか?

日々、Youtubeで色んな解説動画を見ながら研究です!

6日目の昨日はようやくステップバックターンが何回か成功しました!!
ベタ凪の脇浜内ですが(#^.^#)

右サイドはサイドスタンスも少し安定してきました☆
波に乗るときに咄嗟にサイドスタンスにしなければなので、
もっともっと練習しなければです。

少しずつですけど、
自分でも何とか技術が上がっているのを毎回実感できるのは嬉しいものですね♡
運動神経のない僕ですが、何とか波に乗れるように頑張るぞ~!と思って楽しんできますヽ(^o^)丿


■SUPの歴史は意外と古く、古代ポリネシア文明ごろからあったとされているそうです。
当時は島民たちがサーフィンをしているところ、
ハワイの王様や貴族たちが皆の安全を立って見守るため、
カヌーのパドルを使用してボードに乗っていたのがSUPの原点ともいわれているそうです。

そして1960年代、ハワイのオアフ島、
ワイキキのビーチボーイズがカヌーのパドルを使って
ロングボードを立って波乗りを楽しんだのが現代のSUPの発祥とされていて、
ハワイでSUPは「ビーチボーイスタイル」とも呼ばれているそうです。

一時は通常のサーフィン人気などで姿を消していたそうですが、近年の2000年頃から復活してきたそうです。
ハワイ語ではHoe he'e naluというそうです。

調べてみて、意外と長い歴史があってビックリしました!


■現時点で父島でコロナの感染者が4名発生し、
みんなでイベントをするのがなかなか難しい状況です。
大好きなカヌーも6人くらい集めなければならなくて、このコロナ渦では難しい時があります。
しかし、ひとりでもできるSUPはこんなコロナ渦でもより海を一人でも楽しませてくれる絶好のアイテムです!

朝SUPの気持ちのいい所は、
とにかく人がいなくて、
朝日があまりに美しくて、
自然と感謝の気持ちが湧いてくるところです。

いつも沖に行く前、乗る前にお祈りをするのですが、
祈りを終えて目を開けると美しい朝焼けや朝日が顔を覗かせてくれます。

こんな環境で漕げることに本当に感謝です。
SUP上で毎日ヨガをして、軽く瞑想もして、その日の出来ること、やりたいことへトライ。

なんだか、1日の始まりがよりすごく最高になって来ています(#^.^#)

さあ、もっともっと上手に気持ち良く漕げるようになりたいし、
波に乗りたい!

その為にはベストな波を見極めて、
その波に自分のベターなアプローチを重ねていかなければと思っています。

サーファーさんたちがどこかステキなのは、そうした中で日々波に乗っているからなのでしょうか?

さあ、今日も明日も乗るぞ、漕ぐぞ~~!!

こういう動画をみて日々勉強しています!!

クレアナ~伝えるということ

2020年09月19日 | 大切にしていること
■「そういえば今日、ホクレア号のクルーの人の話を聞くオンラインZOOMがあるらしいけど、興味ありますか?」
友人からこんな話を聞いたのがカヌーを漕いでいる最中の話です。
海の上ですよ(笑)。しかも当日の数時間前(*^_^*)

こういう流れが、とても島らしくて大好きなんですが♡

9/5の記事にも書きましたが、先日、ホクレア号の日本人クルーのたみこさんのお話しを聞く機会に恵まれました。

カヌーを漕いでいた時に聞いて、急いで連絡をしてもらい、
家についてすぐの状態でした(笑)

8月、9月と2回に渡り、
沢山の心にしみるお話を聞かせて頂きました。

2回目は父島の高校生とカナダ留学中の長女も混ぜてもらいました。
2回目はスターナビゲーション・マスターのナイノア・トンプソン、
そしてナイノアに星の航海術を伝えたサタワル島のマウ・ピアイルック師匠についてでした。


■そのトークの中で何度も出てきた言葉。
「クレアナ」。
これは去年参加したハワイ研修プログラムSHIPで初めて知った言葉ですが、
クレアナとはハワイ語で責任、役割、権利を意味します。

ハワイアンスピリットでは自身のクレアナを常に意識していて、
自分が今どの立ち位置において、何をすべきかを常にフォーカスしていると感じました。

たみこさんは今の自分のクレアナは「伝える事」と言っていました。

沖縄出身で子どもの頃観たあの美しい海が、
気付いたときには汚れていて、
何とかしたいと思って悩み、海上保安署へ入ったそうです。

しかし、そこでの数年間は海の保安にはなっても、
美しい海を取り戻すことにはならないと気付き、
その後、結婚でアメリカに移住したそうです。

※写真は母島の近くにある無人島・平島です。

海のない大陸での暮らしの時に、
以前、雑誌で見て気になっていたハワイのホクレア号が自分の故郷、沖縄に来る!と聞いて、
一気に覚醒し、家族でハワイに移住したとのこと。

そこからホクレアに関わり、クルーになって様々な航海をしたそうです。

現代の航海機器を使わずに自然の力だけ、
人間の感覚だけで島から島へ渡るホクレア号。

たみこさんが次の寄港地に着いてしまうのが、寂しいと思えるほど、
船上での暮らしは素晴らしい気付きの連続だそうで、
話を聞いていて、こちらも沢山の気付きを頂きました。

ホクレアで気付く、
自分たちが暮らす島が一つのカヌーと同じである事。

ハワイのことわざに
He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku(島はカヌー、カヌーは島)
という言葉があるそうです。

ホクレアも航海するのに、一人ではできません。
沢山の人の協力があって、初めて航海を成功に導く事ができます。

違う国籍、違う価値観、違う人生、
その人々が互いに気を遣い、協力し、調和することで、航海を成功させる。

以前から幾度となく、記事に書いていますが、
このカヌーを島の暮らし、日本の暮らし、地球の暮らしに置き換えて考えてみる。

ホクレアを何度も乗るたみこさんから、この同じ話を聞けたのがとても嬉しく、感動しました♪


■伝えるという事。
これは凄く大切な、そして素晴らしいことだと思います。

たみこさんが雑誌でホクレアを知るのも、誰かが伝えようと記事を書いてくれたから。
僕がたみこさんの話を聞けたのも、そんなオンラインZOOMを開催してくれたからですし、
その事を僕に伝えてくれた友人がいたからです。

そして僕は次の世代の高校生にそれを伝えて行く。

Mahalo♪
本当に感謝の気持ちでいっぱいです!

小笠原は太平洋戦争後の占領のお蔭で、
伝統と文化が途切れてしまっている歴史、背景があります。

しかし、戦前に母島で暮らした人の話をギリギリ、今聞けています。

僕はそれをこうして伝えて行くのを自分のクレアナと思っています。

ただの忘れんぼさんの覚え書きの様なブログ(笑)が、後付けて意味を持ってきました♪


■文章の途中で差し入れたカヌーの写真は8/9に父島~母島60km横断カヌーの見送り時の写真です。
これは母島のOC6「ベルーガ」の姉妹船でもある、
父島の「イケカイ」がたった6人の漕ぎ手だけで伴走船なしで渡ってきたのです。

去年はエンジンで動く伴走船に僕も乗り、
父島から母島の横断カヌーの漕ぎ手として参加させてもらいました。

今年もその企画はあったのですが、
新型コロナの影響で大人数が関わる形でのイベントは自粛し、
今回は漕ぎ手航海なしで凄腕パドラー達が母島に渡って来たのです。

確か早朝に出て、昼過ぎにはもう母島に着いていた記憶があります。

母島に着いた翌日の朝にはもう父島に向けて出発したのですが、
翌日から海が悪くなったので、奇跡の様なタイミングでした。

ホクレアのZOOMはまさにイケカイが父島に辿り着くタイミングでした(笑)。
父島の参加メンバーは扇浦のレストハウスでZOOMに参加しながら迎えていて、
とっても不思議な感じでした(*^_^*)

いつか、母島メンバーも頑張って父島への往復をベルーガでやってみたいですし、
イケカイとベルーガで競漕とかもやってみたいですね!!


■ちなみにこの美しい海岸は母島の属島である平島です。

先日、僕はここで大きな過ちを犯しました。
僕は無人島、平島・向島での調査のお仕事。

なんと同じ日に次女を含む小学生の校外学習も平島・向島でした。

せっかく小学生たちが無人島に校外学習に来ていたのに、
親がいるし(笑)、
無人島の美しい砂浜に子供たちより先に足跡をつけてしまいまいた…(ToT)/~~~

ごめん~~!!
歩いた後に気付きました。
罪深き大人の過ちをお許しくださいm(__)m


■小笠原に新型コロナウイルス感染者がついに発生したと放送があった9/18の翌日、
次女とバイクでウロウロしていると、海の潮汐がビックリするほど高くなっていました。

まるでポニョみたい!!

いつも遊んでいる脇浜の周りが水没しています。

こりゃすごい!!

大潮だからなのでしょうが、
僕はここまで凪の時に水没しているのを初めて見た気がします。

次女は
「地球温暖化の影響なの?」
と考える始末。

近年、異常潮汐と聞くことも多いです。
この大潮のタイミングと台風が重なったら、と思うと恐ろしいです。

潮汐は地球と月の引力が関係し、
月の引力が地球の海水を引っ張る事で、潮汐が発生するとのこと。

僕は島に来るまで、ほぼ潮干狩り以外は潮汐を意識した記憶がないので、
最初にこの事実を知った時には今さらながらビックリしました(笑)。

そんな海の変化を感じながら、
こうして伝えることに、
何か意味があるのだな、と思いながら今日も海に行きます(#^.^#)

こうして自然を味わいながら暮らせることに深く感謝します。
Mahalo!!







挑戦という波に乗る

2020年09月12日 | 母島 日常 日記
■皆さんは今、挑戦している事って、ありますか?

島の子供たちと海を泳いでいて、
ある子供が「ねえ、見て。雲がキレイ…」と言われて、ふと見上げた時にそんな事を考えました。


その日は台風10号のうねりが母島の前浜に入って来ていて、
なかなか大きなものでした。

そんな中、島の子供達は逞しく、遊んでいました。
父島から仕事で来ている友人は、毎日南京浜でサーフィンをしていると言います。

以前、バリ島に行った時に、人生で1度だけサーフィンにトライして、
最高に気持ち良かった事を思い出しました(*^_^*)

もう39歳の僕ですが、波乗りに挑戦してみようかな……

母島は父島に比べて、波が立つ場所にサンゴが多く、危ない場所が多いと言います。
しかし、波乗りの気持ち良さはぜひ味わって欲しい!(自分は全然できないけどっ!)と思い、
ダッシュで家のサーフボードを持って前浜へ。

素人の僕が子供が波に乗れるほど指導できるわけもないのですが、
少しだけ、子ども達が波乗りを楽しんでいて、嬉しかったです♪

ボードを抱える次女の後姿がなんだかカッコ良かったです(*^_^*)

ちょっと、これから波乗り関係は興味が沸きまくっているので、新しい挑戦にしたいと思います☆

一緒に展望台で台風のうねりの波を見ながら、
「あっこれは乗りたいいい波だね!」
とか言いながら、飽きずにずっと眺めていました。

バリのクタビーチでサーフィンを習って、楽しくて、板に立てなくて悔しくて3時間続けて、
その後、全身筋肉痛になったのを忘れてないぞ(笑)!

よ~し、挑戦してみるぞ!!という気になっています(*^_^*)


■そして、今さらながらの挑戦、なんとけん玉です☆

畑の大家さんに以前お土産で頂いた、日本けん玉協会公式のけん玉。
「これで島からでも世界を狙えるぞ」と。

子供はあっという間に上達しますが、親父も負けていられません。

現在39歳。
人生で初めて真ん中の尖った棒の所に入れる事ができて、
コツを掴んだら6回も入れれました(*^_^*)

今までできなかった事、
出来ないと思い込んでいたことが、
こうしてできたことに感動です♡

ちなみに妻はヨーヨーもけん玉も最初から達人クラス。
子供の頃の過ごし方で、ここまで差が開くとは(笑)

どうせできない、と諦めずに「やってみようかな?」と思うものは挑戦してみると良いことがあります♡


■次女が夏休みずっと挑戦しているのが、バブルリングです。
素晴らしいことに、泡がまとまって来て、時々泡が一つの綺麗なリングになってます♪

僕が同じようにやっても、まったく輪にならないのに、不思議ですヽ(^o^)丿

毎日、海に行って飽きもせずに何百回も繰り返し練習しています。
この集中力は大したもんです。
次女は集中すると、人の声は全く聞こえなくなるタイプの様です。

おかげで潜りまで随分と上達してきています。

すごいな~

やっぱりサーフィンと一緒で、
色んなタイミングという波に乗るのはとても重要な気がしています。

挑戦という波を見極めて、乗る。

歳を重ねるとどんどん億劫になりがちです。
気をつけてチャレンジして行こうと思います♪


■畑のローゼル、連日花が咲いて、実も少しずつ実って来ました♡
今年は、立ち枯れが多く、気が少し小さ目な印象なので、出荷数は少なそうな見込みです。

いつも安定して作物を出荷する農家さんの凄さをヒシヒシと感じます(*^_^*)

僕は専業農家どころか、年間通しても少しの作物しか出荷していませんので、
いつもお気楽に、自然農で楽しみながら実験の様な農を続けています。

でも、少しでも持続可能な農を実現すべく、日々あれこれ考えながら、毎日畑に通っています。

ローゼルの可憐なピンクの花が見れるのもこの時期だけなので、
なかなか楽しみです♡

こちらは同じアオイ科のテリハハマボウ(小笠原固有種)で、
ソックリな花を咲かせます♪


■前浜の水面に浮いていた大きなアジ。
「なんだ、あれ?」ということで、砂浜に引き揚げました。
小学生の漁師が、
「これ、GT(ロウニンアジ)だね。喉に針が引っかかってる。」
あっという間に状況を判断し、死因まで予測できています。

食べることはなく、
基本的には釣ってリリースされることが多いロウニンアジ。

仕方がないことと思うのですが、
糸が切れた先の仕掛けはこうして、
徐々に死んでしまうケースもあります。

僕があまり釣りが好きではなく、
銛をする大きな理由なのです。


北港いたウミウシさん。
ナウシカの王蟲のようなフォルムです。
これ、匂いを嗅いでみて下さい。
匂いが「苦い」んです(笑)。


■この夏も美味しいスイカを頂いて、スイカ割りが出来ました♪

スイカ割りの楽しむポイントは、
言葉足らずな子供が一生懸命説明して、外す部分にある気がします(笑)。

オトナ同士でやると、普通に当てれてしまうモノなのですね。

要はいかに面白くできるかにかかっている気がするのです。
大人が本気で遊ぶのがこれからは重要だ!!(笑)

スイカ割り後は贅沢なスイカジュースを味わっておりました(#^.^#)


■北港と東港に1年ほど前に設置された防災無線と公衆電話があります。

個人的には大自然の中にこうした人工物はいらないのでは?と思う気持ちはあるのですが、
緊急時にはとても助かると思うので、本当に有難い設置だと思います。

北港を泳いでいて、入港日のおが丸入港時間や乗船人数を聞けるのはなかなか乙なもんです(*^_^*)
電源はソーラーパネル。
バッテリーはベンチになっています。



■今日は家族3人で映画「フラ・ガール」を観ました。
僕は2回目。

小5の次女に理解できるかな?と思ってましたが、
東北弁以外(笑)はだいたい理解できていて、沢っ山泣いておりました。

事実を元にした物語。
その閉鎖される炭鉱の話ももちろんですが、
このダンスを数か月で習得し、演技する俳優さん達のプロ意識にも感動♪

まだ観てない人、超お勧めですよ~~!





僕がカノーに惹かれている理由

2020年09月05日 | アウトリガーカヌー
■「6人でカヌーを漕ぐという事。
 6人はみんな人が違い、当然考えや気持ちの差がある。
 それは当然。
 カヌーってのは、みんなが同じタイミングで、同じ力で漕いだ方が速く進む乗り物。
 だけど、人それぞれで、最初は絶対に息が合わない。
 疲れている人、サボりたい人、自分こそはしっかり漕ぎたい人、もっと漕ぎたい人、早く帰りたい人、
 それは色々だ。
 でもね、みんなの目的は一つ。
 目的地に着くという事。
 価値観が違う人を咎めたり、違う部分を指導するよりも、
 とにかく何度も何度も一緒に漕ぐことが大切なんだ。
 そうするとメンバは―自然と揃ってくる。
 これがカヌーの面白い所なんだよな」

これは父島の友人、清水良一さんが語ってくれた一言です。
彼はカヤックのガイドもしていて、二人乗りのカヤックを教える事があるそうですが、
たった二人でも息を揃えるのは本当に難しいというのです。

それが6人で漕ぐなんて、
どれだけ凄くて面白いことだと思う?と。

そんな話を聞いていて、
ふと、このカヌーの話は人生や色んな地域での活動に置き換えて言えることだなと思いました。

例えば、
母島というカヌーを漕いでいたとして、
住んでいるみんなはみんな価値観がそれぞれです。

だけど、「みんなが幸せに暮らす」という目標に向けて、
一緒に漕いで行くイメージです。

このカヌーのメンバーが家族であったり、国単位であったり、地球単位であったりも言えることと思ったのです。
この心理に毎回気付かされるために、僕はカノー(小笠原では昔からカヌーの事をカノーと言います)を漕いでいるのかも知れません♪


■母島カノー倶楽部では、毎週練習をしているのですが、
先日は小5の次女がステア(舵取り)役をやることになりました。

過去になんどもステアはやっていて、そこそこできていたのですが、
前回、数か月前にステアをやって、あまり上手くできなかったので、
少し自信を無くていたようでしたが、
今回はとても上手くできていました。

ステアを離れている数か月間も、カノーに漕ぎ続け、
大人のステアを見て、感じていたのもやはり大きかったと感じます。

この成長は、本人自身としてもなんだかとても嬉しく感じたらしく、
ずっと数日間嬉しそうに語っていました(*^_^*)

もちろん、そんな娘の姿を見て、親夫婦もニンマリでした☆


■僕自身もそうですが、普通の漕ぎ手と舵取り(ステア)は、全く違う感覚です。
舵取りは常に、自分たちが乗っているカノーの行き先が正しい方向を向いているかを意識し、
みんなの漕ぎが不揃いになってないか、メンバーが疲れていないか、
根に乗り上げて座礁しないか、他に航海している船はいないか、
常にずっと集中しています。

ひとつの事に長時間集中するのが苦手な僕にとっては、
とても有意義な時間です♪

舵取りを終えた後は、
普通の漕ぎの倦怠感とは違う、
精神的な疲労感に包まれますが、
それがまた気持ちいいのです(*^_^*)

母島の色んなメンバーにもぜひステアを覚えて、沢山経験してほしいと思います☆


■この春、世界の有名なパドルメーカーにパドルをオーダーしようという動きがありました。
しかし、コロナの影響か、当時はパドル制作が各社ストップしており、注文できない状態になっていました。

小笠原にOC6という6人乗りのカノーをチェコから購入し運ぶ手配をしてくれた、
葉山オーシャン・ヴァア代表のデュークさんが、
メンバーの譲ってもいい中古パドルを9本送ってくれました(*^_^*)

近年カノーを始めたメンバーにとって、低価格で最初のマイパドルを得られる絶好の機会♡
本当に有難いものでした♪

どれもすごく使い込まれていて、
とても愛おしさが込み上げてきました♪

タヒチ製、アメリカ製、ハワイメーカー製のパドルたちが、
大海原を超えて、日本に来て、そして小笠原へ。
母島のパドラー達の手に渡り、
第2の人生をここで送ると思うと、
なんだかとても嬉しいです♪

大事にカノー部のメンバーと使わせて頂きます(*^_^*)
デュークさん、葉山のパドラーの皆さん、
どうもありがとうございます♪

届いたパドルを眺めていると、
1本1本、
職人さんが考えに考え、
技巧を凝らした様が浮かぶようです。

現在、母島には沖縄のPaddle Factory製のパドルがほとんどです。

代表の福井さんが今も母島の為にパドルを制作してくれています。
僕自身が好きなギターもそうだし、
パドルもそうだし、
職人さんの技法、芸術性は本当に素晴らしいと思います。
いつか工房を覗きに行ってみたいものです♡


■美しい夕焼けを眺めながら、
冒頭に書いたカヌーの神髄に想いを馳せていました。

日本で一番最初にハワイからアウトリガーカヌーが伝わった小笠原。
沖縄のハーリー文化とは違う部分です。

今盛んなフラも、島の川に残っているタロイモ(水芋)も、
タマナという気の名前や、
ピーマカという魚の料理の名前も、
ポリネシア由来と言われています。

僕が踊り手もしている南洋踊りもそうですが、
カヌーはこの海と海を、その人と人を繋げる大きな存在な気がします。

僕はそこに強烈に惹かれている気がします。


■「海と海が人を話すのではなく、人を繋げるんだ。まさにそこに本当の平和があると思う」
先日から、それこそカノーを漕いでいたご縁で、
ハワイのホクレア号の日本人クルーのたみこさんとお話しする機会がありました。

とても有名なホクレア号は1975年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一つとして建造された、長距離航海用のカヌーです。
素材こそ現代の物を使っていますが、船の作りは伝統的なカヌーの作り方で、
釘を1本も使わず、すべて縄で縛られているそうです。

そして、航海はGPSなどの現代航海道具を使用せずに、
スターナビゲーションと呼ばれる天体や自然の情報のみを使って、世界の海を移動しています。

当時、このスターナビゲーションが絶えてしまっていたと考えられていましたが、
幸運にもヤップにあるサタワル島にマウ・ピアイルックがその航海術を教えてくれると知り、
ハワイ出身のナイノア・トンプソンが習いに行き、
現代のスターナビゲーターとして、技術と心を伝承しているそうです。

この項の冒頭の言葉はナイノアが語った深い一言です。

そのホクレア号が航海して行った島々では、
そこの先住民たちがホクレアの来島をきっかけに、
アイデンティティーを取り戻し、立ち上がっていったと聞いています。

白人の文化と宗教で、
先住民たちはくすぶっていましたが、一気に眠りから覚める様に。

そして小笠原も石器時代にはカヌーの民がいたことが分かっています。
江戸時代からはハワイ王朝時代の民が小笠原へ移住してきているのです。

ホクレアの話を聞けるというのは、そこの大切な部分を聞けるという事です♪
今日も午後からはオンラインでお話しできるとのこと、とても楽しみにしています(*^_^*)


■先月、大好きなファミリーが母島を離れて行きました。
旦那さんの任期なので、仕方のないことですが、
とても寂しいです。

お別れシーズンにはみんなでフラを踊ったりして、
別れを惜しんでいました。

長女がこのコロナ渦で
カナダ留学に戻るべきか、父島の高校に行くべきか悩んでいた時も、
留学の先輩として、色んな相談に乗ってもらいました。
一緒に沢山フラもしたね(*^_^*)

次女のお下がりの服やおもちゃも沢山喜んで受け取ってくれて、
本当に大好きなファミリーでした♪

お別れの時にはもちろん、レイを作って、届けます。

港に向かう妻と次女の後姿を見ていて、
なんだかよく似てきたなぁとしみじみ思いました(笑)。

小笠原ではお別れの時にレイを渡し、
船が離れる時にレイを海に投げて、そのレイが島に辿り着けば、
いつかまたその島に帰って来れるという言い伝えがあります。

大好きな家族のレイは、ちゃんと母島に流れ着いていましたよ(*^_^*)
沢山の思い出をありがとう♪
元気でやっているかな~


■最後にうちの次女さんのバブルリング、
素晴らしき先輩たちにアドバイスを頂き、とても上手くなってきました!

写真には撮れてないですが、
泡がひとつになっている綺麗なリングも数回作れています。

僕も何度か真似てトライしましたが、
オナラのような泡の塊ができるだけ(笑)。

どうやってやっているのだろう????

とにかく、
カノーで沖に行っても休憩で、彼女はバブルリングをひたすらやっています。

この夏休みでかなりのレベルに達したと思います。

いつか僕はオナラでバブルリングを成功させて、Youtuberデビューでもしようかなと目論んでおります(笑)。

そんな夏のカノーのお話しでした♪

※9/6追記
ハワイのホクレア・クルーのたみこさんのお話し会で、奇遇にも今回の記事と同じ内容のハワイのことわざに出逢いました。
He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku(島はカヌー、カヌーは島)
そういえば、去年デュークさんを招いたトークライブを開催したのですが、
そのタイトルがコレでした!!
今さらながらにそのタイトルの意味の深さに気付きました。